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19話。貧すれば鈍する

文章修正の可能性あり

十一月。甲斐国躑躅ヶ館。


源太左衛門(真田幸隆)よ、砥石の様子はどうだ? あれから何らかの情報は得られたか?」


「……申し訳ございませぬ。我が弟を含め、話を通していた者共が末端の兵に至るまで首を刎ねられて以降、

一切の情報が遮断されており、詳細が掴めておりませぬ」


「やはり駄目、か。……勘助、砥石以外はどうだ?」


「……こちらもですな。巫女であろうと僧であろうと、南信濃から北信濃へと入った者は残らず捕らえられ、一様に処されております。例外は商人ですが、その商人とて南信濃へと帰還することは認められておりませぬ」


「ふむ。そこまで徹底すると言うことは、村上は気付いているな?」


「はっ。間違いなく我らの諜報手段が漏れているかと。その上で向こうも優秀な草の者を雇ったと見えます」


「……ちっ。忌々しいことよ」


その智謀を頼りとする二人の家臣の言葉を受け、思わず舌打ちをするのは、甲斐武田家第一九代当主武田大膳大夫晴信その人である。


昨年信濃守護である小笠原長時を打ち破り南信濃に勢力を伸ばしたものの、未だに火の車状態の台所事情を改善出来ていない甲斐武田家にとって、北信濃に広がる広大な穀倉地帯は喉から手が出るほど欲しいものであった。


そのため、先年から幾度となく戦を仕掛けているものの、その結果は全て敗退。

結果として武田家には得るものが無く、戦費と兵糧の浪費に終わっていた。


その理由は、(ひとえ)に北信濃は埴科郡葛尾城主である村上義清にあった。


「しかし解せぬ。なぜ村上はここまで戦えるのだ?」


晴信はそう言って首を捻る。


そもそも甲斐一国と南信濃を治める武田家でさえ、国内の各所では飢えから村を守るための口減らしが行われているというのに、信濃半国程度の(それも完全に治めているわけではない)石高しか持たない村上が、倍以上の国力を持つ自分たちと長期に亘って戦える理由が晴信にはわからなかったのだ。


「こちらとは必要とされる(つい)えが違う。と言えばそうなのでしょうが……」


「然り。相手は我らだけを警戒すればよいのが現状です。ならば戦に掛けている費えはこちらが倍以上となるも道理かと。いやはや、急ぎ小笠原家を潰す必要があったとはいえ、信濃の国人を生かし過ぎたことは間違いなく当家の足かせとなっておりますなぁ」


「……」


幸隆が兵の維持費についての見解を述べれば、勘助もその意見に同意を示す。


ただ、言っていることは正しいのだが、万事に於いて一言多いのが彼の悪癖と言えるだろう。


「……勘助。言葉を選ばんか」


普段ならばその程度のことに目くじらを立てたりする晴信ではないが、流石に信濃の国人である幸隆の前で今の発言を見逃すことは出来ないと判断し、勘助に注意を促す。


「ん? あぁ! 無論某には源太左衛門殿に含むところはありませんぞ? ただ急ぎの仕事にはどうしても粗が出ると言うことをですなぁ」


「……左様ですか」


「もう良い。とりあえず話を費えの話に戻すぞ」


謝罪をしながらも信濃の国人衆を『粗』扱いする勘助になんとも言えない思いを抱いた幸隆。その幸隆の気持ちを理解した晴信はこれ以上無駄な話をしないよう釘を刺した上で、両者の意見に対する考察へ意識を向けさせた。


「はっ。当家は甲斐と信濃半国を得ましたが、勘助殿が申された事情も相まって実質的な直轄地は少ないままとなっております」


「その上、我らは。駿河の治部大輔様(今川義元)や相模の左京大夫(北条氏康)様にも注意を払わねばならぬがために、甲斐を空にも出来ませぬからなぁ」


「そうだな。左京大夫については暫くは動けんだろうが、治部大輔に隙を晒すわけにはいかぬ」


「左様にございます。されど向こうは我々だけを警戒していれば良いのですから、必要な費えに差が出るのは当然かと」


「……うむ」


北条は天文一五年の川越夜戦の爪痕に加え、一昨年天文一八年に発生した地震による影響で未だに国内がガタガタなので、外征する余裕はないだろう。


しかし今川は違う。


なにせ今川義元が治める駿河には、虎視眈々と甲斐を狙う先代甲斐武田家当主信虎がいるのだ。


さらに不味いことに、信虎を追放した後も依然として甲斐は貧しいまま、否、もしかしたら戦に明け暮れていた信虎時代よりも悪化しているようにも見えるのが問題だった。


当然国人の中にはこのことについて不服を覚える者は多いし、先ほど勘助が言った『信濃衆を生かしすぎた』と考える者も少なくないため、家臣同士のいざこざも度々起きている。


