10話。春を待つ山師
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十一月、飛騨を蹂躙した利政率いる美濃勢が一部を益田郡に残して帰国の途につく中、氏理を始めとした内ヶ島家はその本拠を白川郷帰雲城から、大野郡高山へと移すこととなった。
大野郡は利政との戦があったものの、籠城したのは極々一部の者だけであった上に、極めて一方的な戦であったが故に城以外にそれほど大きな被害がなかったことも幸いし、民が内ヶ島家を恨んでいるということもなく、それどころか、より強い庇護者の存在を喜んで迎え入れることとなる。
さらに民にとって喜ばしいことがあった。
それは内ヶ島家と美濃斎藤家が飛騨を治めることで、必要とされる国防費用が減ったことや、鉱山資源の採掘を円滑に行うために民を慰撫する目的から、氏理が姉小路三家がこの地を治めていたときよりも大幅に税率を軽減することを告知したのだ。
具体的には、今年の税は免除。翌年からはこれまで七公三民だった税率が五公五民としたのである。
税が安くなって喜ばない民はいない。この布告を行ったことで大野郡の民の心を掴んだ氏理の狙いは『民を国防の要とすること』であった。
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飛騨国大野郡天神山城
「年貢の税率を下げた理由?」
「左様にございます」
自他共に認める氏理の側近、山下時慶は真剣な表情で氏理へと詰め寄る。
「無論、今年の税を免じた理由は某も承知しております。戦があった中で田畑が荒らされた民から税を取れば、彼らの生活が立ち行きませぬ。それでも税を集めるとなった場合、今年の冬を越せなかった者が出たならば、その恨みは蝮へではなく我らに対する恨みとなります。殿はそれを案じて税を免じたのでございましょう?」
「まぁ、そうだな」
この時代、冬に凍死者や餓死者が出るのは当たり前の話だ。しかし家族を失って『当たり前』で済ませることができるほど、人間は単純な生き物ではない。
そして、家族が死んだ理由を求める者たちが『領主に税を取られたからだ』と考えるのは至極当然のことである。
だが、その新たな領主が税を取らなければどうなるだろうか?
少なくとも家族の死を税のせいには出来ないし、周囲の者たちも『むしろ税を取らなかったから生き延びることができた』と言って慰める方に回るはずだ。
そういった意味合いがある上、さらに美濃から簡単に米を買うことができるようになったことも重なって「今年一年くらいなら税を免じても問題ない」と判断したからこそ氏理は免税を布告したし、家臣たちもそれには納得している。
だが、これから恒久的に年貢の徴収率を減らすと言うなら話は別。
確かに民は喜ぶだろう。名主や地侍も歓迎するのはわかる。
しかし、内ヶ島家としてはどうなんだ? 収入を減らしてやっていけるのか? 家中にはそう言った意見があり、時慶の父である利慶も氏理の狙いがわからず気を揉んでいたのである。
そのため、氏理にどのような意図があるのかを知りたがった者たちが、側近である時慶を差し向けて来たのだ。
氏理としても、そう言った家臣たちの気持ちを理解しているので、説明の手間を省くつもりはなかった。
まぁ、多少は「面倒な。言われずとも察しろ」と思わないでもなかったが、自分とて以前の経験があるからこそ出来た判断だと思えば、それほど煩わしいとは思わない。
むしろ『きちんと説明をしないと家臣の不満が溜まり、いきなり前右府のようなことになりかねない』とさえ思っているので、こうして確認に来てくれるだけマシ。と考えてすらいた。
「とりあえず儂の意図を説明する故、まずは聴け」
「はっ!」
時慶の言動から家臣が不満を抱えていることを肌で察した氏理は(二万石程度の家でこれではな。儂如きが『前右府の気持ちがわかる』などとは口が裂けても言えぬが、家が大きくなるに連れてこう言った問題は出てくるのだろう。まっこと、難儀なものよ)と考えながらも、今も己の意図を理解しようとする姿勢を示して呉れる時慶に、己の意図を明かすことにした。
「意図せずとは謂え、こうして大野郡一帯を手に入れることとなったのは良いとしても、だ。そもそも今後儂らが兵を募ったとて、その数は六〇〇も集めることが出来たら上出来。と言ったところであろう?」
「えぇ、確かに」
