2-1 ことのはじまりは二月である(前編)
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ことのはじまりは二月である。
博士課程の学位審査がなんとか終わり、研究室の学生部屋で同期から「二十六歳でするっと理学博士の学位が取れるなんて。岩ポンのコネなのか」となじられ、「だったらあんたが岩ポンの世話をしなさいよ」といい返し、「冗談じゃねえよ。過労死させる気かよ」といい返されているときであった。
当の岩ポンが「おう、朋子」と書類の束で朋子の頭を叩いた。
「お前の推薦状を送っといたからよ」
「推薦状? どこに。なんの」
「お前、就活してねえだろう」
「えっとあの、今年通るとは思ってなかったから」
「あんだけ論文書いてて通らねえわけねえだろうが」
「先生の代わりに書いたものばっかりだし。まあその、博士研究員で雇っていただけたらいいなあって」
「そりゃお前は俺のほとんどのプロジェクトの研究協力者だから悪かねえ案だけどよ。それだっていつまでもここにおいとくわけにゃいかねえだろ」
「基盤研究Sなんて通っちゃったし」
「俺の科研費取得率をなめんなよ? この業界トップだぜ」
「ここ数年はわたしが先生の科研費申請書を記入したんですけど」
「博士号取れたんだから晴れて研究者番号を取得できるな。さっさと取っておけよ」
「えっと、それで推薦状って?」
ほれこれ、と岩ポンは朋子を叩いていた書類をひらいた。
北海道立蝦夷大学助教の公募、とあった。
「道大? 助教? わたしが? ここに出した?」
岩ポンはニヤニヤと笑っている。朋子は書類をひったくった。
──北海道立蝦夷大学・工学研究院環境地質工学分野、勤務形態・常勤、勤務地・北海道札幌キャンパス、うんぬん。
「ただの常勤じゃないぞ。任期なしだ。いまどき五年任期つきじゃなくて最初から任期なしなんてめったにないぞ」
わかる。それがラッキーなことはわかる。だがしかし。
血の気が引いていく。ぽぽぽんとペンギンたちも背中から飛び出す。
「工学研究院って? 工学部? わたしが取得できそうなのは理学博士で」
「問題ない。工学博士に限ると記載はないからな。環境地質工学ってえのも『工学』って単語がついてるだけでほとんど地質学だ」
「だからって」
「お前、貝化石以外にもその周辺の岩石鉱物やら古環境解析やら岩盤構造もやってんじゃん。条件にぴったりじゃん」
本当か? いや絶対に勢いだけでいっているよね?
拳を震わせ朋子は検索をかける。
すると意外にも岩ポンの言葉は的はずれではなかった。助教募集をしている分野の教員のほとんどは、朋子が属する学会に入会していた。分野の担当授業キーワードも朋子の研究と一致する。
これは、と朋子は遠い目になる。断る理由がない。というより、先方は岩ポンを重んじてわたしを断れないしっ。
岩ポンという愛らしいニックネームを持つ岩嶋教授。
企業ウケしないこの地質学という業界において、泣く子も黙る重鎮である。
論文の数、国内外の科学雑誌への掲載率は業界トップ。超多忙の教授職、しかも五十代でありながらも三十代研究者を圧倒するほど精力的に野外調査日数をこなし、調査エリアは国内にとどまらず全世界におよぶ。海外共同研究者も多く、「名護屋大学のイッワー」といえば通る話も多い。
くわえてがっしりとした身体つきに厳つい顔つきとやたらデカい態度がどんな相手にも威圧を与えた。
そんな岩ポンから求職者本人の募集応募書類より先に推薦状が届いたら相手はさぞあわてることであろう。
顔をあげると岩ポンが学生部屋から出ていくところであった。いいたいことは終わったし、朋子が自分に逆らうとは思ってもみないのだろう。
わたしに選択肢はないのか。
