13話。囁く山師
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稲葉山に於いて、監視役の利房から報告を受けた利政は『氏理が冬の間に行動を起こしておらず、越中の騒動にも関わっていない』と判断するに至った。
しかしながら、わざわざ冬の山越えを敢行した氏理が何もしていないはずもなく……
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二月。信濃国埴科郡は葛尾城に於いて『世の中銭が全てや』と言わんばかりの提案をした氏理は、予想外の提案を受けて混乱している義清へわざわざ自身が山越えまでして伝えたかったことを切り出していた。
「そう言えば小耳に挟んだ噂なのですがね」
「……?」
「なんでも昨年の武田による砥石城攻めは、海野平に於いて村上殿に敗れた真田某なる者による要請があったことが、大きな要因だったとか」
「真田? 確かかつて小県に割拠した海野の傍流でしたか?」
氏理の口から思いもしなかった名前が出て来たことで、首を傾げる義清。だが、続く言葉を耳にして彼はその表情を一変させることとなる。
「の、ようですな。そしてその真田某は、佐久の望月の調略に当たり功績を挙げたことで、諏訪に所領を約束されていた。とか」
「……ほう」
「で、信濃先方衆として武田の為に働いていた真田某は、小笠原殿に勝利した後、晴信に対して砥石を攻めるように促したと聞いております。まぁ、あくまで『噂』ですが」
「……なるほど『噂』ですか」
何度も『噂』であることを強調する氏理だが、義清が見たところ何かしらの裏付けが有るように思えた。よって義清は『単なる噂』と斬り捨てず、真剣に思慮を巡らした。
一連の事象が思い返されれば、七月に小笠原を下した武田が同年の九月に村上へ仕掛けて来ている事は、不自然さが際立っていると言わざるを得ない。
これが、村上が小笠原の味方をしていたと言うのならまだ話は分かるが、当時の義清は小笠原と武田が南信濃で争っている際、両者とはさほど関係が無い高梨との戦に及ぼうとしていたのである。
その隙を突かれたと言えばそうなのだが、本来であれば新たに得た所領の慰撫に努めるのが常識と言える中、備えもさせていた砥石に攻めかかってきた理由は何か?
元々武田の動きに疑問を抱いていた義清にとって、氏理が語る『噂』は疑問に思っていたことに対する回答に思えた。
「約めて言えば、先日の戦は真田による報復、ですか? 晴信はそれに乗った、と?」
「噂が本当ならば、その可能性は高そうですな」
「……ふむ」
大名にとって配下の国人とは時に敵よりも気遣う必要が有る相手だ。それが新入りでありながらも信濃にそれなりの地縁が有り、実績を挙げた者ならば尚更だろう。
だが、それだけでは足りない。
「しかしながら、あの晴信がそれだけで戦に及びますか? それも刈り入れの時期ですぞ」
戦勝の余勢を駆ると言うのは確かにあるだろう。
わざわざ用意した軍勢を解散させるのも惜しいと言う気持ちも理解出来ないでもない。
だが時期が悪い、否、悪すぎる。
義清とて、自身が治める佐久郡で略奪を行うことが武田勢の目的の一つと言うことは分かる。だが当時の武田にとって、それ以上に南信濃での刈り入れや統治を行う為に必要な情報の把握など、やるべきことはいくらでもあったはずなのだ。
(にも拘わらず、新参の国人に要請されたからと言って、晴信が兵を出すか? ……ありえん)
甲斐は貧しい土地であるが故に、目先の食料を重要視する。
そしてこの場合の『目先』とは、戦によって破らねばならない砥石城一帯ではなく、すでに攻め落とした南信濃である。
目先の食糧よりも砥石を重要視する理由がない。しかしそれだと武田が攻めてきた理由が分からない。堂々巡りになりつつあった義清に対し、氏理はもう一つの噂を投下する。
「あぁこれも『噂』なのですが。なんでも砥石城で侍大将をしている矢沢某とやらは、その真田某の実弟だとか」
「……っ?!」
『調略を得意とする男の実弟が、砥石城にて侍大将をしている』
この情報が本当なら、砥石城は晴信にとって簡単に落とせる城となる。
ただでさえ対南信濃の前線拠点であり、常にそれなりの蓄えがある砥石城は、北信濃への足掛かりを求める武田にとって最優先で落とすべき城だ。
