婚約破棄されたので他国に政略で嫁に行きます
※短編「公爵令嬢と婚約破棄した王太子な俺」のスピンオフ。悪役令嬢救済話です。こちら単体で問題なく読めますが、前作のネタバレ含みます。
「ふう……」
私は何度目かのため息を吐いた。
本当なら今頃結婚式用のドレスの採寸が始まる頃だったのに、今私は王宮の一室で閉じ込められている。
何気なく発した言葉が不敬罪に当たり、婚約者の王太子殿下から婚約破棄されたが、取り調べのためここに留められていた。
やっと沙汰が降りたので今は迎えを待っている状態。
「エメルダ様、迎えの方がいらっしゃいました」
この部屋付きの女性騎士が扉の外から声をかけてきた。ガチャリとノブが回り、黒髪碧眼の長身の男性が入ってくる。
私の実兄、オーランド・バーニーだ。今は爵位を継いで公爵閣下になったばかりのはずだ。
「……エメルダ、迎えにきたぞ」
お兄様、怒りを通り越した嫌悪のオーラが滲み出ていらっしゃる!昔から甘くてアホな言動をする私を兄は飽きれて、歳も離れていたせいであまり構うこともなかったのだけど、今回本当に嫌々来たと全身で語ってらっしゃるわ。……私が悪いのだけど、ショック……。
「……ありがとうございます、お兄様。この度はご迷惑をお掛け致しまして申し訳ございません……」
私は出来うる限り頭を低く礼をしてそう言うしかなかった。
兄はしばらくの沈黙の後、かぶりを振って応えた。
「……全くだ。下手をすれば反逆の意思があると見なされて公爵家ごと潰されかねない事態だった。……全く。お前はあれほど父上に諭されても不用意な言動を慎めないのだな。一体誰に似たんだ?」
うっ、仰る通りです!昔から貴族らしく言動を慎めとお父様に散々言われてたのに、結局私は根本の所でわかってなかった。
子供の頃からお父様にいつか足を掬われるぞと警告されていたのに、慎重さに欠けていた。
「全く、王太子殿下の婚約者が、『王になるなら第二王子くらいじゃないと』なんて人前で口にするなんて、馬鹿にも程がある!大臣の中にはお前が第二王子に懸想して王太子殿下を害するつもりだと言い出す輩もいたんだぞ。公爵家の政敵が喜んでネタにしていたそうだ」
すみません!だって第二王子殿下の方が好みだったんです!レオナルド王太子殿下はバランスの取れた能力を保持し立派な方だけど優しすぎるきらいがあった。対して第二王子殿下はちょっと俺様で、行動力があり素敵に見えたのだ。お茶会で軽い気持ちでそんな事を言ったら、付けられていた王家の影から国王陛下に報告され、王太子妃として相応しくないと今回の事態に陥ったのだ。
「あの直情型の第二王子殿下の方が慈悲深い王太子殿下よりも王に相応しいとか、戦乱の時代なら兎も角……。そもそも今回の不始末がこれくらいの沙汰で済んだのはレオナルド王太子殿下が取り成してくださったからだ。お前は本当に見る目がない」
はい、ぐうの音も出ません!兄の小言はまだまだ止まりそうになかったが、兄の侍従が声を掛けてくれたお陰で続きは馬車の中でとなった。
王太子殿下や国王陛下に謝罪する時間も与えられずに城を後にし、クドクドとした兄の小言を聞きながら馬車に揺られ、一旦王都の屋敷に立ち寄った。
私に与えられた沙汰は公爵領での三ヶ月の謹慎処分。不敬罪としては随分軽い罰なのだけど、お父様が爵位を返上することで、体面が保たれたこともあるのだろう。
領地没収とならずに、兄がそのまま継ぐことが許されたことも随分寛大な処置だ。王太子殿下の取り成しのお陰でというのもあるのかもしれない。
屋敷では父と母が待ち構えていて母に顔を引っ叩かれた上に大泣きされた。私もごめんなさい、ごめんなさい、と泣きながら謝ることしかできなかった。
翌朝には兄に連れられ領地に向かい、片田舎の別荘で過ごすこと三ヶ月、修道院行きを意識して、多少の身の回りのことは自分でするようにし、慎ましやかに過ごしていた。
王家の不興を買った女にロクな嫁ぎ先は無いだろうと半ば諦めているのもある。
そんな私の元に兄が再びやって来て唐突に言った。
「エメルダ、政略結婚が決まった」
えっまた「政略結婚」ですか?
