ロンバルト視点
「え…キリがリクアライドと婚約?」
俺とリズは父上に書斎へと呼び出されたかと思えば、キリが婚約をすることを告げられた。なんでもその話があがっていたのは二週間程前だったらしく、キリの生誕パーティーにて当人達の顔合わせと、正式に婚約を取り決めようというものらしい。
そんなことを今日まで、パーティーまであと三日となるまで何も知らなかった。
二週間前に聞いていれば、以前のキリの事であれば、へーそっか。くらいにしかならなかったと思う。寧ろあんな性格の悪い妹との婚約だなんて、リクアライドどんまい、と将来の国王であり、父上を継いで宰相となる俺の上司、そして現在の友人に対して同情しか持ち合わせていなかっただろう。
だが今は違う。ここ最近のキリはとてもいい子で優しくて、可愛くて仕方のない妹なのだ。最初は騙されているんじゃないか。演技なのではないか。熱で頭がやられたのか、だとか。色々勘繰って観察していたのだが、どれも違った。
キリはキリティアで、素で天使なのだと分かった。
どんなところが天使なのかと述べろと言われたとしても、まず一日では到底足りない。あり過ぎて、述べ切ることが出来ない。
だが、それでも一部をあげるとするのならば妹、リズとのことだ。キリはリズのことを嫌っていた。リズからの挨拶に応えないのは当たり前で、話をするのなんて論外。リズは姉であるキリと仲良くしたいみたいだが、怖くも思っているようだった。
そんな二人があの日を境目にとても仲が良くなった。確かに俺はベッドの上で戯れる二人を天使だと思った。だがその後にすぐ前の二人を思い出し、キリがリズを騙して弄んでいるのではないかと思い直した。だがそれは杞憂でしかなかった。
「リズは本当に可愛いわね。お父様譲りでロンお兄様とお揃いの紅茶色の髪はとてもサラサラで、リズのようにまっすぐ綺麗。瞳はレモンイエローのシトリンのような美しい黄色。本当に宝石のようにキラキラしていて、愛らしいリズにピッタリだわ」
ドレッサーの前にリズを座らせ、まるで歌うようにリズを褒めるキリ。これでもかと言う程に愛おしそうに、うっとりと見つめており、髪を梳かす手つきはまるで、繊細なガラス細工を触っているかのようだ。
触られている当人のリズも、これまた気持ち良さそうに目を細めてキリの手を甘んじて受けている。時折自ら手に擦り寄っては、二人は微笑み合っていて。その空気はまるで、愛し合う者同士のそれだ。全く入れそうではない。
不意に鏡越しにリズと目が合った。ふふん。いいでしょ。リズは声には出していないが確かにそう言っている、目が。
「リズ?どうしたの?」
リズとの会話が止まった事を不思議に思ったキリは、こてんと首を傾げてリズの視線を追う。
今度は俺とキリが鏡越しに目が合う。ぱちりと瞬きを何度かすると、キリは咲き誇る花も劣るような笑みをふんわりと浮かべ、こちらへと振り返った。
「ロンバルトお兄様!いらしていたのですね」
「あ、あぁ。二人で何をしているのかと思って」
「そうなのですね(そっか。ロンバルトお兄様、リズのことが心配だったのね。私がまた虐めているのではないかって…)」
「キリ?」
キリは眉を下げて、自嘲するかのように俯く。どうしたのだろうかと近づくと、リズが身体を横向きにし、座ったまま後ろに立っているキリの腰へと抱きついた。
「ロンお兄様、キリお姉様は私の髪を結ってくれている途中なのです!」
「え、リズ?」
取られまいと、ぎゅうっとキリの薄い腹へと顔を埋めるリズにキリは困惑したように、だが嬉しそうに頭を撫でていた。なんだか心配はないようだし、俺はお邪魔なようだな。踵を返そうとすると、あ、とキリから声があがる。
「ロンバルトお兄様、よろしかったらお茶をご一緒しませんか?」
「お茶?」
「はい。あ、でも、お忙しければ無理はなさらないで……」
「いや、ご一緒させてもらうよ」
せっかく誘われたのに断ることもないだろうと、リズからの痛いくらいの視線を受け流し、ソファへと腰掛ける。
リズの髪を結い上げたキリは、ちょっと待っていてくださいね、と部屋から出て行った。対面のソファへと腰掛けた俺とリズ。リズは結ってもらえた髪がよっぽど嬉しいのか、ニコニコとしている。
「リズはキリが好きか?」
「ええもちろん!!」
食い気味に答えられ、思わず仰反る。リズはこんなだったろうか?なんだかある意味心配になってしまうのだが……。
「キリお姉様はとても可愛らしく、お優しくて、これも!」
結われている髪についている髪飾り。これは……レモンの花と果実?
