9話。前進する山師
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十月。南飛騨を統べる三木を鎧袖一触で擂り潰した美濃勢は、その威勢を駆って飛騨の中心部とも言える大野郡へと侵攻する。
このとき、大野郡一帯を治める領主であった姉小路家の者たちは小島、古川、向の三家に分裂しており、それぞれが国司を名乗っていた。
そのため、三家が三家とも美濃勢を率いる利政に対して『己こそが正当な国司である。よって自分たちを奉じるように』といった使者が送られて来たものの、新任と言えども飛騨国司である氏理を手中に収めて動いている利政が彼らの要望に応じる必要性も既になく、美濃勢は大野郡へと乱入。
事ここに至って『交渉が無意味である』と判断した姉小路家三家は、互いに手を結び利政に反抗しようと試みるも、そもそもが刈り入れの時期であったことが災いし、まとまった兵を用意することが出来てはおらず、結果として三木家同様にさしたる抵抗も出来ぬままに各々が各個に殲滅されてしまうこととなった。
ただし老若男女問わず一族郎党が処された三木家とは違い、その血統の断絶を憂いた(自分が滅ぼしたことにされたくなかった)利政の意向により女子供は生かされ、美濃へとその身柄を移すこととなる。
こうして僅か二ヶ月足らずで飛騨の南部と中央部を完全に制圧した美濃勢は、残る北部攻略にも着手しようと図っていたのだが……。
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飛騨国大野郡高山。天神山城
冬が到来する前に飛騨北部を制圧するため、戦準備に入っていた美濃勢に対し、北部を治める江馬時盛は降伏の使者を派遣。
それを受けて、対応した利政は江馬氏の降伏を認める。
ただし、所領安堵を認める条件として内ヶ島家への臣従を命じたし、江馬時盛もそれを受諾した。
この交渉によって、利政率いる美濃勢による飛騨遠征は利政の完全勝利という形で幕を閉じることが決したのだが、一つ問題が残った。
その問題とは、今回の利政と江馬時盛との交渉は氏理が預かり知らぬところで行われており、氏理は出陣予定日の前日にこのことを聞かされたことだ。
「吉城郡の江馬が降伏、ですか(やってくれる。しかも既に蝮から助命の条件まで提示し、向こうもそれを了承済みとはな!)」
「左様。この状況ならば戦にもならぬことは明白。と言いますか、普通ならば戦う前に降りますのでな。それも条件など付けず、です。奇襲を受けた三木はさておくとしても、姉小路の三家が無駄に条件を出してきたり、戦の前に降伏しなかったのがおかしいのですよ」
「あぁ、姉小路は無駄に矜持の高い連中でしたので、おそらく某のような小僧に従うのを良しとしなかったのでしょう(守護を追放した蝮にも、な)」
「なるほど。まぁ連中の場合は『誇れるものは矜持しかなかった』とも言えましょうが、今は滅んだ家の話ではなく、江馬についての話に戻しましょうか」
「ですな。しかし話と申されましても、既に降伏を認められたのでしょう?(蝮が江馬を残した理由は分かる。それを認めるしかないのも、な)」
「えぇ。飛弾殿には報せが遅れて申し訳ないと思ったが、某とて無駄に兵を失いたいわけでもなし。なによりそろそろ冬が到来します故な。戦をせずに済むならそれに越したことはない。そう判断した次第にござる。飛弾殿には何卒ご理解いただきたい」
「……左様ですか。某としても山城殿の懸念はごもっともと存じます」
「ありがたいお言葉。それでは江馬の件、受け入れていただけると?」
「飛騨の国人を受け入れることを断る理由がございません……ただし江馬が当家に従わぬ場合は、当家の法で裁いてもよろしいか?」
「無論ですな。できましたら一報頂きたいが、緊急の場合は事後報告でも構いませんぞ」
「で、あれば問題ございませぬ」
「おぉ! 感謝致しますぞ! いやいや、実のところ某も、飛騨殿を差し置いて江馬と交渉の場を設けたことは気に病んでおりましてな。いやはや、飛騨殿の寛仁大度を知れば江馬も素直に頭を垂れましょう」
「そうであれば嬉しいのですが(白々しい。儂に何をしろと言うのだ?)」
実際兵を出しているのは利政である以上、彼が『戦わぬ』と判断したのなら、氏理にはそれを認める以外にない。
問題は『何故利政が江馬を生かすことを決めたか』であり『己に何を望むのか』という事でもある。
なにせ、普通に考えればどうせ高山まで兵を出したのだから、この際江馬も滅ぼして飛騨全土を支配下に置いたほうが、利政としても楽なはず。
それなのに江馬を残した理由とは何か?
