2-2 ペンギンたちがデスクで飛び跳ねていた(後編)
「朋子センセ、この作業の締め切りは?」
「学会の岩ポンのリストは、そうだな、昼前?」
「無理です」
「なら夕方で」
うう了解です、と木橋はキーボードに指を走らせる。
朋子はそのうしろで積みあげたコンテナをすべて床におろした。急がば回れである。採集地点ごとに試料の整理整頓だ。足の踏み場もない量だ。靴を脱いでコンテナの縁をそっと踏む。リストと照らし合わせて岩石試料の並べ替えだ。
まったく大変な手間である。
いまさら思っても仕方がない。わかっている。それでも次から次へと愚痴が出る。せめて岩石と岩石のあいだに何かクッションくらい敷いてよね。緩衝材とはいわないから。新聞紙でいいから。なんのために大量の新聞紙を野外調査に持っていくのよ。
「これじゃあ岩石どうしがぶつかって傷つくでしょ」
頬を膨らませていると、「何をやってるんですか?」と能天気な声がした。
今度は元気であった。
灰色に汚れた白衣をはおって、今日も菓子を頬張っていた。七花亭の銘菓『霜ばしら』であった。ぽろぽろとパイ生地を床にこぼして、「元気さん、あっちいってください」と木橋が声を荒げた。
「そういうお前は何をしてんの」
「RAです」
「授業は」
「ですからないです」
「ですからっていわれてもさ。お前、四年っしょ」
「だから三年までに全部必要な授業は履修しました」
はあ? と元気は声を裏返す。
「このエリートさんが。どうして地質にいるんだよ。金属材料工学とかにいけよ。ここは工学部で工学研究院なんだからな」
「ぼくは岩石工学が好きなんです。化石もやってみたいんです」
「変態」
「八年くらいここにいる元気さんにいわれたくありません」
あのなあ、と元気はいいかけて顔をあげる。何やら我に返ったようであった。咳払いをして朋子へ笑顔を向けた。
「朋子センセ、菓子はいかがですか? 法事があって。供え物に親戚から七花亭の菓子詰め合わせを大量にもらいまして。おれのノルマは三箱なんです」
「元気さんのおうちって地主か何かなの?」
「まわりより早く北海道に入植しただけの家ですよ。ビスキュイっていうんですか? クッキーみたいなやつのサンドの『おひとりさま』とか『かくせいバターサンド』とかあります」
「食べる」
どうぞ、と元気は菓子箱を朋子に差し出す。
「それから荷物が届いたって内線電話で連絡が」
「え? わたしに?」
「エレベーターの前に積みあげてあるそうです。おれがチラリと見た限りではここに入り切る量じゃなかったなあ。大変ですね」
なんだと、と朋子はコンテナから飛びおりる。「そういうことは先にいってくださいよ」と木橋が元気をなじる声が背中に聞こえた。
まさか冷凍試料では?
冷や汗が流れる。そして。
朋子の願い虚しく届いた荷物はまさかの冷凍試料であった。前回の二倍の量である。まだ凍っているのがさいわいか。
「ああもう、聞いてないし」
その場で勢いよく岩ポンへ電話をした。
『また届いた? ふうん、聞いてねえなあ。確認するからちょっと待ってろ』
これまたブツリと切れたかと思うと、ものの数分で岩ポンからコールがあった。
『その試料、チリからだよな。英語記載だろ』
「いわれてみれば」
『お前らしくねえなあ。そういうのは真っ先に確認するもんだろ。そんでよ。お前の仕事ぶりが買われたらしいぞ。この前のHPLCの測定。お前、すぐにデータを出してやったじゃん。早くて正確だったから、それも頼むとさ』
「んなっ」
『まあそれは冷凍庫にでも入れとけや。学会がおわったあたりで測定してやれ。すぐに測定すると味をしめられるぞ』
はあ、とうなずく。なんだ? いつになく好意的? と思いかけたときであった。それでよお、と猫撫で声が続いた。
『中間報告書がリジェクトされた』
「は? 申請書じゃなくて報告書がやり直し?」
『いろいろコメントつきできたからお前に届いたまんまを添付ファイルで送った。修正して送っといてくれ』
「どのプロジェクトの中間報告? 先生の確認は?」
『いらねえよ。俺がみたってわかんねえしな。お前の名前がファイルに履歴で残ってもいいからよ。締切りは今日の十七時だとさ』
「今日っ。十七時っ」
『頼んだぞ』
ちょっとっ、と声を出したもののコールは切れた。
できるわけないでしょうっ。締切りやぶってごめんなさい、とメールしろと?
いつの間に飛び出していたのか。ペンギンたちが朋子の背中をフリッパーでばしばしと叩いた。はあ、もうっ、と息をはく。
「わかっていますよ。やりますよ。やればいいんでしょ?」
違う、とペンギンたちは一斉にくちばしを振る。それに構わず朋子は振り向く。追いかけてきた木橋と元気が立っていた。
「木橋くん、冷凍庫、空いているところを知ってる?」
話をずっと聞いていたのだろうか。木橋ははげますように朋子にうなずいた。
「教授に頼んでみます。元気さんにも手伝ってもらいます。ご安心を」
木橋くん、と朋子はうるんだ瞳を向ける。
「ああもう、わかっていますから。だからリスみたいな顔をしないで。ほらほら、元気さん。聞いていたんですよね。やりますよ」
おれが? 嫌だよ、としぶる元気を木橋は追い立てていく。頼りになる。なんて頼りになるんだ。
よおし、と朋子はデスクへ駆け戻った。




