3.晴れ時々薄曇り
「てかさ、ほんとになんも覚えてねえの?」
放課後、学校から離れたゲームセンターの中。クレーンゲームで遊びながら雅智が聞いてきた。
もう何度か同じことを聞かれたけれどそのたび僕が返す言葉は一つだけ。
「覚えてないってば」
紙パックのジュースを啜りながら僕はクレーンゲームの台に身体を預けてアームの行方を眺めていた。
うまい具合にフィギュアの箱に引っかかったように見えたがするんと抜けた。
箱は少し傾いて置き去りにされたままだ。
「言ったじゃん。一回本人に理由聞いたって」
くしゃりと中身の少なくなった紙パックが潰れた。思わず強く握ってしまったらしい。
どれだけ考えたって僕には分からない。
どうして彼女があんな態度をとるのかが。
彼女から避けられている、そうはっきり気が付いたのは中学にあがってすぐの頃だった。
小学生の頃はどうだったかは分からない。雨崎夏音と言う人物をせいぜい同級生の一人くらいにしか思っていなかったからだ。
大人しいという程度の印象しかなくて、ずっと同じクラスだと気付いたのも割と最近のこと。
移動教室がどこか分からなくてたまたま近くにいた彼女に聞いたら「理科室。あっち」とだけ。
つっけんどんというかぶっきらぼうというか。なんととも突っぱねた言い方だった。
顔に似合わず吐き捨てる様な言い方に怯んだ僕は、彼女がさっさと教室を出ていくのを黙ってみているしかなかった。
あの時の冷めた表情が未だに棘のように刺さって忘れられない。
ちょっと機嫌が悪かったのかもと、気を取り直してそれから何度か彼女に話しかけてみたが全部同じような感じ。
先生からの伝言だとかは聞くのに日常会話は全部シャットアウト。段々ロボットに話しかけているような錯覚を覚えてくる始末だった。
だんだん僕だってイライラもしてくる。
それでももしかしたら昔、気づかないうちに彼女を傷つけたり怒らせてしまったりしたことがあるのかもしれない、なんて考えた時期もあった。
少しずつ溜まった靄が心の奥底に沈殿していった。
結局、自分じゃ答えがでなくて直接聞いたのだ。
「別に。だって。意味わかんないよな」
偶然タイミングよく放課後の教室に居残っていたのを見つけて無理に押しとどめた彼女からは冷たい一言が返ってきた。
「あの様子じゃなあ。言いそう」
曰く、「こっちの都合だから私に構わないで」だそうだ。
意味も分からずあからさまな避けられ方をして不快な思いをしているこちらの都合はお構いなしか。
そんなやり取りをしたのがかれこれ数年前だった気がする。
そこでなんだか少しだけ怖くなったのだ、彼女のことが。理由も言わずあからさまな周囲との態度の差を見せられて。
あれから、それまでなんとなく苦手だったのがかなり嫌な人間にランクアップした。
だんだん自分からも余程の用事でもなければ雨崎に近づくことはなくなった。
クラスが同じという枷がなければ完璧だっただろう。
「お、あと少し!」
得意げに唇を舐めると子供のような笑顔を浮かべた友人がガラスに映っていた。
この顔になったということは本当にあと少しでとれるのだろう。彼は妙にこういうのが上手い。
僕はその様子を笑いながら横目にみて、空になった紙パックをゴミ箱へと捨てに行った。
入口の近くにしか置かれていないから少し離れる。アーケードゲームの筐体の近くを通り過ぎた。
がやがやとうるさくて、いろんな電子音が組み合わさった雑音に支配されたこの空間が割と好きだ。
周りからは意外といわれることが多いけれど、いろんな音に掻き消されてなにも考えなくて済むから。
他にほとんどごみの入っていない袋の中へ放り投げたらすこんと音がした。
さっさと戻ろう。そう思って顔を上げるとガラスの自動ドア越しに雨崎が目に入った。
噂をすればなんとやら。ぎくりと身体が強張るも、幸い今回はこちらに気づいていないようだ。
今僕のいるこの建物の方には目もくれず、真っ直ぐどこかへ向かっている。
なんとはなしにそれを目で追っていたら丁度信号が青に変わった。
スカートの裾を翻して、小走りで反対側へ渡っていく。その姿は学校の友達といるときよりどこかうきうきしているように見えた。
なんだろう。幾度となくこのゲーセンには来ているが初めて彼女の姿をみた。
もしかしてこっちが家の方だったのか。
そのままなんとはなしに突っ立って観察していたら、なにか目立たない程こぢんまりとした店らしき建物の前で立ち止まった。
その手はドアノブにかけられて。開けようとしていたのだろうか。
だが中から誰かに開けられたらしい。長い腕がにゅっと伸びて人が出てきた。
シャツに腰に巻くタイプのエプロンをした―見た目はカフェの店員のような印象だ。
