3-1 非常時だからこそ(前編)
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非常時だからこそ、ゆるされることがある。
それがこれか。
停電中の薄暗い講義室の中での発表。スクリーンへ投影する資料画像もなく、ただ演者の声だけの発表。普段とは異なるテンションになるのは無理がない。けれどこれは敢行したとはいえ公共の発表の場である学会。研究室や講座の研究発表会ではない。それなのに。厳かとはかけはなれたギラギラとした空気になっていた。
朋子は咳払いをして五件目の口頭発表の演台に立った。
前の演者がやらかしてくれた。
確か関東の大学の大学院生だったか。彼の発表が終わって質疑応答に入ったとたんに、はいはいはい、とあちこちで手があがった。発言権をもぎ取った参加者は開口一番「何がいいたいのかさっぱりわかんねえよ」といい放った。丁寧語も尊敬語も謙譲語もすでにない。次の参加者も「結局どこの層の何がどうだって?」とつめよる。彼が落ちついて返答する時間を与えず、「そのデータは正しいんだろうな。データ数いくつよ。調査日数は?」と畳みかけた。
地質業界では経年変化を研究するものが多い。すなわち数年以上かけて結果を出すわけで、ヘタをすれば十年単位の努力が発表しだいでは簡単にヤジられるというわけで。腹が立たないわけがなく。
「オレの学生にいきなりケチをつけるのか」と指導教員が声を荒げ、「つまんねえ発表だっていってんだよ」と学会にあるまじき罵詈雑言の嵐となった。制止しようと司会が鳴らす『リン』の音が鳴り響く。
おかげで会場の空気は最悪である。
騒ぎを聞きつけた岩ポンが「なんだどうしたケンカか?」と嬉々とした顔をのぞかせ、「先生は別のグループの座長でしょ? 邪魔しないで」と背中を押すと、「ならお前がこの場をおさめろよ」といいはなたれて。そこからの朋子の番であった。
まったくもう。いわれなくてもやるし。やれるし。
岩ポンのせいでこんなに必要あるのかってくらいに場数は踏まされているんだから。
頬を膨らませつつ「では」と朋子は床へ指を向ける。ちょうど小さい余震があった。ほがらかに続ける。
「地震の話です」
へ? そんな演題だったか? と参加者がざわめいた。
「調査エリアはアメリカ西海岸、推定三千五百万年前に起きた地震による断層エリア、事前プログラムにはありませんが、今回はそこの堆積物から推定される環境変遷についてです」
おお、と声が広がり、会場からたちまち険しい空気が抜けた。変わって熱気がじわりと広がる。
ポイントは導入である。これさえつかめばあとは聞いている者がついてこられるように、丁寧かつシンプルに話を進める。余計な演出も最初だけだ。根は熱血気質の地質屋一同。面白い方へあっという間に盛りあがる。
ひとり、またひとりと朋子の発表に身を乗り出した。発表直後の質疑応答になるとこれまた、はいはいはい、と我先にと手があがった。
「そのデータからの古環境の推定は?」
「これからほかの共同研究者と進めていきます。今回はダイジェストだけをお伝えしました」
「現況の気象問題との関連は? 照らし合わせとかは当然するよね?」
「年内にはお知らせします。温暖化問題に関連する話につながると期待しています」
「さっきの発表との関連は? 地質時代は別だと?」
「最終的にはひとつのエリアでの話に集約せずよりグローバルな話に、一例としてはオーストラリアの地質と関連づけた話に展開するために準備を進めています。すでに現地での共同研究者による解析も進めています」
「ちなみにデータ数はどれくらいで? 測定試料数とか解析方法は?」
このあたりで、おいおい、とヤジが混じる。
「朋子くんの測定ですよ。聞かないほうがいいでしょう。落ち込みますよ。とてもマネができませんからね」
どっと笑い声があがる。「そうだよな。どうせ薄片なんて千枚とかいうんだろ?」と声が続き、「それはいいすぎだろ。だってこれ今年の春先の調査だぞ」との声に朋子が「えっと、もう少し多いです」とかぶせて、ヒューヒューと口笛が会場に広がる。
あ、どうも、と恐縮しながら、ちなみに、と朋子は続けた。
「測定装置は、SEMとEDSでの定性・定量測定、XRDを使った化学結合評価もありますし、ものによってはXPSやEPMAでも測定しました。あとは化石の同定と、ほかの共同研究者が同エリアでの試料で花粉マッピング、それをもとにした環境マッピングを平行作成中です。それから炭素安定同位体による気温や水温の測定とか、さらに気象復元には──」
口笛がひときわ高くなる。「完璧だろ」とか「豪華すぎるでしょう」とか「腹いっぱいだ」と笑い声まであがった。
これまた岩ポンが「うるせえぞっ」と会場に怒鳴り込む。
「朋子、お前、鎮めるんじゃねえのかよ。やりすぎんなよ。こっちの発表が聞こえねえじゃん」
うわ、入ってこないで、とあわてる朋子に「まあまあ岩嶋先生」、「そうですよ。先生の見解もお聞かせください」、「さすが岩嶋先生の愛弟子ですねえ。うらやましい」との声が朋子を擁護する。
そういっていただけるのは大変ありがたい。だがしかし、まだまだ演者はあとにいる。司会にうなずいてリンを鳴らしてもらい、一礼をして演台を辞した。岩ポンの背中を押して会場を出る。
その朋子についてぞろぞろと参加者が出てくる。へ? ちょっと? まだ終わってなくて? と戸惑う朋子に彼らが押しよせた。
「さっきの冒頭の話ですが。ほかに応用して使えそうなエリアはどこです? 国内との比較はできそうですか?」
「そういうのは論文になりゃわかるだろうが。それより、中盤に出てきた化石周辺の岩石粉末。朋子さんだからちゃんと保管がしてあるよね。それってウチに回ってくるの? なんならこのあと持って帰ってもいいかな」
お前ズルいぞ、と別の共同研究者が割り込む。
「なんならそれ、ウチで新しく導入した装置で解析させてくれ。その装置、まだ地質分野での紹介例がないからいい事例になる。化石周辺なら面白い化学結合が見つかるかもしれないし」
「面白そうだがプロジェクトの趣旨からはずれるぞ」、「堅いこというなよ」、「なんだとこの野郎」、「お前こそこの野郎」と廊下は喧噪に包まれる。
「だからうるせえっつってんだろうがよっ」




