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17話。尾張のうつけと蝮の娘②

文章修正の可能性有り

同年一〇月、尾張国那古野


この日、美濃の利政から帰蝶を通じて三郎信長にとある書状が届けられた。その書状を持ってきた使者から、例によって『三郎殿と共に確認するように』との言伝があった為、帰蝶は夫である信長と共に書状を確認することにしたのだが……。


「また蝮殿からの書状だと?」


「はい。三郎様と共に確認せよ、と」


「……そうか」


前回、利政の考えを深読みするあまり、利政の狙いを見抜けなかったことを今も苦々しく思っている信長は、帰蝶が持つ書状に対し、作意無くも睨みつけるかのような視線を向けてしまう。


実際、去年利政から送られてきた書状には複数の意図があったのだが、その意図を見抜くことが出来なかったが為に、現状信長の立場が以前よりも危うくなってしまっていたのだから、今回送られてきた蝮からの書状に相対(あいたい)した信長がこのような視線を向けてしまうのも仕方のないことかもしれない。


もし信長が帰蝶を通じて利政に苦情を訴えようとも鼻で笑われた挙げ句に『未熟な婿殿が悪い。逆恨みは見苦しいぞ』と一刀両断されるであろうし、信長も己の未熟が悪いということは理解しているのだが、ここは『個人の感情とはそこまで簡単に割り切れるものではない』とだけ言っておこう。


閑話休題。


ちなみに前回の書状による利政の意図は、大きく分けて以下の三点が挙げられると信長は考えている。


第一は、情報を提供し、共通の話題を作ることで帰蝶の立場を固めること。


これはそのままだ。帰蝶と信長の仲が良くなり子が儲けられれば、蝮の孫が織田弾正忠家の跡取りだ。労せずして織田弾正忠家を取り込めるなら、それに越したことはないのだから、蝮の策としては真っ当と言える策だ。


第二は、自分が与えた情報を、信長がどう考察をするかを調べること。


娘婿が無能か有能か。それによって今後の方針を定めようとしたのだろう。これもまぁわかる。


第三、これが主目的なのだろうと信長は考えているが……ズバリ、織田弾正忠家内部の不和を煽ることである。


これは利政が帰蝶を通じて信長に書状を送ったこと。実はこのこと自体が織田弾正忠家を蝕む蝮の陥穽(かんせい)であったのだ。


己に疚しいところが無い信長は、当然利政が帰蝶と自分に宛てた書状を父である信秀に見せた。

しかし、敗戦が重なり心が弱っていたのも災いしたのだろう。書状を見た信秀は、何故か『三郎が蝮に取り込まれつつあるのでは?』と疑いを抱いてしまったのだ。


特に問題だったのが『自分の娘はやらんが妹を嫁に出すと言うなら仲介する』と言う一文であった。


婚姻相手を決めるのは当主の権能である。

たとえ嫡男であってもそれは変わらない。


にも拘わらず、蝮が自分ではなく信長に婚姻の仲介をするような書状を出してきた。

このことが、信秀の気に障った。

これは周囲が『【うつけ】の信長ではなく、弟の勘十郎信行に家督を継がせるべきだ』と毎日のように詰めかけて来ていることも、無関係ではない。


家臣の信用を得られない人間が当主となった場合、その家が長続きすることはない。

それを念頭に置けば、少なくとも信行が当主となったなら家臣の不満は抑えられるだろうことは信秀も理解している。


……だが信秀は家臣らに神輿とされた信行が当主となった場合、自分と父信定が大きくしたこの織田弾正忠家は、清須の大和守家や尾張の内部に調略を掛けている今川治部(義元)に呑まれてしまうと確信していた。


そこで、大和守家にも今川にも弾正忠家を渡す心算はなかった信秀は、蝮の娘を嫡男である信長の正室へ据えた。


これは美濃との関係の改善を図ると共に、美濃に近い家臣たちを信長の下に集結させることで家中の親今川勢力に対する牽制としようと見立てていたのである。


しかし、それもこれも信長が簡単に蝮に呑まれないと言う前提条件があればこそ。信秀は大和守家にも今川家にも弾正忠家を譲る気はない。だからといって、美濃の蝮なら良いという訳でもないのだ。