このような状態で甲斐を空にすればどうなるか? 考えなくてもわかるだろう。


よって晴信は、信濃に遠征する際にも甲斐に信用できる人材とそれなりの兵を置く必要があった。


しかし、甲斐に置くと言ってもその維持費はただではない。


その上、兵力を分散しているせいで村上に向ける戦力が中途半端なものになり、結果として戦に勝てず、物資の浪費に終わってしまうという悪循環に陥っているのだ。


そんな周囲を敵に囲まれた(半ば自業自得だが)甲斐武田家とは違い、高梨家と和睦した(村上が敗れれば次は自分なので、高梨も和睦せざるを得なかった)村上家は、後顧の憂いが薄まった事もあって南方から迫り来る甲斐武田家だけを気遣っていれば良いのだから、出費という意味では倍以上の違いが出るのも道理である。


「しかしそれでも不可思議なのは事実でございます」


「だな。いくら必要とされる費えが違おうとも、村上とて城の補修や損害の補填、兵糧の備蓄に家臣への褒美など、いくらでも費えが必要なはず。にも関わらず向こうの家臣は調略に靡かず、兵糧の備蓄にも不安がないように見える。それどころか商人に対する荷止めや、間者狩りまで行うだけの余裕があるというのはどう考えてもおかしかろう?」


防戦の場合、守勢に得るものはない。一方的に失うだけ。


それを去年の刈り入れの時期から何度か繰り返されていれば、どれだけの蓄えがあったとて枯渇しなければおかしい。攻勢側の武田が先に息が上がるなど、通常では考えられないことである。


であれば、今回の戦に関しては『通常ではないことが起こっている』と見るしかないだろう。


「……支援を受けているのでしょうな」


「はぁ。やはりそうなるか」


幸隆が呟いた内容は、晴信も考えていたことだ。元々この場に居る三名は独力で村上がここまで戦えるとは思っていないのである。ならば支援を受けている可能性に行き着くのは当然の話だ。


次に問題になるのはその支援を行っている相手が誰か? と言う点であるが、既に三人ともその相手には目星を付けている。


「源太左衛門殿が言うように、それが妥当でしょうな。そして相手の候補として見立てれば、最も可能性が高いのは……やはり長尾かと」


「そうか。そうだろうな」


「御意。当家が北信濃を獲れば、春日山に牙を突き立てられる形になります故」


「北信濃がそのまま越後の国防に関わる、か。国境が山で隔てられている甲斐では想像もつかんが、勘助が言うならそうなのだろうよ」


勘助が脳内に信濃と越後の地図を思い浮かべて己の所感を述べれば、()()越後に関わる気のなかった晴信はため息混じりに甲斐しか知らなかった己の不見識を嘆く。


「これまで長尾は越後国内で争っておりましたが故に外に目を向ける余裕などありませんでした。しかしながら今年八月にようやく上田長尾家を降し、越後の統一を果たしております。これにより連中は外に目を向ける余裕が出来たのでしょう」


「そこで目に付いたのが、信濃を蹂躙せんとして出兵を繰り返す甲斐の虎。というわけですな」


「ちっ! 越後の国人どもめ。もう少し粘れば良いものを!」


幸隆と勘助の考察を聞いて、バンっと音がするほど強く床を殴りつける晴信。


彼らからすれば越後を統一したばかりの長尾が近隣諸国を警戒するのは当然だし、本拠地である春日山に近い北信濃の情勢を探るのも当然のことと受け止めることが出来た。


加えて長尾家が、己の自領を守るだけの村上家よりも、他家が治める北信濃を掠め取らんとする甲斐武田を警戒するのも当然の話だということも、である。


「……山しかない甲斐と違って、海も山も平野もある越後を治める長尾が、本気で村上を支援していると言うのなら村上が崩れぬのも道理よ。しかし、それでは我らは北信濃を獲れんと言うことか?」


今までは金銭や兵糧の支援だけだった。しかし国内を統一した今、武田が無理攻めをすれば長尾も軍勢を差し向けてくるかもしれない。


そうなったら去年の砥石崩れ以上の被害を出すことになるだろう。


……目の前にある餌が喰えない。

飢えた虎には何よりの拷問である。


「……さて。どうしたものでしょうなぁ」


「……今はまだ。しかしながら長尾の支援を無くす方法も皆無と言うわけではありませぬ」


『勝てぬなら別を探せば良い』と考えつつある勘助とは違い、目の前にぶら下げられた餌を得るためにどうしても北信濃を治める村上義清を除きたいと望む晴信や、弟や一族の仇である義清を除きたいという気持ちがある幸隆には、諦めるという選択肢はない。


