5.嵐の前触れ
僕は、相槌を打った。
多分授業中とか休み時間とかの出来事を聞いていた気がする。他愛もない、すぐ忘れてしまうような会話だったことは覚えている。
隣を歩く女の子はきらきらした笑顔をこちらに向けてくれるが、なんだか眩しくて直視できなかった。
返せない。僕はきっと。この子が向けてくれた分の気持ちを。
我ながら自分でも酷い奴だなと思う。
「そういえば、そのカフェの店員さん占いができるんだって」
「へえ。ちょっと変わったカフェだね」
「あ、その店のサービスじゃなくてたまたま店員さんに占ってもらった子が当たったらしくて。それが広まったの」
そういえば占いの店があるとかどうとか誰かが噂していた気がする。
もしかしてそこだろうか。僕にはあまり興味の湧かない話だけれど。
だが、いつの間にかいつも行くゲームセンターの方向へ進んでいるので首を傾げた。こっちにカフェなんてあったのかと。
もう目の前がゲーセンだ。だが、それ以上は進まず信号を使って反対側の道路へと彼女は僕を導いた。
なんだか既視感のある小さな店。
ちょっとお洒落な感じ看板。その前にひっそり立てられているのは白いチョークでメニューの書かれたブラックボード。
通りに面しているのにあまり目立たないのは外観のせいかもしれない。
先日、雨崎さんが入っていった店だということを思い出す。
かららん
ドアのベルが渇いた金属音を立てて僕らを出迎えた。
「いらっしゃいませ」
やってきた店員に見覚えがある。確かあの時、外にでてきたのを見た。
髪が長いから細身で長身の女性だと思っていたら低い男性の声だった。
確かに肩幅が広いとは言え、ひとまとめにされた髪は艶があって見た目も雰囲気もどことなく中性的な印象を受ける。
「お好きな席にどうぞ。今水をお持ちしますね」
にこりと愛想よく笑うと彼はカウンターの中へと入っていった。
何歳なのだろう。二十代といえばそう見えるし三十代といわれても納得できる。
店内はあまり広くはなく、客も二人組のおば様方と一人でコーヒーを飲んでいるおしゃれな白髪のおじいさんだけだった。
アンティーク調の小物や雑貨なんかが置いてあり、静かにジャズが流れていて大人な雰囲気がする。
想像していたのはなんかもっとこう、明るくて解放感のあるチェーン店的な感じだったのだが。
なんだか制服の僕らはちょっと場違いな気がして気が引けた。
だが彼女はそれよりなにか別のことでも気になるのかきょろきょろしている。
窓際にある二人席を目に留めて、そこに座ることにした。
「ラッキーだね。いつもはもっとお客さんがいるらしいんだけど」
「ふーんそうなんだ」
平日だしこんなもんじゃないかと僕は思う。
ことりとガラスコップに入った水を置くと「ご注文が決まったら呼んでくださいね」と言い残して店員はまたカウンターの奥へ戻っていった。
他に人の気配が無いが店員はあの人だけなのだろうか。
小さな店だからそれでも十分なのかもしれない。
「うわ、高…」
品数の少ないメニュー表に記された金額に、僕は小声で呟いた。コーヒー一杯に大体五百円前後くらい。
一般中流家庭の高校生にとってはなかなか出しがたい。たかが飲み物に五百円は大きい。
けれど来てしまったものは仕方がないから、とりあえず紅茶を一杯だけ頼もうと心の中で決めた。
「なににしよっか」
「僕はこれにする」
「じゃあ、私もそれにしようかな」
決めかねていたようだが立川さんは僕と同じものを選ぶとすぐに店員を呼んだ。
「紅茶、お二つで。他にご注文はよろしいですか?」
「あのっ」
まだ何か頼みたいものがあったのだろうか。ケーキの一つくらいは食べたいかもしれない。
さすがにそこまで気が回らなかった僕は、店員を引き留めた彼女の言葉を待った。
「あの、噂で占いをやってくれる……なんて、聞いたんですけど本当ですか?」
なるほど。さっきから彼女がそわそわしていたのはこのせいだったのか。
女子はそういうの好きだな、と思う。
「ああ、占い希望ですか。今日はお客様も少ないので大丈夫ですよ」
ちら、と僕の方をみて一瞬驚いた顔をされた気がするが、すぐに立川さんに視線を戻す。
何かを勘違いされたかもしれない。
「ただ、私も簡単なことしかできません。所詮は素人のものなので外れてもがっかりしないでくださいね」
口元に指を当てて微笑んだ店員は先に飲み物を準備するからといなくなった。
どういうことをやるのか分からないが、あの外見で占いというのがやけに似合う気がした。
「当たるのかな」
水を口に含んで嚥下する。冷たさが乾いたのどに染みわたった。
僕は大して興味もなかったがなんとなく尋ねてみた。
「ど、どうかな?結構当たるって評判みたいだけど」
うきうきした様子の立川さんは無意識なのか今か今かとカウンターと僕を交互に見てくる。
困ったな、なんて思ってる僕の心情にはきっと気付いていないんだろう。
だんだんここから逃げたくなってきた。雅智を少し恨む。
店内はオレンジ色の優しい照明に照らされていてなんだか眠くなりそうだ。
流れてくるコーヒーの香りが香ばしくて、僕は飲めないけれどきっとおいしいんだろう。
ゆったりとした時間が流れている。この店の雰囲気自体は嫌いじゃなかった。
