8話。愉悦する山師
本日2話目
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九月。飛騨国益田郡・桜洞城
利政によって用意された三〇〇〇の軍勢は、氏理たちの先導を受けて飛騨益田郡へと侵攻を開始した。
刈り入れ時を前にして蝮の軍勢に直面した三木勢は、まともに兵を集めることも出来ず、次々と各個撃破されてしまう。
予期し得なかった侵攻を受けた衝撃のままに三木家の当主三木直頼は、何とか掻き集めた数百の兵と共に、冬の到来を期待して居城の桜洞城に籠った。
自分たちの十倍近い大軍に相対し、直頼は嫡男良綱や孫の頼綱(現名は自綱)と共に自ら先頭に立って奮戦してみせるも、兵力の差による士気の低下は如何ともし難く、籠城から五日後に「もう駄目だ」と堪え切れなくなった一部兵士らの裏切りにより門が開かれ、桜洞城は内部から崩壊を迎えて敢無く落城。
敗北を前にした直頼は自刃し、残った三木一族は全員が縄を打たれて、氏理と利政の前へと連行されることとなった。
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「夜叉熊(氏理の幼名)! 貴様の如き童が飛騨守となっただけでも業腹だと言うのに、飛騨に余所者を、それも、よりにもよって蝮を引き込むとはどういう腹積もりか! 貴様には飛騨国人としての誇りは無いのか?!」
利政と氏理が座る上座に向けて、縄を打たれた男、良綱が飛騨の国人を代表するかのような声を挙げれば、周囲にいた三木一族や三木家に仕える家臣たちも口々に氏理への罵倒を口にする。
「……(飛騨国人の誇り、なぁ)」
そんな良綱らの罵倒を内心でうんざりしながらも無言で聞きながす氏理。
氏理からすれば、今更良綱らが何を言おうと負け犬の遠吠えに過ぎないので、何を言われても心に響くことは無い。
しかし無視するのは悪手であることも理解している。なにせ今、己の隣には……
「飛騨殿。負け犬になんぞ言われておりますぞ? 言い返さなくてよろしいのですかな?」
「……山城殿は随分と愉しそうですな」
「ははは。それはそうでしょう。こやつらは某が想像する以上に色々と蓄えておりましたし、これからの収穫物も全て我らの物にございますぞ? これで愉しくないと言うなら武士は名乗れませぬよ」
「……左様ですか」
そう。今の氏理の隣には、良綱に名指しで罵倒されている『蝮』その人もいるからだ。
名指しで罵倒される形となった利政だが、彼は今も憎々し気に自分たちを見やる三木一族を見下しつつ、氏理との会話を続ける。
「えぇ。左様ですとも。さらに、見なされ。こうして負け犬が吠えている様を特等席で観覧出来るのですぞ? それもこれまで南飛騨を制していたと自認する者が、このような哀れな姿になって、です。……くっくっくっ。これは下手な能楽よりもよっぽど面白い見世物ですぞ」
「なるほど。そう言った見方もありますか」
「えぇ、これが『勝つ』と言うことであり、これこそが勝った者のみが味わうことが出来る甘露にござる」
「……勉強になります」
「なんのなんの。飛騨殿はこれからいくらでも味わうことが出来ましょうぞ」
「で、あれば良いのですが」
戦国に生きる先達としての姿をまざまざと見せつける利政に対し、以前の戦に於いて碌に『勝つこと』を知らなかった(この場合の『勝利』は、防衛戦での勝利ではなく、相手を下してその所領を得ること)氏理は素直に感嘆の意を示す。
これだけなら心温まる会話なのだが、この場に居るのは彼らだけではない。
「蝮がぁ! この儂を見世物と申すかぁぁぁ!!」
「ははははは。今のお主らの姿が、見世物として用意された負け犬以外の何だと言うのか」