信秀が望むのはあくまで独立独歩。形の上では斯波武衛に従う事は認めているが、少なくとも己の目が黒いうちは誰にも弾正忠家を踏みにじらせるつもりはなかった。


そんな考えを抱いていた信秀の目には、嫡男とは言え勝手に蝮と連絡を取り合っている信長は危険極まりない存在と映ってしまう。


(蝮に呑まれかけている三郎よりも己の目の届くところにいる勘十郎に教育を施した方が良いのではないか?) 信秀はそう考えてしまったのだ。


こうなってしまえば、いくら信長が「蝮からの書状は一度しか貰っていない」と主張しようとも、信秀も周囲もそうは思わない。


書状を見せれば見せたで蝮との関係を疑われ、見せなければ見せないで疑われる。


信秀が自分を疑うことなど想定していなかった信長は、信秀が己に対してこれまで見せたことがない視線を向けてきたとき、ようやく蝮が仕掛けた策を理解したのだが、時すでに遅し。


一度生まれた猜疑は、それを晴らす方法が無い限り晴れることはない。

そして信長には『蝮からの書状はこれ一度だけだ』と証明する手段がない。


こうして嫡男を信用出来なくなった信秀は、ただでさえ戦に後ろ向きであったこともあり、さらに内部に閉じ篭ることになってしまう。


一通の書状を以て弾正忠家の足を止めた利政は、氏理の意表を突く速さで飛騨へ遠征し、結果として己が望む最良の結果を手に入れることとなったのである。


このような前例があるのだから、今回の『蝮からの書状』に対した信長が警戒の眼差しを向けるのも仕方のないことだろう。


「三郎様?」


「……あぁ、すまぬ」


(だからと言って『見ない』という訳にもいかぬ)


何が書かれているかわからないし、そもそも今の信長は利政の後ろ盾が無ければ廃嫡される可能性まであるのだ。ここで帰蝶と仲違いなどしては己の首を絞めるだけ。


(そもそも帰蝶に罪があるわけでもなし。前回は己が迂闊であっただけの話よ)


