16話。出し抜かれた蝮
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一〇月。美濃稲葉山
「……ほう」
この日、飛騨から訪れてきた堀利房から越中に於ける氏理の行動の報告を受けた利政は、予想外の結果に思わず声を上げていた。
「……それで、飛騨守は城生城に現れた神保勢およそ一五〇〇を一揆衆と共に殲滅した後、ガラ空きとなった新川郡の南を得てそのまま帰還した、と?」
「はっ」
「では今の越中は……」
「松倉の椎名と富山の神保がほぼ同勢力となり睨み合いを継続中。射水郡では神保と能登畠山と安養寺御坊が睨み合い。礪波郡は一向宗が抑え、婦負郡と新川郡の南を飛騨守殿が抑えた形となります」
「なるほどな」
(……えぐい真似をする)
内ヶ島の、否、氏理の監視役として飛騨に送り込んでいた堀からの報告を受けた利政は、氏理の思惑を読み切り、そう評を下した。
現在の越中の勢力を石高順で言えば
一・神保家:射水郡・婦負郡北部・新川郡の一部で、約一五万石
二・椎名家:新川郡に一〇万石
三・内ヶ島家:婦負郡南部・新川郡の一部で八万石
四・遊佐家:礪波郡五万石
となる。
これにそれぞれの所領に一向衆が蔓延っていることを考えれば、一向宗を味方につけている内ヶ島家と遊佐家が相当有利な形となるだろう。
ただし遊佐家は礪波郡の守護代であり、能登畠山との関係が深いことや、加賀一向宗と越中一向宗の間に挟まれていることもあり、両者から完全に味方とは思われていない節もあるので、越中一向宗と近しいという意味では内ヶ島家が一つ抜けていると言っても良いかもしれない。
かと言ってお互いを不倶戴天の敵と定めている神保と椎名が、新興の内ヶ島家を潰すために手を組むことも、ありえない。
いや、もしも氏理が神保の後背を狙って神保を滅ぼし、婦負郡や射水郡を制圧しようとしたり、反対に椎名の留守を狙って新川郡の全てを手中に収めようとしたなら話は別かもしれないが、彼が得た地域は基本的に平野が少ない地域で、神保も椎名もそれほど重要視していない地域。
神保も椎名もそのような土地の奪還に兵を向けるよりも、目の前で兵を展開しているお互いを優先しなくてはならない状況だろう。
もっと言えば、飛騨衆含む一揆勢へ差し向けた一五〇〇名を失った神保としてはこれ以上の消耗は避けたいし、椎名としても神保が城生城と大量の兵を失った隙を見逃すわけにはいかないのである。
もしもここで氏理が北上を開始したら、双方が休戦をする可能性もあったのだが、氏理があっさりと兵を退いたせいで、両者は振り上げた拳の落としどころを失ってしまう。
正確には、その拳を振り下ろす先を正面だけに絞られてしまったのだ。
「飛騨守が南新川だけを得て飛騨へと帰還したのは、他の勢力が一致団結して自分たちを潰さぬようにと画策したから、か。北部や西部で騒乱が続けば、己が得た南部は安泰だからな」
その間に支配権を確立してしまえば良い。具体的には専光寺と照蓮寺の別院でも建立させてしまえば、坊主は新たに得た権益を必死で守ろうとするはず。
結果、氏理が得た地を落とすためには守備兵の三倍では利かない大量の兵が必要となる。しかしお互いを敵視している神保と椎名にそれだけの兵を出す余裕はない。
両者共に相手を滅ぼすだけの決定打が無い以上、この膠着状態は続くことになる。
それにより最終的に得をするのは、遊佐と内ヶ島、というわけだ。
「御意。飛騨守殿が申すには『元々が専光寺より請われての援軍にございます。これ以上は他の宗派の方々も刺激いたします故、頃合と見て帰還致しました』との由」
「はっ。言いよる」
利政が見たところ、氏理の狙いは最初から飛騨と面した南越中だったのだろうと推察できる。
しかしその場合『最初からというのは何時からか?』という疑問に突き当たる。
そもそも今回の内ヶ島家による越中侵攻の発端は、越中の専光寺が、定例となりつつあった春の一揆に飛騨の照蓮寺を巻き込まんとして使者を送った事のはず。
その援軍要請に対し照蓮寺が内ヶ島家を巻き込むために援軍を要請するも、氏理は利政の存在を理由に依頼を拒否。
要請を拒否された照蓮寺の住職は意地になったのか、美濃まで出てきて利政を説得。
元々氏理の留守を狙う気などなかった利政は(むしろアレを自由にさせるほうが危険だ)と判断したこともあり照蓮寺からの要請に快諾したのである。
これによって援軍を断る口実を無くした内ヶ島家は、渋々越中へと出兵することになったのだ。
(この流れに間違いはない。ではアレが南越中を狙ったのは何時になる?)