「スヴェアの将軍家から魔力の多いお前を是非嫁に欲しいと打診があった」
スヴェアは大陸の北の端の半島にある大国だ。
航海術に優れており所謂海賊も多い少々荒っぽい国でもある。
大陸の南にある私たちの国からは随分離れており、敵対の心配はなく交易だけの繋がりがある。
「交換条件としてこちらには向こう十年鉄鉱石を優先的に卸して貰える。丁度王都と領都を繋ぐ鉄道を引く計画があるからな。お前のお陰で安定的な確保が実現したよ」
いつになくご機嫌な兄に不安になってしまう。スヴェアって遠いのよ。船で十日くらい。嫁いでしまえば帰りたい時に帰られるような場所じゃない。
「……それは良うございました。あの、でもスヴェアって遠すぎません……?」
国内とは言いませんがもうちょっと近い国の嫁入り先はなかったんですかね?
伺う様に言うと兄にギロリと睨まれた!
「王太子妃教育も受けた上に魔力の多いお前を簡単に近隣諸国に嫁に出せるわけが無いだろう!我が国に恨みを持って仇なす可能性もあるのに!これ以上トラブルの種になるな!」
うっ私ってそんな風に思われてたのね!殆ど危険人物扱いじゃない?しょうがないことだけど傷つくわ……。
「まあ安心しろ。あちらでは女性は宝物扱いで大事にされるし何人か侍女もこちらから付ける。魔力の多い娘でも産めば、今度こそ王妃の座を得られるかもな」
兄はニヤリと笑ってそう言った。
私は逃げられないと知り小さく頷いた。
「いいか、くれぐれも失言するな。万一破談になったり、送り返されたら魔力封じをして一生監禁だからな!」
兄が酷い。いくら何でも、もうちょっと他に言い方はないのだろうか。
私たちは領都から一番近い港に来ている。
今日はスヴェアから私の迎えの船が来る予定の日だ。私の結婚相手が直々に迎えに来てくださるそうで、こうして港で兄と待っている所だ。
「ああ、あれだな」
兄が指し示した方を見ると巨大なロングシップの船影が見えた。いくつも帆を立て、たくさんのオールも見える。相当な速度でこちらに進んでいる様だ。
港からある程度離れたところで船は停泊し、小さなボートに乗って二人の男性がやって来る。
桟橋に着くとヒラリと降り立った彼は随分若く見えた。少年と言っていいくらい。従者?いやでも、後から降りた方が、荷物を持ってるわね。
少年は私達を見つけると颯爽とこちらに近づいて来た。
焦げ茶色の髪に大きな黒い目を好奇心で一杯に開いたその姿はまだ幼く見える。身長も私と同じくらいかしら?
「お初お目にかかります。スヴェアから参りましたイェルド・バルテスです。バーニー公爵閣下でいらっしゃいますね。この度は妹御様との婚約をお受け下さり誠に光栄至極にございます」
少年、もといイェルド様は大袈裟なくらいの礼をして淀みなくそう語った。
見た目はまだ幼い感じだけど、中身はしっかりしているのかもしれない。
「バルテス将軍家ご嫡男のイェルド様、此度は我が妹の輿入れの為にお越し下さり誠にありがとうございます。こちらに控えますのが妹のエメルダでございます。エメルダ」
「はい」
私は兄の呼びかけに一歩前に出て深く礼を取った。
「エメルダでございます。遥々遠き所より旦那様自らお出迎えくださり誠にありがとうございます」
「エメルダ様、噂に違わずお美しい方でいらっしゃいますね。どうかイェルドとお呼びください」
イェルド様はそう言って屈託無い笑顔をくださった。笑うとますます可愛らしい。
私は今十八になったばかりだ。でもイェルド様はどう見てもそれより若い気がする……。将軍家からは年が一番近い親族の嫁にと聞いているが幾つなのだろうか?
