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第2話 温泉のある街?

 

「ここが、光龍の封鎖地か」


 聖騎士リムド=フェイナスは、眼前に広がる光景に息をのんだ。


 『死』である。


 これまで続いてきたやや荒れた草原、その中に一本通っている石畳の街道は、彼の足元で線が引かれたように終わり、その先にただただ白い砂漠が広がっていた。

 真っ平らな死の砂漠だ。その中では風すら死んでいて、砂が動くこともない。

 足下の砂漠との境界線をよく見ると、細かい光の文字が帯状に連なっていて、淡い光を放っている。


「リムド様、お気を付けください」


 供を務める一人の男がリムドに並んだ。


「そこから一歩先はもう封鎖地の領域です」

「心得ているとも。<万魔の詠唱者>が光龍を討ち滅ぼした際、光龍の断末魔が生じさせた死の領域だと。恐るべき地だが、臆してはならない。我らはこれからここに入っていく。そのために来たのだから」

「は、はい」


 リムドの言葉に、背後にいる10人の男たちがあらためておののいた。

 光龍の断末魔の一撃は、街一つを飲み込み、その領域内にいた全ての生命を、3万を超える人間と、家畜、動植物、一切の区別なく死に至らしめ消し去った。


 これまでの間、この封鎖地に踏み込んだ者はいない。踏み込めば死が待っている。馬はもちろん、野生動物はこの結界線に近づこうともしない。


 領域の広さは、歩いて横断すれば3日を要するほど広い。

 <万魔の詠唱者>が大地に魔法による結界線を刻んでその領域の拡大を防がなければ、もっと多くの命が失われただろう。地に刻まれた輝く魔法文字は、彼の魔法が今も力を持って封鎖地の拡大を防いでいることを示している。


 光龍の死から3年半。いまだに拡大しようという封鎖地の力も恐ろしいが、それを抑え続けている魔法の技もまた畏ろしい。

 噂では、行方不明になっていて封鎖地で死んだと思われていたその彼は半年ほど前に聖騎士隊に帰還したらしい。それまでの間どこで何をしていたのか彼の周りに知るものはいなかった。


(この任務をやり遂げて、再びお目にかかりたいものだな)


 リムドは、6年前に彼と共に戦ったときのことをついこの間のことのように覚えていた。比類なき圧倒的な魔法の力。彼がその気になれば一万の軍勢すら障害とならないだろうと言われている。


「案ずるな。このために編纂した防護の魔法が守ってくれる」


 リムドの言葉は供たちにとって慰めにもならなかったようだ。


 リムドとて怖い。

 もし防護魔法の力が少しでも足りなければ。聖騎士であるリムドですら恐怖するのだ。信仰篤いとは言え聖騎士ではない供の者たちはなおさらだろう。


(しかし私が怖がっては、供たちは踏み込めまいな)


 リムドはことさらにため息を一つついてみせて、足を一歩踏み出し、結界線を越えた。


 胸元に下げた護符に刻まれた魔法文字が力を発揮したのが分かった。守りは十分に力を発揮しているのだろう、体に違和感はない。

 リムドの足に、白い砂の沈み込む感触が伝わってきた。

 リムドはさくさくと2、3歩ほど歩いて全身で封鎖地の中に入って見せ、背後を振り返った。


「どうしても入りたくない者はそこで待っていて良い。恐怖を乗り越える勇気を持つ者のみ付いてこい」


 供たちに告げてリムドは平然と封鎖地の奥へと歩き始めた。

 10人の男は互いに顔を見合わせた後、全員意を決して結界線を越え、リムドを追った。





 かぽーん。

 温泉旅館を作るため聖騎士の任を辞した彼の姿は今、とある街の公衆浴場の湯船の中にあった。


 グラスリーバーの街。

 人口5000人ほどの小さな街である。


 この街の特徴は、地面から湧き出る温水を名物としているところにあった。


 この温水が湧き出るおかげで、街の公衆浴場は常にきれいな温水を提供することができ、いわゆるリゾート地として栄えている街であった。


「グラスリーバーの温泉。改めて入ってみるとこんなものか……」


 石造りの天井を見上げ、呟いた。


『不満そうですね、マスター』


 その彼の脳裏に男とも女ともつかない声が響いた。


(フレスか、人の入浴を覗くとは趣味が良いな)