江馬を入れなければ今の内ヶ島家の所領はおよそ一八〇〇〇石。一万石で兵三〇〇を動員出来ると考えれば、おおよそ五〇〇~六〇〇前後の動員が可能な石高だ。
「だが、隣国の美濃を治める蝮が集めることが出来る兵は軽く万を超える。場合によっては二〇〇〇〇にもなろう。これでは戦にならん」
「……はい」
実際遠征の場合なら多くても一〇〇〇〇前後を派遣するのが限界だろうが、防衛戦や国内の戦であれば、多少無理をするだけで三〇〇〇〇近い兵を動員できるのが美濃という国なので、氏理の言葉に嘘も誇張もない。
ここまでの差があるからこそ、利政も氏理に大野郡を与えたと言っても良い。
しかし、その余裕が氏理にとっての活路でもある。
「だが、な。大野郡に住まう民が皆、自発的に武器を取れば……どうなる?」
「皆、ですか。それは……」
氏理が言わんとすることを察した時慶は、顔を青褪めさせる。
「わかるな? 男だけでも数千の兵となる。当然軍勢として使えるかどうかは未知数だが、それでも数は力。さらに地の利を得た地元の民であれば、たとえ相手が万の軍勢であろうとも鎧袖一触に蹴散らされる結果とはならん」
地元の民を虐殺すれば、それだけ恨みを買うし、生産力が落ちるのだ。
遠征軍であるが故に後のことを全く考慮せず、とにかく目先の銭の為に関東の民を売り捌く越後の蛮族や加賀で好き勝手にする坊官どもならいざ知らず、民を使った政の在り方を理解する利政が容易に飛騨の民を殺戮するような選択をすることはない。(必要なら殺るだろうが、必要と判断する敷居は非常に高い)
「た、確かにそうです!」
数は力。織田や上杉、そして一向宗との戦いの最中、氏理が学んだ真理の一つであった。
「重要なのは坊主に扇動させるまでもなく、民が自発的に儂らの下に集うようにすることよ。その為の一手が此度の減免となる」
「……」
「それに、だ。元々儂らは、米の収入よりも鉱山からの収益を重視しておる。此度の戦で飛騨全土の山を開発できるようになった以上、飛騨で採れる少量の米に拘るよりも、民に恩を売った方が良い。そう思わぬか?」
「買うだけの米がどこに……あぁ。美濃ですか」
不足したなら買えばいい。普通なら買うだけの米がない! と反論するところだろうが、小氷河期の戦国時代ですら常に一定の収穫を上げることが出来ている穀倉地帯を抱えているのが、飛騨の隣国、美濃という国である。
美濃は銭(黄金または銀)が手に入り、飛騨は米を得る。
ある意味共生関係といえよう。
「その通りだ。これなら蝮も早々に飛騨に兵を出そうとは考えまいよ」
元々が北方の勢力に対する盾である。そこに共生関係が生まれれば尚更攻められる理由がなくなる。
金は力。これもまた前右府や羽柴筑前の戦を間近で眺めていた氏理が学んだ真理の一つである。
「そ、そこまでお考えでしたか!」
主君の視野が、己が考えるところを遥かに上回っていることを理解した時慶は、目を輝かせながら氏理を称賛する。
「うむ。儂とて考えなしに税率を下げようとしているわけではない。そのことを皆に触れ回れ。あぁ、美濃の者たちに知られても構わぬ故、できる限りの大声で頼む。言うまでもないことだが、民にはわざわざ『盾にするつもりだ』などと言い広める必要はないぞ」
「御意!」
氏理が苦笑いをしながら冗談交じりに告げれば、時慶も笑顔で応じる。
その苦笑いの中で氏理は考えを巡らせる。
(たとえ己の意図を利政に知られようとも、これから本格的な冬を迎える飛騨に侵攻することは不可能。そして一度冬を越せば、内ヶ島家の温情は民の内部に染み渡る。それに「元々が『いざという時の国防を意識したが故の減税』よ。もしも蝮が詰問してきたなら『北の連中や信濃に対する備えです』とでも言えば良い)
元々飛騨守が飛騨国内の税率を制定することに異議を唱える権利は無いし、大名がいざという時の為に自衛手段を持とうと図るのも当然のこと。
まぁこの場合は『飛騨の国民すべてが兵になるぞ』という、脅しの意味を込めた抑止力に近いが……この場合最も重要なのは、氏理が思い描くこれらの思惑が利政からすれば『捨て身を前提とした窮余の策に過ぎない上、本当の脅威にはなりえない』ということだろう。
なにせ氏理が利政に対してこの策を発動した場合、確かに力攻めは難しくなるかもしれないが、その代償としてそれ以外の対処法が浮上してしまうことになるからである。
その対処法とは何か?
