6-2 なんだってこの人は(中編)
ギョッとして振り返る。
岩ポンが立っていた。肩で息をしている。キャリーバッグの車輪に手に持った上着の袖口が巻き込んでいた。
「へ? なんで? 空港じゃ? 飛行機は?」
「話の途中で電話が切れたからな。充電切れか?」
「だからってシアトルは」
「シアトルより大事な話だろうが」
「そんなに本のことが大事だったのっ」
ちげえよっ、と岩ポンは顔を真っ赤にする。
「というか先生、空港からここまで一時間ちょいで戻ってきたの? どうやって」
「タクシーだよ。じゃなくて話をさせろやっ」
は、はい、と朋子はかしこまる。何をそんなに怒らせたのだろう。やはり話を断ったことかな?
おうよ、と岩ポンは朋子の正面にしゃがんだ。朋子と目線を合わせて人差し指を突き出した。かと思ったらデコピンをした。
「いたっ。何すんのっ」
「お前はまったくよお。遅いんだよ」
「何が」
「『断る』ってことをだ。もっと早く身につけろや」
へ、と朋子は目をしばたたく。まったくお前ってヤツは、と岩ポンは盛大なため息をはいた。
「いわれたことを生まじめに全部やろうとしやがって。身体を壊すだろうがよ」
「だったら押しつけないで」
「ワザとだ」
「え」
「気づけ。お前が自分で『自分の限界』に気づいて仕事量を調整できるようにワザとやっていた」
いまなんていった? 上目遣いで岩ポンを見る。
「俺が調整しちゃったらよ。その隙間にほかのヤツが仕事を頼んだらお前のことだから引き受けるだろ。限界がわかってねえからな。俺が調整した意味がないじゃん」
朋子の気持ちは追いつかない。
ワザと? ワザとだったの?
えええ? ちょっと待って。どういうこと?
それをわたしは? 全部真に受けてやってきたの?
「自分で気づかねえと意味ねえだろうがよ」
岩ポンが語気を荒げて、朋子は「はい」と返事をする。
それなのに、と岩ポンは大げさに顔をしかめる。
「今回だってよ。俺はむちゃくちゃな量をお前に振ったんだぞ? 薄片を千枚作って観察測定を数カ月以内でって、どんなパワハラだよ。それをお前ってヤツはクリアしやがって」
とんでもねえヤツだな、と岩ポンは吐き捨てる。
「学部生のころからそうだったよな。まるで拒絶したら負けみたいに食らいつきやがって。根性を見せるところが違うだろうが。どんだけ仕事量を増やしても根をあげねえし。死ぬぞ」
学部生? 研究室に入った直後? そんなころから? 気が遠くなる。
「とはいえ、はじめたのはこっちだ。途中でほうり出すわけにもいかねえしよ。毎回仕事を振るたびに、お前が倒れたらどうするかってハラハラもんだぜ」
いいつつ岩ポンは朋子の頭に大きな手を当てた。大きく前後に朋子の頭を揺らす。
「本も書かなくていい。断れ。オーバーワークだ。気づけ。少しは休め。どうしても野外調査にいきたいってんなら、秋に南米のチリにいくから連れていってやる。それで我慢しろ」
それから、と岩ポンは続ける。あれはこうで、これはああで。
ポンポンと次から次へと続ける岩ポンの声を聞いて、じわりと身体があたたかくなる。小言だけどそれだけじゃなくて。怒ってるみたいだけど、口調は荒いけど、それは心底気にかけてくれているからで。
ああもうっ、と鼻先が熱くなる。この人はもうっ。こんなふうに。
いつもいつもわたしを見ていてくれたのだ。
いつもいつも考えてくれていたのだ。
何年? 六年以上も?
これで好きになるなというほうが無茶で。シアトルよりもわたしを選んでくれたのに。そんなにいっぱいの気持ちをくれているのに。




