5話。美濃の蝮と飛騨の山師③
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本日2話目でございます
「お分かりいただけましたでしょうや? もしも我らと山城様との間で戦となったならば、我らはただ数ヶ月耐えていれば良いのです。さすれば越前の朝倉だけでなく尾張の織田や近江の六角が美濃を突きます。いや、突かせます……これらの危険がある以上、山城様が白川を攻めることなどありえませぬ。故に某は先ほどのご意見を『杞憂』と申しました」
そもそも白川郷は美濃の稲葉山よりも、越中や加賀に近いのだ。蝮自身がそう簡単に美濃を空にして遠征など出来まい。
「……ご意見は確かに傾聴に値します。ですが飛騨殿の持つ情報は些か古うございますぞ?」
情報? あぁ、儂が知らんとでも思ったか?
「それは先年、山城様が尾張の織田弾正忠家の嫡男である三郎殿の下に、ご息女様をお送りになられたことですかな?」
「……知っておいででしたか」
「えぇ」
知らいでか。
「ならばわかるでしょう? 六角や朝倉はともかくとして、尾張に関しては……「それで?」……それで? とは?」
おいおい、呆けたか?
「娘が嫁いだ。それで戦にならぬと誰が決めました? 山城様はともかく、御嫡男の新九郎高政様や、美濃の国人衆の皆様までもが婚儀に反対していたことも、その皆様が尾張の三郎殿を敵視しておることは飛騨まで聞こえておりますぞ? 山城様の統制が無くなった際に、尾張に向かおうとする者が現れぬ。そう言い切れますか?」
貴様とて娘が嫁いだからと言って、その相手が『絶対の味方』などとは考えまいに。
さらに問題なのが嫡子、新九郎高政とその周りの者共よ。
通常、戦に勝った後に相手から和議の申し入れがあったのならば、その相手の娘を貰うのが常識であろう?にも拘わらず、戦に勝った斎藤家から娘を差し出すなどありえぬことではないか。
しかもその相手が尾張国内でさえ『うつけ』の評判しかない今の前右府じゃぞ?
周囲には『揖斐に味方する国人を滅ぼすための一手』とでも言っておるのだろうがな。
それとて今の信秀に美濃へ援軍を出すだけの余裕などないのだから、わざわざ娘を差し出す理由にはならん。
いや、儂はこの婚儀が織田弾正家の内部崩壊や、津島や熱田への調略を行うための人員を送り込む口実としての婚儀であることも理解しておるし、前右府の将来性を存じておる故、この婚儀を決めた英断を褒めることはあっても貶すことはないぞ。
しかし、それ以外の者には理解出来ぬ。出来るはずもない。
まさか『婿の家を内部から腐らせる策の一環である』などと口外も出来んだろうしな。
謀は密を持って為す。
それを考えれば、新九郎高政が公然と前右府を罵るのも蝮の計画の内なのだろう。本人も蝮の思惑とは別に本心から前右府や、婚姻を決めた蝮を罵っている故、それが策の内だとは思われまい。
しかし、それ故に。その本意を語れぬが故に。
今の段階では、誰がどう見ても『蝮が錯乱した』としか受け取らんのだ。
そして周囲から『錯乱した』と判断された当主の立場が弱まるのは必定。
ましてその相手が蝮ではな。
国人がいつまでも『錯乱した蝮』に従うとでも?
「さらに言えば、先年の戦は防衛戦。備後守信秀を返り討ちにしたとて、その損害を回収出来たわけではありますまい?」
奪われたものを奪い返す。そう言って国人が騒いだら、新九郎高政はどう動く? 揖斐の土岐が止めるとでも思っているのか?
尾張から攻め込むことがなくとも、美濃から攻め込めば戦になるだろうが。
「……」
それだけではないぞ。
「美濃内部の話だけではござらん。尾張もそうでしょう? 確かに近年負けが込んでおり、その牙が弱っていると噂される尾張の虎殿ならば、山城様との戦は避けるやもしれませぬ。しかしその上役はどうです?」
「上役。……斯波ですか?」
斯波もいようが、その前よ。
「正確には大和守とやらでしょうか。彼の者が虎殿の勢いが衰えたと見て、己の名を挙げようとする可能性はありませぬか? 尾張の国人が先年の負けを取り戻そうとする可能性は? そも、弾正家は大和守家の家臣であって尾張の領主ではござらんぞ? 無論、普通なら動かぬやもしれませぬ。しかし山城様が飛騨の奥地から抜け出せぬ。となればどうなりますかな?」
かつての元亀・天正の時分。あの、織田の勢力が拡大していた時分は敵も味方も濃尾のことを調べるのは常識であった。それ故、儂とてこの時期の尾張周辺についての知識はそれなりにあるのだ。
その知識の中には、蝮はもちろんのこと、前右府の父である備後守信秀のこともある。
確かに彼も英傑なのだろう。しかし、所詮は陪臣に過ぎぬ身であり、周囲に足を引っ張られることが多々あったことは知っておるのだぞ。
事実、備後守信秀の上役は今も斯波であり、守護代の織田大和守家じゃ。よって今の段階で若き日の前右府と縁を結んでいるからと言って、その上役の大和守家がおとなしくする保証などない。
むしろ備後守の顔を潰すために動く公算の方が高いのではないか?