「私の瞳の色がレモンイエローだからと、ビーズを編んでくださったのです!」
「へー。キリにそんなことが出来るだなんて知らなかったな」
キリは淑女の嗜みである刺繍から始め、ピアノやダンスを好き好んでやるタイプではなかった。お茶は好きなようだが、侍女のリーネや使用人に無茶を言って色々なものを強請っていたようだ。そんなキリがリズへとビーズを編んだり、俺をお茶に誘ったりするだなんて。
リズは既にお茶を共にしていたようで、まだかまだかとそわそわしている。
「お待たせしましたわ」
キリが戻ってきた。部屋の中へと広がるバターのいい香り。皿を持つキリの後ろには侍女のリーネもおり、お茶のセットを持っていた。
お口に合えば良いのですが。そう言われ、テーブルへと置かれたのは様々な形をしたクッキーだった。バターの香りはこれだったのか。
「今日のも美味しそうですわ、キリお姉様!」
「ふふ、ありがとう。それと、リーネがお茶を淹れるのを手伝ってくれたの」
微笑み合うキリとリーネ。そういえばこの二人も短い間にとても仲良くなっている。そんな二人を横目にクッキーへと手を伸ばす。齧るとサクリと歯触り良く、バターだけでなく、バニラの香りも口内へと広がった。
「うまい……」
「そうでしょう!キリお姉様の作るお菓子はとっても美味しいのです!!」
「え?これはキリが…?」
「はい、私が作ってみました。お口に合ったようで良かったです」
リズの隣へと腰をかけ、キリがお茶に口付けながら、少し照れたように笑う。……可愛いな。なんだその顔は。
「そういえば料理長が今度何か必要な材料があれば申してくださいと言っておりましよ」
「え、それは本当?リーネ!今度はレモンタルトを作りたいと思っていたのよ!」
「では、新鮮なレモンを頼んでおきますね」
「ありがとう!後で料理長へお礼を言いに行かなくてはいけないわね」
「お姉様、作られたら私も食べてもいいですか?」
「もちろんよ!美味しく作れるように頑張るわね」
「ちょっと待て。料理長が厨房を貸してくれた上に、そう言ったのか?」
ウチの屋敷の料理長は寡黙で厳格だ。厨房へ関係ない人物を入れることを許さない。そんか料理長が厨房を貸し出し、必要なものを用意しておこうだなんて……。
そういえば熱が下がり、様子の変わったキリはリーネ以外の使用人たちとも楽しそうに話すことが増えているような。
……俺はキリを勘違いしていたのではないか。なんだか、面白くない。俺もキリとの距離を縮めてみても良いだろうか。
そう思っていれば、気づいた時には腰を浮かせ手を伸ばし、キリの頭へと手を乗せていた。そして母上譲りの白銀のゆるくふんわりしている髪を撫でる。ぽかんとするキリに思わず笑みが溢れた。
本当に、以前のキリでは考えられない。もっと、可愛い妹のことを知らなければいけない。
俺がくすくす笑うことを不思議に思ったのか、キリはおずおずと見上げてくる。
キリがリズの瞳をシトリンと喩えるように。キリの黄と紫のグラデーションとなっている瞳は宝石のアメトリンのようで。
戸惑いに揺れる瞳を見つめていれば、隣から声があがる。
「ずるいですわ!」
キリはビクリと肩を揺らすが、声の主がリズだと分かると、へにゃりと口元を緩める。
「リズったらお兄様のことが大好きね。大丈夫、取ったりしないわ」
……違うと思うぞ、キリ。リズは俺に撫でられるキリを見て、俺にずるいと言ったのだ。
今度は俺がリズに目で語る。ふふん。いいだろう。これは兄である俺の特権だ。リズは俺より先にキリと仲良くなっていたのだ。今まで性格の悪い妹だと思って避けていたが、俺だってこれからはこんな可愛らしいキリを知っていき、甘やかしてやりたい。
と、思っていたのに!!リクアライドと婚約だなんてそんな、確かにキリはもう十三になる。貴族と王族は十五で婚約を決めるのが多いが、別にそれよりも早い年齢で婚約者を決めておいても問題はない。でもなんだって今。俺はこれから、天使のように愛らしい妹のキリを甘やかしていけると思っていたのに。
それが急に他の男のものになってしまうなんて耐えられない。
隣でリズもわなわなと震えているのが見える。どうやらリズも俺と同じ気持ちらしい。
それにしてもリクアライドも何故婚約の話が出た時点で俺に言ってこなかったのか。確かに最近リクアライドに会う機会もなかったし、普段から手紙をやり取りする訳ではなかった。でも、昨日会った時は何も言っていなかったではないか。
そもそもリクアライドとキリは話したことも会ったこともないはずではないか。
それなのに本当に何も言わないなんて、もしかして。多分。いや、絶対。面白がっている。
前からキリの愚痴をリクアライドへと洩らすことがあった。そんな俺が昨日になって急にキリは本当はとてもいい子だった、だなんて言うから、婚約のことを黙っているのだ。
俺がどんな反応をするか、見るために。
(「いやだな。初めて会うのが婚約を決める日だなんて、それも素敵かと思っていただけですし、パーティーで公式になる予定だったから、言わなかっただけですよ」)
頭の中でリクアライドが微笑みを浮かべる様が浮かび、思わず舌打ちをしてしまった。
そんな俺の肩を父上が軽く叩いた。
「お父さんも可愛いキリティアがお嫁にいくのは悲しいけれど、親友との約束でもある。それに何より、王太子妃になるのは素晴らしいことだ」
まぁ、お父さんは娘の幸せが願いだからね。無理強いをするつもりもないのだけれどね。
父上はそう言うと、そろそろ仕事の時間だと部屋から出て行ってしまった。
残された俺達は何も言わず、キリのいる部屋へと向かう。
無理強いしないということは、つまり、そういうことだ。よし!!
俺は可愛い妹を渡す気はない。
よりによって、あんな腹黒王太子なんかに……!!