気になったのは兄も一緒だったようでさりげなく年齢を話題に出した。
「イェルド様は成人されたばかりとお聞きしておりますが、今年お幾つになられますか?」
「数えで十五になります。あの船は成人の儀で私自身に与えられたものです」
数えで十五!?じゃあ実質十四歳ってことかしら?
そりゃ若い筈だわ……。
今日は港近くの官邸に部屋を用意してある。兄の家族や両親を含めた実質披露宴な歓待の夕餉は滞りなく済んだ。花婿の年齢が若すぎることが皆本心では気になってるようだけど、それを口に出して言うような不用意な人はいなかった。……多分私が一番心配されてただろうけど流石にもう学習したのだ!「口は災いの元」ってね!
一生座敷牢で監禁されることに比べたら幼婿ぐらい逆にご褒美よ!明るい感じのイェルド様となら幸せ家庭を築けそうな気もするし!
翌朝、家族と一生の別れのつもりでイェルド様の船に乗ってスヴェアに向かった。家族の誰もが厄介払いできたと喜んでいるようで一人も悲しんでなかったことが癪に触るけどね!
いいもんね。私には付いて来てくれる三人の侍女達、ソフィ、レティ、マーサがいるもんね!幼い時から大好きな三人が一緒なら心強いわ。
「エメルダ、船の中を案内するよ」
船室に荷物を置くと早速イェルド様がお声がけくださった。
兄達から離れると途端に砕けた物言いになったイェルド様は更に幼くて何だか弟ができたみたいで嬉しい。……いや、弟とか旦那様になる方に失礼よね。また婚約破棄は嫌よ!失言しないように注意注意!
「ありがとうございます。イェルド様」
私はそう言って差し出された手を取った。
イェルド様はクスリと笑って言った。
「様も敬語もいらないよ。俺はそんな柄じゃないし夫婦になるのだから、気軽に接して」
少し悪戯っ子の様なその笑顔は、ちょっと色っぽく見えてドキっとしてしまった。
驚いたことに船に乗員はイェルド含め三人だけ。オールは魔石で自動で動かすことができるそうで主に帆の調整と舵取りが仕事だそうだ。私は風魔法が得意なので、船を動かす手伝いぐらいはできるかもしれないと言うと「もしもの時はよろしく!」と明るく答えられた。
船の中は大きな倉庫といくつかの船室があり、私に与えられた部屋は船尾側にある広いもので景色も良い。
私の国、ラスツールからスヴェアまでは大陸に沿ってグルリと回ることになる。今は穏やかな海だけど潮の流れが速くなる西海以降はかなり揺れるかもしれないが安心して欲しいとのことだった。
「スヴェアのことはどれくらい知ってる?」
二人で甲板で魚を眺めていたら、イェルドが尋ねてきた。
私は王妃教育で諸外国についてはかなり詳しく学んでいる。スヴェア語だって自信があるわ!
「えーと、北の大国で、航海技術に優れ、豊かな森林と鉱山を保持していて、貿易に力を入れている……ってとこかしら」
「そうだな。じゃあその成り立ちについては?」
スヴェアは海賊達が興した国だと言われている。北海の覇者として他の大陸にまで足を伸ばし、交易に力を入れるようになってからは、軍事力よりも経済的な影響力の方が各国に注目されている。
そう言うとイェルドは感心した様に目を見開いた。
「すごい。俺よりもよく知ってるね。そうだよ俺達のルーツは海賊だ。だから君の国よりも随分荒っぽい。だけど何があっても俺が守るから安心して欲しい。俺達にとって女性は宝と一緒なんだ。だから他の奴に奪われないように、大切に、大切に扱う」
そう言ってイェルドは私の手を両手で握った。
そして私の眼を真っ直ぐに見据える。
近いわ!王太子殿下ともこんなに近い距離で接したことはなかった。そんなに熱っぽく見つめられるとドキドキが止まらなくなる!パッと見幼いのにふとした表情が大人っぽくなるのは反則だと思うの!