ほどなくして、ふわりと良い香りが流れてきた。
温かな湯気を揺らして綺麗なティーカップに注がれた赤い紅茶が運ばれてくる。
僕らの前にそれぞれ置くと店員はテーブルの横に長身を折りたたんでしゃがみ込んだ。
「きみ達は学生さんだね。さて、占いたいことはなんでしょう?勉強、将来、それから……恋?」
芝居がかった口調、仕草、まるで役者のような人だ。
テーブルにトランプくらいの大きさのカードケースが置かれた。
照れたように、僕を見る立川さんの答えはまあちょっと濁したが恋愛運を占ってほしいとのことだった。
ここまであからさまならもう別にはっきり言ってしまえば良いのに。なんて思うから妹にも女心が分かってないと言われるんだろうか。
回答を受け、カードをケースから出す。トランプよりぐっと枚数が少ない気がする。
一瞬見えた表面はよくわからないが絵が描かれていた気がした。
手際よくシャッフルし、裏面のままテーブルの上に山を作ったかと思うと撫でるように崩して並べた。
慣れた感じがまた妙にしっくりくる。カフェの店員より占い師の方が合っていそうだ。
ぼくはぼんやりとその様子を見つめていた。
「それじゃあ、この中から好きなカードを三枚引いて裏のまま順にこっちから並べてください」
彼女は実に真剣な顔をしてカードを選んでいる。
物珍しさに、様子をみていたらふと店員が僕を見ていることに気が付いた。
目が合う。彼は何事もなかったかのようににこりと笑うと全て選び終えた立川さんのカードに手を伸ばした。
意味深なのが妙に怖い。なんだったんだろうさっきから。
一枚一枚丁寧にめくる。現れた表面はやっぱりなんだかよくわからない絵柄とそれから真ん中に記号と外国語らしき言葉が書かれている。
「うーん。そうですね。正直あまりいいとは言い難いかもしれません。それでも聞きたいですか?」
彼女の顔は強張ったがすぐにこくりと頷いた。店の客引きの一環かと思ったがそれなりにちゃんとやってくれるらしい。
少しじっと眺めた後、店員は言葉を選ぶように結果を述べ始めた。
「今はまだあんまり恋愛運は良くなさそうです。もし恋をしたいなら、もう少ししてからの方がいいかもしれません」
「えー、そうなんですか?!」
残念そうに肩を落とした彼女はちょっとだけ悔しそうだ。
「何事も急がば回れといいますしね。半年くらいしたらなにか転機があるかもしれませんよ」
カードを順に見つめて三枚目を指さしながら言った。
「このカードは幸運を示しています。いいことがあるといいですね。さて、これで私の占いはお終いです。冷める前にどうぞ当店の紅茶をお楽しみください」
さらりと一礼するとカードを片付けて店員は店の奥へと戻ってしまった。
まだ熱い紅茶に口をつけるといつも飲んでいるやつとちがって甘くなかった。
飲みなれない味だ。僕はひとつ砂糖を落とした。
「これ、おいしいね。ふふふ、ちょっと残念だけど神無くんと来れて良かったな」
所詮占いは占い。彼女はめげずにそう言って一口すすった。
きっといい子なんだろう。
てっきり、下世話な気を回して店員が彼女に都合の良さそうなことを言うかと思ったのに。
多分そればかりでないから学校の女子の間で広まったのかもしれない。
彼女も占ってもらうために来たんだろうか。
急に雨崎の顔が浮かんできて、頭を振って消し飛ばした。
今年に入ってから前以上に彼女に関わらざるを得ないことばかり起こって気が滅入っていたというのに。
自分から掘り起こしてどうするのだろう。
「大丈夫?この前からだけどちゃんと寝てるの」
目の前にいる立川さんは目を合わせると僕の顔を覗き込んできた。
「最近なんかちょっとね。ここの雰囲気がよくてゆっくりしちゃった。悪いけどこれ飲んだら僕は帰るね」
「う、うん。早く帰って休んだ方がいいよ」
占い結果の後に僕のこの態度だ。みるからにしょんぼりしてしまったけれどそれ以上に顔には心配の色が濃く浮かんでいた。
そんなに僕は体調が悪そうなのだろうか。学校のトイレでみた自分の顔色は普通に思えたのに。
掛ける言葉が見つからない。その気もないのに惑わせるようなことは言いたくない。
だから、少し微妙な距離感のまま全部飲み終わった僕らは無言のままで店を出ようとした。
「あ、きみちょっと待って」
会計はちゃんと済んだつもりだが、さっきの店員に呼び止められた。
先に立川さんは店をでてしまったから閉まったドアで僕らは隔てられる。
「きみ、あまりよくない夢をみるでしょう」
言い当てられたことに驚いて僕は、目を見開いた。
そう言った彼の視線は疑問形じゃなくて確信めいたものだったから。
「なんで……分かるんですか」
「ふふふ、秘密です。もし、悩み事があるなら私でよければ聞きますよ」
そっと差し出された名刺はこのカフェの店名と住所、電話番号。それから“高坂真尋”と書かれていた。
それが彼の名前らしい。
「夏音ちゃん、火曜は絶対来ませんから。よかったらまたいらしてください」
なぜ、その名前が。聞こうとして聞けなかった。
かららん、と扉を開けて新しいお客さんが入ってきてしまったから。
背中を軽く押されて、気付けば僕は店の外に出ていた。
最後に見た妖しげな笑いに、僕は一抹の不安を覚えた。