6.曇天と晴れ間
その夜、また夢をみた。
布団跳ね除けて起き上がる。うまく息ができない。
手を繋いで歩く二人男女。その笑顔は幸せそうに笑っていて……
けれど、そこにものすごい勢いで馬車が突っ込んできた。
暴走している馬は何をしても止まらずに一直線に駆けてくる。
ガラガラと車輪の激しく回る音、それから周囲で悲鳴が上がる。
男性は避けられないのを悟ると女性を突き飛ばし、ただ一人少しでも衝撃を和らげようとしたのか身を固くして――。
ドンッ
男性は突っ込んできた馬車の下敷きになった。
「……うっ」
吐き気がこみ上げてくる。思わず口元を覆った。
映画のワンシーンだってここまでリアルにやるだろうか。
石畳の上に広がったおびただしい量の血がおぞましかった。
いつも見る。一組の男女の死に際で、毎度毎度場面は違うのにそのどれもが悲惨なものだった。
今日は男性が死んだ。それが女性の時もあるし二人共の時もある。
必ずどちらか一方か二人共が命を落とす。何度も、何度も。そんな場面ばかりが繰り返される。
以前はここまでじゃなかった。ほんの時々、それもホラー映画をみたあととか。そんな程度だった。
それなのに、最近頻度が増えてきている。
自分で気づいていないだけで相当なストレスでも溜まっているのだろうか。
または、なにかの暗示とか。いやそれはないだろう。そんな不確かなものすら疑うなんて。
ぐしゃぐしゃと頭を掻き、再びベットに倒れこんだ。
暗い天井をじっとみつめる。何も考えたくないのにあのシーンが妙に浮かんできてしまう。
何回見ても慣れない悪夢。それでも眠気はやってくるから不思議だ。
ゆっくり目を閉じる。今度はちゃんと眠れるだろうか。
そんなふうに悶々と考えていたら、いつの間にか意識が落ちていた。
次に目が覚めたのは携帯端末にセットしたアラームが起床時刻を告げた時。
どんよりと曇った空が今の気分のようだ。大抵朝になれば薄れて忘れていくのに今日ははっきり夜中の夢を覚えていた。
いつも通り支度して、いつも通り学校に行く。だが下足棚まで行って、頭を抱えたくなった。
いい加減見飽きた後姿。艶のあるポニーテールが揺れる。言うまでもなく雨崎さん。
そもそも同じクラスだが最近やたら遭う気がする。朝からついてない。
おはよう、なんて友達みたいに声を掛けることもない。普段のように素通りだ。
そう思ったのに。今日は違った。
「神無くん、あの……」
控えめな声に振り返れば、いつものように真っ直ぐ教室に向かわず彼女は僕を待っていたようだった。
「え、なに」
意図的に、ではないが心底不機嫌そうな返事が自分の口から飛び出ていた。
といってもこれもいつも通り。あっちも慣れっこだろう。
けれど、なにかが違う。
彼女の瞳が揺れていた。
(あれ?)