戦を憂いた? ありえない。
確かに江馬は北飛騨の有力者ではあるが、その所領を石高にすれば、たかだか五〇〇〇石あるかどうかの豪族でしかないのだ。
時期的な関係もあるので、彼らが動員できる兵は、どんなに頑張っても三〇〇は超えないだろう。
対して美濃勢は、これまでの戦で多少減ったものの、氏理が白川郷から兵を呼び込めば三〇〇〇を割ることはない。
よって彼我の兵力差は、これまでの三木や姉小路との戦の際と同様ほぼ十倍。
これではまともな戦にはならないし、それどころか付近に布陣しただけで向こうから降伏の使者が来るだろう。
どちらにせよ戦う前に降伏するならば一緒? それは違う。
将兵が十倍の兵という恐怖を目の当たりにした場合と、それを見る前の場合では家全体の従属の度合いが違うし、兵を動かした後に降伏された場合と、動かす前に降伏された場合も待遇は違うものとなる。
具体的には、前者であれば転封や減封の上で助命。後者であれば所領安堵と言った形で現れることが多い。
そして利政が選んだのは後者であった。その気になれば前者を選ぶことができたにも関わらず、である。ならばその狙いは一つしかない。
(江馬は儂への監視役として生かされた。そういうことだろう)
そう。氏理への監視だ。
白川郷とほぼ同程度の石高である吉城郡の所領を安堵された江馬家の存在は、氏理にとって手に余ることは目に見えている。
そもそも江馬時盛としては、利政に従うことは認めても、氏理に従うことを認めるはずがない。利政が己の配下を益田郡に置くか、それとも大野郡に置くかは知らないが、どちらにせよ氏理は『内外からの監視を受けることを余儀なくされた』という事である。
だがその程度なら良い。氏理とて利政の手を借りる以上、それくらいの扱いを受けることは理解している。理解しているからこそ、氏理は他に何かを企んでいる様子を隠しもしない蝮を警戒しているのだ。
「で、此度飛弾殿の顔を潰したことや無理を言った詫び、と言うわけではないのですが、一つ提案がございましてな」
「山城殿のご配慮は重々存じ上げております故、某に詫びなど不要にございますぞ(来たか)」
「いやいや、これは飛騨殿にも悪い話ではござらぬ故、聞くだけ聞いてもらえませぬか?」
「そこまで申されるなら……(それはそうだろうよ。どのような狙いがあれ『詫び』と言う名目である以上、儂が一方的に損をするような申し出では意味がない)」
「実は某、飛騨殿にこの大野郡をお預けしたい。そう考えております」
「はぁ? (大野郡を、儂に? 正気か?)」
「ふっふっふっ。飛騨殿の意表を突けましたかな?」
「それは、もう(落ち着け。蝮の狙いはなんだ? 蝮は何を得る?)」
「無論、これは単純な詫びと言うだけではござらん。某にも利がある話です」
「利、と申されますか」
「左様」
氏理の呆気にとられた表情を見た利政は、それまでの真剣な表情から一転し、まるで背伸びしている孫を愛でるかのような表情となりながら、己の狙いを語る。
「まず、大野郡は約一三〇〇〇石ほどあるようですな?」
「……えぇ」
「これを飛弾殿にお預けすれば、飛騨殿の所領は、白川郷の五〇〇〇石と江馬の五〇〇〇石を合わせておよそ二三〇〇〇石となりましょうか」
「……そうですな」
白川の場合は五〇〇〇石あるかどうかと言ったところだが、大体の数字は間違っていない。
「で、儂が南部の一五〇〇〇石を預かります。こうして飛弾殿に多くの土地を割り振ることで『某が飛騨殿を傀儡としているわけではない』と周囲に、特に公方様や朝廷に申し立てることが出来ますな」
「……なるほど。確かにいらぬ誤解を招くのは得策ではありませぬからな(ちっ。やはり封じてきたか)」
