1-1 ペンギンが目の前を歩いていた(前編)
現代の北海道を舞台に、北海道ごはんたっぷり! 理系女子の生活はこんなで??
愛とか恋とかペンギンとか学会とか。
さあさあ、ご堪能あれ。
第一章 北の大地だ、ジンパでほい
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ペンギンが目の前を歩いていた。
一羽ではない。二羽でもない。十羽以上である。それも黄色いくちばしが鮮やかなコウテイペンギンである。
「あれぇ?」
朋子は間抜けな声を出して目をこすった。朋子のショートボブヘアがふわりと揺れる。ペンギンたちは消えない。フリッパーを動かして、自由きままに室内を歩いていた。
水族館でも動物園でもない室内。それも自宅アパートではない。
大学の共用施設内だ。
大量の電力を使う大型装置が五台並び、壁も天井も床も白い室内であった。その中を十羽以上の大型ペンギンが歩いていた。幼児サイズのペンギンなので見わたすかぎりのペンギンともいえる。
うわあ、と朋子は顔をしかめる。
「ペンギンが出るほどまだ測定していないのに」
なんでかなあ、と肩をすくめて操作に戻る。戻るんかい、とばかりにペンギンたちが動きを止める。それからいっせいに振り返り、息を合わせてフリッパーを朋子の足へ叩きつけた。
「いったあっ。何すんのよっ」
悲鳴をあげても操作は続ける。
朋子が使っているのは走査型電子顕微鏡。すきゃにんぐ・えれくとろん・まいくろすこおぷ、略してSEMである。
いろんなことができるデカい顕微鏡である。
タングステンフィラメントの熱電子銃タイプで二次電子像だけでなく反射電子像も観察でき、エネルギー分散型X線分析装置EDSを装着しており低真空モードにも対応、そのほかうんぬんかんぬん、という大型装置であった。ざっくりと数万倍率まで像観察ができる顕微鏡である。
工学部の人間なら一度は耳にしたことがあるメジャーな装置だ。理学部出身の朋子でもこうしてほぼ毎日利用していた。
朋子は口をへの字にまげてモニターを見る。白黒画像の色合いをととのえ、同時によりしっかりと焦点を合わせる。指先の震えほどの動きでも一万倍近い倍率では画像がぶれる。油断ならない。
「よおし。ここだな、って、うおう」
ペンギンたちが朋子の視界をさえぎった。全長一メートルほどのペンギンたち。彼らはモニターとキーボードのあいだを列をなして跳ねていく。
「邪魔しないでよ」
手ではらうものの、朋子の手はペンギンたちの身体を虚しくすり抜ける。むっとして身を乗り出すとペンギンたちは朋子の背中に飛び乗り跳ねた。実体はないのに衝撃はある。あやうくキーボードに額を打ちつけそうになる。
「ああもうっ。あと少しなの。お昼ご飯も食べないでがんばっているんだよ。出るくらいだから知ってるでしょ。あと少しだよ。ほうっておいてよ」
くりっとした瞳をさらに見ひらいて、朋子は作業台の上に片膝をつく。スカートのすそがまくれたけれど、邪魔されるよりはましである。それでも強引に装置のあいだに入りこもうとペンギンたちは朋子に迫る。させるか、と朋子は不自然な体勢のまま気合いでマウスをにぎった。
とにかく画像保存だけはしなくては。のべ六時間の苦労が無駄になる。画像を取り込みファイル名に名前を入力するのだが。その指先をペンギンたちがくちばしでつついた。誤字続出かつこれまた痛い。
「やーめーろーやー」
わめきながら入力作業をしていると咳払いが聞こえた。
「装置が壊れるから作業台に乗らないでください」
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