そもそも土岐すら処理できてない今、遠征する余力などなかろうに。
「……某が直接飛騨に赴かずとも、誰かに任せると言う手もござるぞ?」
儂が「これでもか」と蝮が白川に出陣出来ぬ理由を語れば、当の蝮は苦し紛れに考えうる限りで最も愚かな選択肢を儂に突き付ける。
他の者? それは誰のことだ?
「それは怖い。で、その方は幕府や朝廷からの停戦命令を袖にできるのですかな?」
これでも儂は従五位下飛騨守ぞ? 蝮自身が出てくるならまだしも、家臣の判断では京の権威には逆らえまい。
「……なるほど。そこまでお考えか」
当たり前であろうが。
「そうでなくては山城様の前に立つなど、とてもとても」
「では、この場で討たれることは考えましたかな?」
そう言って殺気を放つ蝮。しかしその手にはかからんよ。
「ふむ。それは考えておりませなんだ。して、ここで某を討ち取ったとして、無駄を嫌う山城様は何を得ますか? あぁ、内ヶ島や幕府、朝廷からの恨み以外に、ですぞ?」
「……」
儂を討ったところで飛騨を得られるわけでもなし。
白川郷は弟が継ぐだけのことよ。
それに、幕府も朝廷も任じたばかりの飛騨守を討たれたとあらば面目が立たぬ。
これから美濃を手にしようという時に、それらを敵に回してまで儂を殺すか?
ただ担いでくれれば良いと言っている儂を? ありえぬだろう。
そもそも蝮ほどの男が本気で『殺す』と決めたなら、そこに殺気など生まれぬだろうに。
「話を戻すと致しましょう。もし山城様が飛騨に兵を出して下さるなら、先祖代々蓄えてきた黄金を。それも、元々京へと献金を行う予定であったものをお渡し致します。その額はおおよそ五〇〇両になりましょうか」
「五〇〇両?!」
「左様。白川の山から採れた、混じりっけなしの黄金にござる」
「なんと……白川には、黄金が採れる山がある、と?」
目の色が変わったな。
だが、それも織り込み済みよ。
「正確には黄金が採れる山があった。ですな」
「あった? つまり今は採れないのですか?」
「えぇ。某は後から山城様が勘違いなされぬよう、敢えて白川にある山の存在を明かしました。……これはほとんどの家の者も知らぬことですが、白川の山に眠る金はすでに限りが見えております」
嘘ではないぞ? 何事にも限りはある故、な。
「白川の山に眠る金には……と言うことは、他の山が?」
うむ、当然それに気付くよな。
「山城様がご推察した通り。飛騨には未だ黄金を産出する山が数多くございます」
「ほう……」
そう。飛騨にはまだまだ山がある。
まぁ白川の山についても後から探りを入れられるだろうが、しばらくは『戦準備を優先する』とでも言って採掘を押さえれば良いだけよ。
「……では我らが飛騨を攻め、御身の敵を滅ぼした際は、そこも我らにお譲り下さる、と?」
応とも、幾らでも呉れてやるわ。
「元々我らの土地ではございませぬ故、譲ると言うのには語弊がございますな。……ちなみに、もし我らに金堀衆としての助力を願われるのであれば、山から算出される鉱物の四割、否、三割程を労賃として頂ければ、残りの七割は山城様へ御譲りすることも考えております。あぁ公方様や朝廷への献金がございますので、流石に全てを差し上げるわけには参りませぬが、その点は何卒ご容赦願いたい」
「……なるほど。確かに白川の山が枯れたなら、他の山から採れば良いだけの話です。しかし御家にはその山を持つ国人を追い払うだけの武力はない。よって我らに国人を処理させ、空いた山を手に入れる。先ほど『採れた金の七割をこちらに頂ける』と申されたが、逆に言えば内ヶ島の家は飛騨を治める労力を支払わずに三割を懐に入れられる。そう言うわけですな? 付け加えるなら、効果的に飛騨の山を掘る技術も経験も持たぬ我らは、それを持つ御家を潰すことが出来ませぬ」
やはり蝮。細かく説明せずとも独力でそこに行き着くか。
話が早くて助かる。
そして、そこで終わってくれて助かった。
そうよ。我らは白川の山から取れる金銀は全て抑えた上で、他の山から取れる鉱物の三割を得ることができるのだ。それも蝮に外敵を排除させ、さらに今後周囲が手を出さぬよう護衛まで配備してもらえるとあらば、どれだけ採れるかわからん山から出る鉱物の七割程度惜しくはない!
