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第4話 人か金か


「何の話だ?」


 アーディンは二人の間に口を挟んだ。エマの様子を見れば歓迎しているような話ではないのは明らかだったからだ。


「君には関係のない話だ」

「そうでもないわ。アーディンさんは、お父さんお母さんに恩があるって言っていたもの。無関係な人ではないわ」


 モルドはアーディンの介入を歓迎していない様子だった。だがエマの言葉を聞いて少し考え、意見を翻すことにしたようだった。


「わかった、君が言うなら話してもいいだろう。アーディンさんはどこまで事情を知っているか分からないが、この宿には大きな借金がある」

「小金貨で1000枚、だったか」

「そう。僕はエマさんを助けたいと思っているのだけど、それには奴らへ1000枚を返済するしか方法がない。それで、父に頼んでみたんだ」

「モルドさんの家は、この街で一番大きい宿屋なんです」


 アーディンは小さく頷いて続きを促した。


「僕の家にとっても1000枚は小さな金額じゃない。父は『雉の一鳴』亭を支援する条件として、俺とエマさんが結婚するなら資金を提供するというんだ。けれど、この間エマさんに断られてしまってね」

「なるほど。父君は雉の一鳴亭を傘下に入れようと考えていると言うことか」


 ようは買収だ。


「そう。そうすれば雉の一鳴亭の経営再建にもうちの人間を使うことができるから」


 もっともな言葉だ。

 アーディンには、この若者は嘘こそ言っていないが大事な部分を伏せて話をしているように感じられた。

 言葉の端に狡猾さが現れている。

 きっとこの若者は、この機にうまく好きな女を手に入れようという考えで動いているのだろう。父に話をした時点で彼の方から結婚の条件を含めていたに違いない。


『マスター、その男、建物の陰から宿を窺っていました。先ほど建物から出て行った男達と何か短く話をしてからその中に入っていっています』

(さすがのぞき見使い魔、よい仕事だ)


 空から見ていたフレスの報告に、アーディンは自分の見立てに自信を持った。この男もさきほどの連中に一枚噛んでいるのだ。男たちが追い詰める役目で、彼女がどちらに対して首を縦に振っても互いに損をしない程度の話になっているのだろう。


『恐縮です』


 そうとなれば、アーディンの進む道は決まった。

 エマには自分の旅館の手伝いをして貰う。したがって、エマがモルドの話に同意するようなことは防がなければならない。


「残念だが、それは無理だ」


 アーディンは敢えて言い切った。


「エマさんには、俺の温泉旅館を手伝って貰うからだ」

「は?」


 モルドは何を言っているんだ、という顔をした。


「俺には理想がある。理想の温泉旅館の姿、至高の癒やしを体現した温泉旅館『後楽館』をこの地にも作ると!