「おぉぉぉ、おのれおのれおのれおのれおのれおのれぇぇぇぇぇ!!」
己を含めた一族全てを見世物扱いされた良綱が怒りの声を挙げるが、当の利政にとってはそれこそが娯楽。
「吠えろ吠えろ。今のお主に出来ることはそれしかないのだからなぁ」
煽る蝮と、噛みつかんばかりに吠える良綱。戦国乱世に於ける勝者と敗者の図である。
(随分と趣味のよろしいことだ。だが、そもそも負けるとはこういうことでもある。儂とて幾度となく白川郷に攻め寄せてきた三木づれに対して掛ける慈悲の心など、寸毫も持ち合わせておらぬ故、愉しむべきなのだろうが……)
心底愉しそうに嗤う蝮だけでなく、氏理も、目の前で縄に打たれながらも必死で吠える良綱を見て、己の内面にある暗い感情が歓喜の声を挙げているのを自覚していた。
なにせこの時氏理の脳裏に浮かんでいたのは、天正の在りし日に、前右府の親族衆として上座に座り、自分たちを見下して満面の笑みを浮かべていた頼綱の姿だったからだ。
あの時に感じた屈辱を思えば、目の前で吠えている良綱を蹴り飛ばし、悔しそうに俯く頼綱の頭を掴み上げて「どうした? 笑えよ頼綱」と馬鹿にしてから、頭を踏みつけるなり蹴り飛ばすなりしてやりたい気持ちがあるのは否定できない事実である。
だが、今の氏理にそのような行為をするつもりはない。
(これだけ良綱を煽る蝮の狙いは何だ? 確かに蝮の趣味もあろう。だがそれだけではあるまい。それがわからぬ以上、簡単には乗れぬ)
それは、己の中にある暗い衝動を解放すること以上に、隣に座る利政に対して警戒する気持ちの方が強かったからだ。
(とは言え、蝮が儂に『反論せよ』と申した以上、物申さぬわけにもいかん、か)
元々利政を援軍として呼び込んだ以上、氏理には利政を擁護する必要がある。それに先程利政が言った『言い返さなくても良いのか?』と言う振りは『お主からも何か言え』と言うことでもある。
(……もしもこの期に及んで儂が日和ったことを抜かしたならば、蝮は儂を見限って、即座に別の者を飛騨守に就けようと画策するであろうな)
利政がそれをするかどうかは氏理の予想に過ぎない。しかし氏理は、利政がそのように動くであろうことを確信していた。
事実、内ヶ島家が治める白川郷には弟もいるし、分家の者達も健在なのだ。つまり替えはいくらでも効くのだから、利政に躊躇する理由は無い。
むしろ『器が読めぬ厄介な出来物である氏理よりも、他の無害な者に家を継がせ、黙って山を掘らせたほうが良い』と判断しないとも言い切れないのだ。
今の氏理であれば、三〇〇〇程度の軍勢ならば一度か二度なら押し返すことはできる自信が有る。その後は、先日利政に語ったように周囲を動かして動きを止めれば良いだけの話。
簡単では無いが、決して不可能な話でもないだろう。
しかし、家中に裏切り者を作られ、暗殺されることは防ぎようがない。
なにせ実質美濃五〇万石を治める利政が内応や暗殺の手段として提示できる条件は、飛騨で数千石しか持たない国人でしかない氏理とは文字通り桁が違う。
さらに利政が持つ暗殺に用いられる手管すら把握出来ない以上、氏理が暗殺を防ぐことは不可能と言わざるをえない。
故に、利政にそう言った決断をさせないためにも、氏理は『利政にとって厄介なだけでなく利用価値もある人間』であることを証明し続けなくてはならないのである。
その最初の試練が、これから死に行く良綱との舌戦に勝利すること。
氏理は利政からの振りをそう判断し、良綱へと言葉を掛ける。
「……良綱。貴様は先ほど儂に『飛騨国人の誇りは無いのか?』そう問うたな?」
「おうよ! 確かに申したぞ! なんぞ言い逃れでもするつもりか?!」