単純に『飛騨に米を売らないこと』だ。
実際利政が数ヶ月、場合によっては年単位で数千の兵を展開させるだけで飛騨は米が足りなくなるのは明白。
そこで足りなくなった分を徴収しようとすれば民の心が離れ、民の心が離れたなら残るは無力な内ヶ島家だけ。
そこまでくれば、遠征軍を興して滅ぼせば良い。利政からすれば所詮はそれだけの話である。
結局、美濃から購入する食糧を頼る以上、どう転んでも氏理に勝ち目はないのだ。
国力の差と言うのは、依然絶対的な壁となって利政と氏理の間に聳え立っているのだから。
それが解っているからこそ、利政は氏理の動きを掣肘する必要性を認めず、余裕を持って監視するに留めている。
しかし氏理の狙いは、その余裕にこそある。
(美濃にとって飛騨黄金は必須。だが逆の場合は必ずしもその限りではない)
そう。氏理は美濃の米に拘る必要はない。状況によっては越中から、なんなら能登輪島や越後直江津の商人に渡りを付けてもいい。
大商人と呼ばれる者たちの中に、文字通り現金一括で買い物をする顧客となる内ヶ島を軽んじるような阿呆はいないのだから『買えない』ということはないだろう。
つまり氏理は、傍から見れば『美濃の米が無くては立ち行かぬ』と周囲に思わせつつ、利政には『何時でも潰せる』と錯覚させることで時間を稼ぎ、飛騨を呑み込んだつもりになっている蝮の腸から蝕むつもりなのだ。
だが流石にそこまで解説し、それを吹聴させるわけにはいかない。
他言無用と厳命しても親兄弟に話すのは当たり前のこと。そこからどこに広がるかなどわかったものではない。
(誰にも語らねば広がることもない。暫くは語る必要もないだろうし、な)
氏理は時慶の態度を見て取り、彼の周囲にいる家臣が策の第一段階とも言えるものだけで十分納得させることが出来ると言うことを確信したが故に、これ以上の情報を開示しようとは思わなかった。
(謀は密を持って為す。少なくとも今はまだ蝮に知られるわけにはいかん)
先の戦に於いて、利政によって何度も裏を描かれた氏理は、最小限の情報を開示することで家臣らの理解を得ると共に、春に向けて着々と準備を進めるのであった。
雪国を所領に持つ大名にとって、冬は悪巧みの時期です。
さらに弱小の場合は『冬の間にどこまで悪巧みが出来るかでその将来が決まる』と言っても過言では
ありません。
まぁ作者には、国人が生き残りをかけて行う悪巧みが理解出来るだけの腹黒さやオツムはございませんが、そこんところは大目に見て下さればってお話。
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???「こちらがポイントにございます。更新については……」
???「わかっておるわ。ククク。お主も悪よのぉ」
読者様と作者はそんな関係だと思います
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