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第3話 宿屋の娘

 

 宿屋『雉の一鳴』亭。

 グラスリーバーで3代にわたって営まれてきた宿屋だ。

 だがいまや、宿屋だった、となるかもしれない状況にあった。


「分かってるよなぁ、期限まであと5日しかないんだぜ」


 一人の痩せた男が、テーブルに手を突いていた。その背後では全身の筋肉を盛り上がらせた巨漢が腕を組んで相手を威圧していた。


 威圧されているのは一人の娘だ。

 長くまっすぐな栗色の髪を後頭部で1つに結び、緑色のきれいな目が相手ではなく机の一点を見つめている。テーブルの下の膝の上では、娘の両手がスカートを握りしめていた。


 元は食堂だったこの部屋には他に人はいない。

 20人ほどが入れる食堂にがらんと3人だけで話し合いがもたれていた。


「で、でももううちにはお金になるようなものは何も……」


 ばん、と男が机を叩いて娘の言葉を遮った。


「金になる物があるかどうかは聞いてねぇだろ。期限まであと5日ってわかってるのかどうかって聞いてんだよ」

「わ、わかってます……」

「おう。で、金のあては?」

「……」


 少女は黙ってしまった。


「あーてーはーぁあ?」

「ありません……」

「はーあ」


 男はことさらみせつけるようにため息をついた。


「なぁエマさん。俺たちも悪魔じゃない、あんたの境遇には正直に言ってかわいそうだと思ってる。死んだ母親の治療費のために莫大な借金ができて、なんとか返そうと必死で働いた父親も死んで、あんた一人残されちまった。あぁかわいそうだ。借金が返されない貸主が怒ってギルドに破綻の申し出をして、宿屋の営業資格も停止されちまった。悲劇が過ぎて涙が出てくるほどだ。なぁ兄弟?」


 男が後ろの巨漢に同意を求めると、巨漢は無言で頷いた。


「だけどそれはそれ、これはこれだ。全部でいくらか分からなくなってた借金を、俺たちのボスが話をとりまとめて、あとは返してくれるだけでいいんだ。しめて小金貨1000枚、毎月小金貨30枚ずつ返済してくって約束だろ?」

「はい……」

「今月の30枚、5日後までに返せんのか?」

「な、なんとかします……」

「具体的にどうすんのか言ってみろよ」

「……」

「あてなんてないんだろ? いいかげん認めたらどうなんだ?」


 エマは再び黙った。


「黙ってちゃわからねえよう。さっきも言ったように、俺たちも悪魔じゃない。前から言ってるだろ、俺たちの店でエマさんが働くのはどうかって。看板娘コンテスト準優勝者のあんただ、客は殺到する。なぁに、何年か働いて5000人くらい相手にすれば借金なんて全部チャラだ。全部返し終えれば、また宿屋もやれるだろ。な?」


 エマは答えない。

 この男達のやっている店というのは遊女屋だ。首を縦に振ることなどできるはずがなかった。


 しかし、日を追うごとにエマは追い詰められている。

 男はもうすぐエマが承諾するだろうと踏んでいた。あと一押しでいけるだろうが、焦ってはいけない。

 男の頭は、今日押し切るか、もう数日考える時間を置くか、どちらがいいかを冷静に計算していた。


 そこに、ガラガラと戸が開く音が響いた。宿の入口、表の戸が開く音だ。


「ごめんくださーい」


 若い男の声がした。


(鍵はかけたと思ったが、忘れてたか?)


 男はいぶかしみながら、すぐにエマに指示をした。


「休業中なんだから客でもねぇだろ、行って追い返して来いよ」

「は、はい」


 エマが立ち上がった。


「あ」


 その男は既に食堂の入口にいた。


 銀髪に赫灼とした赤眼。年の頃は20かそこらだろうか。

 彼は口元に涼しげな笑みを浮かべていて、食堂内の状況を見てもなんとも思っていないようだった。


「あ、あの、すみません今取り込んでいまして……」

「うんうん、知ってる」


 彼がへらっと笑ったかと思うと、その姿が消えた。

 3人が驚いて息を呑んだ次の瞬間、エマの両肩に背後から手が置かれた。すとんとエマの体が椅子に座った。


「俺はこの宿屋をやっていた夫婦、君の両親に恩義ある者だ」


 食堂の入口に目をやっていた男と巨漢が慌てて振り返った。

 彼はエマの背後に立っていた。

 エマは動けない。

 いつの間に彼が背後に回ったのか、全く分からなかった。目の前の男たちも表情を見る限り同様のようだった。


(力をかけられた感じもしないのに体が勝手に座ってた……)


