11話。山を越える山師
本日2話目
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天文二〇年(西暦1551年)二月。信濃国埴科郡・葛尾城
未だ深々と雪が降り積もるこの日、葛尾城の城主村上義清は一人の客人を前にして頬をヒクつかせていた。
「信濃殿におかれましてはお初にお目にかかります。内ヶ島飛騨守氏理と申します」
「う、内ヶ島飛騨守殿にござるか。村上左衛門尉義清にござる……遠路はるばるよう参られた」
「遠路、でもありませぬな。なにせ飛騨と信濃は隣国故、飛騨峠を越えればすぐでございましたぞ」
「さ、左様ですか、斯様な時期に飛騨峠を越えましたか」
「えぇ。軍勢では無理でしょうが、数十人ならばそれほどでもございませなんだ。もっとも、帰りは越後を経由したいと思っておりますが」
「そうしなされ。若いとは言え無理は禁物ですからな」
「ですな。某はともかく、供の者が保ちませぬ。ハハハハ、いやはや、頼りない配下を持つと苦労しますなぁ」
「は、ははは」
真顔で『自分はともかく』と宣う氏理に、気遣わし気な様相の義清は内心でドン引きしていた。
それはそうだろう。ただでさえ山越えなど命懸けだというのに、真冬に峠を越えるなど正気の沙汰ではない。それが日ノ本屈指の天嶮、飛騨山脈ならば尚更だ。
少なくとも義清は同じことを試そうとは思わない。
しかし、生粋の山育ちである氏理一行にしてみたら、飛騨の峠越えは『多少厳しい』程度のものでしかなかった。
そもそも氏理は、山育ちでもないくせに五〇近くにもなって冬の飛騨山脈を越えた阿呆の存在を知っているのだ。
(当時の佐々成政に出来て、儂に出来ないはずがない!)
ある意味で山育ちの威信を懸けて挑んだ峠越えは、供ともども無事に達成されることとなる。
義清に対して氏理が嘯いた『供の者が保たない』というのも、忠告をしてくれた義清の顔を立てるために言った、ある種の社交辞令でしかない。よって氏理は必要ならば再度飛騨峠を直進して飛騨に戻る心算だ。
本気で氏理の身を案じる義清と『意外と簡単だったな』と嘯く氏理。
両者とも山に生きる人間でありながら、こうも考えが違うのは、やはり氏理が一度死を経験したからだろうか。
明らかに何本かのネジが外れている氏理の内面の変化はともかくとして。
義清にとって氏理の訪問は晴天の霹靂にほかならなかったが、氏理にとっては違う。氏理は元々この冬の間に信濃を訪問し、義清と誼を通じる心積もりであった。
「で、早速本題に入りたいのですが……単刀直入にお尋ね申す。飛弾殿は如何なる用向きで当方へ参られたのでしょうや?」
義清とて氏理が物見遊山の為に厳冬の山を越えたとは思っていない。そうしなければならない理由があるからこそ、こうして信濃まで足を運んだのだ。と言うことくらいは理解している。
そして義清にとって飛騨の氏理がここまで急ぐ理由に心当たりは一つしかない。
「無論、信濃殿がお考えの通り……」
「あぁ、お話の腰を折るようで申し訳ないのですが」
本題の話を始めようとした氏理であったが、機先を制するかのようなタイミングで義清が割って入る。
「む? なんでしょう?」
「信濃の守護は妻の実家である小笠原家にございます。当家はあくまで小笠原家を支える家にございますぞ」
一瞬氏理は『話の流れを己に持ってくるための交渉術か?』と疑うも、義清の言い分はそれ以前の問題であった。
「おぉ、これは失礼致し申した。……何分見ての通りの若造ゆえ、これまでの不調法、何卒お許しいただきたい」
「いえ、お分かりいただければそれで結構にござる。こちらこそお話の邪魔をして申し訳ござらぬ」
その信濃守護たる小笠原家は去年武田晴信率いる甲斐勢に滅ぼされており、一族も散り散りになっているのでもはや完全に有名無実の存在であるが、名分は重要。