「では見せて貰おう。蝮殿の書状とやらを」


己の未熟さを責め、今回は簡単には騙されぬ! と意気込む信長と、そんな信長に微笑まし気な視線を向ける帰蝶。


周囲が思っている以上に、両者は仲の良い夫婦であった。




~~~




「献金、ですか。それも父上と三郎様だけでなく飛騨守様も連名で」


「これは……飛騨守が蝮殿に声をかけたようだな」


「え? 飛騨守様が三郎様を誘うように父上に促したのですか? 飛騨守様からの提案を受けた父上が三郎様を推したのではないのですか?」


子がない帰蝶の立場は弱い。帰蝶の立場は美濃を実効支配している利政が後ろに控えていることが大前提にある。


そこで娘の立場を強固なものにする為に、利政が一手打ったと言うなら帰蝶や信長としても話は簡単だ。裏を疑うと言っても、せいぜいが正室の父と言う立場を利用して尾張に支配力を増そうとする程度のこと。


当然利政としてもそう言った腹積もりはあるのだろう。

だが信長は今回の提案に蝮が得意とする謀略とは違う臭いを感じていた。


「確かに蝮殿が儂を推す理由が無いとは言わぬ。が、此度の場合は儂ではなく美濃で蝮殿に従う国人達が連名で行った方が良かろう? そこに儂の名を加えると言うのなら、傘下の国人共も納得するであろうからな」


「……あぁ、確かに」


「わかるな? そうすることで蝮殿は『織田三郎信長は斎藤山城守の下である』と周囲に印象付けることが出来る。逆に言えばそうでもせんことには、この献金に儂が名を連ねることを美濃の国人が納得せん。だがこの書状を見るに、朝廷と幕府へ献金を行うのは飛騨守と蝮殿、そして儂の三名のみ。未だ国内に守護が存在する蝮殿にはこのような提案は出来ぬだろうて」


「……父上にはそのような提案が出来ない。ならば此度の発案者は飛騨守様しかおりませんね」


「そう言うことだ。さらにその内容が酷い。いや、酷いとは違うな、怪しすぎる」


利政から届けられた書状には『もしも三郎殿に持ち合わせがないのなら、三郎殿の分は儂と飛騨守殿が立て替える故、今回は名前を貸すだけでも構わぬ』と書かれており、これも信長の頭を悩ませる要因となっていた。


「確かに。これではあまりに三郎様に有利過ぎます。と言うか飛騨守様に利があるようには思えませぬ」


「うむ」


実際今の信長には自由になる金銭と言うのは非常に少ない。


無論、多少の蓄えはあるが、それは今後予想される家督争いに備えての蓄えである。


よって支出を控えたい信長にとって、この『立て替え』の申し出は非常にありがたいものなのは確かなのだが、一つの貸し借りが命にかかわるこの時代、基本的に美味い話は疑うモノだ。


それが美味過ぎる話であれば猶更であろう。


「かと言って、この提案は今の三郎様の後押しとなるのは事実。よって断るには惜しい。ですね?」


「……うむ」


この献金に名を連ねることで、信長は織田弾正忠家の当主信秀の代理として禁裏や幕府に認知されることとなるだろう。


加えて飛騨守を通すことによって、単独で献金をするよりも上方の印象が良くなるという効果も見込める上に『美濃の蝮と信長の仲は盤石である』と内外に示すことも出来る。


そうなれば元々美濃に近い岩倉の織田伊勢守家などは、味方にはならないかもしれないが、積極的に敵対することもなくなるはずだ。


反面、蝮を嫌う国人たちの反感を買うことになるかも知れないが、元々自身を敵視している連中の反感など信長にとってはどうでもよいことである。


と言うか、そもそも自分たちが幕府や朝廷へ献金することは何ら悪いことではない。


(むしろ、何の効果も無い祈祷の為に坊主を呼び寄せ湯水のように銭を寄進している末森の連中が阿呆なのだ)


『祈祷で病が治るのなら病で死ぬ坊主などおらぬ』そう考えている信長からすれば、藁にも縋る思いで坊主に縋っている父信秀やその周囲の連中に対し、同情よりも呆れの気持ちが強く現れてくるのは否めない事実。


「まして今回目論まれている連名での献金は、蝮殿が筆頭ではなく飛騨守が主として行われるのだ。それに名を連ねること自体には何の問題もなかろう」


「はい。三郎様にとっては利のみですね。では飛騨守様の利は奈辺にあると見ておりますか?」


「……わからぬ」


「え?」


信長は苦々しい表情を浮かべながら、吐き捨てる。


「正直に言って飛騨守の狙いが読めぬ。いや、正確に言えば飛騨守が儂に何を求めているのかが読めぬのよ」


信長が見る氏理の利とは、献金に名を連ねる人間を増やすことで『自分がこの者達から献金を引き出すことに成功した』と主張できるということだろうか。