 立て続いて起こった不思議に戸惑いながら、逆らおう、抵抗しようという気が生まれない。エマの肩に置かれたままの手が優しいからだろうか。


「……取り込み中なんで、関係ない人は帰ってもらえませんかね?」


 男は彼に警戒の目を向けた。


「お前達、帰ってくれないか? 彼女に大事な話があるんだ」


 彼は男と巨漢の二人にそう言ってきた。

 男の問いかけに返答ではない。

 無視して自分の意思の方を通そうというのだ。つまりこれは挑発だ。けんかを売っているのだ、この若い男は。


「兄弟、みせてやんな」


 男が言うと、巨漢はズボンの左ポケットから握りこぶし大の石を取り出した。

 巨漢は石を左手に持ち、右拳をその石目がけてたたきつけた。

 石が砕ける大きい音がして、破片が散った。


「おぉ」


 その光景を見て、彼は小さく声を立てると、右手で腰に下げた袋から何かを取り出し、放り投げた。

 カツン、と銅貨がテーブルの上を跳ねた。


「なんのつもりで?」


 戸惑う男に、彼は満面の笑みを浮かべた。


「投げ銭だよ。つまらないビックリ芸だったからこんなもんだろ」

「お前、馬鹿か?」


 男は脅しの意味が通じなかったのかと思った。


「ははは、よせよせ。お前達じゃ相手にならない」


 そうではなかった。

 なめられていたのだ、彼に。完全に。

 男達の行動は早かった。


 男がテーブルを脇へとひっくり返すし飛ばすと、空いたスペースに巨漢が飛び込んで、拳を振りかぶった。


 彼は悠然と右手を伸ばし、人差し指をその巨漢に向けた。


 巨漢がその指めがけて拳を打ち込む。


 エマは思わず目をつぶった。

 巨漢の豪腕と彼の指の細さに、彼が指を折られ殴り飛ばされる未来を予期したからだ。


 しかしその未来は来ない。


 予想した衝撃音がしないことにいぶかしんだエマが恐る恐る目を開けると、巨漢の拳は彼の指先ひとつで止められていた。


「ぐ、ぐ……」


 巨漢は渾身の力で拳を押し込もうとしているが、彼はびくともしない。


「ビックリ芸じゃ人は壊せないんだよ」


 彼の方は全く力を込めていないようにすら見えるほど気軽な口調だった。


「帰るぞ」


 その様子を見た男が巨漢に声をかけた。


「返済期限まで5日あるんだ。また来るぜ」


 男はすたすたと出口に向かっていき、巨漢も、こだわることなくその後を追って食堂から出て行った。

 ガラガラと音がして、二人は『雉の一鳴』亭から出て行ったようだ。


「……」


 エマは呆然と椅子に座ったままだった。驚きでしばらく椅子から立てそうにない。


「エマさん、大丈夫かね?」


 彼はそう声をかけながら、男にひっくり返されたテーブルを片手で軽々と元に戻した。


「え、は、はい。ありがとうございます」

「うん、どういたしまして」


 そう言って彼は、テーブルを挟んで、エマの前に立った。


(大事な話があるって言ってたな)


 何の話だろうか。エマはそう思いながら、彼の目を見た。


「強いんですね」


 エマの問いかけに、彼は優しげに眼を細めた。


「ん。まぁ、俺より強い人間は過去にも未来にもいないくらいには心得がある」


 彼の言葉には自信が感じられた。

 先ほどのことからして、実際かなりの力があるのだろうと思った。


「それで、あなたはどなたですか?」

「俺はアーディン=アルヴィトールという。世界一の温泉旅館を作る者だ」


 真剣なまなざしが、エマの眼を射貫いた。


「オンセンリョカン?」


 エマは、聞いたことのない単語に疑問を抱くことしかできなかった。


「そう。エマさん。俺と一緒に温泉旅館をやらないか?」


 彼はテーブルの上に身を乗り出して、エマを誘ってきたのだった。

 そこに、再びガラガラと戸が開かれる音がして、食堂に若い男が飛び込んできた。


「エマさん、大丈夫かっ!?」

「モルドさん」


 エマにモルドと呼ばれた男はアーディンをにらみつけてきた。


「取り立てに来たのか? 期日まではまだあるはずだろう」

「違うの、モルドさん。借金取りはこの人が追い返してくれたわ」

「なんだ、そうなのか。すまない、てっきり僕はあんたが奴らの手下かと思ったんだ」

「いいとも」


 アーディンは軽く頷いて流した。


「あいつらがここに入って行くのを見たって言う人の話を聞いて急いできたんだ。なぁ、エマさん。大丈夫なのか?」

「えぇ。大丈夫」


 エマの言葉は硬かった。


「そんなはずないのは見れば分かる。頼むよエマさん、あの話をもう一度考えてくれないか」

「それは……」


 エマはモルドから視線をそらした。



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