じゅうく
「え──」
思わぬ言葉に驚いていると、伯爵が頭を下げた。
「あの子──、ナタリーは、本気でオーウェン公爵のことを好いていましてね」
ファンだとは言っていたけれど、本気でオーウェン様のことが好きだなんて。けれど、思い返してみれば、ナタリー伯爵令嬢のキラキラと輝く瞳は、恋する瞳だった。もしかして、オーウェン様がナタリー伯爵令嬢のことを信用できないっていったのは、ナタリー伯爵令嬢の想いに気づいていたからかしら。
「馬鹿な親だと思われるでしょうが、亡き妻の忘れ形見であるあの子の願いはなるべくなら叶えてあげたいのです。もちろん、ただでとはいいません。時に、ご実家は困窮なさっているとか」
「!」
つまり、融資をしてやるから、オーウェン様の婚約者の座を降りろと。
打算的なことを考えるなら、オーウェン様の婚約者でなくなったのなら、私はいつか殺されるかもしれない、という恐怖に怯えずにすむ。
それに伯爵家の融資があれば、オーウェン様から融資して貰ったお金を返せるかもしれない。
でも。
オーウェン様は、ナタリー伯爵令嬢のことを信頼できないと言った。接する態度から、今でもそう思っていることが窺える。もちろん今後、オーウェン様がナタリー伯爵令嬢に恋に落ちる可能性もあるのだけれど。
それに。それに私は、オーウェン様を愛し愛される関係になりたいのだ。それが例え、ヒロインが現れるまでの僅かな間だとしても。だから。
「私は──、」
「私の婚約者に何用だろうか。ヴォルフ伯爵」
私の言葉を遮るように登場したのは、オーウェン様だった。
「これはこれは、丁度よかった。オーウェン公爵。あなたの話をしていたのですよ」
「……私の話?」
オーウェン様が怪訝そうな顔をする。
「ええ。オーウェン公爵、アンガサ鉱山の利権について興味はないですか? 我が娘と婚約すれば──」
アンガサ鉱山といえば、金や銀も産出するヴォルフ伯爵が所有する鉱山のひとつだ。オーウェン様がナタリー伯爵令嬢と新たに婚約を結べば、その利権を譲るということだろう。
「あいにく興味がないな。話はそれだけか? それでは、私たちは失礼させてもらう」
行こう、とオーウェン様に手をとられ歩き出す。けれどそこで伯爵に声をかけられた。
「そのような凡庸な娘のどこがいいのだか」
凡庸。自分を卑下するつもりはないけれど。事実なので何も言えない。うつむいた私の手をぎゅっと握り、オーウェン様は言った。
「あなたでは彼女の価値をはかれないだろうな」
オーウェン様は公爵であり、見目麗しく、なにより優しい。オーウェン様は妖狐の血をひくゆえに恐れられてはいるけれど、ナタリー伯爵令嬢のように、そんなものは関係ないと突撃してくる女性もいるはずで。それなのに私と婚約を結び、我が家に融資もしてくれた。オーウェン様が私に見出だしてくれる価値。それはいったい何だろう。
その後は家に帰り、反省会だ。
「リリアン」
「……はい」
オーウェン様、怒ってる? 怒ってるわよね、だってナタリー伯爵令嬢と親しくしないでというのは、ヴォルフ伯爵も含めて親しくしないということだものね。格上で断りづらかったとは言え、ほいほいついて行くべきじゃなかった。オーウェン様にそう素直に謝ると、オーウェン様は頷いた。
「わかっているのなら、それで構わない。けれど、夜会ではあまり側を離れないでくれ。あなたの行動を制限したくはないが、あなたに何かあってからでは遅いからな」
オーウェン様が夜会で伯爵についていっていなくなった私をとても心配したのがわかる、言い方だった。
「はい。わかりました」
私が頷くと、オーウェン様はほっとしたように息をついた。
オーウェン様におやすみの挨拶をして、自室に戻る。それにしても。私はまたオーウェン様の足を引っ張ってしまった。この前反省したばかりだというのに。
自分の学習しなさぶりに、ため息をついて、目を閉じた。
その日、私は久々に幼い頃から見続ける悪夢を見た。
『……しイ』
恐ろしい声に追いかけられる、夢。
『欲しイ、お前ガ欲しイ』
「はぁ、はぁ、はぁ」
その夢では、いつも私は幼い姿で森の中を走っている。けれど、走っても走っても声は後から追ってくる。
駄目だ、捕まる──。
私は一か八か、賭けにでることにした。木陰に、隠れたのだ。
カチカチと恐怖で歯がなる。私はその口を震える手で押さえこみ、息を殺して、声が過ぎ去るのを待つ。
けれど、声は無情にも。私の耳元で囁いた。
『見つケた』