「ほう?」


「信濃守護である小笠原を手中に収めるか、小笠原を廃して御屋形様が信濃守護となること。もしくは御屋形様が信濃守を獲れば長尾も大人しくなるかと」


そこで幸隆が考えついたのが『長尾からの支援が邪魔ならその支援の口実を無くせば良いではないか』という策だ。


確かに晴信が信濃守護を抑えるか信濃守となれば、長尾が村上に表立って支援する名分を失うことになる。まぁそれでも密かに支援は続ける可能性もあるが、その規模が縮小することは確実だし、いざという時に援軍を差し向けることもできなくなるのだから、最悪の場合はそれだけでも十分だ。


「なるほど。そう言えば御屋形様には三条の方様と言った伝手もありましたな」


「……勘助。お主は主君の正室をなんだと思っておる」


「伝手、でございましょう?」


「……否定はせん。で、狙うは公卿か? それとも公方か?」


勘助の言いようには主君の妻に対する敬意の欠片も何もあったものではないが、軍議の場に於いて晴信が勘助に求めているのはそのようなものではない。


そのため晴信は勘助の言葉を一部認めつつ幸隆の述べる策を、より具体的なものとする為に話を進めることにした。


信濃守を狙うなら公卿。小笠原を廃して自身が信濃守護となることを狙うなら公方。


「……両方が一番ですが、どちらかと問われたならば公卿がよろしいかと存じます」


「その心は?」


「現在公方は三好に敗れ、近江へと逃げております故」


「あぁ。京へと人を遣わしても会えぬ可能性があるのか」


「はっ。ですが公方へ献金しながらも禁裏に献金を行わぬでは……」


「筋が通らぬ、か」


「御意」


公方を狙えば報酬が二倍となり、かつ二度手間となる。それくらいなら京から動いていない禁裏に献金を行った方が効果的。それが幸隆の読みだ。


「某は逆に公方の方がよろしいかと愚考いたしますぞ」


「ほう?」


しかし勘助の考えは逆であった。


「元々今上の帝(後奈良天皇)は清廉にして潔白な御方。官位目当ての献金を嫌うと聞き及んでおります」


「ふむ」


「さらに言えば、現在の公方が近江に逃れていると言うのであれば、そこに献金をすることでお館様の評価が通常よりも高まるでしょうし、なにより必要とされる献金も安上がりになりましょう?」


「なるほど」


武田家とて余裕があるわけではない。むしろ度重なる戦で国庫はカツカツなのだ。そんな状況で献金するのだから、銭を受け取った上で見返りをよこさぬ可能性がある禁裏を相手にするよりも、安上がりな方が良いのは言うまでもない。


「さらに当家は甲斐源氏。同じ源氏である足利を粗略に扱うのはよろしくないかと」


「はっ! 心にもないことを言いよる」


「何を仰るやら。そもそも軍師とはそういうものにござろう?」


「違いない!」


ふてぶてしく告げる勘助を見て上機嫌になる晴信。


(我らに多額の献金を行う余裕があるわけではない。それでも献金を行わねば北信濃を喰えぬと言うのならば、その代金として支払うまでよ)


彼はこの時点で公方に対して働きかけることを決めた。



――しかし、諸国を渡り歩いた勘助も、その智謀を高く評価される幸隆も知らぬことがあった。


それは足利が任じた信濃守護である小笠原家を追いやった武田家に対して、面目を潰されることを嫌う公方義藤が面白く思っていないことであり、現在の義藤には見返りを求めることなく定期的に献金を行ってくれる忠臣と呼べる者がいることであり、その忠臣が齎す額は今のカツカツの甲斐武田家が用意できる額を大きく凌ぐこと、などである。


結局、晴信らが自分たちの目論見が甘かったことを知るのは、彼らがなんとか拠出した数百貫分の銭を持たされて近江へと送り出された晴信の弟・左馬助信繁が、居並ぶ幕臣たちや公方からの嘲笑と叱責を受けて甲斐へと帰還した後のことであったという。


暦にして天文二一年(西暦1552年)春。


村上との度重なる戦に於いて勝てず、一方的に被害を受けるだけでなく、国内から無理やり集めた数百貫という銭を無駄に浪費した晴信の立場は、どこぞの山師が想定した以上に危ういものとなるのだが……それも今はまだ先の話であった。



飢えた虎は目の前の餌しか見えません。

餌の後ろで糸を引いている存在もギリギリ見えているのは、彼らがただの虎ではないからですね。


まぁ空腹過ぎて幻覚が見えているようですがねってお話。



―――


真田幸隆は幸綱が正しいとも言われていますが、今作に関しては幸隆で通させていただきます。

勘助? 山本晴幸ですから、まぁ勘助で大丈夫でしょう(適当)


―――


予定の十万字まであと一万字を切りましたね。


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