普通に考えれば照蓮寺が利政から言質を取ったときだろう。しかし遡って考えれば、利政が照蓮寺からの要請を拒否する可能性が極めて低いことくらいは氏理とて理解しているだろう。
(と、なれば照蓮寺が儂に許可を取りに来ることが予想外だった? ……いや、それもない)
確かに坊主の執念は、時として武士の思惑を超えることもある。だが今回の件は『越中で騒乱の気配有り』という報告を受けた時点で、利政の予測の範疇にあった事態でもある。
そして自分が予測していたことを氏理が予測出来ないか? と問われれば、利政の答えは、否。
(今回の場合、照蓮寺に越中の一揆に参加しないという選択肢が取れぬ以上、必ず内ヶ島家も巻き添えにしようとすることはアレとて知っていたはず。ならば儂に許可を取るために照蓮寺の住職が美濃へ来る前から越中攻略の準備を進めていた? いやまて。飛騨と越中の国境に所領を持つ江馬は、越中のことを『毎年のこと』と評したはず。ならばアレとて……そうかッ!)
「……してやられた、か」
「は?」
突如として苦々しい表情をしてそう呟いた利政に、報告を行っていた利房は思わず「何が?」という表情を向けてしまう。
「あの小僧。儂らを利用しおった!」
「あ、え?」
当初は『一向宗に巻き込まれるとは、あの小僧も災難よな』と他人事として見ていた利政であったが、それすらも氏理の狙いであったと考えれば、その評価はまるで変わる。
「越中で毎年騒乱があると言うのなら、これまでも連中に声は掛かっていただろう。その際は少数での協力や銭での支援を行っていたはずだ」
溜め込んでいた金子や銀の量を考えればその程度のことはしていてもおかしくはない。
「その上で、飛騨で所領を拡大したならば、兵を出すよう声が掛からぬ筈がなかろう」
「それは、確かに」
元から繋がりがあり、そこそこの戦力を持つなら、銭だけではなく戦を担当する戦力として内ヶ島家を呼び出すのは当然とも言える。
「さらに飛騨守という看板があれば、一揆勢はただの一揆ではなくなるからな」
これだけの理由があれば、専光寺としてはなんとしても氏理を担ぎ上げようとするだろう。そしてそのことを理解しているなら、氏理が取るべきは一つ。
「ごねて報酬の上乗せを狙った……ですか?」
「そうよ! あの小僧、儂らの軍勢を抑えとし、他の勢力がちょっかいを出さぬようにした上で、専光寺や照蓮寺に恩を着せおった!」
本来なら、一向門徒を兵として利用することで城生城の斎藤伯耆守を討ち、その後に差し向けられてきた神保の軍勢を打ち破った上で新川郡の所領も得たのだから、報酬を支払うべきは氏理であろう。
しかし嫌がる氏理を戦場へ引っ張り出した専光寺や照蓮寺は、領地を得た氏理から寄進や、別院の建立を約束してもらったことで満足してしまっている。
さらに言えば、神保や椎名と完全に敵対した形となる専光寺は、今後も内ヶ島を掲げて彼らに抵抗することになる。内ヶ島にとってみれば頼んでもいないのに一向門徒が所領を防衛してくれるおまけ付き。
「……完全に立場があべこべになっておるわ」
本来なら金を払ってでも味方にすべき一向門徒を、こうも簡単に利用する手管は見事と褒めるしかない。
「春になれば越中が騒がしくなる。そのことを知っているなら、どのように動くのが一番己の利益となるかを考えるのは当然のこと。時間はいくらでもある故な」
(そしてアレがここまでの絵図面を書いたのは、おそらく……)
「冬、ですか」
「だろうな。当然と言えば当然のことだが、雪に埋もれている間、金や銀の精錬をしておっても悪巧みは出来る。雪で動けぬからと言って頭が働かぬわけではない。……完全に油断したわ」