自身が飛騨守と言う名分を利用している氏理は素直に頭を下げ、格式の上では上位者である氏理に頭を下げられた義清も、満更ではない様子で氏理を許す。
なんとも今更な社交辞令であるが、社交辞令すら出来ない者には交渉する資格すらないのも戦国乱世の習い。
簡単な挨拶から互いに社交辞令を弁えていることを理解した両者は『会談はこれからだ』と気を引き締め、真剣な表情で言葉を交わす。
「失礼致し申した。では改めて、本日某が罷り越しましたるは、現在信濃を喰らわんとする飢えた虎に対する諸々のお話をせんがためにございます」
「……やはりそうでしたか」
信濃を喰らわんとする飢えた虎。それはもちろん武田晴信のことだ。
「先程も申しましたが、信濃と飛騨は山によって隔てられておりますが、それでも隣国同士。隣国に飢えた虎が居座ることなぞ、無視できるようなものでもありますまい」
「で、しょうな」
氏理の言葉を受けて、義清も然もありなんと頷く。
「先年、村上殿が砥石にて大勝を収められましたことは存じ上げております。しかし彼の虎が信濃を諦めるとは思えませぬ」
「左様。甲斐は貧しき国にござるし、昨年守護を打ち破って手に入れた南信濃も豊かとは言えませぬ。故に、あれが再度北信濃を望むは必定」
信濃四〇万石の内、南信濃が一七万石で北信濃が二三万石。
そのうち、川中島四郡とも呼ばれる更級郡、埴科郡、水内郡、高井郡は合わせて一四万石とも二〇万石とも言われる信濃の一大穀倉地帯なのだ。
これが、常に飢えと戦っている甲斐武田家とすれば目の前にぶら下げられた餌にしか見えないのだろうことは明白である。
侵略者である晴信が諦めないなら、再度の侵攻に備える必要がある。しかしそこに問題がある。
「先年の戦は秋口でございました。さらに武田を追い返したものの防衛戦では得るものもなかった。よって現在村上殿の懐事情は非常に厳しい状況にある。違いますかな?」
「っ……左様にございます」
一瞬誤魔化そうとしたが隠しだてても無意味と判断し直した義清は、指摘内容が的確でもあった為にあっさりとその苦悩を明かす。
確かに義清は武田を追い返した。
損害も与えた。
しかし自身が留守の間、散々武田に領内を荒らされたのも確かなのだ。(武田勢が領内で無計画に略奪に走っていたからこそ、義清が損害を与えることが出来たと言う事情もある)
義清には領主として武田に荒らされた土地を復興させる義務を負っている。
また武家の当主として戦に参加した配下に褒美を支払う必要もある。
しかし、その補填を行うだけの基と成る予算が足りない。
戦なら負けぬ! 兵を率いようと一騎打ちだろうと関係ない! そう豪語する義清も、金も食物もない状況では完全にお手上げだ。
織田信長や上杉謙信、そして武田信玄らが行った『相手に防衛戦を強いる戦』の怖さはここにある。戦って勝ったとしても、家臣に与える褒美もなければ荒らされた土地を復興させることも出来ないのだ。
回を重ねる度に、武名は上がれど蓄財が浪費され、家臣や領民の不満は溜まる一方となり、最後は内部崩壊によって敗北する。これが一連の流れとなる。
言わば開始から終局までが確定している将棋と同じだ。そして相手はそれを狙っていることを隠しもしないのだから、防衛する側に掛かる重圧はどれほどなのか。
まぁ織田信長の場合は畿内という日本最大の策源地を背景にした物量作戦であり、現地調達を旨とする謙信や信玄とはまた別なのだが、攻撃側が防御側に与える効果に大差はないのでここでは敢えて一緒の扱いをさせてもらう。
話を戻して義清の置かれている状況はどうか。
当然義清は、武田の狙いを理解している。