確かに氏理は、採掘量の七割を取られていることと、飛騨のほぼ全土を利政に占領させることを以て、周囲に己を『蝮によって操られている傀儡である』と見せようと考えていた。
しかし利政とて、そうそう簡単に悪名を着せられる気はないし、己の悪名を使わせる気もない。
「えぇ。特に公方様は飛騨殿からの献金にご執心な御様子。某とて勘違いから不要な波風が生じるは真っ平御免にございますれば」
「それは、そうでしょうな(納得はできる。だがそれだけではあるまい)」
自身の家紋である二頭波頭立波と掛けたかどうかは不明だが、誰だって将軍絡みの面倒は御免だと言うのは氏理にも理解できる名分であり、嘘ではないことくらいは分かる。
しかし、この程度のことで納得するようでは蝮とは向き合えない。
(……あぁ、そうか『面倒は御免』これが全てか)
氏理は蝮の言葉の裏にある本音を探るため、脳内に飛騨国内の地図を浮かび上がらせたとき、利政の意図に気付くことが出来た。
「某が持つは飛騨の北と中央。そういうことですな?」
「……おや、もう気付かれましたか」
「遅ればせながら。ですが」
「いやいや、気付けるだけで大したものですぞ。で、それを知って飛騨殿は如何なさいますかな?」
「……是非もありますまい」
「然り然り、是非など無いのです。まぁこれは飛弾殿にとっても『一方的に悪い話』ではござらん。違いますかな?」
「……そうですな」
苦々しげに表情を歪める氏理の表情を眺めて上機嫌となった利政は、懐から取り出した扇子でパタパタと己を扇ぎながら氏理に対して、言外に『諦めろ』と囁く。
飛騨の過半を氏理に与える利政の狙い。
それは確かに京との軋轢を回避する意味合いも含まれるが、それ以上に利政が望んだのは、北の勢力に対する防波堤の役割である。
少し考えればわかることだが、もしも利政が江馬を滅ぼし、大野郡も氏理に与えず、自身が飛騨の白川郷を除く全土を手中に収めた場合どうなるだろうか?
答えは簡単で、飛騨と国境を接する越中の国人や、加賀の一向宗、さらに越前の朝倉による飛騨侵攻を警戒するための備えが必要になる。
名分? 飛騨守から要請を受けた。とでも言えば良いだろう。
なにせ利政とて『氏理が命懸けで美濃勢の権益を守るために戦う』などとは考えていないのだ。
事実、もし他国の軍勢が飛騨に現れた場合、白川郷しか持たぬ内ヶ島家は『自分たちは蝮に操られている被害者だ』と言い出すのは確実だし、その後で美濃勢が他国の軍勢を打ち破ったとしても、氏理から『連中に脅されて言わされた』と言われてしまえば、元々山を掘らせるために内ヶ島家を利用している利政にはそれ以上の追求は不可能となる。
さらに、飛騨には自前で相手を迎撃できるだけの兵力が存在しないので、攻めてきた相手を迎撃するためには美濃の軍勢を動さなくてはならないのだが、その場合、本貫である美濃に隙が出来てしまう。
かといって、兵の分散を嫌って一度手にした土地を見捨てれば『頼りなし』と悪評がつくし、それ以前に黄金を算出する鉱山を抱える飛騨は、今後の利政にとって絶対に失うわけには行かない財布でもあるので、簡単に見捨てるわけにもいかないという厄介さ。
結局利政にとって飛騨と言う小国は、利益は齎すが、確実に己の足を引っ張る厄介な国でもあるのだ。
では、飛騨の北部にそれなりに有能で幕府や朝廷からの信任厚い飛騨守と言う小僧がいればどうなるだろうか? まず、加賀や越中の国人や一向宗が攻めて来ても『そのくらい自分で追い払え』と言うことも出来るし、そもそもが援軍であるので防衛戦であってもそれなりの謝礼を期待できる。
利政にとって一番厄介な相手である朝倉に至っては、大前提として彼らは飛騨に関わる名分を得られないので、考える労力すら不要となる。
