7話。出し抜かれる山師
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天文一九年八月・美濃国賀茂郡加治田城。
「と、殿……」
「あぁ、流石は美濃の蝮、と言ったところだな。ただただ、早い」
突如として利政からの使者が白川郷を訪れたかと思えば、有無を言わさず美濃と飛騨の境に位置する要衝であるここに呼び出しを受けた氏理は、加治田城に集められた三〇〇〇の軍勢を目の当たりにして一瞬言葉を失うも、表面上は慌てた様子を見せることなく『美濃の蝮』こと斎藤山城守利政を称賛する。
「そ、そうですね。ですが、この動きも……」
「無論。儂の策の内、よ」
「「「おぉ!」」」
自らに付き従いながら顔色を悪くする川尻氏信からの問いに対し、自信満々と言った風で応える氏理。その様子はまさしく自然体。
「流石です氏理様!」
「彼らの力があれば三木も姉小路も恐るるに足りませぬな!」
「うむ」
目の前にいる軍勢を前にしても一切の怯えを見せぬ氏理の様子を見て、氏信や周囲の兵たちはこれまでの暗い表情から一転し、口々に氏理を褒めたたえる。
しかし当の氏理の内心は、表面上に見せる穏やかさとは正反対、混乱と悔恨の極致にあった。
(なぜ蝮がこの時期にこれだけの兵を動員できる? 蝮が美濃で前右府が如き軍政を敷いていたとは聞いておらんぞ! ……儂は何を見誤った?)
自身を褒め称える家臣たちを眺めながら、氏理は内心の苦々しさを表に出さぬよう、必死で己を押さえ込んでいた。
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「おぉ飛騨殿。久しい……と言うほどでもございませぬか?」
「えぇ。またお会いしました。とでも言うべきでしょうな」
「ふっ。その様子を見るに、此度は某が飛騨殿の意表を突けたらしいですな」
「それはもう……(完全にしてやられた。言い訳のしようもない。まさしく完敗よ)」
「結構、結構。某とて蝮と呼ばれた身、あまり軽く見られても困ります故、なぁ」
「某如きが山城殿を軽く見るなど……」
「あぁ無論、物のたとえにございますとも。飛騨殿が某を軽んじているなどとは考えておりませぬよ(どうせ儂を利用して、飛騨の国人の庇護者としての立場を得ようとしたのであろう? 甘いわ)」
「……恐れ入ります(くっ)」
事実、氏理は美濃の蝮こと斎藤山城守利政を軽んじてなどいなかった。
むしろ氏理に出来る最大限の警戒をしていたと言っても良い。
しかし、足りなかった。
今回氏理は最大限の警戒をした上で出し抜かれた。
ただそれだけの話である。
これは単純に利政と氏理の、謀将としての差と言える。
元々蝮との会談を終え七月の頭に白川郷へと帰還した氏理は、蝮が動き出す前にするべきこととして、鉱山への人員の割り振りや、南蛮吹きを行うための炉の試作、さらにはこれから戦の主力となる鉄砲に欠かせぬ物資である硫黄の採掘の準備や、採掘した硫黄を保管するための蔵の作成等々、これまで先祖が溜め込んできた黄金をここぞとばかりに放出して様々な事業を行うつもりであった。
これは、今後のことを見据えた投資であると共に、美濃から来るであろう使者が白川郷を探った際に『今後の準備のために使ったから、これ以上金はない』と示す為の投資でもあるので、決して無意味な行動ではない。むしろ蝮が飛騨を調べる前に手を打っておくべき事柄である。
(だが、それは優先して行うことではあっても、最優先で行うことではなかった)
今思えば『自身の行動は悠長に過ぎた』と言う自覚はある。
己の常識で利政の器を量り、己の常識だけで利政の動きを予測し、己の常識に則って行動の順位を決めた。その結果が『何の準備も出来ぬまま蝮からの呼び出しを受け、少数の部下だけを引き連れての参陣』という形で現れてしまったのだ。
わざわざ美濃へ赴き、蝮と呼ばれる梟雄と会談を行い、その中で己から援軍を要請しておきながらこの体たらく。
一応礼金となる金だけは持ってきたが、それでも約定の五〇〇両には足りず、連れてきた兵も少数の為、道案内は出来ても武功を立てることは出来ないであろうことは明白。
つまり今回の飛騨征伐は、すべて蝮の武功となる。
それは、蝮に呑まれた飛騨の地に、飛騨守たる己の権威が一切残らないことを意味する。
(……まさしく無様)
それもこれも己が準備を怠った代償と思えば、氏理に返す言葉などない。
しかし、重ねて言うが、今回のことは氏理が愚かなのではなく、蝮が氏理を上回っただけのことである。
さらに言えば、中身はともかくとして、傍から見れば一三の小僧である氏理と、五〇を超える利政の間に勝負が成り立たないのは当然のことでもある。
よって誰も氏理が失態を犯したとは考えないし、利政も氏理を『未熟』と思うことはあっても『愚か』と断ずることはない。
……だがそれは、氏理の内面を知らぬ者の話である。
(儂は侮っておったのだ。前右府や羽柴筑前、不識庵よりも格下と。油断は出来ぬと宣いながら、蝮を軽んじておったのだ!)
