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さよならいとしのペンギンライフ  作者: 天川さく
第1章 北の大地だ、ジンパでほい
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5-2 駄目だ。このままではダメだ(後編)

 木橋であった。試料を取りにきたのか。カラのコンテナを片手に持っていた。


「コンテナを片づけようとしてね」

「だって台車は四階の学生部屋にありましたよ? まさか朋子センセ、人力で運んだんですか?」

「やっぱりあったの? 見つけられなくて」

「学生がいたでしょ。聞いてくださいよ。どんだけひとりでやるのが好きなんですか」


 好きってわけじゃ、と口ごもっていると、ああもう、と木橋は髪に手をやり「あと何箱あるんですか。順番になっていますか? ぼくが手伝いますから」と朋子の手を取った。


「木橋くん、授業は?」

「ありません」

「うんと、明日も?」

「必要な授業は三年までに全部履修しました。四年の授業は、しいていえば卒論くらいです」

「就活のため?」

「卒論のためです。ぼくは進学希望です」


 うおう、と朋子は後ずさる。木橋がまぶしい。なんて健全な理系大学生なんだ。


「野外調査もいきたいんです。朋子センセ、いろいろご指導お願いします」


 うんうん、と朋子は涙目でうなずく。

 ただ人懐っこいかわいい系の男子学生かと思えば、人は見かけによらないものである。いい子であるうえに意欲もあるなど。木橋の株がぐんぐんあがる。

 上機嫌になって四階に戻ると、元気が菓子を頬張りながら廊下を歩いてきた。元気さん、と木橋は眉をひそめる。


「白衣に菓子がつきますよ。不衛生です」

「おれの服が汚れないように白衣を着ているんだ。白衣の汚れは地質屋にとっては勲章なんだぞ。ねえ、朋子センセ」

「え? ああまあ、そうだね」

「朋子センセも食いますか? 七花亭の大へい原です。マドレーヌですね。うまいですよ」

「あ、食べる」


 朋子センセ、と木橋が朋子の袖を引く。そうだ、食べている場合ではなかった。そもそもダイエットしているんだった。あわてて先にいく木橋に続くと、学生部屋に入ったところで木橋が、ああっ、と声をあげた。


「元気さん、台車どうしたんですか。ボディが凹んでますよ」

「どうしておれが犯人だと決めつけるんだよ」

「違うんですか?」

「おれだけど」


 元気さんっしょっ、と木橋は声を荒げる。


「ひょっとして元気さんが台車を隠してた? だから朋子センセが見つけられなかった?」


 なんのことやら、と元気は視線をそらす。元気さんっ、と詰めよろうとする木橋を「いいよ、それより」と朋子は手招きした。デスクまわりを木橋に見せた。


「このコンテナを片づけたいの」

「全部ですか? 三十箱はありますよ。そもそも台車じゃことたりなかったと」


 木橋はうなる。朋子もしぶい顔つきになる。


「おき場所どうしようかなあ」

「教授に相談しましょう。そろそろ教授会が終わる時間です」

「前にも相談したんだけどね。忙しそうで悪くて。ほぼ岩ポンの試料だし」

「共同研究をしているんでしょう? なら朋子センセの試料です」

「そうなんだけど」


 まったくもう気が強いのか弱いのか、と木橋は苦笑する。


「試料を運ぶのはぼくたちに任せてください。そうだ。バケツリレーをします」

「へ?」

「四年生五人と修士課程(マスター)の先輩に招集をかけます。元気さんはあてにならなくても、ほかのみんなは手伝ってくれますよ」

「悪いよ」

「ジンパの肉代を出してください。そうすれば気がねがなくなるでしょ? 朋子センセは教授に直談判して保管場所の確保をしてください。教授はしぶるような人じゃありませんよ。あ、ほら、教授が廊下を歩いてきます」


 なるほどわかった、と朋子は意気込む。木橋くんってばなんて頼りになるんだ。株はあがりっぱなしである。居酒屋のバイトで対人スキルをきたえたのかな。


 そういえば、と思う。

 自分のまわりには木橋のような学生はいなかった。女子はもちろん男子もである。元彼もそうだし、それまでおつき合いのあった男子学生も「朋子どうしよう」と泣きついてくるばかり。岩ポンにいたってはいうまでもない。