これまで利政に噛み付いていても簡単にあしらわれていたことに忸怩たる思いを抱かされていた良綱は、氏理から声を掛けられたことで、その標的を氏理へと変える。
『小僧にまで舐められて堪るか!』と言わんばかりに、氏理を罵倒する良綱。
だが、半ば意地になりながらも己の誇りを貫かんとする良綱の思惑は、氏理が紡ぐ言葉に完膚なきまでに叩き潰されることになる。
「この際だからはっきり言おう。儂にそんなものはない」
「な、何と?!」
「ほぉ(言い切りおったわ)」
かつて氏理は白川郷を守る為、文字通りその生涯を費やした。
しかし。その結果がアレだ。
あのときに理解、否、氏理は悟ったのだ。
誇りなど無用の長物。世の中には誇りだけで成せることなど何もない、と。
ただまぁ、厳密にいえば氏理とて武士が武士で在る為に『誇り』と呼ばれるものが必要なのは理解している。
ただ、その方向性が、良綱の言う『飛騨国人の誇り』と合致しないだけの話だ。
(実際、誇りや織田家への忠義を掲げていたあの佐々成政でさえも、羽柴筑前に対して膝を折ったのだぞ? まず何よりも重要なのは、命を長らえ、後裔へと繋げること。それこそが国人の誇りではないか)
そもそも今の氏理は、己が白川郷に拘ったせいで全てを失ったことを自覚しており、同じ過ちを繰り返さないために色々と画策しているのだ。
その第一歩が自らの飛騨守就任であり、次なる二歩目が蝮を利用しての外敵の排除である。
故に、現在己れが行っている行動は、その全てが己と己の家の為。
ならば何を恥ずることがあろう。
誰を慮る必要があろうか。
「大体、お主は飛騨国人の誇りと申したがな。お主はたかだか四万石にも満たぬ小国の中の、更に一部しか治めておらぬ国人だぞ? 山城殿が用意できる軍勢の内の、極々一部の兵にさえ勝てぬ国人に、如何な誇りが有るというのだ?」
「ぐぬっ!」
「弱者の語る夢を妄言と言う。故に貴様が語った誇りとやらも、儂からすれば聞くに堪えぬ妄言の類に過ぎぬ」
「わ、儂の誇りを、妄言じゃと?! 飛騨国人の誇りが妄言じゃと?! それを、それを飛騨守である貴様が言うか!」
「応とも。そもそも我ら内ヶ島家は貴様ら飛騨の土農とはその根本からして違う故、貴様の言う飛騨国人の誇りとやらが、とんと理解出来ぬのだ」
「何ぃ?!」
「取り押さえよ」
「「「はっ!」」」
「ぐぅっ!」
氏理の言葉が耳に入るや否や、縄を打たれたままながら激昂して突貫しようとする良綱であったが、利政の一声で周囲の兵に取り押さえられてしまう。
「……良いか良綱」
兵に頭を押さえられながら尚も己を睨みつける良綱に対し、氏理はその身の内に宿る暗い感情の発露を感じつつ己を観察している蝮の視線を意識したが故に、努めて冷酷な声で良綱に己の主張を叩きつける。
「もとより我らは慈照院様より飛騨を任されたお家柄。そして今、儂は幕府の意向に沿って飛騨を纏めんとしておる。その儂に協力を申し出てくれたのが山城殿よ。そして山城殿がこの刈り入れの時期にも拘わらず三〇〇〇もの兵を出して下さったのは偏に幕府に対する忠義故のこと。わかるか? 我らの幕府に対する忠義と大義の前には、貴様のような飛騨しか見れぬ土農が語る誇りなど、聞くに値せん妄言に過ぎぬ!」
「……くっ!」
正確に言えば、当時の幕府が内ヶ島為氏に求めたのは飛騨の統治ではなく、飛騨の山を掘って山から得られる財を幕府に納めることなのだが、それはそれ。
ここで重要なのは氏理が効率良く山を掘り、定期的に献金をしてくれることを望む現将軍の義藤や、禁裏が『氏理に飛騨守として飛騨を纏める事を望んでいる』と言う一点である。