いつものこと。それなのに、今日の彼女はなぜか傷ついたという顔をしていた。
まるで僕から冷たい返事がくるとは思っていなかったみたいな。
その目はいつもの“無”じゃなかった。
「ごめん、なんでもない」
何か言いたげに口を開こうとしたが、はっとした顔になるとまたいつもの無表情を張り付けた。
そのままなぜか慌てた様子で脱兎のごとく僕の前から走り去った。
「ちょっ」
呆気にとられて立ち尽くした。なんでもない、なんて初めてだ。
彼女の目には確かに僕が捉えられていたように思う。
時々何か言いたそうな目を遠くから向けられることはあったけれど。意味もなく僕に声を掛けるなんてこと、今まで一度たりともなかったはずだ。
思いもよらない出来事に自分がまるで悪い事をしたかのような罪悪感に苛まれる。
いつもこちらを無視しているのはあっちのはずなのに。
「あれ、諒じゃん?なんで下駄箱で固まってんの」
肩を叩かれてようやく我に返る。雅智が後ろに立っていた。
「え、いや。雨崎さんが……いやなんでもない。ちょっとぼーっとしてただけ」
「玄関でか?」
そこで真顔になるのはやめて欲しい。僕がボケたみたいじゃないか。
いい加減玄関に突っ立っていては邪魔になる。歩きながら僕は昨日ことを思い出した。
「それよりお前、昨日の!」
財布を忘れたなんて絶対嘘だ。僕を立川さんを二人にするためにわざとそうしたことは分かっている。
「おお、んでどうだったんだ?」
けろっとそんなことも忘れたように悪びれず聞いてくる。悪気がないのが本当に性質が悪い。
「どうしたもこうしたもないけど。普通にお茶して帰ってきただけ」
「噂の占いとかなんとかに行ったんだろ?相性とか聞かなかったのかよ」
「さあ?」
立川さんにとってはあまりよくない結果だったと言えよう。僕にとっては別に普通。
たとえ彼女にとっていい結果が出ていたとしても教えてやるものか。
半目になりながら雅智の脇腹を小突いた。
それにしても、さっきの雨崎さんはなんだったのだろう。昨日早く帰ったからなにか連絡を伝えそびれたか。
でもそれならどうしてさっき逃げるようにいなくなったかが分からない。
読めない。彼女の行動が。
「うわ、怒ってる?ごめんて」
僕が黙っていることを怒っていると勘違いしたのか、さすがに雅智もバツが悪そうな顔をしている。
確かに昨日のはいくらなんでも強引すぎた。茶化すにも程がある。
だからたまにははっきり言わなきゃいけないだろう。
「何回も言ってるけどあんまり今は興味ないから。ごり押しやめて」
「えー勿体ないじゃん。しかも立川って医者の娘だぞ。お嬢様じゃん」
最後は耳より情報のように小声で言われたがそんなことは関係ない。
「別にどうでもいい。っていうかお前押しが強すぎ」
あれ以上ごり押しされたら僕も困るし立川さんにも悪い。簡単に誰かと付き合おうという気にはなれなかった。
もっと自分が単純だったら良かったのに。人から寄せられる好意をなぜだか素直に喜べない。
なんて考えていたらつい大きなあくびが出た。
悪夢がぶり返す。本当に気味が悪かった。
『もし、悩み事があるなら私でよければ聞きますよ』
ふと昨日のカフェの店員、高坂真尋の言葉が浮かぶ。
相談してみようか。
良く知りもしない相手なのに。むしろ、知らない相手だから話してもいいかもしれない。
なんとなく悪夢のせいで眠れない、なんて内容が内容だけに親や友達には相談しづらかったのもある。
目下のところ睡眠不足に陥っている今、人の話も満足に聞いていない時がある。
あの店員、どうして僕が悪夢をみることが分かったのか。それだけでも気になった。
「諒?急にぼーっとしてどうしたんだよ」
「いや、別に何でも。いつもの寝不足……そういえば昨日ラーメン奢るとか言ってたよね」
話題を無理やり変えようとして、昨日言われたことを思い出した。
分かりやすく雅智はぎくりとした顔になる。
「しょうがねえ。今日の放課後でいいか?」
不服そうだが観念したらしい。
「今日は用事あるから。明日にして」
「珍しいな。まあいっか、オッケー」
特に突っ込まれることもなく雅智は快諾してくれた。
女子同士ならまだしも、まさか男同士でいくのもなんだか変な気がして誘うのは止めたのだ。
それにわざわざ友達に聞かせたい話でもない。
教室についてからは、やけに今日一日を早く感じた。
時々授業中に若干居眠りしたり、ぼんやりしながら過ごしたりしていたせいかもしれない。
あの悪夢を誰かに話せば少しはすっきりするんじゃないかと言う気がして少し気が逸る。
掃除を終えてから約五分。今日は誰にも捕まるまいと鞄をもって僕は学校を飛び出した。