長い髪をひとまとめにした細身で背の高い店員。顔はみえないが仕草でなにか楽しそうに彼女と会話をしているらしい事は分かった。
すぐに彼女を中へと招き入れると扉は閉じられてしまった。
「なーにみてんだ。綺麗な人でもいたんだろ?」
「うわっなんだよ。とれたんだ」
鼻先ギリギリにセクシーな衣装を身に着けてポーズをしたフィギュアの写真がでかでかとプリントされた箱が現れる。
犯人は言うまでもない。僕は箱を押しのけると半目で睨んだ。
「はぐらかすなって。なになにどこどこ。俺もみたい」
「違うっつの。知り合いに似た奴いたんだよ。多分違う」
「えー、そんなこと言って本当は?」
僕はフィギュアの箱を奪うと雅智の顔に押し付けた。
文句が聞こえるがそんなものは聞こえない。今僕は何もみなかった。関係もない。
「腹減った。どっか食いに行こうぜ」
「はいはい。諒は何がいい?」
「お前いっつも僕に聞くよな。合わせなくていいよ」
「だって俺特に好き嫌いもないし。旨かったら何でもいいもん」
大体そう言っていつもラーメンかファーストフードになる。
どっちにしようか。なんて悩むよりはやく今日は後者の気分だった。
景品用に置かれているポリ袋を一枚拝借すると雅智は丁寧に箱を中にいれた。
近くの店に入れば、制服姿がちらほらみえる。
この辺りは自分たちと同じように学校帰りに立ち寄る学生が多いのだ。
適当に注文して、空いた席を見つけて座った。
途端に雅智はやや身を乗り出し気味に、にやりと含みのある笑い方をした。
「そう言えば諒さあ、俺のクラスの立川とかどうよ」
「どうって、なにが」
唐突な質問の意図が掴みかねた。
「いやなんか聞いたんだけど、お前のことミステリアスな感じでカッコいいって言ってるらしいぜ」
「は?」
顔は知っている。今流行りの若手の女優にちょっと似ていて周りがよく可愛いだのなんだのと噂している。
確か、よく成績上位にいて頭がいいんだなと言う印象くらいはあるが喋ったこともない。
なぜ突然そんな話題が振られたのか。
「だってそんなん聞いたらこっちも気になるもんだろ?」
「いや。てか何急に。お前がその子が好きなの?」
なんだかその言い方は随分わざとらしく、胡散臭い。
いつもなら真っ先に戦利品を袋から取り出して中身を出さないまま箱を舐めるように眺め始めるくせに。
今日はどうにも様子が違う。
「違う違う!諒となら話も合うかなって思ったんだよ。話してみたけど結構いい子だったしさ」
妙に推してくる。どうしてわざわざ、と思ったがなんとなく嫌な予感がした。
じゃりじゃりとわざとらしく音を立ててアイスティーの氷をストローでかき混ぜながら、怪しさしかない彼をじっと見る。
すすす、と段々視線が斜めに泳いでいくのが面白いほどよくわかった。
これは何か隠している。
「そんないい子なら雅智付き合ったらいいじゃん」
「違うって、その子が諒を紹介してって言ってきたの…あ」
じゃり、氷を混ぜる手を止めた。
僕が無言になったのを見て雅智はしまったという顔をする。
「…僕は、いい。悪いんだけどあんまり興味ないから。多分僕といてもあんま面白くないし」
「えー、勿体ないじゃん!!それで何人泣かせてきたの」
「いや、泣かせてないし。前も言ったけど、今のところそういうのはいいから」
断って欲しいと告げれば心底残念そうな顔をされた。まるで自分のことのように喜怒哀楽を示す。
前にも一度こんなことがあった気がする。その時も同じように言ったはずだ。
なんだか誰かと付き合うという感覚がしっくりこない。まるで想像がつかないのだ。
第一、雅智は人に女の子を薦める前に自分が彼女を作ってもおかしくない。
ちょっとフィギュア収拾の癖があるが。仲のいい子の一人や二人いるだろうに。
それなのに未だにそんな気配を見せない。実は誰にも内緒で誰かと付き合っていたというのはもしかしたらあるかもしれないけれど。
「しょうがねえなあ」
雅智はしょんぼりした様子だが、気にせずポテトを摘まんだ。
カリカリに揚げられたものが好きなのでここの店のが個人的には一番おいしいと思う。
「それ、こっちの台詞だから」
そういうといつものようにがさごそと袋から箱を取り出し眺めはじめた。
前に聞いたら中身は家に帰ってからちゃんと眺めるが箱は箱で見応えがあっていいのだとかなんとか。
僕にはよくわからなかったが本人の勝手だと思ってそれ以上は聞かなかった。
その後は明日の小テストのことだとか、今日あったことだとかなんだかくだらないことをだらだら話した気がする。
家に帰る頃には、その日見た雨崎夏音のことなんてすっかり忘れていた。