(やりおるわ。……しかし、確かに大義名分として見るならば、これ以上のものがないのも事実よな。実際、良綱も己の意を通さんとすれば幕府や禁裏への批判となることを突き付けられたが故、騒ぎ立てることすら出来ぬようになってしもうたわ)
禁裏や幕府の主張の前では、一介の国人でしかない良綱が言う『誇り』など、まさしく妄言に過ぎない。この氏理の主張を前にしては利政でさえ反論するのは難しい。
息子と同年代の子供に完全に言い負かされた良綱は、返す言葉もないまま項垂れる。
両者の舌戦は、氏理の完全勝利に終わった。そういうことだ。
「どうやら話は終わったようですな。では飛騨殿、この者らの処遇はどうなさるおつもりか?」
「某としては処刑以外にありませぬな。いや、山城殿が生かして使いたいと言うのであれば、某から言うことはございませぬが」
「……ほう。では彼らの処遇は某に一任する、と?」
「左様にござる」
幼い氏理が、死ぬ間際の良綱が仕掛ける舌戦をどのように捌くか確認するために場を仕組み、結果として思った以上の成果を得られたことに上機嫌になりつつある利政が良綱以下三木一族の処遇を問えば、それを問われた氏理は、絶望の表情を浮かべる良綱含む三木一族の様子を静かに見据えながら『すべてを利政に任せる』と宣言する。
「……ふむ」
「そもそも彼らを打ち破ったのは山城殿の率いる軍勢にございますれば(こやつらを美濃で使いたいなら使えば良いさ。まぁ飛騨守でもない三木にどれだけの価値があるかはわからんがな。あぁもしも、こやつらが美濃におれば今後に予定している策にも役立てることも出来るな。うむ。やはり生かそうが殺そうが、どちらに転んでも儂にとって損にはならぬ)」
「なるほど。確かにそれはそうですが……(儂に飛騨の国人を殺させることで非難の矛先を逸らすつもりか? 儂がそれを察して敢えてこやつらを殺さずに飛騨に残したら恨みは己に向くことになるのだぞ? それがわからぬ程愚鈍でもあるまいに。こやつ、一体何を企んで……むっ!)」
どこまでも冷静に、否、冷徹に話を進める氏理がその心中で何を企んでいるかを見抜くため、表面上は軽口を叩きながらもしっかりと氏理を観察していた利政は、彼の口元が僅かに、ほんの僅かに歪められていたことに気付く。
(これは、恨み? いや、これまで三木と内ヶ島の間には、恨みが宿るようなことは無かったはず。しかし、今、儂が感じたのは間違いなく……)
「何か?」
「あぁいや、何でもござらぬ。それではお言葉に甘えて、この者らの身は我らが預からせて頂きましょう」
「えぇ。山城殿には面倒をお掛けすることになりますが、よしなに願います」
「畏まった(面倒。面倒、か。生かして使おうと思ったが、これは危ういな)」
ーー桜洞城の落城から数日後、三木一族は老若男女問わず、一族郎党が揃って首を落とされることとなる。
その処刑に立ち会った氏理は、飛騨守として飛騨の国人を守れなかったことを恥じ、涙を流して彼らを弔ったと言う。
その口元が小さく歪んでいたことを知る者はいない。
三木一族、大納言を自称出来ずにあっさり退場。
まぁ蝮にしたところで生かしておいても、氏理に対する嫌がらせ程度にしかなりませんからね。
下手に飛騨に権益を持つ豪族を生かすくらいなら、完全に処分して子飼いの家臣に分配したほうが良いのですってお話。
しかし、あれです。戦国乱世で一国を手に入れた蝮がこの程度の腹黒さなわけが無いんですよね。
もっとブラックでドロドロした、本気の策謀や隠謀めいたやりとりを表現したいのですが、元が腹黒さとは無縁な作者ですので、どうにも描写が難しいところです。
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