そう思ってくれたのであれば、此度の接触は最良の結果と言えよう。
ただまぁ、今の段階では明言を避けさせてもらおうか。
「はて? 某はあくまで『もしも』の話をしただけですぞ? 何やらお考えが飛躍しておりませぬか?」
そう。儂が語ったのはあくまで仮の話。兵を出すと決める前からそれを真に受けられても困るぞ?
「ククク。左様でござったな。左様。あくまで『もしも』の話でした。いや、失敬失敬。ここは年寄りの戯言と聞き流してくだされ」
「ですな。飛騨の者に聞かれてはいらぬ誤解を招きそうですからな(聞いて流す。元よりそのつもりよ)」
「クククククク、面白い。織田の三郎殿も面白いが、飛弾殿はそれに輪をかけて面白い御仁ですなぁ(面白い、が、可愛げはない。それにこやつの言動の節々には年寄りが如き老練さが滲み出ておる。こやつに娘は……やれんな)」
「ハハハ、三郎殿のことは存じ上げませんが、山城殿にそのように評されるとは望外の喜び。白川郷で某の帰りを待つ家臣共に自慢出来まする(面白い、ねぇ。どのような意味かは分からぬが、敵対せぬと言うならそれで良い。はてさて、あとは飛騨の連中に『蝮が飛騨を狙っている』と教えてやるとしようか。……蝮に呑み込んで貰うとはいえ、簡単に勝たれても困るでな)」
「……いやはや、貴殿とは長い付き合いとなりそうですなぁ(とにもかくにも飛騨の山の情報を得ねばなるまい。金堀衆も集めねばならん。蜂須賀あたりに伝手があれば、こやつらなど早々に用無しよ。伝手が無ければ……しばらくは飼い殺しじゃな。三割は痛いが、儂らが技能を覚えるまでの必要経費と割り切る。その後は儂が呑み込んでも良いし、越前や加賀の連中を動かしてもよい)」
「えぇ。願わくば、蛇の尾よりも長い付き合いであって欲しいものです(現状美濃一国でさえ足元が覚束ぬ身の分際で、飛騨まで手を伸ばせばどうなるだろうなぁ? 目に映る黄金に惹きつけられ、身の程を弁えずに胴を伸ばした挙句、黄金を呑み込んで動きが鈍くなった蝮が如何様に転ぶか、見せてもらおう)」
「ククククク。えぇ、えぇ。左様ですなぁ(時間が掛かれば掛かるほど蝮の毒は全身を蝕む。白川郷の田舎侍風情が、この儂の毒から逃れられると思うな?)」
「ハハハハ。えぇ、えぇ。左様ですとも(死ねば毒も何もあるまい。蝮がその毒ごと龍に飲まれるまでは仲良くしてやるとも。あぁ、せっかくだ。蝮の毒を飲み込んだ蛇の子が、その臓腑を腐らせて死ぬ様も見届けてやろうではないか)」
「「クハハハハハハハハ!!」」
殴り合って分かり合うのが男のユウジョウ……ですよねっ!
当然の話ですが『限りが見える』と『翳りが見える』では、字面は似ていますがその意味するところは同じではありません。
ついでに言えば、黄金は蛇の胃の中で溶けませんってお話。
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独断と偏見混じりの人物紹介
朝倉金吾(宗滴): 66歳。戦国最強ばばぁ赤井輝子と並ぶ戦国最強じじぃの一人。生涯現役。常に加賀一向宗との最前線に立ち、陣中で死んだ男。この中々死なないじじぃは、蝮にとって信秀よりも厄介な存在であった。
ちなみに作者の中での戦国じじぃは
最強じじぃは朝倉宗滴。
最凶じじぃが松永弾正。
最恐じじぃの毛利元就。
最狂じじぃを島津義弘。
最脅じじぃに立花道雪。
ついでに最興じじぃとして前田利益(慶次)です。
異論は認めます。
三郎信長: 16歳。既婚者。世間の評判はいまだ『うつけ』。斎藤道三との面会もしていないので、この時期の道三はまだ彼を『うつけ』として認識しているところがある。
備後守信秀: 39歳。信長の父にして尾張のマダオ。戦国有数の種馬。宗滴より先に死んでいる。
新九郎高政: 23歳。後の斎藤義龍のこと。後に長良川でウッと言わせる
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