2話。動き出す山師
文章修正の可能性あり
天文一九年(西暦1550年)四月。飛騨国白川郷・帰雲城
「殿ー! 只今戻りましたぞー!」
雪解けと同時に、朝廷工作のために親子で京に送り込んでいた時慶が帰還した。
「おぉ、戻ったか時慶。疲れているところ済まんが成果を聞きたい。……如何であった?」
本来なら遠出をさせたことを労ってやりたいところであったが、事は内ヶ島家の未来に関わること。
「はっ! 首尾は上々でございました! まずはこちらをご覧ください!」
氏理が逸る心を抑え切れずにその成果を問えば、問われた時慶は姿勢を正しつつも満面の笑みを浮かべて懐から書状を取り出し、氏理に手渡した。
「うむ。これは……御内書ではなく御教書だな?」
「左様でございます! 大樹様は殿の忠心に感じ入り、あえて御教書を発して下さいましたぞ!」
「おぉそうか。それは重畳」
大樹が発行する書状の中でも大樹が個人的に発行する御内書よりも、幕府が発行する正式な公文書である御教書の方が価値が高いのは言うまでもない。
(やはり黄金は使ってこそ、よな)
そんな価値の高い書状で有るが故に、通常なら軽々に飛騨の国人に発行するような真似はしない。
たとえ将軍が認めようと、周囲の幕臣が反対するからだ。
しかし内ヶ島家は足利に仕える幕臣の家系である。
その為、彼らにとっても同僚となる内ヶ島家に対する心理的な柵の高さは低い。
そんな連中に『黄金』を見せればこうなる公算が高いと言うことは、氏理とて予想はしていたし、勝算は十分にあったことも確かだ。
残る懸念としては、連中の気位の高さを原因とする意味不明な横槍が入る蓋然性であったが……こうして時慶が捥ぎ取って来た御教書を前にすれば、己の心配が杞憂に終わったことを確信した氏理は、素直にこの結果を喜ぶことにした。
一応の補足をするならば、氏理が喜んでいるのは『大樹から御教書を貰ったこと』ではない。書状に書かれているであろう内容を予測し、喜んでいるのだ。
(何が大樹か。幾度となく京を捨てて逃げ出した義晴を皮切りに、剣に傾倒して人を省みる事無く三好に殺された義輝。三好に担がれたまま何も出来ずに世を去った義栄。織田の力で公方となれたにも拘わらず織田を忌避し、散々周囲を混乱させた挙げ句に織田に追放された僧上がりの似非公方、義昭。どれもこれも一人ではまともに立つことも出来ぬ雑木ではないか。……まぁ利用価値があるうちは煽ててやるがな)
権威しか使い道がない将軍から与えられたものであっても、それこそが今の内ヶ島家に必要なものである。
よって氏理は、彼らを敬いはしないが利用はする心算であった。
「いやぁ、しかし驚きました。昨年の継承の砌に、殿が急に『大樹様に家督継承のご挨拶をする』と言い出したときはどうしたものかと思いましたが、まさかこのようなことまでお考えであったとは。……この時慶。殿の深慮遠謀に心から感服致しましたぞ!」
「あぁ、まぁ、な(まさかあれだけ夢想していた『過去への回帰』が現実となったが故に、早々に公方を利用しようとした。とは言えぬ)」
手放しで己を絶賛する時慶を見て微妙な顔をしつつ、氏理は己の身に突如として起こった不思議な現象に思いを馳せる。
あの日、地揺れによって全てを失った彼はこの世の全てを呪って死んだはずであった。しかし次に気が付いた時には、彼は天文の世、それも家督を継いだ直後の頃に戻っていた。
これだけだと何を言っているのかさっぱりわからないだろうが、氏理にも分かっていないのでこれ以上の説明のしようがない。
わかっているのは、周囲から聞いて己が数日間正体不明の熱病に侵されていた。と言うことだけ。
それを聞いた氏理は、自身が置かれた状況を『己が過去に回帰した』もしくは『熱にうなされて胡蝶の夢が如き状態となり、別の世を見てきた』と判断することにした。
……そうでも思わないとやっていられなかったとも言えるのだが……。
当時の状況はさておき。今が夢なのか、それとも向こうが夢だったかは氏理にも判らない。
しかし、それを考えても無意味でしかないことを理解した氏理は、己が歩んだ最悪の行く末を回避する為に動き出すことにしたのだ。
自分が死ぬことを覚悟していた氏理にとっての最悪、それは後継者であった氏行の死である。
(少なくとも氏行は、あやつだけでも生き延びさせねば死んでも死にきれん!)
