にじゅうさん
ぞくり、と肌が粟立つ。
「ど、うして……」
夜寝る前が一番危険。つまり、夜寝る前以外も危険ではあることがすっかり頭から抜け落ちていた。
『見つケた。見つケた、花嫁』
「誰か──」
マージはお手洗いで丁度席をはずしていた。必死で靄から逃れようとしたけれど、靄が私の体を包んだ。
靄に引っ張られるようにして、窓際へ。そして、窓から外へ落ちた。
世界が、反転する。
地面にぶつかる──。
ぎゅっと強く目を閉じる。けれど、衝撃は一向にやってこなかった。代わりに、私の体は、何かに抱かれて揺れていた。
「……!?」
恐る恐る目を開ける。すると、朱色の長い髪が真っ先に目に飛び込んだ。その髪を目でたどると、顔にたどり着いた。
すっと通った鼻筋に、翡翠色の瞳。額にある二本の角がなければ、鬼だとわからなかった。たぶん、いや間違いなく美しい顔だと面食いの私が言っている。オーウェン様の方が美しいせいで、全くときめかないけど。
翡翠色の熱に浮かされたような瞳が、私を見つめている。
「ええと」
とりあえず、下ろしてもらってもいいですかね。さすがにずっとお姫様だっこなのはちょっと。
「もっと、声を聞かせて。我が花嫁」
声が片言じゃない!? いや、でもこの声は間違いなくあの鬼の声だ、と思う。
「あなたは誰ですか?」
色々聞きたいことも言いたいこともあるはずなのに、私の口から出てきたのは、英語の構文みたいな質問だった。
けれど鬼はそんなものを気にした様子はなく、相変わらず熱心に私を見つめていた。
「……アレク」
「え?」
「俺のことはアレクと呼んで、我が花嫁」
さっきから思っていたけど。だーれが、花嫁よ。私にはオーウェン様が……以下略と言いたいことはたくさんあるけれど。私は今、この人いや鬼に抱えられている以上、主導権は鬼が握っている。
「じゃあ、アレク。ここは、どこ?」
「ここは、閻実の界」
閻実の界。なんだか、聞き覚えのある名前──って、いわゆるあちら側。妖怪、鬼が蔓延る世界じゃないの。
困ったわ。閻実の界と私のいた世界を自由に往き来できるのは、妖怪や鬼と魔法が使える人間だけ。
つまり、このアレクの前から逃げても、元の世界には帰れないということ。
「ようやく、会えたね。俺の花嫁。愛してる」
感動しているところ悪いけれど、アレクの言葉には頷けない。私が愛しているのはただ一人、オーウェン様だけだから。
そもそもこの鬼はどうして、私を花嫁にしたいんだろう。鬼は、幼い頃見初めた伴侶を拐いにくるという。
幼い頃。鬼に追いかけられた日のことを思い出す。
男爵邸の裏手にある森。熊などもでないから、自由に往き来することを許されていた。
その日も木苺を摘みに、森へ行ったのだ。
すると、誰かの泣き声が聞こえた。足は自然とその泣き声の方へ近づいて。
「どうしたの、迷子? 木苺をあげるから泣き止んでくれないかしら」
この森に誰か迷い込んでくるなんて、珍しい。私は泣いている子に近寄り、声をかけた。
泣いている子が顔をあげる。
『……見つケた』
「え──」
とても整った顔をしているのに、恐ろしい。その恐ろしさの理由を探して気づいた。角がある!
けれど、そのことに気づく前に手をとられた。
『花嫁。お前ガ欲しイ』
花嫁。なんだかよくわからないけれど、このままだとまずいことはわかった。たくさん木苺を摘んだバスケットを放り投げて、手を振り払い、逃げる。
けれど、声は後から追いかけてくる。
駄目だ、捕まる──。
木陰に隠れ、息を潜めて声が去るのを待つ。けれど、声は私の耳元で囁いた。
『見つケた』
と。
今思い出しても、アレクが私を好きになる理由がわからない。ただ、声をかけただけじゃないの。
私がそういうと、アレクは頬を染めた。
「お前の特に特徴もない凡庸な顔が、好みだった」
なんと、また別タイプの面食いだったのね! 私も面食いだから人のことを言えないけれど。
「……それから花嫁。婚姻の儀は、三日後に行う」