氏理は己の浅はかさを悔いていた。
今となってはただの負け惜しみにしかならないが、氏理は利政が兵を率いて北上するのはどんなに早くとも来年の四月以降になると睨んでおり、それに備えて最適な行動を取っていた。
しかし、その思考こそが、蝮を侮っていた証拠に他ならない。
ただ、氏理が蝮の行動をそのように予想したのには、当然ながら根拠がある。それを理解しているからこそ、利政も氏理の裏を掻いたことを誇れども、氏理を『愚か』と蔑まないのだ。
氏理が『利政が軍を興す時期は春先である』と見たその根拠とは、氏理と利政が会談を行った時期であった。
細かく説明はしないが、基本的にこの時代の兵は、一部を除けば殆どが農家との兼業である。
よって、遠征などに必要な大軍を用意する際は農業が行われない、いわゆる農閑期に兵が集められるものなのだ。
ちなみに後世『兵農分離』と呼ばれる制度によって生まれた常備兵構想は、年がら年中戦を強いられた信長が、人口や銭が集中していた畿内を纏め上げるか否かの時にようやく形成させつつあったシステムであり、この天文の時期は一部の地侍や大名の側近たち以外は大半の者たちが田畑を耕しているのである。
それを考慮した上で考えれば、今回利政がこの時期に三〇〇〇もの兵を用意することがどれだけ異常なことか理解できるだろう。
この常識を踏まえた上で考えよう。
氏理が利政と会談を行った六月は、田植えが終わった後の農閑期と言われる時期である。故に兵を集めることは難しくないようにも思える。
だが、たとえ時期が農閑期であっても兵は呼べば集まるようなものではないし、軍勢を組織するにはさらに一手間が必要になる。
徴募の基本的な流れとしては、通常の場合は大名がそれぞれの国人に使者を立て、その国人が更に己が治める町や村に使者を立て、村を預かる名主や地侍が村の運営に支障がないだけの人員を選出し、それを送り出す。という流れだ。
こうして送り出された者たちを纏めて備を作り、それぞれの備で最低限の訓練を行うことでようやく戦の準備が整うのである。これに必要な期間は少なく見積もっても二ヶ月は必要と言われる。
よって今回のように、六月に氏理と会談を行い、八月に戦支度を終わらせた蝮の行動は、早いと言えば早いが確かに不可能ではないように思われる。
しかし、そこから飛騨への遠征となれば話は違う。
まず他国への遠征を行う以上、その期間は短くとも数ヶ月を見据える必要があるが、八月の翌月、つまり九月は農閑期ではない。というか『刈り入れ』と言う、最も重要な作業を行わねばならない時期だ。
そうであるが故に、六月や七月に遠征を前提とした触れを出したところで応じる者など少ないし、遠征であることを黙って集めるにせよ、集めた兵を村に返さなければ、村では刈り入れも脱穀も出来なくなる。
当然それらが出来なければ徴税も出来なくなってしまう。
つまり、大名として最も重要な収入がなくなってしまうのだ。
その上、人手を取られた村や町の者たちから恨みを買うことにもなるのだから、この時期に兵を集めるのは常識から外れた行為と言える。
だからといって刈り入れが終わったあとに兵を集めようにも、時はすでに九月や十月。
冬に備えて銭や扶持米を欲する兵を集めることは出来るだろうが、十一月には雪が降る山岳地帯である飛騨への遠征は現実的ではない。
そう考えれば、氏理が『蝮が兵を集め、遠征を行う時期は早くても来年の春先』と考えるのも無理はないだろう。
「ククク。飛騨殿は美濃の置かれている状況を正しく理解しておらなんだ。故に此の度の策が成功すると確信しておりましたぞ」
しかし相手は近隣諸国に恐れられた美濃の蝮である。
彼には目の前の餌を逃すつもりもなければ、相手の常識に合わせて動く気などさらさらない。