自分が動くことで未来が変わる可能性はある。と言うよりも、少なくとも氏理が三木にデカい顔をさせる気がなく、様々な行動を行っている時点で未来は変わるだろう。
その結果として、氏行がこの世に生を受けない可能性もあることは氏理も考えた。
しかし、だ。
よくよく考えてみれば、氏理は後継者と言う意味であるなら、必ずしも己の後継者が氏理が知る氏行である必要はないことに気付く。
それどころか、場合によっては自身が鍛えることで、あの氏行よりも優れた後継者を育成することが出来るかもしれない、とまで考えるようになっていた。
あの時に見た氏行も大事なのは確かではあるのだが、あれ以上に優秀な後継者を育てることが出来るならそれに越したことはない。
そんな『親子の情』より強い『国人の本能』に背を押されて、積極的に未来を変える行動を起こしているのが今の氏理だ。
そうこうして己のやるべきことを再確認した氏理が選択した未来を変える第一歩としての行動は、三木自綱が企む諸々の狙いに対する妨害工作であった。
これは、見方によっては氏理の器の小ささを露呈するような行動だが、ある意味では非常に重要なことでもある。
「従五位下への任官と飛騨守(飛騨国司)の授与。そして幕府からは国持衆への任命、か」
「はい! これにて殿が飛騨の主にございますぞ!」
御教書に記載された人事を読み上げれば、内容を知っていたはずの時慶が我が事のように喜びながら祝辞を述べる。
「うむ。利慶と共に時慶も良く働いてくれた。お主ら親子の働きには必ず酬いると約束しよう」
「はっ! ありがたき幸せにございます!」
(うむ。早いうちに京を知ることで知見を広げさせることが出来たようで何より。さらに儂も早々に官位を得られたのは良いことだ。しかし、もう少し手間取るかと思っていたのだが……どうやらこの時期の公方や近衛は、儂が思っていた以上に困窮しているようだな)
信頼する忠臣から雑じり気の無い称賛の意を向けられながら祝辞を述べられた氏理は、己の企みが上手くいった嬉しさが半分。簡単に官位を与える幕府の態度に呆れる気持ちが半分と言った心持ちになっていた。
実際の氏理からすれば、今回の献金は『元服と自身が正式に家督を相続することを認めてもらう』と言う名目で用意した、言うなれば顔見せ程度の試みに過ぎなかった。
氏理の計画としては、最初に挨拶を行うことで名を売り込み、それから何度かの献金を重ね、定期的に将軍である義輝とその親族である近衛に黄金の匂いを嗅がせることで、彼らの歓心を得てから官位を貰えるよう交渉へ持ち込む心算だったのだ。
そんな、ある意味で長期的に見立てた計略だったのに、初端の挨拶で目的であった従五位下飛騨守を得てしまったのだから、これには氏理も「なんだかなぁ」と思ってしまうのも無理はないだろう。
と言っても、この時期将軍である義輝の困窮具合は本当に酷いものであったし、そんな中でわざわざ飛騨の山奥から黄金を携えて(それも義政の時代に与えられた任務を果たすために)現れた、足利にとっての忠臣を義輝以下幕臣たちが厚く遇するのも当然と言えば当然の話とも言えよう。
つまるところの此度の叙任は、偶然、内ヶ島家にとって最良の時期に献金が出来た結果として齎された好待遇なのだ。と言っても、すでに足利を見限っている氏理からすれば、向こうの思惑など今更どうでも良いことなので、深くは気にしていない。
(何を得るにしても早いに越したことは無い。それに、これを得ることで三木の狙いの大半を削ぐことが出来るのだから悪くはないのだ。うむ……やはり黄金は効く)
ちなみに今回氏理が使用したのは、以前に『いざと言う時の為』として溜め込んでいた、先祖伝来の黄金の一部であり、額にすればおよそ百両の黄金であった。
昔は使う機会がないまま死蔵し、羽柴に奪われたモノだが、しかし今世は違う。
