第5話 火龍の土地
「それじゃあ、温泉旅館作ろうプロジェクト第1回作戦会議を始めるっ!」
雉の一鳴亭に戻り、アーディンは宣言した。
「はい」
エマは椅子に座って神妙に頷いた。
「うちを営業再開できないとなると、どうするかですね」
「そうだな。こっそり営業するというのは……」
「ダメです。すぐに摘発されてお尋ね者になっちゃいますよ」
「そうだよなぁ。この街か、他の街でも、あてにできる人はいないか?」
「いたら、借金を返せないなんてことになってません……」
「そうだよなぁ……」
アーディンは腕を組んで考え込んだ。
「もしかしてアーディンさん、具体的な計画って何もないんですか?」
「ない」
即答。
(もしかして、私、泥船に乗っちゃった?)
既に船が沈み始めている気がして、エマはつい足元を見た。
「元々、ここの亭主を頼ってゆっくり開業の準備をしようと思ってたからな。こんな状況になることは考えてなかった」
「そうだったんですね」
不安に駆られている場合ではない。エマは自分の心に鞭を入れ直した。そもそもアーディンが現れなければ、最悪の2択しかなかったのだ。
まだ具体策がないなら、これから具体策を作ればいい。
(自分で道を切り開くのよ、エマ!)
「わかりました。じゃあ二人で考えていきましょう」
「そうだな。三人いれば文殊の知恵という言葉があるそうだ、3人ではなくても、二人で考えればいい考えが出るだろう」
「モンジュってなんですか?」
「温泉旅館が栄えている遠い国の神の一人だ。ものすごく頭がいいらしい」
「はぁ。温泉ですよね……。この街で温水が湧き出てるわけですから、もっと熱い温泉というのもどこかにあるんでしょうね」
「あぁ。火山の地の底から湧き上がってくる神秘の温水、それが温泉だ」
「火山……。少し離れてますけどありますね、火山が。誰も覚えてないくらいの昔に火を噴いたそうです」
「やっぱりな! あると思ったよ」
アーディンは両手を叩くと、エマの手を取って引き立ち上がらせた。
「そうだ。いいことを思いついたぞ。ここで座って悩んでても仕方ないと思わないか」
と、表へと引っ張っていく。
「え、な、なんですか」
エマはアーディンに手を引かれるまま雉の一鳴亭の外へと連れ出された。
その目の前に真っ赤な鳥が降り立った。
その鳥が一瞬光に包まれ、そのサイズを数倍に膨れ上がらせた。
巨鳥。
エマよりも、アーディンよりも大きい。倍近いのではないだろうか。
赤い巨鳥の深紅の目がエマを見つめている。
「と、鳥……?」
「使い魔のフレスだ」
アーディンは、鳥の紹介をしながら、事態について行けていないエマをフレスの背後に回らせ、腕を首に巻き付けさせた。
バサリ、とフレスが翼を広げ跳び上がった。エマを背中に乗せたまま。
「なななななーぁぁぁあああ!?」
叫び声だけを残してエマが空の上へと上がっていく。
「何! 何なの!? 何のつもりー!?」
「何って」
空高くで上がり、悠然と空を滑り始めたフレスの隣に、アーディンが並んできた。アーディンは何にも乗ることなく、体一つで宙に浮かび飛んでいた。
「火山に行くんだよ、その」
「どの!?」
「街の近くにあるって言う火山。なぁ、どの山か分かるか?」
「このあたりで一番高い、あの山」
エマは聞かれて反射的に右の方にあるひときわ高い山を指さした。
するとフレスが羽を動かし、そちらに向かって旋回した。
「ってそっち行くの!?」
「行くって言ったじゃないか」
「だめ、だめ、ディオレス山は火龍アルスディオー様の領地よ!?」
「へぇ、火龍がいるのか」
アーディンは面白そうだと口角を上げた。
「だからだめ!」
エマの方は面白い面白くないどころではない騒ぎっぷりだ。
「別にいいじゃあないか」
「良くないって! 食べられちゃうよ!?」
「人を食べるのか?」
「知らないどけど、何されるか分からないじゃない!」
「そうだな。まぁ襲われても大丈夫だ。エマさんは俺が守るから」
「だから相手は龍神よ!?」
なぜ龍相手にそんなに自信満々なのか、とエマは叫んでいる。
「まぁまぁ落ち着けよ。龍だっていきなり襲ってきたりしないさ」
アーディンは空を飛ぶ速度を上げ、ディオレス山の山頂へと一直線に向かっていった。
龍。
それは人智の及ばぬ存在だ。
永遠の命を持つとされ、遙か昔からこの世界の頂点として存在し、恐れ、畏れられてきた。
龍を怒らせたことにより、村、街、国が一夜にして滅んだ話は各地に数えきれないほどある。
グラスリーバーを統治するトゥーセン王国やその周辺においては、龍とは神に等しい存在であり、龍神としてあがめられている対象だった。
伝説によれば、初代トゥーセン王は、ほかならぬディオレス山の龍神から国王たる地位を認められ王位に就いたという。
火龍アルスディオー。
火山の王にして紅蓮の支配者。
もしその怒りに触れれば、王国全土が焦土と化す危険すらある。
その炎色の瞳が、自分を見ている。エマは生きた心地がしなかった。
龍の体表は鱗に覆われ、燃えている炎のように黄色やオレンジの色がねじりあってゆらゆらと色を変えていて、全身が燃えているようだった。
エマはフレスの背にしがみついたまま固まっていた。
フレスが着地したと思ったら、既に目の前にアルスディオーがいて、動けなくなってしまったのだ。
「何の用だ?」
アルスディオーの口から、ゆっくりと低い声で人間の言葉が発せられた。
「俺はアーディン・アルヴィトールという。火龍よ、そなたに聞きたいことがある」
アーディンの声には何ら臆するところがない。
エマには自信なのか過信なのか無謀なのかなんなのか分からなかったが、この火龍を前にしてそうした態度が取れるだけで驚嘆に値する。
「ほう。なんだ?」
アルスディオーが少し興味を持ったようにアーディンを見た。アーディンの態度は、すくなくとも無礼な態度にはあたらないらしい。
「このあたりに温泉が湧き出している場所はないか?」
「温泉とはなんだ?」
「湯だ。沸騰していないくらいの温度がいいが、ぬるすぎてもダメだ」
アルスディオーはしばらく沈黙して考えてから回答をしてきた。
「人間の温度の基準のことなど分からぬ。あるのか、それがこのあたりに?」
「分からない。だが、ある可能性は高いと思っている」
「もしあったらどうする?」
「温泉旅館を開くために使わせて貰いたい」
アルスディオーがアーディンを睨んだ。
(ひぇぇ)
エマは生きた心地がしなかった。体が震えないのは、震えることさえ死への引き金になるかもしれないからにほかならない。
エマは内心で必死に祈った。
「分からぬ言葉だ。オンセンリョカンとは何なのだ」
「そうだな。一言で説明するのは難しいが、要するに、気持ちいいところだ」
(まとめ方―!!!!)
