5-1 駄目だ。このままではダメだ(前編)
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駄目だ。このままではダメだ。
助教としても人間としても駄目になる。
朋子は体重計の上で身もだえる。
道大へ着任してまたひと月足らず。それなのに体重が五キロ増えていた。
「おそるべし北の大地。ご飯とお酒が美味しすぎる」
なんとかしなくては。
まずは岩ポンの試料である。
講座の共同冷蔵庫、上着を着ていても吐く息が白くなる室内から朋子は海水試料を運び出す。えいほえいほ、とHPLCにかけるために共同施設へ持ち込みだ。動線に気をつけつつ一分一秒を短縮するようにアスリートのごとくの動きで測定をする。ほかのユーザーに邪魔をされるとリズムが狂うので夜中の作業である。
「よし。これで三キロ減」
お次は、と朋子は学生部屋の自分のデスクの前に立つ。
岩ポンから送りつけられていた岩石試料である。由加に「早く測定しないとおかしくなっちゃう」と嘆いていた試料であった。
一段目は問題なかった。二段目を見て首をかしげる。
「試料の位置が違う? 気のせい?」
ひとつひとつ手にとり背後のラベルと照らし合わせる。
「別のシリーズの試料が混じってる? あれ? いつの間に?」
えっと、と記憶をたどる。
前にこの試料を触ったのは。三日前? そのときに戻し間違えたのかな? 違うか。このシリーズはまだ手つかずで。なら届く前から?
「いやそれはないか。リストと照らし合わせはしたし。なら、いたずらされてる?」
つかの間コンテナを見つめた。小さく息をはく。ざっと見たところ、ほかの異常はなさそうであった。試料も位置が違うだけで紛失はしていない。
「暇人がいるなあ」
ぼそりとつぶやき、気をとりなおす。暇人にかかわる時間はない。このコンテナはとりあえずおいただけで、いつまでも積みあげておくわけにはいかないのだ。いたずら以前に危険であるし、消防法違反である。大学職員が安全巡視にくる前に片づけねば。
とはいえ。
「このコンテナ、重いんだよね。ひとつ二十キロ以上あるんだよね。岩石だからね」
そこは地質屋の朋子である。腰を痛めない運び方を心得ている。問題は。
「どこに保管しようかな。さっさと薄片にすればいいんだけど、それができる量じゃないし」
コンテナのひとつを両手で持ちあたりを見回した。研究室の共同倉庫は屋外だ。さすがに台車を使いたかった。狭いエレベーターにコンテナをかついで乗るのも気が引ける。台車はどこだ?
学生部屋にある学生机は本棚つきのスチールデスク。それらは向い合って二十脚以上並んでいる。隙間には朋子のデスクまわり同様にコンテナやら段ボールに入った試料やら測定データやらの論文やらの印刷物が積みあげてある。さらにその隙間にカップ麺やら靴やら白衣やら何やらの生活用品が押し込んであった。
「あーわかんないな。時間がもったいないな」
朋子はそのままコンテナをかついでエレベーターに乗り込んだ。同乗者がぎょっとした顔つきをする。胸でわびてやりすごす。階段を使って転げ落ちたらことである。通行人が落ちた岩石に当たって怪我をするかもしれない。ゴヤ大に入学した直後の野外実習の巡検では崖をのぼるときに「小石でも絶対に落とすな」と叩き込まれた。落下した小石は地面近くではサイズも速度も増して大変危険である。これまたひとつの危機回避行動なのだ、と朋子は顔をあげる。
えいほえいほ、とコンテナをかついで外に出て、数戸ならぶ倉庫に向かう。雪対策なのか。屋根に大きく傾斜がついた倉庫であった。ガレージシャッターを開けて、さらにその奥の扉を開く。手探りでスイッチをオンにして電灯をつける。軽トラックが四台ほど入りそうな屋内に、ところせましと棚が並んでいた。
その棚には岩石が詰まったコンテナがびっしりとあった。棚だけでなく床にもコンテナが雑然とおいてある。どれもがひとつ十キロ以上の重さがありそうなコンテナであった。整理整頓しようにも蹴りとばしたくらいではコンテナはぴくりともしない。
「どこの大学もおなじだね。地質系の研究室って世界共通なのかな」
苦笑しつつなんとかスペースを作って岩ポンのコンテナをおく。続けて持参した黄色いビニールテープでコンテナを囲み、テープに油性マーカーで「七月中に処理。朋子」と記入する。「さわるな」とも追記した。こうしておけばさっきみたいにいたずらはされない。はずである。
だけど、と朋子は屋内を見まわし口をとがらせる。
「ここにおけるのはあと数箱かな。残りはどうしようかなあ」
「あれ? シャッターが開いてるって、うおっ、朋子センセ、どうしたんです?」