わさわざ弾正忠家に声を掛けたのも、信長の父である信秀が過去に献金をした実績があるからだろう。

しかしそれなら信長ではなく信秀にこの話を持って行くはず。


信秀には坊主に寄進をするだけの銭があるのだから、狙い目としてはそちらになるのが普通だ。今後の家督争いを見据えている蝮はともかく、飛騨守にわざわざ信長を誘う理由がない。


「それは……。で、では飛騨守様の内ヶ島家と織田弾正忠家に何か接点は無いのですか? 昔、何かしらの貸しがあったなどは?」


「儂が知る限りでは、ないな」


(このあとで平手にも確認を取る胸算(きょうさん)ではあるが、恐らく平手も首を捻るだけだろうさ)


この提案をしてきたのが越前の国人などであれば、織田弾正忠家や斯波武衛家繋がりで何かあったと推察も出来るのだが、飛騨の山奥に居を構える内ヶ島家との繋がりなど信長は聞いたこともない。


そもそもそれだと信秀ではなく信長に話を持って来る理由にはならない。


「……家同士の貸しも借りもない。と、すれば、飛騨守様は三郎殿へ何かを求めてはいないのでは?」


「……続けよ」


「飛騨守様が対価を求める相手は父上。……父上の策を助けることで、父上からの覚えを良くしようとしているのでしょうか?」


「それが一番可能性が高い、な」


そう。信長が苦々しい表情をしているのは、氏理の狙いが読めないことだけではない。彼が氏理の狙いを推察した結果『飛騨守が自分に何も求めていない』という答えしか得られなかったからだ。


先述したように、信長が利政の影響力を使って家督争いに勝利を収めた場合、当然ながら信長は利政の発言力を無視出来ないものとなる。


よって飛騨守の狙いを『間接的に信長へ恩を着せることで利政が尾張を呑み込みやすくなるよう手伝いをすること』と『それによって己の立ち位置を確立しようとしている』と考えれば、一応の辻褄は合う。


なにせ今の内ヶ島家は国持衆であり飛騨国司とはいえ、所詮は飛騨に二万石の所領しか持たぬ弱小勢力にすぎない存在なのだ。(越中の件はまだ知らない)


その程度であれば、美濃守護であった土岐ですら追い出した蝮がその気になれば一気に呑み込むことも可能なはず。


それを防ぐ為には、面従腹背どころではなく完全に服従する形を見せる必要がある。その証拠として内ヶ島は蝮に対して飛騨の鉱山から出た金や銀と言った鉱山資源の七割を上納しているのである。


「やはり今回の提案は、蝮殿が出来ぬ提案を己がすることで蝮殿へ自身を印象付けようとした。そう考えるのが一番妥当なのだろうな」


己には謀を仕掛ける価値もない。そう言われているようで内心面白くは無いが、比較する相手が美濃の蝮こと利政であるならば、信長も納得は出来る。否、納得しようとしていた。


当の利政が聞けば「いや、それはない。奴はそんな殊勝な小僧ではないぞ」と苦々しい顔をして忠告をするのだろうが、残念ながらこの場には氏理を知らない信長と帰蝶しかいない。


「えぇ。飛騨守様は今の三郎様に何かを求めてはいない。そう考えるのが妥当かと」


「……はっきりと言う」


「あら? ご不快でした?」


「いや。むしろ吹っ切れた。そう割り切った方が良さそうだ、とな」


今の自分は、織田弾正忠家の当主ですらない、ただの無位無官の青年だ。

ならば貸しを作ることに何を恥じることがあろうか。


「……貸すと言うなら借りてやろう。ただしこの借りは後日、熨斗を付けて返してやるがな!」


毒を喰らわば皿まで。

どうせ父上には疑われているし、父上が死んだら家督争いとなるは明白。

ならば今のうちに動き、己の立ち位置をより有利な方へと運ぶことに何の問題がある。


開き直った信長は、利政に対し連名での献金を承諾しつつ、献金の立て替えを依頼する旨の書状を(したた)めることとなった。


これにより『早期に前右府との繋がりを持つ』という氏理の狙いは達成されることになる。


しかしその氏理も、己の提案が信長の中に燃えるような感情を生み出すことになろうとは、このときは考えもしていなかったという。


……山師が策に溺れたか否か。それは今後の舵取りに懸かっていると言っても過言ではない。






史実よりも立場が悪化しつつあるかもしれない信長。

一体誰が原因なんだぁ?(迫真)


まぁ、美味すぎる話は疑いますよね。それが蝮を通して来たなら猶更ってお話。


つまり悪いのは……蝮?


―――



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