「ああ、本当に綺麗だ……。こんなに美しい人が俺の妻になるなんて……」
イェルドはそう言って頬を染めて微笑んだ。
「……俺、本当は前からエメルダのこと知っていたんだ。さっきの港に何度か来てただろ?」
確かに父の視察に付いて何度か来ていた。それにあの港は外海側にあるので外国の船が多く、諸外国の要人を迎えることも多い場所だ。
「俺は以前は父の船にいつも同船してたから、前の公爵がよく出迎えてくれていたんだ。その時遠くからエメルダを見て、何て綺麗な人だろうってずっと憧れてた。王太子の婚約者だと聞いて諦めてたけど、今回婚約破棄の噂を聞いて直ぐに動いたんだ」
父は要人達を接待する時は私を同席させることはなかったので官邸ででもすれ違ったのだろうか。
スヴェアのロングシップは装飾が素晴らしく特徴的な形なので、港に行くたびに来ていないか探したものだったわ。
もしかしたらあの中のどれかにイェルドが乗っていたのかも知れない。
それにしてもイェルドが前から私を思っていてくれていたなんて、衝撃的!!その真っ直ぐな思いが婚約破棄以降誰からも嫌われてる気がして荒んでいた心に染みる!
私は何だか感極まって目頭が熱くなってしまった。
「うわっ、ごめん!俺なんか嫌なこと言った?」
私が涙を零したのを見てイェルドは焦ったようにそう言った。見るとオロオロと何か(多分ハンカチ)を探している。
私は首を振って言った。
「いいえ、違うの……。私、婚約を破棄されて以来、皆から疎ましがられていて……。自業自得なのだけど、世界中の誰からも嫌われてしまった気がしてた……。
でも貴方がそう言ってくれて……嬉し、い……」
「嬉しいのは俺のほうだよ。絶対に幸せにするし、永遠に大切にするからもう安心して!……よく頑張ったね。もう大丈夫だから……」
その後、涙が止まらなくなった私をイェルドは静かに抱きとめてくれた。
私は、この優しい婚約者と出会えて心から良かったと思った。
さて、今度こそ婚約者に対して誠実に心を尽くそうと思った私だけど、世の中簡単には行かないもので、初めての船旅で船酔いに悩まされ、スヴェアに着くまでベッドの住人となり、イェルドに心配かけ通しだったことは私の新たな黒歴史となった。
眼を開けると見知らぬ天井が見えた。あれっ?もう床が揺れてないんじゃない?身を起こすとそこは凝った木製装飾に彩られた広い部屋だった。
「エメルダ様、お目覚めになられましたか?」
声の方を見ると侍女のソフィが立っていた。
「……ソフィ、おはよう。ここは……?」
「スヴェアのバルテス邸でございます。昨晩着きまして」
ソフィはそう言いながら水差しからコップに注いだ水を差し出してくれた。
ほのかに塩の味のするその水はよく冷えており身体に沁み渡った。
「……何方が私をここに?」
まあ聞かなくてもわかるけど!
「もちろんイェルド様でございます!素敵でしたよ!ぐったりとしたエメルダ様を横抱きにしたままヒラリと船から飛び降りて!それは本当に宝物のように大切になさっておいででした!」
珍しく乙女のように興奮したソフィ。バツイチで仕事に生きる出来る侍女の彼女のそんな姿は初めてでちょっとびっくり。
いえ、そんなことより問題は私よ!公爵令嬢らしく優雅にスヴェアの地に降り立つ予定だったのに!初っ端から大失態じゃない!?
そんな私の焦りを他所にミルクがゆを持ったマーサがやって来た。
「エメルダ様!ようございました。お加減は如何ですか?エメルダ様のお好きな甘めのミルクがゆですよ。少しでも良いので口にしてくださいまし」
「マーサ、ありがとう」
私の大好きなマーサ特製ミルクがゆ。子供の頃から病気になるといつもこれを食べるのが楽しみなのだ。
「すぐにイェルド様もいらっしゃいますのでね」
「ええぇっ!ちょっと、私まだ身なりが整ってないのに困るわ!」
ろくにお風呂も入ってないのに!せめて着替えさせて、髪を整えさせて!