今こそが、その『いざと言う時』であると確信していた氏理は、これまで先祖が溜め込んで来た黄金の一部を放出することを決意し、三木に先んじて飛騨守の官位を手に入れることに成功していたのである。
(目の前で輝きを放つ黄金は、同じ額の銅銭の数倍以上に人の心を惹き付ける。そう言うことだろうな)
事実。今回氏理が放出した金は僅かに百両。貫高に換算すれば四〇〇貫程度の価値しかない程度である。
この程度の献金で官位が買えたと知れば、四〇〇〇貫もの銭を用いて官位を得た織田信秀や、二〇〇〇貫以上の銭を納めて陸奥守を得るかも知れない毛利元就はどのような表情をすることか。
まぁ、内ヶ島家が織田弾正忠家や毛利家とは違い、陪臣ではなく将軍の直臣の家系であることも当然無関係では無いが、それにしてもこの額でこの官位は破格に過ぎる待遇と言えよう。
だが、これで満足していては以前の二の舞となる可能性が高い。
そもそも幕府から与えられた権威など、それを上回る軍事力があれば容易く踏みつぶされる程度のものでしかないし、己の目算を外された三木がどのような手を打って来るかもわからないのだ。
単純だが確実な力である『武力』の怖さを実感として知っている氏理は、休むことなく次なる一手を指す。
「では次の行動に移るとしようか。時慶。留守は任せたぞ」
「……本当に大丈夫でしょうか?」
前々から話を聞いていた時慶は、氏理が行うことが必要なことだと理解はしている。
しかし、これから氏理が交渉を持とうとしている相手が相手なので、どうしても不安に駆られてしまう。
「案ずるな。奴が毒を持つ蛇であるのは事実だが、それとて誰にでも噛みつくほど獰猛ではないし、そもそもあれは労力に見合わんようなことをする阿呆でもないぞ?」
「それはそうなのかもしれませんが。しかし万が一のことを考えれば、殿が赴くのは危険ではありませんか?」
「誰もがそう思う相手だからこそ、俺が行く必要があるのだ。時慶とて、あれの相手をするのは荷が重かろう?」
「……」
正面きって氏理から『お前では力不足だ』と言い渡された時慶だが、これから敬愛する主君が相対しようとする相手の名を思えば、その言葉を否定することは出来なかった。
なにせ、これから氏理が相対しようとする相手は、京で公方や近衛と謁見した時慶をして尋常の者とは思えない相手なのだ。
彼の者は、飛騨の隣国美濃に在って、父である長井何某と共に美濃守護である土岐家に仕えた身でありながら、過去に守護で在った土岐頼芸を追放した経歴をもつ男であり、その頼芸が美濃の揖斐に居を構えた後も実質的な美濃の主として君臨している男であり、国人達にもそれを認めさせるだけの力を有する男でもある。
その異常な経歴を持つ男の名は、斎藤山城守利政。
味方からも『美濃の蝮』と恐れられる男であり、周囲の者たちすらも梟雄と評する、間違いなく一代の英傑に数えられる人物であるのだから。
いや、『実は死んでいなかった!』ってパターンも考えたんですがね? あの、秀吉が天下に王手をかけている段階で、完全に全てを失った中年が生きてても何も出来ませんからねぇ。
そんなこんなで逆行転生となりましたってお話。
前話から年齢などを修正しております
―――
内ヶ島氏理。48歳→13歳
知る人ぞ知る白川卿。
生年不明の為、作者に年齢を勝手に決められた男。
三國志? 知らんなぁ。
一言で言うならYAMAの主にして、上杉すら追い返した名将。
(白川)から動かざること内ヶ島の如くと言われた……かもしれない悲運の男。
佐々成政に味方するために遠征したら羽柴方の金森長近に留守の隙を突かれ、あっさりと居城を乗っ取られてしまい、戦う前から降伏を余儀なくされた男でもある。
興味がある方はググってみましょう。
―――
タイトルとあらすじでポイントをくれたであろう読者の皆様、作者はそんな読者様のノリが大好きです。
閲覧・応援ポイント投下・ブックマーク・誤字修正ありがとうございます!