朋子は身もだえる。
このままボスの言動に流されていいのか。北海道だよ? 北の大地だよ? それも任期なし。ひょっとしたら六十すぎまでずっと北海道。
だがしかし。
岩ポンの異名は「ごり押しマイスター」。
ごり押しの天才に何をいっても無駄である。研究室配属になった大学四年からのべ六年間。朋子の意見が通ったことなど一度もない。
そうかぁ。札幌かぁ。いくのかぁ。いいのか? そうだねえ。悪くないんじゃ? いいかも? だってえっと、ウニでしょ? カニでしょ? ジャガイモもたくさん種類があるんだよね。甘いトウモロコシにできたてビール。チーズや牛乳も美味しいんだよね。スイーツも美味しそう。スープカレーに豚丼にラーメンサラダに、それから唐揚げみたいなザンギだっけ? それからそれから。遠距離恋愛になる問題など思いもせずに朋子は北の大地に思いをはせる。
よだれを手の甲でぬぐい募集要項を確認する。
なるほどとうなずき応募書類の作成である。書類作成は岩ポンの科学技術研究費の申請書類で手慣れたものである。科研費ってば申請書類だけじゃなくて中間報告書とかあれやらこれやら書類ばっかりあるから、そりゃもう慣れるなんてもんじゃないし。
そして書類の実績項目記入欄。自分で書いた論文やら発表などを記入する項目である。そこを見て薄く笑う。それこそ岩ポンとの研究協力関連の論文がわんさかある。ドタキャンした岩ポンの代理をたっぷりやったので研究教育実勢もこれまたたっぷりで。
入力しながら何やら怒りがわきあがった。
「夏の代理講義のときは有料だったから参加者の視線が痛かったなあ。あっちのときはプロジェクトの説明だっけ。どうしてわたしがそんなことまで。原稿を書いたのはわたしだから語れたけどさぁ」
相手は教授という肩書の人の話が聞きたかっただろうに。同じ内容だとしても若造からいわれたら信ぴょう性がないわけで。まったく岩ポンの勝手さといったら。きい、とうなっていると内線電話が鳴った。岩ポンであった。
『おう、朋子。たったいま学会の招へい講演の依頼メールがきた。俺って予定がかぶってないか? ああ、お前も出ろよ。申し込んだか?』
「いつのどんな学会?」
『あれだよ、あれ。秋に国内でやるやつ』
「環境地質システム学会?」
『おうそれだ。ほほう、道大でやるじゃん。ちょうどいいじゃん。書類は通ったか?』
「まだ書いている最中で」
『適当でいいからポンポンと送ってやれや。待ちかねてるぞ。じゃ、俺の手配もやっといてくれ』
誰のせいだ。なんの手配だ。問う前にコールが切れる。くそう。このボスめ。受話器をにらんでいると岩ポンから招へい講演の依頼メールが転送されてきた。この手配をやれとのことらしい。相手に作業を押しつける作業だけは早いのである。
「ああもう、学会? 面倒くさいなあ。わたしはポスター発表でいいや。口頭発表のスライドを作ってる時間ないし。とりゃ、と」
ざっくりと申し込みフォームに入力をして送信する。その勢いのまま道大の応募書類をそろえて指定のメディア媒体とともに簡易書留で郵送したのであった。
その後、卒業式の準備や岩ポンの野外調査の荷作りをしていると道大から面接通知が届いた。
「面接だあ? ならこっちの空港のえびせんべいを手土産にしてやれ。箱入りの個別包装のヤツじゃなくて、四階のちょうちん横丁の大袋詰めのヤツ。『えびせんいろいろ』のえびせんべいな」
岩ポンの言葉に、「ラフすぎて失礼じゃないかなあ」といぶかりつつも持参すると「さすが岩嶋先生の」と大喜びされた。おそるべし岩ポンである。
えびせんべいが利いたわけではなかろうが、ほどなく内定が出て決定となった。
これほどあっさり決まっていいのだろうか。
わたしの人生、大丈夫か?