「魔法でお身体は清浄に保ってますので大丈夫ですよ。御髪は、そうですね。軽く結いましょうか」
ソフィがブラシを持って髪を梳いてる間に扉がノックされてレティの声が聞こえてきた。
「エメルダ様、イェルド様がお越しくださりました」
ぎゃっ早い!私がソフィに目配せすると、ソフィは素早く髪を横に流してリボンで結えた。
マーサが扉を開けると、そこには顔色を悪くしたイェルドが立っていた。
「エメルダ良かった!気がついたんだね!どこか辛いところはない?」
勢いよく突進してきたイェルドに抱き竦められて息が苦しいです!……とは言えずに私はイェルドの肩をポンポンと叩いた。
ゆっくりと私を解放してくれたイェルドはまだ眉根を寄せて辛そうなお顔で、こちらの方が申し訳なくなってくる!
「心配をかけてしまってごめんなさい。もう大丈夫です」
「食欲はどう?……船では殆ど何も食べられなかったのだから後で医者に診てもらおう。しばらくゆっくり休んでいて」
「でもそんな、ご挨拶に早く行かなくては……」
まだ将軍を始めとしたご家族にお会いできてないものね!
そんな私の心を鎮めるようにイェルドは私の頬を優しく撫でた。
「そんなこと気にしなくて良い。スヴェア人は妻を他人に簡単に見せない気質なんだ。元気になってからで十分だよ」
イェルドは手を離してクシャリと苦笑いして言った。
「ごめんね。疲れただろう。また後で来るから、外のことは気にせずゆっくり眠ると良いよ。食べたい物は無い?赤い林檎とか珍しいだろ?」
私の国でも林檎はあるが、青くて酸っぱいのだ。スヴェアなどの北の林檎は赤くて大きくて甘いので交易品としても高価で人気だった。
「赤い林檎……食べてみたいわ」
初めて食べるわけでは無いけど、珍しいのであまり口にしたことはなかった。
「待ってて、凄く美味しいから!保証するよ!」
ニコッと笑うとイェルドは部屋を出て行った。
私はマーサのミルクがゆを二口、三口食べると、やはりまだ疲れていたのか、再び眠りにつき、次に眼を開けた時には、山盛りの林檎をベッドサイドに見つけてそのあまりの多さに笑ってしまうのだった。
「元気になって良かったよ!」
「イェルドの林檎のお陰ね!あれを見たら疲れが吹っ飛んだわ」
「見て?食べてじゃなくて?」
不思議そうに首を捻るイェルドが可愛くて尊い。
「だってあんまり多いんですもの。驚きすぎて笑ってしまったわ。でもとても美味しかった。ありがとう、イェルド」
私が思い出し笑いをしながらそう言うと、それならよかったとイェルドも笑ってくれた。
あれから二日経って、やっと私は回復し、普通に歩けるようになった。
今日の午後は丁度バルテス家の親戚一同が集まるということで、今からまずイェルドのお父様、バルテス将軍に会いに行く。
「ところでスヴェアの衣装って不思議ね。女性はこんなに顔を隠すものなの?」
私はフードを被り鼻から下はベールで隠されている。寒いから丁度良いんだけどフードもベールも慣れないわ。
「スヴェアでは未婚の女性は家族と婚約者にしか顔を見せないんだ。でもエメルダは瞳が美しいから、本当は全部隠したいぐらいだけど」
イェルドは眉根を寄せて口を尖らせてそう言った。幼い子が拗ねてるみたいで可愛い!……いや、だから「幼い」とか絶対口にしちゃダメだから。彼は私の旦那様になるのだ!
