1-1 ガラスにつき、取り扱い注意(前編)
第三章 闇の精霊を呼び出しているのか
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ガラスにつき、取り扱い注意。
そう記載された荷物が朋子のもとへ続々と届くようになった。
道大だけでは間に合わないからと全国各地に作成依頼を出した薄片であった。その数、千枚以上。もはや事務の女性も朋子へ何もいわないほどの量である。
あらかじめデスクまわりを片づけて梱包をといた薄片箱を積みあげた。足元には緩衝材と段ボールだらけである。そして薄片箱はあっという間に目線の高さを越えていく。
「こわっ。割れたらどうしよう。これで百万以上だよ?」
いやそうじゃなくて、と朋子は震える。自分で作成依頼を出しておきながら、この半端ない数量。膝が震える。
「ぜ、全部をSEM観察している時間はないけど、せめて偏光顕微鏡での確認はしなくちゃ」
これまたやはり千枚以上である。遠い目になる。けれどどうにも省略できない作業であった。省略できるならば最初から薄片にまで加工しない。
その前に、と顔をあげる。出した依頼の内容照会と薄片の仕様の確認である。ものの数分としなうちに、むぐう、とうなり声が出た。実に機関によってばらつきがあった。使うスライドガラスの素材もさまざまである。
「岩石の種類ごとに依頼する機関をわけてよかったあ」
リスクはある。機関ごとに作業内容にクセがあるので機関と試料の相性のあたりはずれがある。だがしかし、試料の岩石種類がごちゃまぜになるというリスクは避けられる。
「うわ。通し番号が表面じゃなくて裏面に記入してあるところがある。透かし文字で彫り込んだやつも。ややこしい」
気をつけねば。薄片の入った試料木箱を両手に持ってデスクまわりを見まわして。
動きを止める。
枚数が枚数である。どうやっても整理に混乱しそうであった。大量に届いて、床を緩衝材だらけにしたときに気持ちが悪いほどである。すでに整理整頓できる気がしない。整頓ですらそうなのだから、測定を進めるうちに薄片試料がごちゃまぜになるのは避けられそうになくて。どうしたらいいんだ。
どこかの英雄のように、朋子は目を閉じ自問する。
一番守りたいものはなんだ?
うすく瞼を開く。
「採集エリア、かな。これがごちゃ混ぜになったら手の施しようがないもん」
よおし、と腹をくくる。試料を作成機関ではなく採集エリアごとに仕分けしていく。ところがである。十箱動かしたところで背筋が寒くなった。
「これ、ちょっとでも順番がズレるとわけわかんなくなるよねどうしようかな。万が一にそなえて保険が欲しいな」
せめてリストにメモ書きをして、それをエクセルにして、とパソコンに向かったところであった。
「なんですか、これは」と木橋が緩衝材だらけの床を見て声を裏返した。「気にしないで」と薄片試料に蒸着の指示出しをする。
さてどこまでやったっけ、とキーボードに向かったところで、今度は教授が「倉庫の試料保管の件ですが」とデスクエリアに顔を出した。もちろん邪険にできずに笑顔で応じる。
よおし、さっさと入力しちゃわなくちゃ、と姿勢を正すと「ジンパの準備ができましたよ。今日の肉も朋子センセのおごりだそうで。ごちそうになります」と元気が能天気な声をかけた。
ペンギンたちがぽぽぽんと朋子の背中から飛び出す。
「駄目だ。これ以上作業を中断したら、何をやっていたのか本当にわからなくなっちゃう。リストどころか薄片にしていない試料だってたくさんあって」
ペンギンたちは朋子のまわりを足並みそろえてぐるりと回る。朋子は、はわわ、と指先を震わせる。そこに木橋があわただしく戻ってきた。
「スパッタの途中なんですけど、本当にこの試料一式を金でコーティングしても大丈夫ですか」
「さっき渡した薄片のセットだよね。問題ないはずだけど、って、うお? 駄目だよ。この薄片にはたっぷり金が入っているんだから。金でコーティングしちゃったらわけがわかんなくなるし」
「やっぱり? ならこれらは炭素でコーティングします。っていうかコーティングいりますか? こっちの試料は? リストはどれが正しいんです?」
待って待って、と手持ちの紙リストと見比べる。リストと木橋に渡した試料箱番号は合っていた。朋子の指示にも問題はない。え? どういうこと? 朋子は木橋から試料箱を受けとり中を見る。
「なんで? 中身の順番がごちゃ混ぜになってる」
「試料箱の中身が別物だってことですか?」
「そこまでひどくはないけど、ううん、ひどいかな。おかしいな。絶対に間違えちゃいけないからって、三回確認して最後は指さし確認までしたのに」
朋子センセ、これって、と木橋がいいかける。それを制して「こっちの箱は合っているから。これやって」と別の試料箱を差し出した。原因追及している時間はない。
翌日である。
白衣姿になって作業室の大型ダイヤモンドカッターで手のひらサイズの岩石試料を真っ二つにしようとしていたときであった。うおう、と朋子はカッターの回転と水を止める。
「な、なんで? これはカットしちゃ駄目な試料だよ。化石試料だよ。化石が真っ二つになっちゃうところだったよ」