流石の利政も、氏理が冬の間に飛騨山脈を越えて信濃の村上義清と接触したことまでは推察することは出来なかったが、氏理が冬に越中侵攻の段取りを組んでいたことは確信していた。
「……飛騨守殿が侮れぬというのは十分以上に理解致しました。しかしながら、此度の件。我らにとっても悪くはないのでは?」
利政の言葉を受け、利房も氏理が冬の間から越中への侵攻を企んでいたことは理解した。しかし、彼は利政ほど憤りを感じてはいなかった。
何故かといえば、氏理が勢力を拡大したのは越中であり、極論すれば美濃とは関係のないことだからである。
それどころか氏理がそれなりの所領を得たと言うのなら、実質的にそれを従えている美濃斎藤家にとっても悪くないことではないか? そう考えていた。
「まぁ、な」
利政も利房が言いたいことは理解している。
たとえ氏理が一〇万石の所領を得たとて、周囲は依然敵だらけなのだ。
それどころか、これまでは見向きもされていなかったであろう越中の国人からも『油断ならぬ人物』と見做された以上、ますます自分たちから敵視されるわけには行かなくなったと言っても良い。
所詮一〇万石。されど一〇万石。
潰そうと思えばいつでも潰せる大きさでありながら、そこそこの苦戦は免れず、味方として援軍を求めればそれなりの軍勢を期待できるというある意味絶妙とも言える身代である。
(それすら狙ったか?)
氏理の狙いが、先に挙げたように越中での騒乱を長引かせる為だけでなく、利政に警戒心を抱かせない絶妙さ加減を狙ったものだと言われても利政は信じるだろう。
……実際のところは「これ以上所領を得ても、人がおらぬので治められぬ」と言う、田舎の国人にありがちな切実な理由があったのだが、それについては氏理が明かさぬ限り基本的に人材が豊富な美濃を治める利政が気付くことはないだろう。
閑話休題
「とりあえず話を戻しましょう。此度の件で我らが飛騨守殿に裏を掻かれたことは事実ですが、重要なのは今後にございますぞ」
「……うむ」
悔しいのはわかるし、生意気だ! と憤るのも良い。
だが実際氏理は請われて越中に向かったのであり、その許可を出したのは利政だ。
それで氏理が躍進したからといって文句を言うのは筋が通らない上に不毛でしかない。
さらに氏理が越中で所領を得たことで、美濃斎藤家に何の損があると言うのか。
警戒はするべきだろうが、必要以上に敵視するべきではないだろう?
数少ない股肱の臣にそう窘められてしまえば、利政に返す言葉はない。
事実、今回の件は利政にとって『裏を掻かれて悔しい』と言うだけの話なのだから、利房からすれば尚更こだわるような案件でもないのだ。
「ご理解いただけたところで、飛騨守殿からの要望ですが……」
「あぁ、儂と飛騨守と尾張の三郎殿で、朝廷や幕府に寄進をする。という話か?」
「はっ」
「……儂としては異存はない。あとは三郎殿次第であろうな」
この氏理から提案された連名による寄進によって得られる効果を考えれば、美濃守護代として美濃一国を差配する利政に否はない。あろうはずがない。
だが同時に、氏理の狙いが分かるだけにどうしても面白くない気持ちがあるのは事実である。
そのため利政は氏理からの提案の価値を認め、承諾はしたものの、その内心では(尾張の三郎が何かしらの意趣返しをしてくれないものか)と淡い期待を抱くのであった。
蝮から出汁を抜けば……蝮酒ですかね?
美濃の蝮のエキスが凝縮された酒が体に良いのか悪いのか。
とりあえず氏理君は越中での戦闘を切り上げ帰国したもよう。
色々と企んでいることがあるのですってお話
―――
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