 こういう出会いがあっただけでも道大にきたかいがあった。そして頼れる男子は木橋だけでなく。廊下でつかまえた教授に「試料置き場に困っているのです」と訴えると。

 教授は明るい声で朋子にこたえた。


「地下に分野の共同倉庫があります。そこを借りましょう。ただし保管期間は一年未満で頼みますね。ほかの講座も利用する施設ですから。え? 賃貸料? ははは。いいですよ。研究室の財源を使いましょう」


 教授っ、と朋子は両手を合わせる。多少ジンパ大好きという変わり者であろうとも、仁徳者のもとに着任できてわたしはなんて幸せ者なんだ。道大よ、ありがとう。


「朋子センセが業績を出してくだされば、それは研究室の業績にもなります。お気になさらず」

「夏にも所属先を道大にした論文を出しますっ」

「助かります」


 いえいえ、とほほえみ返して、あれ? と首をかしげる。わたし、なんだか自分にしばりを入れた? 岩ポンの雑用に加えて学会もあるのに論文? できるのか? 不安が押しよせる。


 いやいや、と顔をあげる。

 例年ならいまの季節は野外調査だ。一日中泥だらけになって山の中の地質調査である。それでも岩ポンにせかされて宿に戻るとすぐにデータが出ている試料の論文準備をしたものであった。疲労困ぱいの身体にむち打って、お風呂に入ってビールを飲んで布団に潜りたい誘惑に打ち勝っての作業だったよね。


 あのころと比べたらいまは天国。

 いまできない理由はない。

 しかも試料もたっぷりある。木橋くんに手伝ってもらわないと片づかないくらいのボリュームで。ほかに岩ポンに測定を急かされている試料もあるし。論文材料はありまくりじゃん。これでできないなんて贅沢いってられない。

 書くしかないし。

 書くし。

 うおお、と朋子は胸の内で雄たけびをあげた。

 そのときであった。


「朋子センセ、ジンパの準備ができました。朋子センセの肉代おごりのジンパなんですからね。早くきてください」


 木橋がエレベーターの前で声を張りあげていた。


「いつの間に? 肉代って先払いだったの? じゃなくてわたしダイエット中だし」

「ダイエットなんて必要ないでしょう」と元気が朋子の肩を叩いた。

「あの大量のコンテナを動かすんでしょう? おれはしませんが。それなら力をつけないと駄目ですよ」


 ジンパジンパ、と元気はスキップしながらエレベーターへ向かっていく。手伝いはしないが相伴にあずかる魂胆らしい。早く早く、と木橋も急かす。

 そうだよね、と気持ちは素早くシフトした。ひとつ当たり二十キロのコンテナを三十箱以上移動させるのである。腹立たしいが元気のいうとおり、ここはしっかり力をつけねば。


 ところがである。

 よおし、と足を踏み出したときであった。事務の女性が朋子に声をかけた。すでに時刻はジンパをやってもとがめられない時間帯。基本毎日定時の事務職で残業してるの? で? わたしを引き留めるって? と振り返ると、朋子以上に迷惑そうな顔で彼女は続けた。


「運送屋がきていまして。普通なら私のサインで受理できるんですけど。朋子センセのサインが会社としてどうしても必要だといい張って」

「冷蔵品? 冷凍品とか?」

「普通便です。ただ」


 言葉を切って事務の女性は木橋たちとは反対側のエレベーターに顔を向ける。

 あかりがともったエレベーターホールが何やら薄暗くなっていた。あんなところに柱とかあったっけ。目をこする。違う。荷物の山? コンテナ的な? で、事務の女性がこうして訴えるってことは、ひょっとしてひょっとしなくても、あれはわたし宛の?

 だとしたら考えたくないけど差出人は、と頬が震えた直後である。

 携帯電話に通話の着信音がした。送信者名を見て天井をあおぎたくなった。

 やっぱりかあ。


 相手は推定荷物の犯人──岩ポンであった。

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