氏理が朝倉を呼び込む可能性? 何のために? 飛騨の統一? 無い。
すでに飛騨の中央部と北部を得ている内ヶ島家にとって、利政が南飛騨を治めてくれるということは、ただの圧迫だけではなく、いざという時の国防の意味を有するのだ。
具体的には、他国から攻められたときに早期の援軍を期待できたり、江馬や配下の離反を防ぐこと。さらには周囲に『飛騨は美濃の属国』と思わせるだけで、抑止力としての役割を果たしてくれるのだ。
そんなアドバンテージを自分から捨てる理由があるのか? と言う話だ。
利政が相当追い詰められた場合などは別だろうが、それは何も氏理に限ったことではない。
ついでに言えば、氏理に大野郡を与えることで氏理の飛騨国内の影響力が上がれば、それだけ効率的な鉱山開発を見込めると言うのもある。
これには『氏理が飛騨国内でどれだけ影響力が増したとて、所詮飛騨は四万石に満たぬ小国である』と言う事実が大きく影響していた。
なにせ今回、刈り入れの時期と言うこともあったが、たかだが三〇〇〇の軍勢で飛騨をあっさりと蹂躙出来たのだ。この実績を以て利政が『飛騨は軍事的な脅威と見做す必要が無い』と判断するに至ったのも、当然と言えば当然の話であろう。
こう言った諸々の事情を勘案した結果、利政は『己が飛騨の全てを手に入れるよりも、一部を氏理に譲渡したほうが都合が良い』と判断したのである。
――まぁ、美濃五〇万石を有する利政にとって、飛騨の二万石に魅力を感じなかったという事情や、黄金の徴収や何かあるたびに白川郷まで使者を立てるのが面倒だと言う一面もあるが、それはわざわざ口にすることでもないのでここでは割愛させていただく。
「ご理解いただけたらそれで結構。では、今後共よろしくお願い申し上げる」
「……若輩者につきご迷惑をかけることもありましょうが、何卒よろしくお願いいたします」
「なんのなんの。いつでも頼ってくだされ。遠慮はいりませんぞ」
「……えぇ。山城殿のお言葉に甘えさせて頂きます(此度は完全にしてやられた。だが、考えてみれば悪いばかりでもない。少なくとも白川郷から一歩外に出たのだからな。これから、そう、これからよ!)」
最初から最後まで利政に手綱を握られた形となったが、氏理としては利政の脅威を肌で感じることで己の油断を戒めた上で、外敵である三木も姉小路も滅び、内ヶ島家の身代も大きくなったのだ。
最悪の未来を避けるための第一歩としては十分すぎる収穫と言えよう。
(今後警戒は怠らんし油断もせん。だが、引き摺りもせん。やることは山ほどあるのだ)
教訓を無駄にはしない。そう心に決めた氏理は、次なる戦に備えるための準備に取り掛かることを決意するのであった。
まぁ、北飛騨の豪族! と言っても所詮は数千石の国人ですから、普通は降伏しますよね。
なんだかんだで三木が金森長近に敗北したことを知っている氏理君は、三木に成り代わりたいわけではありません。よって姉小路家を乗っ取る気もありませんでした。
分断して統治させたり、君臨すれども統治しなかったりと、実に室町テイストな蝮=サン。
実際問題、飛騨を自分で治めても、手間暇がかかるだけですからね。越中だの加賀の一向宗と関わるくらいなら、黙って氏理君に任せて(監視付き)上納金だけ回収するのが賢い方法なんですってお話。
―――
飛騨国。太閤検地の際に算出された石高は驚きの三八〇〇〇石。堂々たる小国である。
ただし太閤検地は例の地震の後に行われた検地なので、もしかしたらこの時期の石高はもう少し高いかもしれない…………まぁ、細けぇことは気にすんな! の精神でお願いします。
―――
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