エマは言葉を失った。
死ぬ。
絶対に殺される。
アルスディオーは既にかなり不機嫌そうに見えるのに、アーディンの態度には謙虚さとか、畏敬の念が欠けているのだ。
万に一つ今のが大丈夫だとしても、いずれ絶対にアーディンは火龍の逆鱗を踏みつける。
「そうか。いいぞ」
アルスディオーの返答はエマには全く予想外のものだった。
「いまから出す課題を解決したら、オンセンリョカンとやらを作るがいい」
翌朝。
「アーディンさん、アーディンさん」
体を揺さぶられ、アーディンは目を覚ました。
(ん……)
まどろみながら目を開けると、エマの顔が目の前にあった。エマはアーディンの横に座って顔をのぞき込んできていた。
「なんだよ、エマさん」
「なんだじゃなくって。よくこんな状況で寝れるよね?」
エマはアーディンのずぶとさに心底呆れていた。一通り呆れたためか、最初のころにみられた丁寧さは既にない。
「こんな状況でって……。地面は柔らかくしたから寝やすかったろ?」
地面はむき出しの土だが、アーディンの魔法で、上等なベッドのような柔らかさと弾力を備えている。朝晩は冷え込む季節だというのに、気温も快適そのもの。
エマは魔法にはさほど詳しくはない。
魔法が使える者はけっして多くはないのだ。グラスリーバーの住人全体の中に100人もいないだろう。
多くは魔法具職人で、日常生活で使う道具を作っている。火をつけたり、さびを防いだり、あかりを灯したり。それらの道具の出力と比べると、アーディンのレベルは他を隔絶していた。
「問題はそっちじゃなくて」
エマは日の差す方に顔を向けた。
アーディンが何だっけと顔だけ起こして目を向けると、そこには、木で組んだ格子が出口にがっちりはまっていた。
洞窟と言うほど深くもない、崖の中のくぼみの中にアーディンとエマは押し込められているのだ。
くぼみの出入り口を塞ぐ格子の向こう側に、顔の上半分が隠れる木製の仮面をかぶった子供が二人、槍を持って立っていた。
「閉じ込められていることが問題だと?」
そう言いつつアーディンは全く意に介していない。
「これが問題じゃなくて何が問題だと?」
エマはもういちいち呆れてなどいられない。
「出ようと思えばいつでも出れる状態を閉じ込められているとは呼ばない」
「そうだろうけど、出れたからと言って解決もしないんじゃないかな」
アーディンは腕を組んだ。
「確かにそうだな」
「きっとこれがアルスディオー様の課題だよね」
「たぶんな」
火龍アルスディオーは、課題を具体的に説明せず、ただ行けば分かるとばかりに山中のある地点を指定してきた。
その地点にアーディンとエマが行ったところ、弓と槍で武装した少年たちに取り囲まれ、いまの状態にいたるというわけだ。
話しかけても、少年たちはなにも応えなかった。
「何者なのかな、あの子たち」
「妖精族だろ」
「妖精族?」
エマはオウム返しした。
「妖精族アールヴ。知らないのか?」
「聞いたことない」
エマは首を振った。
「そうか、このあたりにはいないのかもな。大地と森の子、豊穣の管理人、そういう性質をもつ種族だ」
「へぇ。もしかして、大人でも人間の子供くらいとか?」
「いや、大人はちゃんと大人だ。つまり、今のところ俺たちは子供のアールヴにしか会っていないということだ」
「大人たちは別のことをしている、とか?」
「子供だけに捕まえた人間の見張りを任せて、親たちが全員どこかに行く、なんてことがあると思うか?」
「なさそう」
人間と社会の構造や考え方が違うという可能性はあるが、子供というのは未熟なものだから、少なくとも一人は大人が見ていないとというのが人間的な感覚だ。まして、捕虜を捕らえるとか見張るとかは、決して子供の仕事にするべきものではない。
「何かあるんだろうな」
アーディンは今のところの結論を口にして目を閉じた。
「アーディンさん?」
「寝直す。何かあったら起こしてくれ」
「あぁ、そう」
エマの返事は冷たかった。