3-2 非常時だからこそ(後編)
岩ポンがほえる。もちろん岩ポンが一番うるさい。
「エアコン入らなくてドア全開なんだからよ。廊下で騒いだら発表が聞こえねえだろうが」
まったくだ、とそこかしこの会場から顔を出した参加者が非難がましい目を岩ポンへ向けた。こほん、と咳払いをして岩ポンは小声で続けた。
「ともかくだ。こいつの発表面白かっただろ? 気になるだろ。そうだろそうだろ」
うんうん、とうなずく一同に岩ポンは笑みを向ける。
「関連してやりたいことができたヤツはな。そうだな。玄関ホールの伝言ボードにアイデアをメモ書きにして貼りつけとけ。面白そうだったら採用する」
ちょっと仕事を増やさないでよ。朋子はあわてて岩ポンの袖を引いたものの遅かった。一同は我先にと玄関ホールへ駆けていった。岩ポンは「ハイエナを散らすにはああやるんだ」と胸を張る。ひどい。
「頬を膨らませてるんじゃねえよ。あいつらだってわかってるさ」
「何を」
「これが非常時のイベントだっつうことくらいだ」
「あ」
見ろ、と岩ポンはぐるりと廊下を見わたした。会場になった講義室からは普通の学会とはまるで違う熱気が伝わってきた。原稿などどうでもいい。自分の成果を聞いて欲しい。そういう意気込みが熱の渦になっている。
ただテンションがあがっているだけではない。通常の学会ではありえない、何にはばかることなく純粋に研究への意欲が会場中に満ちていた。
思わず立ち尽くして眺めていると、ああいたいた、と木橋が手を振った。
「プログラムに新規の申し込みがあって。朋子センセ、調整を。それに朋子センセ、次の発表まであと五分です。頼みます」
岩ポンが朋子の背中を叩く。朋子は小さくうなずいて木橋のもとへ走った。
停電は翌日も続いた。
「むしろ通電してトラブルがあるよりマシだろ」
岩ポンは意気揚々と会場へ入る。もちろん昨晩も朋子のアパートに押しかけた。ソファーで大いびきをかいて元気いっぱいである。岩ポンと朋子を二人きりにさせてなるものか、と元気と木橋も泊まり込みである。
だからであろう。ところがというべきか。
うへえ、と元気が情けない声を出しつつ講義室から転がり出てきた。元気は岩ポンが座長のグループでの発表であった。おそらく岩ポンをはじめ、辛口研究者にボコボコにされたのであろう。
「岩嶋先生、容赦ないもんなあ。同じ宿のよしみはないんですかね」
「それってわたしのアパートってこと? そのために昨晩もウチに泊ったの?」
「完成原稿を印刷する前に地震があったんですよ。おれは実は小心者なので。暗記していても原稿がないとあがっちゃうんです。朋子センセがすごいことがよくわかりました」
「小細工しないで昨晩はちゃんと内容の確認をすべきだったわね。元気さんってば、ずっと岩ポンやわたしにつきっきりだったでしょ」
つきっきりどころか、あろうことか昨晩はジンパであった。
「学生部屋の肉が腐るから」との名目で、学生部屋に肉が常備してあるってどういうことよ、と朋子が指摘するより早く「火元には十分に気をつけて」と声かけをしつつジンパ研のメンバーで例の工学部裏庭にてジンパを開催である。電気はないが火おこしグッズは事欠かない。この非常時に不謹慎では? と思いつつ、敢行学会をやっている時点ですでに不謹慎だし、いつしか教授が音頭をとっていたので、まあいいか、と朋子は乾杯をしていた。ビールは常温でも大変に美味であった。
うめえうめえ、と岩ポンは上機嫌。木橋が連絡したらしく由加も駆けつけ、「あなたたち学会をやっているんですって?」と目を丸くしながら肉を頬張っていた。「助かったわ。私の地区もまだ通電していなくて。温かい食べものって素敵よね」と続けたあとで「え? ジンパが不謹慎? まあそうだけど、自宅前でも椅子を出してかなりの件数でジンパをやっていたわよ」と神妙にする朋子を笑い飛ばした。これまたさすが北海道、と朋子はうなる。
それより、と由加は朋子を小突く。
「岩嶋先生ってあの人? へえ、朋子センセがひどくいうからどんな人かと思っていたけど。見た目はワイルド系男子でいいじゃない」
「そうかなあ」
「とても五十五には見えないわね」
「見た目はね。中身は、そうだなあ、三十代より若いかな?」
へえ、と目を輝かせる由加を見て、あれ? わたし、ひょっとして岩ポンを褒めてる? どうして褒める? マイナス要因しかないのに。
「モテるでしょ」
由加の言葉にドキリとする。
「女性職員とかほうっておかない系でしょ? 海外の女性研究者もああいうタイプって人気がありそう」
ビールにむせる。確かに、と思い出す。ゴヤ大でも岩ポンの実態をよく知らない事務系の女性たちは岩ポンをちやほやしていた。海外の学会へいけば、声と態度がデカい岩ポンに迷惑そうな顔をしながらも女性研究者は何かと理由をつけては岩ポンのそばによってきた。そのたびに、岩ポンの本性を知らないって平和だな、と遠い眼差しになったものだが。
そうか。由加さんにそういわれると客観的に見て岩ポンってカッコイイのか? そうあらためて思う自分に驚いて朋子はあわてて肉を口へ突っ込んだ。その朋子に由加が、うりうり、と肘で脇腹をこづき、止めてよ由加さん、もう酔ったの? とあらがっていると。
不意に岩ポンが声を出した。
「そういや朋子、お前、今回はペンギンペンギンっていわねえな。大丈夫か?」
ふふん、と朋子はビールを飲み干す。
「どうやらペンギンは卒業しちゃったのです」
「ペンギンが? お前が? ならペンギングッズはもういらねえのか?」
「いります」
卒業してねえじゃん、と岩ポンは笑い、「本当なら、まあよかったよな」としみじみと続けた。朋子はカップから口を離す。何がどうよかった? 岩ポンにとってよかったってこと? それともわたし? わたしはまだ──さみしいけど。
ところで、と玄関ロビーで元気が続けて朋子は我に返る。
「おかしくないですか?」
何が? といいかけたところで余震があった。天井がみしみしと音を立てる。ぱらりと埃が落ちてきた。朋子の頭に振りかかろうとする埃を元気がさりげなくはらう。
「この地震ですよ。そして学会です。どうして取材にこないんですかね」
「取材?」
「この学会は開催前からかなり宣伝をしていました。新聞社にも学会開催の連絡はいっていたはずです。そこに地震が起きた。学会を敢行しているかどうかは知らなくても、ここに地質のプロが大勢いることを彼らは知っている。それなのに?」
朋子と元気は顔を見合わせる。
どうして彼らは取材にこないんだ?