しかし、だ。最終的に負けることがわかっているからと言って、戦う前から『負けが見えているので降伏する』などと口にすれば、義清は間違いなく家臣に見限られて殺されるか、追放される。
そもそも晴信の側に義清らの所領を安堵する気など一切無いのだから、交渉にすらならない。
なにせ村上勢は砥石での戦に勝ち、大量の被害を与えたことで武田家からの恨みを買っているのだ。
よって今更義清が降伏を申し出たとしても、晴信は喜々として義清を捕らえて打ち首とするだろう。
つまるところ、今の義清は『最終的に敗北することが見えていながらも徹底抗戦するしかない』という、なんとも悲惨な状況に置かれているのだ。
しかし、義清に簡単に倒れてもらっては困る男がここを訪れてくれたのが、彼にとっての幸運であった。
「村上殿の現状は十分に承知しておりますとも。なにせ某はこの状況を打破する為にこうして罷り越した次第にございます故」
「……なんとか、なるのですか?」
「無論にござる」
縋るような声を挙げる義清に対し、自信満々に頷く氏理。
一応義清にも活路とする腹案はある。それは越後の長尾を動かすことだ。
自身が武田に敗れれば、武田は春日山の目と鼻の先に拠点を得ることとなる。
飢えた虎が、海という策源地が放つ魅力を我慢できるはずがない。
この一点を以て長尾を説得し、物資の提供などを受けることができれば、義清とてまだまだ戦えるし、それどころか反撃を行って南信濃を手に入れることも不可能ではないと思っている。
ただ、義清は昨年長尾家と関わり深い高梨家を攻めたばかりであるし、そもそも現在の長尾家は先年に越後守護代となった長尾景虎と、それを不満とする長尾政景による内戦の真っ只中にある。
よって余所に援助が出来るような状況にはなく、いつになったら交渉が持てるかは完全に不透明な状態だ。
故に長尾の援軍を宛にする場合、義清は最低でも数年は耐えねばならないのだが、義清は『現状ではその数年を稼ぐことすら危うい』と見ていた。
そんな感じで将来を悲観していたところに、山を越えて現れたのが氏理である。
氏理が言う『飢えた虎が隣国にいるのは困る』とは、全ての国人領主が共感出来る名分であり、それを防ぐために義清に踏ん張ってもらいたいというのであれば、その為の策を持ち合わせていると見るのが妥当であろう。
……もしも氏理がなんの対策も無しに冬の飛騨山脈を越えて義清に会いに来るような阿呆なら完全にお手上げだが、これまでの会話から氏理の言動に確かな知性を感じた義清は、氏理が語る『武田への対策』を聞くために姿勢を糺す。
「なに、簡単なことにござる。金が無いと申されるなら、某が負担致しましょう。まずは手付として五〇両を用意致しました故、これで家臣の皆様に報奨を支払いなされ。それから雪解けの時期には再度金子を御用立て致しますので、それを使って民への施しを行い、秋口になったなら美濃の山城殿や直江津の商人から米を購入されればよろしかろう。なぁに、村上殿が数年、いや、二年も耐えれば武田なんぞ己の重さで潰れますとも」
「は?」
真剣な表情を浮かべた義清に対して、氏理が語った対策とは単純至極。
その策を一言で言い表すなら『金こそ力の真理に則った我慢比べ』である。
後に戦国最強と謳われた武田も上杉も、この真理を前に敢え無く破れたことを知る氏理は、予想外の提案を受けて呆然とする義清を前にして、自信満々で胸を張るのであった。
春を待つんじゃなかったのかって?
HAHAHAおいおい坊や、正月に迎春とか言うのを知らないのかい? それに立春は2月4日だZE?
それはともかく、最初に佐々成政を戦国のアルピニスト(登山家)と評したのは誰なのか。
うじまさくん13さい。ドヤ顔で『世の中銭じゃ』と語るってお話。
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