そもそも利政は、氏理が美濃の状況を正しく理解できていないことを理解した上で、今回の遠征を決めたのだ。
「美濃の、状況。……あぁ、そういうことでしたか」
「おぉ。これだけで気付かれましたか。流石は飛騨殿ですな」
そう、今回の鍵は『美濃の事情』これに尽きた。
別に隠すことでもないのであっさりと種を明かせば、単純に『美濃は周囲が敵だらけのため、常に一定の数を集めていた』と言う、ただそれだけのことだ。
確かに今回の遠征に兵を連れ出せば美濃国内の防備が薄くなるところも出るだろう。
しかし、これから刈り入れが終わってから兵を集めようにも、だ。
北の朝倉が治める越前は、これから雪に埋もれて動きが取れなくなるので遠征軍を興すのは難しい状況にある(出来なくはないが、冬に遠征を行った場合、予想以上の被害が出たり、越前への帰還が遅れると加賀の一向一揆になだれ込まれる)
西の六角は、冬の農閑期に動き出す三好らとの戦に駆り出されることが既に決まっている。
南の尾張は信秀が敗戦を引き摺り内部に不和の種が蒔かれているし、信秀の代わりに陣頭に立つ可能性がある嫡男の三郎信長は娘を通じて動きを止めた。(信長への書状云々は氏理も与り知らぬことだが、今の尾張に美濃へ遠征するだけの余力がないことは理解している)
東の信濃は、甲斐から北進してきた武田と小笠原が争っており、美濃にちょっかいをだす余裕などない。(因みに先月小笠原が負けているが、勝者である武田も領内の慰撫が有る為、美濃に侵攻する余裕などない)
残るは国内での復権を望む土岐とそれに阿る連中だが、彼らの場合、単独で稲葉山を落とすことはおろか、軍勢を組織することすら不可能なほどに落ちぶれている。
土岐に味方する。と言うか、利政に反発する可能性のある美濃の国人たちにしても、利政は今回の遠征で得られる黄金を餌に対処済みである。
よって今回、彼ら国人は黄金を目当てに斎藤家の味方になることはあっても、まともに褒美も用意できないし、そもそも褒美を支払う気がない土岐に従う可能性は極めて低い。
ならば土岐が立ったところで、利政の脅威にはなりえない。
むしろ己の留守を狙って立ってくれれば、そのまま滅ぼす口実が得られるとさえ考えているだろう。
「……何が流石なものですか。これが某を狙った策ならば、すでに某は山城様に呑まれておりましょう」
「ククク。左様ですな。しかしまぁ、言い換えれば此度は飛騨殿を狙った策ではござらぬ。故に飛騨殿はこれから某に呑まれる連中の末路を眺め、今後の糧となさいませ」
「えぇ。肝に銘じますとも(儂如きの常識で蝮の動きは読めぬ。それがわかっただけでも収穫よ。ならば……)」
「結構結構、なに、飛騨殿はまだお若い。今後が楽しみですな(何を企むつもりかは知らんが、そのそっ首、抑えさせて貰うぞ)」
「……恐れ入りまする(今後があれば、な)」
蛇の毒は、獲物を呑み込む前に相手を弱らせる為のものである。
それを踏まえた上で考えれば、今回蝮と呼ばれた男によって飛騨に仕込まれた毒は、誰を弱らせることになるのだろうか。
家臣には見せなかった苦々しい表情を浮かべながら利政に頭を下げる氏理と、その氏理の様子を見て悪辣な笑みを浮かべる利政。
誰がどう見ても、この場での軍配は利政に上がっていた。
全身蝮に巻きつかれた挙げ句、喉元に牙を突き立てられた山師の図。
たとえ知識や現金が有っても、人手と時間が無ければ何も出来ないのと一緒です。
信長へ宛てた書状の意味については……まぁ訓練された読者の皆様には解説するまでもありませんね。
ユウジョウ? 世の中には上か下しかないのだよってお話。
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