そんな重要な城を簡単に攻め落とせる条件がすでに揃っているというのであれば、先の砥石城攻めも『目先のことの延長にあった』と言われても納得できる。
加えて、時を掛ければ掛ける程矢沢某の内応が露見する可能性が高まることを考えれば、真田幸隆にとっても砥石攻めは出来るだけ早いほうが望ましいというのも道理。
「先日の戦では村上殿の動きが早すぎて策を弄することも出来なかったようですが……しかしながら、埋伏の毒は徐々に砥石城内を蝕みましょう。それも防戦で疲弊した上に村上殿がまともに恩賞も支払えぬとなれば、矢沢某に賛同する者は益々増えましょうな」
「……確かに」
実際、家臣が不満を抱いていることは義清も理解している。
そこに調略を掛けたなら成功する可能性が高いと言うことも。
(つまり晴信が南信濃を一時放置してまで砥石攻めを優先した理由はそれか)
内応者の存在を知り、落とせる勝算があったから攻め込んだとするなら、晴信の行動は異常でも何でもない。
最初は『南信濃に対する警戒が疎かになっていた隙を突かれた』そう思っていた義清であったが、ここに来てようやく晴信にとっての勝算は己の不在だけではなく、内部に存在する裏切り者の存在があったことを理解した。
本当ならば晴信は先日の戦で砥石城を落とすつもりだったはずだ。
しかし失敗した。
では諦めるか? と言われれば「それはない」と断言できる。
むしろ今回の敗戦を逆手に取り『戦で大勝したが、家臣に褒美を支払うことが出来ない義清を絡めとるための布石』として活用する算段を立てているだろうことは想像に難くない。
この策を成功させるために最も重要なことは、義清に軍備以外の金を使わせない事。
元々武田勢は何度か攻勢を仕掛けるだけで村上勢を追い込むことが出来るのは確かだ。だが同時に蓄えに余裕があるわけでもない。
そのことを理解していた義清は、まずは攻勢を凌ぐことを最優先にして軍備を整えようとしていたのだが、それすらも武田晴信と真田幸隆の狙いであった。
義清が軍備を整えれば整えただけ、家臣に回される報奨は減り、家臣たちの不満が溜まる。
さらに、内応によって城が落ちた際には武田が得られる物資が増すことになる。
ならば晴信は『戦を仕掛けるぞ』と言う姿勢を見せ、義清に砥石城を強化させるだけで良い。
「……舐め腐った真似をしてくれる」
武田に仕掛けられた二段重ねの罠とも言うべき策謀を知り、己の迂闊さや内部にいる裏切り者の存在を思い浮かべ、義清は思わずギリッと音がするくらいの強さで奥歯を噛み締める。
そんな義清を慰めるでもなく、氏理は更なる情報を開示していく。
「重ねて申しますが、あくまで『噂』にございます。あぁ。この際ですからこれらの噂もお耳に届けましょうか。真田某の本家である望月家とやらは甲賀の忍びの流れを汲むとか。また武田は、諏訪大社の巫女を装った歩き巫女の者が間者働きをしているとも耳に挟んでおります。さらに晴信の正室である三条の方殿の妹は、本願寺の跡取りと目される顕如殿の妻。それらの事情を鑑みれば、今後は領内に居る僧や巫女にも注意なされるがよろしいかと存じます」
「……それらも『噂』ですかな?」
「左様にござる。某はあくまで小耳に挟んだ『噂』を村上殿のお耳に入れているだけ。ただそれだけにございます。先ほども申しましたが、村上殿に負けて貰っては困ります故」
「……なるほど。確かに飛騨守殿は最初からそう仰っておりましたな(元々我らに離間計を仕掛けても飛騨守に得はない。可能性とすれば晴信からの依頼を受けたとも考えられるが、餓えた虎を隣国に置きたくないと願うのは誰もが一緒。重ねて言えば、九月に大敗した晴信が飛騨に使者を立てるには時間が足りぬし、なにより儂に金子を用立てることで晴信が得をすることはない。……ならば先ほどから提供されている『噂話』は、大部分が真実と見るのが妥当、か)」
明らかに噂の域を超えている情報を惜しげもなく提供してくる氏理の狙いが読めず、意図せず疑いの目を向けていた義清であったが、氏理からの言葉を聞いてようやく理解の色が浮かぶ。
その義清の態度の変化を確認し、義清が自分の示唆したかったことが伝わったと確信した氏理は、内心で安堵の溜息を吐きながら此れ以後に信濃で展開される事柄を考察する。