 その旅館には、エマさんが、あのおもてなし心あふれる両親に育てられその心をよく知っているエマさんの力が絶対に必要なんだ」

「いや、オンセンリョカンって何だ?」

「宿屋と公衆浴場が一緒になったような店だと考えてくれ。厳密にはかなり違うけどな」

「なぜ宿屋と公衆浴場が一緒になる必要があるんだ?」

「商売敵になる可能性のあるやつには教えられないな」

「なんだと。いや、そうじゃない。今はそこじゃない。エマさんのことだ。どういうことなんだエマさん」


 話を振られたエマは、首を短く左右に振った。


「私も温泉旅館て何なのかよく分からないんですけど。っていうか私誘われましたけど返事はしてないですよね?」

「色よい返事をお待ちしている!」

「なんだ、決まったわけじゃないのか」


 モルドは少し安堵したようだった。


「俺の中では決まってるんだ」

「そうか」


 その安心がモルドに冷静さを取り戻させたようだ。


「それじゃあ、君は1000枚の小金貨を用意できるんだな?」

「ない」


 アーディンは断言した。

 モルドもまさか即答で否定されるとは思っていなかったらしく、露骨に呆れた顔をした。


「……それなしでどうしようって言うんだ」

「一年、貸してくれ」

「君に?」


 モルドはアーディンの姿を上から下まで見た。値踏みする目だ。


「メリットがないな」


 アーディンは勝ち目を見つけた。

 モルドのこの言葉は、メリットを示せればいいということの裏返しでもある。ここからが本当の勝負、賭けである。


「1年後、1200枚にして返そう」

「保証は?」

「担保に出せる物は持ち合わせていない」

「ならやはり無理だな。君がどこの誰かも分からないのに大金を出すことはできない」

「温泉旅館さえできれば支払いは容易だ」

「事業を始める人は皆そう言うんだよ。だけど、君の確信は俺の確信じゃない」

「そうか、もっともだ。じゃあ、10年間俺が働くっていうのはどうだ。護衛としてはなかなかのものだぞ」

「ふむ」


 モルドは腕を組んだ。

 アーディンが強いかを聞いてこないあたり、やはりさきほどの男達から聞いているのだろう。


「いや、だがそれでも足りないな。護衛が裏切ったという話も巷にはいくらでもある話だ」

「そうか。残念だ」


 アーディンは内心さほど残念には思っていない。元々このような条件でモルドが首を縦に振るはずがないのだ。モルドがこの件で欲しいものは利益ではないのだから。


 だから賭けになるのだ。

 アーディンが黙ると、モルドも黙った。


「そ、それならっ」


 エマの声が沈黙を破った。


「一年たって1200枚払えなければ、私があなたの妻になる。それでどう!?」


 モルドの目元が動いた。


(勝った)


 アーディンは思った。それこそ彼が最も欲しいものなのだ。


「エマさん、それは」


 なにか言いかけたモルドを、エマの更に続く言葉が遮る。


「このアーディンさんの条件に乗らないなら、私はあなたの条件には応じない。あいつらのお店に行くことになってでも」


 モルドは言葉を飲んだ。

 モルドとエマの視線が正面からぶつかる。

 負けたのはモルドだ。


「わかった。父に話をしてみよう。うちが1000枚をやつらに払う。君たちは1200枚を一年後に支払う。支払えなければ、エマさんは結婚、アーディン君は10年間最低限の報酬での雇われ護衛だ」

「それでいい」

「いいわ」


 アーディンとエマが頷いた。


「それじゃあ、父がこれでいいと言ったら、明日にも公証人に文書にしてもらうからな」


 モルドはそう言い残して雉の一鳴亭を去っていった。


「よかったのか、あの条件で」


 期待し、半ば誘導したようなものだったが、アーディンは改めてエマに尋ねた。


「はい。私に向けて差し出されていた3つの手の中で、アーディンさんの示す道だけが私の力でどうにかできるかもしれないものでした」

「温泉旅館、簡単な道じゃあないぞ」

「がんばります。あとはモルドが父親を説得できればいいんですけど」


 エマは心配そうだった。


「大丈夫、きっと納得してくれるだろうさ」


 アーディンはほぼ確信していた。

 この取引の絵を描いたのはおそらくモルド自身。彼が良いと言えばその父もいいというだろう。父の視点では多少条件が変わっても何も困ることはないのだ。200枚の利子をつけると言ったのは父の方に効かせるためだ。


「それと、温泉旅館とはどういうところか、ちゃんと私に教えてくださいね」

「もちろんだ」




 アーディンの予想は当たり、モルドの父はアーディン達の条件に即日で応じることを決めてきた。

 アーディン達はすぐにモルドと友に公証人に会いに行き、条件を記した契約書を作成した。


 取引成立である。


 そのさらに翌日、アーディンとエマは、グラスリーバーの宿屋ギルドへ足を運んだ。

 雉の一鳴亭の営業再開を願い出るためだ。


「なんでですか!?」


 エマの大きな声がギルドの応接室に響いた。


「破綻状態の解消が確認できないからです」


 ギルドの職員、事務を厳格に適用することだけを生きがいにしているかのようなきっちりした中年の男は、面倒くさそうに手を振った。


「だからそれは、こうして借金をとりまとめて綺麗になったじゃないですか」

「どこがですか。一年後に返さなければならないと記載されていると言うことは、負債をまとめただけでしょう。一度破綻の申告が出された以上、返済か免除が示されなければ再開は認められません」

「そ、そんな。なんとかならないんですか!?」

「特別扱いをすればギルドは公平性を失います。なんともなりません」


 とりつく島もない。


「……じゃあ、あらたな開業の申請をすればどうだ?」


 アーディンが抜け道を探ろうとしたが、


「現在、当ギルドは新規加盟を受け付けておりません」


 とやはりにべもない。

 アーディンとエマはしばらく粘ってみたが、ギルド職員の規定に対する忠誠心と頑固さは小揺るぎもしなかった。


 宿屋ギルドに属さなければ街で宿屋を営むことは許されない。


 雉の一鳴亭を再開することはできないのだ。


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