イェルドは立ち止まって真正面から私の瞳をじっと見た。
「……本当に宝石みたいで……綺麗だ」
瞳の奥まで覗き込まれるような近さで真剣な顔で低くそう言われると一気に子供から大人なイェルドへのギャップで心臓が跳ねてしまった。
もう顔が熱い!いつもイェルドに翻弄されてる気がするわ!くるくる変わるその表情はどれが本物なのだろうか?十四歳という実年齢からかけ離れた表情を時にする彼を見つけた瞬間、私の鼓動は早鐘を打つ。
駄目よエメルダ!冷静に!これは政略結婚、これは政略結婚。私は「政略結婚」でこの将軍家にお嫁に来たの!忘れないで!
自分にそう言い聞かせて何とか心を落ち着かせる。
浮かれたままだとまたうっかり失言してしまうかもしれない。
これ以上家族に迷惑をかける訳には行かないし、求めてくれたイェルドにも失望されたく無い!
私は何とか冷静さを取り戻し、彼の手を少し強く握りしめた。
彼は「行こうか」と呟いて前を向いたが、その顔は少し名残惜しく見えた。
「父上、ラスツール国バーニー公爵家 エメルダ嬢をお連れいたしました」
「うむ。エメルダ殿、よくいらっしゃった。こいつの船の乗り心地が悪かったようで申し訳ない。お加減は如何かな」
「お気遣いありがとうございます。もうすっかり元気になりました。改めまして、スヴェアの偉大なる大将軍バルテス様、お初お目にかかります。エメルダと申します。此度のご嫡男との婚姻のお申し出、誠に有り難く存じます。謹んでお受けいたします」
バルテス将軍は強面だが中身はイェルドの父親らしく豪快で気さくな方に見えた。
スヴェアの暴竜と恐れられている連戦連勝の大将軍なので、そんなに甘いはずはないのだけど、少なくともイェルドとはとても仲が良いように見える。
イェルドのお母様はもう亡くなられたそうで、長姉のダニエラ様が私の教育係を買って出てくださった。
豊かなブルネットの美女で、イェルドによく似ている。二人とも母親似らしい。
幸い王妃教育のお陰でスヴェアの言葉は、話すことも読み書きも不自由しないし、文化についてもある程度学んでいるので何とかなるだろうけど、まず人間関係!そこを知りたい。
特に午後の宴でお会いする親族の皆様!
皆私の事を歓迎してくださってるのだろうか?何か気をつけたほうがいいのか?色々気になるじゃない!
ダニエラ様はそこを察してくれて、短時間でザックリと大事な事を教えてくださった。
残りは追々時間をかけてという事でね!
私達の婚姻の儀は三ヶ月後を予定されてる。それまで地雷がないか出来るだけ把握しておきたい!
ダニエラ様に女だけのお茶会に誘われ、イェルドと離れて別室に移って語ってくださった内容は、やっぱりカルチャーショック。
まずスヴェアでは女性は基本的に夫や親兄弟以外の男性の前で声を発してはいけないらしい。
姿も最低限で、肌はもちろん見せてはいけなく、宴では基本的にエスコート役の横について黙って立っている必要がある。他の男性と眼を合わせないように注意も必要で、目は伏せたままでいるほうが無難だそうだ。
これは何故なのかというと男尊女卑とかではなく、スヴェアの成り立ちのせいだという。
スヴェアは海賊が興した国だ。
海賊は弱肉強食で、彼らにとって女性は正に宝物と同じ略奪対象だったのだ。
そのため、婚姻前の娘は今でも男達の醜い争いの種になりがちで、外国人だったり美しかったりすると皆が取り合ったりする対象になりやすいそうだ。
「エメルダはどちらも当てはまるし、本当に気をつけた方が良いわ。イェルドは強くて立派な子だけど、よく思わない親戚連中もいるの。横槍を入れてくるかもしれないから、絶対にイェルドの側を離れちゃ駄目よ」
うっ怖い。イェルドの妻になる気持ちは固まったけど、別の人に略奪されるとか絶対無理!嫌だわ!
「……あの、もしもの時は必殺技を使っても良いですか?」
「必殺技?……ああ、そうね。貴女にはあれがあったわね!勿論良いわよ。荒くれ男どもに一泡吹かせてやりなさいな」
ダニエラ様はそう言って可笑しそうに肩を揺らした。
お姉様の許可が下りたのでもう大丈夫!何もないのが一番良いけどね!