(これでよし。家臣に報酬を払えば内部の不満は払拭される。その上で身中の虫を排除したならば、徳栄軒とて容易く信濃を落とすことはできまい。あとは村上が数年耐えるだけで、武田は飢えで潰れる事も見込めるだろうさ。……真田喜兵衛に恨みはないが、あの者には暫く貧しさと戦って貰うとしよう)
信長が本能寺で倒れた後、混乱のどさくさに紛れて信濃北部を手中に収めたのが真田昌幸と言う男であった。
その後、信濃を狙った徳川家康を上田の合戦で撃退したことに対しては思うところが無いわけでもない(もしも信濃全土を家康が治めていたら、信濃・飛騨・越中の繋がりで佐々成政との連合がもう少し強固なものになっていた可能性がある)が、それ以上に当時の織田勢に対して思うところがある氏理としては、個人としても国人としても昌幸を褒める気持ちはあっても敵視することはない。
よって氏理が、彼の叔父である矢沢頼綱を義清に排除させたり、幸隆の調略を阻むことで真田家の立場が悪化することに多少の罪悪感を抱いたのは確かだ。
しかし、今の氏理にとって最も重要なのは内ヶ島家の繁栄である。
事実、信濃を制圧した武田信玄は何度か飛騨に兵を出しているし、越中の一向宗に働きかけて上杉謙信の動きを掣肘していたこともある。
つまり、信玄がその気になれば『越中から飛騨を狙わせることも出来る』と言うことだ。
ただし、それをして信玄が最も得をするのは、彼が信濃を獲った後。それ以前に越中の者共を動かしたところで、一向宗を潤わせるだけになってしまう。
(強欲な徳栄軒がそれを望むはずもなし)
こういった事情を勘案した氏理は、信玄が越中に手を入れる為の大前提である『北信濃の奪取』を防ぐべく、わざわざ山を越えたのだ。
金を届けるだけなら配下でも出来る。しかし村上義清に話す『噂』に信憑性を持たせるには『飛騨守』である自分が動くのが一番良い。
『わざわざ冬の山を越えて来た飛騨守が嘘を言いに来るはずがない』
村上義清にそう思わせることが出来れば氏理の目的は叶ったも同然である。
これにより、甲斐武田家による信濃攻略は滞ることは間違いない。
氏理が、内ヶ島家が躍進するためには、どうしても武田が邪魔になる。よって氏理は、彼らの勢力が増して手がつけられなくなる前に、武田家を潰すつもりであった。
(今の徳栄軒には、越後の長尾を牽制する必要もなければ、飛騨を越中の一揆衆に渡す気もないはず。故に今は越中には手を出さず、時が来るまで温存しようと図るだろうさ。その『時』を得る前に儂が動く、まず優先すべきは……)
――こうして武田の勢力拡大を防ぐために、わざわざ冬の飛騨山脈を越えて北信濃を治める村上義清に金子と警告を与えた氏理は、その目的を果たした後、ろくに休憩も取らぬままに越後を経由して越中へと亘り、越中にていくつかの所用を済ませてから、飛騨大野郡へと戻ることになる。
この一連の動きに於いて『氏理がどこに立ち寄り、何を話したか』を知るのは、氏理と話をした当人か、氏理と共に山を越えた腹心のみ。
冬の間、寒さに震えて巣穴で冬眠していた蛇とその親玉がその事実に気付くには、今少しの時間が必要であった。
前話と投稿順間違えたかなぁと思わないでもないですが、書き上がったのを投稿するスタイルだから仕方ないね!
一応の補足として。
前話で斎藤に500両の金と2000貫相当の銀を渡していますが、それは姉小路や三木が溜め込んでいた鉱石を精錬した分であって、冬の間に新たに掘った分ではありません。
よって金額が多いのは前回限りの仕様です。
これにより内ヶ島家にも金200両、銀900貫近い収入が発生したので、蝮たちはそれが内ヶ島家が蓄えている裏金の予算だと判断しております。
まぁこの辺は色々とありますので、後から追加で解説が入るかもしれませんが、今はこのくらいですね。
信濃の事情に詳しい?
まぁ武田と上杉は飛騨にとって他人事ではありませんでしたからねぇ。
信濃や越後については前々からしっかり調べておりましたし、あくまで『噂』ですからねぇってお話。
『噂』を信じるかどうかは義清次第……なお、目の前には善意の情報提供者から提供された金子があるもよう。
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