『見張っていないとすぐどこかに消えていって仕舞うマスターが悪いのです』

(あぁ、なんと罪深いことだ。俺はいたいけな使い魔の鳥にのぞきとストーキングという変態嗜好を目覚めさせてしまったのか!)


 おおげさに嘆く彼を、フレスの声は黙殺した。


『……それで、何がご不満なのです?』

(温泉には入れるのは公衆浴場だけ、それも温度が低くてぬるいときている。これでは俺の求める温泉旅館にはほど遠い……)

『よく分かりませんが、遠いのですか』

(遠い。もっと熱々でないと、真の温泉リフレッシュは得られないんだ)

『加熱してやれば良いのでは?』

(それでは真の温泉とは言えない!)


 彼は拳を強く握り込んでつきあげた。

 思い起こされるのは彼女の言葉だ。


『うちはね、加温も加水もしてない100パーセント天然温泉の掛け流しなの。水を足したり加熱したりする宿もあるけれど、元々からある温泉の自然な姿として、掛け流しは温泉旅館にとって大事なことなのよ』


 と。


(分かっているとも、一美。いつか必ず俺の旅館でも源泉掛け流しをしてみせる。だがまずは、そう贅沢なことは言っていられないんだ……)


 旅館をやるに当たって、従業員は必要不可欠だ。後楽館のように人里離れた場所にいきなり旅館を作ろうとしても、働こうという者はだれもいないだろう。


 まずは町中だ。

 そこから名を上げていき、最後に必ず山中の隠れ宿を作る。

 そのためにこの街までやってきたのだ。

 彼は湯船からあがると、体を乾かし、服を着て、浴場の外へと出た。


 長年聖騎士として働いてきた彼のことである。教団の影響力が全くない、信者が誰もいないような遙か遠い土地にまで遠征することも何度かあった。


 グラスリーバーもそんな街の一つだ。

 ここには聖騎士の存在はもちろん、<万魔の詠唱者>という2つ名を知る人物すらほとんどいないはずだ。

 もう10年も前に一度だけ来たことのある街。出奔した異端者を追って来た彼はこの街で1月を過ごした。


『どちらへ?』


 フレスが聞いてきた。


(前に泊まっていたことのある宿屋だよ)


 目指すは当時宿泊した宿屋。

 その伝手つてをたどって開業できる場所を探すつもりだった。


 人のいい夫婦が経営していた小さな宿屋だった気配りが聞いて、真心があふれ、温泉旅館の精神を体現したような夫婦だった。

 再び彼女の言葉が思い浮かぶ。


『温泉旅館で一番大事なのは、おもてなしよ。形だけでも、心だけでもだめ』

(まさにその通りだ)


 彼は深く2度頷いた。


(思い起こせば、あの宿屋にも確かにおもてなしの精神があった。あの夫婦となら、一緒に温泉旅館をやるというのもすばらしいかもしれない)


 温泉旅館とはどういうものか、じっくり聞かせてやれば、あの二人なら通じてくれるのではないかという期待があった。


 目指す宿屋まではもうすぐだ。


 あの角を曲がれば見えてくる。


 3階建ての建物で、広く開いた入り口が宿泊客を暖かく出迎えてくれるはずだ。

 もうすぐだ。

 彼は高鳴る胸を抑えながら曲がり角を曲がった。


「……」


 そして立ちすくんだ。

 開いているはずの戸が開いていない。

 かかっているはずの看板がかかっていない。


 2階以上にある客室の窓も雨戸が閉めきられていて客の気配がない。


『休業中』


 戸に張り紙が打ち付けられていた。

 宿屋は今、営業していなかった。


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