6-3 なんだってこの人は(後編)
駄目だ駄目だと頭の中で音が鳴る。
岩ポンには家族がある。何かあったらしいけど、そういう人たちがいるのは確かで。そこに割り込む度胸がわたしにある?
それにわたしは。昨日、今日の敢行学会を思う。あの喧噪。ヒリヒリした中で発表する気持ち。会場がわくあの一体感。みんなに測定結果を伝えられるあの高揚感。
そうだ。
わたしは──岩ポンの指先にさわるより、唇にふれるより、いつまでも岩ポンと研究がしたい。ずっと、やいのやいのとやり合っていきたい。そのためには──好きを恋に変えちゃ駄目だ。
気持ちを整えるために朋子は声をあげる。
「先生」
「なんだよ」
「これからも、ずっと、ずっとずっと、ずうっと、一緒に研究してください」
岩ポンが目を丸くする。
「なんだよそれ。縁起でもねえ。俺がもうすぐ死ぬみてえだろうが。そんな予定はねえけどな」
だって、と朋子は唇を震わせる。それでもちゃんと伝えなくては。先生、と朋子は鼻をすする。
「先生のこと」
「なんだよ」
「──人間として好きです。大好きです」
岩ポンが眉を歪める。あごひげをぞろりと撫でている。しまった、怒らせた。そう思った直後、岩ポンが低い声を出した。
「どうしてそういう発想になったのか、順序立てて話してみろ」
うわ、怒ってる。めちゃくちゃ怒ってる。告白したのにどうして説教になる? 涙目になる。話せ、と重ねられて、あのですね、としどろもどろに声を出す。
先生が結婚していたことしか知らなくて、八年前のことはぜんぜん知らなくて。でも先生に考えがあって伏せていたなら聞いちゃいけないし。まして、やっぱり好きになっちゃいけないし。でも先生と研究をするのがとてつもなく楽しくて大好きでずっとやっていきたくて。
待て、と岩ポンが手で制する。
「誰から聞いた? あのクソガキか?」
「いやその、あの、まあ、はい」
岩ポンはうなりつつ額を指先で押した。くっそ、とつぶやいている。やがて額に手を当てたまま口を開いた。
「俺がお前に嫁のことを話さなかったのは愉快な話じゃなかったからだ。聞かされてもお前にはどうにもできん。ただでさえ、お前はペンギン問題があっただろ。せめてそっちが解決するまではと考えていた」
「聞いてもいいですか。八年前って、ひょっとして」
「アイツの専門は津波の解析の研究で、あの日も宮城県にいた。子どもたちと一緒にな」
息を飲む。八年前。津波。宮城県。それだけキーワードがそろえば十分だ。ああ、と胸元に手を当てる。かつて岩ポンに投げかけた自分の言葉を思い出す。
──この化石試料ってボーリング試料に津波の形跡があったやつですよね。厳かに公表するならまだしも、はしゃぐのはマズいですって。
誰がデリカシーがないって? わたしでしょ。岩ポンがはしゃぐわけないのに。
ガシリと頭をつかまれた。そのまま前後にゆさゆさと動かされた。
「そういう顔をしやがるだろうからいえなかったんだ」
「ごめんなさい」
「あやまるな。いたたまれねえだろうが。まあいいや、この際だ。生々しい話もしてやる。不幸中のさいわいというか、嫁と子どもの遺体は早いうちに回収できた。ちゃんと弔うことができている。行方不明のまま、いまだ戻るのを待っていることはない」
ぽろりと涙がこぼれる。泣くな、と岩ポンが顔をしかめ、だって、と言葉が詰まる。岩ポンがそんなに重いものを抱えているなんで知らなかった。ただの元気いっぱいの人なんかじゃなくて、岩ポンの原動力となっているのは抱えるものの重さで。それが強さの源で。
岩ポンの指に力が加わる。痛い。
「俺を甘く見るなよ? 俺はお前が思っているほど強くねえ」
「へ?」
「お前がゴヤ大を離れて三カ月か? たった三カ月なのに、俺はまったく何もできなかった。何から何まで調子が出なくて。アルゼンチンの研究者にお前を紹介しそうになっちまうなんざ。まったくよお、どうしてくれんだよ」
「そんなこといわれても。道大を紹介したのは先生で」
「あのままお前をゴヤ大においておくわけにゃいかないって思ったからな。今後を考えれば実際そうするしかなかったんだが。ベストな判断が生活を圧迫することもあるって、それこそ八年ぶりに思い知ったな」
八年ぶり? たとえば。津波の現地調査をするからと研究者の奥さんが宮城にいくのを止めなかったこと? 岩ポンの指の力がさらに強くなる。痛い痛い、と朋子はうめく。
「いまはお前の話をしてんだよ。嫁のことをお前が考える必要はねえ」
どうしてわかった? 朋子は岩ポンの手から逃れようと必死でもがく。それをこれまた岩ポンが逃すまいと力を強める。
「まったくお前はリスみたいなやつだな。少しは落ちついて話をさせろや」
「聞いてるし」