親族だけの宴だと聞いていたけど、滅茶苦茶多い!
私は雛壇にイェルドと座らされ、ずっと座っているだけで良いと言われているけど、次々と挨拶に来る人々に目が回りそうだった。
ラスツールでは慇懃な畏った型通りの挨拶がゆっくり行われるのが普通なのだけど、さすがは海賊の末裔!
ジョッキを持った男達が入れ替わり立ち替わりやって来ては、イェルドを揶揄って、弄って、大騒ぎだ。
イェルドも慣れたもので堂々と流してるけど、あまりの騒がしさとお酒の匂いに少し気分が悪くなってきた。
「エメルダ、顔色が悪いよ。もう部屋に戻ろう」
イェルドが私を気遣ってそう言ってくれた。イェルドって凄く気が利くのよ。私よりもよっぽど人をよく見ている。
ダニエラ様はイェルドは将来必ず将軍職を継ぐ男だと言っていたけど、何だかよく分かる。
「でも折角なのに申し訳ないわ」
「大丈夫だよ。あとは皆勝手に呑むだけだから。ほら手を貸して」
イェルドは私の左手を掴むと、そのままヒョイと抱き上げた。
片手で軽々持ち上げられて軽くパニックになった私に、イェルドはあやすように頬にキスをした。
ギャー!何してくれるのよ!
ベールがあって良かったわ!今の私は完全に茹で蛸状態。顔から火を吹きそう!
「気になるなら横の控えの間に行こう。奥に個室があるからそこでしばらく休むと良いよ」
あくまで私を思い遣るその優しい声に、何も言い返せずに、ただ頷いた。
ソフィも付いてくれてはいたが個室には専属の侍女がいた。私をソファに下ろすと、イェルドは「すぐに戻ってくる」といって部屋を出て行った。
侍女さんが用意したお水を飲んでいると、別の侍女さんがやって来て何処かにソフィを連れて行ってしまい、ちょっと心細くなった。
そして扉が再び開いた時、そこに見知らぬ男性を見て、予感が的中したような気になった。
「ラスツールの噂の美姫の素顔を拝ませてもらいに来たぜ」
私は身構える。この男はただ顔を見に来たわけではないのだろうということは予想がついた。だってこの部屋付きの侍女が、いつの間にかいなくなっている。助けを呼びに行ったとは思えないので最初から仕組まれていたのだろう。
男の顔の特徴は、ダニエラ様から聞いていた要注意人物の一人と一致する。
イェルドの再従兄弟で、分家の男。年下のイェルドが一族の次の長になることが気に食わず、何かと嫌がらせをしてくるらしい。
「ラスツールでは婚約者以外の男とできて、婚約破棄されたんだってな。それならガキ臭いイェルドじゃなくて今度は俺と良い事しようぜ」
ムカつく!イェルドよりもあんたの方がよっぽどガキだっつーの!しかも私は清い乙女よ!デマを流さないで頂戴!
色々言いたいことはあるけど、なるべく声を発しないようにしないと。いや、ここは助けを求めて叫ぶべき!?しまった、基本的な対処法を確認するの忘れてた!
私がギロリと睨むと男の喉がゴクリとなった。
「噂通りの宝石眼か……。こんな美しい瞳見たことない……。おい、もっとよく見せろよ」
男の手が私のフードを剥ぎ取ろうとした。
ギラギラとした目が怖い!
でも、私には必殺技があるのだよ!
「風よ!」
男の手が触れる寸前で、突風が男を弾き飛ばした。
私が魔力持ちの怖い女だって噂は聞いてなかったようね!
「チッ!魔女かよ!」
男は素早く体勢を整え、ナイフを取り出した。
「大人しくしないと、その綺麗な顔を切り刻んでやるぜ!」
男が私に間合いを詰めようとしたけれど、私は自分の周りに旋風の防御壁を展開させた。これで相手は簡単には手を出せない。
「エメルダ!」
扉が蹴破られ、愛しい人が飛び込んできた。
男は不利と見て逃げの姿勢になったが、イェルドがあっという間に男を投げ飛ばし、床に押さえ込んだ。
涙目のソフィとダニエラ様が続いてやって来て、私はやっと魔法の展開を止めた。
「ああ、こりゃひでえ」
どこかのおじ様がそう呟いた。
見渡せば部屋の中はボロボロで扉はへしゃげ、惨憺たる有様だ。
やり過ぎたかしらごめんなさい!いや扉は私のせいじゃないわよね。そもそもその男が悪いのだ!私は被害者!謝っちゃ駄目よエメルダ!
以前の私なら貴族の矜持も分からずに謝り倒してたかもしれないけど、今は大丈夫!私は次期当主の嫁よ!堂々としなくちゃ!
そんなことを思い、精一杯強がっていると、イェルドにキツく抱き締められた。
「無事でよかった……。怖かったね。ごめん。まさか侍女が裏切るなんて思わなくて……。守るって約束したのに、ごめん……」
「……イェルド!」
そう何度もごめんと繰り返すイェルドが愛しくて、不安だった心がはち切れそうで、私もイェルドの名を何度も呼びながら泣きついてしまった。
「ハイハイ!いつまでも泣いてる奥さんを見世物にしないの!早く部屋に連れ帰りなさい!」
ダニエラ様のちょっと呆れたような声が響いて、イェルドは慌てて私の顔を胸に隠すようにして抱き上げ、私を部屋に連れ帰った。
「落ち着いた?」
何故かソファでイェルドに膝抱きされたままの私……。優しく髪を撫でられ、ハンカチで顔を拭われ、どこの幼児!?
「……落ち着いたからもう下ろして……。恥ずかしいわ……」
「駄目だよ。まだ離せない……。俺の心が落ち着くまでこうしていて?」
イェルドが私の肩に額をコツンと置いたので、今度は私がおずおずと彼の髪を撫でる。
「エメルダ、俺の宝物。……愛してるんだ。もう絶対に離さない……。扉が開かなかった時、気が狂うかと思った……。一人にしたことを後悔したんだ。特に今日は嫌な奴らも多かったのに!」
悔しそうなその声に、私への想いが滲んでいる気がして、とても心が温まった。こんなに誰かに愛されたことが今まであっただろうか?
前の婚約者とは私が距離を置いてたせいもあるけれど、そこにあったのは愛よりも義務と責任だった。
「イェルド、助けに来てくれてありがとう……。貴方の姿が現れた時、心底思ったの。ああ、貴方じゃないと駄目だって……。お願い、離さないでね。ずっと側にいて……」
私は彼の髪にキスを落とした。そうしてイェルドが顔を上げて、二つの唇が静かに重なった。
「素晴らしい魔法だったそうだな!いやはや、孫が楽しみだ!」
ことの顛末を聞いたお義父様はそう豪快に笑った。
あの男と手を貸した侍女たちは「友好国の要人を害そうとした」として重罪扱いで牢屋入りになったらしい。
まだ婚姻の儀が終わってないからね!
私に関する噂については、婚約破棄に纏わる不名誉な噂は掻き消され、暴竜の後継の嫁に恐ろしい魔女が来たということで、国内外でのバルテス家に対する畏敬が更に高まってるらしい。
喜んで良いのかわからないけど!
そんなこんなで三ヶ月があっという間に過ぎて、いよいよ婚姻の儀が執り行われる日となった。
私の隣に立つイェルドは数えで十六になり、背もたった三ヶ月で随分伸びて、もう見上げないと目線が合わなくなった。
「世界で一番綺麗な俺の宝物。心から愛してる」
「世界で一番素敵な私の旦那様。私も心から愛しているわ」
司祭の前での誓いの前の二人きりの時間。
お互いの目を見つめ合って、想いを言葉に変える。
「さあ行こう」
「ええ!」
新婚旅行はあの船で妖精が住むという「緑の島」に行くことになっている。今度こそ船酔いしないように、二人で船を進めよう。私の風が貴方の船を支えるから。いつまでも何処までも一緒に連れて行ってね。私の愛しい旦那様!
了