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12.小雨

訪れた放課後。ほとんどのクラスメイトは部活やら委員会やらで放課後は教室に残らない。

だが、まだまばらに人が残っていてこのまま話ができるのだろうかと思っていた矢先のこと。


雨崎夏音は静かに席を立った。ちらりと視線を寄越すとそのまま廊下へと出ていってしまった。

十秒くらい経ってようやくついて来いという意味だと気付いた僕は慌てて彼女を追いかける。


歩幅があまり広くない彼女はまだ出てすぐのところにいて、僕を待つようにゆっくり歩いていた。

迷うことなくその背についていく。僕が付いてきていることを確認することもなくずんずん歩く。


そうして辿り着いたのは、ほぼ使われることのない空き教室だった。


がらんとした机も椅子もない空っぽの部屋。ここは、普通の教室がある棟とは離れている。


日陰になっているから電気をつけていないと晴れていても薄暗くて少し不気味なくらいだ。とはいえ、話すにはうってつけだろう。


二人して無言のまま向かい合う。

どのくらいそうしていたのだろう。話す気はないのかと痺れを切らして僕が口を開こうとした時だった。


「今までずっと避けててごめんなさい。だからきちんというね。これからもあなたを避け続けます」

「は?」


至極真面目な顔して素っ頓狂な台詞を言う。

僕が聞きたかったのはそんな宣言じゃない。

もちろん何言ってんだこいつと内心思ってしまったのは仕方ないだろう。


だがここではいそうですかなんて折れたらやっと掴んだチャンスが無駄になる。

ようやくなにかしら話してくれる気になっているのだ。ここは粘りどころだ。


「それ、昨日言ってた僕が……死ぬ?とかってのに関係あるの」


彼女の顔が強張った。なんなら若干青褪めているくらいには顔色が悪い。

冗談は止めてくれと言いたいけれど、あの時みた涙が偽物だとは思えないし今だってそうだ。


どこかそわそわして落ち着かなそうな様子は普段の彼女からは想像できない。

いつも姿勢よく僕以外の誰とでも分け隔てなく接するような印象は薄い。


ぼんやりと輪郭がぼけたように消えてしまいそうだった。


「うん」


ブラウンの柔らかなカーディガンの裾をきゅっと握りしめる。

相当強い力で握っているのか手が白くなっているのに僕はどうすることも出来ない。


「私のことおかしい奴だって思ってもいい。気持ち悪い奴だって思ってもいい。それでも、聞いて」


声が少しだけ震えていた。まるで何かに怯えているようだ。

確かに今からおかしなこと言いますって宣言しているようなものだけど。


今更おかしなことが増えたって何を躊躇うことがあるというのか。


「何度も言ってるけど私、神無くんのこと嫌ってるとかそういうわけじゃないの」


それはもう分かったことにしよう。いちいち突っかかっていては話が進まない。

僕は頷くと続きを促した。


「私とあなたが近づけばどちらかが死んでしまう」

「ちょっと待って、どうしてそこに話が飛ぶの」


近づけば死ぬ、というのは物理的な距離の話じゃないはずだ。

もしこの話が本当だとして、何年も同じクラスなのだ。

だったらこの数年のうちにどちらかが死んでないとおかしいだろう。


だとしたら、これまでの彼女の態度から見てもそう。答えは一つしか浮かんでこない。


「外れてたらあれだけど。もしかして僕と雨崎さんが仲良くなったら……みたいなこと?」


要は精神的な距離というやつだろう。


相当自意識過剰と言うか変なことを言った自覚はある。あるけれど、彼女は押し黙った。

口を開かないままどんどん目線が下がっていく。この反応は図星か。

俯くと影が落ちて表情が見えなくなってしまう。


「……うん」


長い沈黙の後で示された肯定の意は僕の中に小さな波紋を作った。


「どうして?」


またも答えを躊躇って彼女は小さく首を横に振った。

なぜ僕と彼女が仲良くなれば死ぬなんて話に飛躍するのかがどう考えても分からない。


「理由は聞かないでほしい」

「答えられない理由って、何」

「お願い。それだけは聞かないで」


懇願に近い形で静かに言い切られたら僕もそれ以上強くは言えなかった。


「それは、こうして普通に話す分には大丈夫なんだ」

「本当はできれば会話もしない方がいいと私は思ってる」


曖昧な表現だ。私はそう思ってる、なんて言われても説得力の欠片もなくていまいちすとんと落ちてこない。

現に今僕達は普通に会話していて、二人だけの空間にいるというのに。


「そんなの信じられる訳ない」

「信じてなんて言わないよ。でも今まで通り私には関わらないで。あなたの幸せのためだよ」


彼女の口から僕の幸せなんて言葉がでてくるとは思いもしなかった。

馬鹿馬鹿しいと言い捨てるにも、ふざけるなと怒るにも全部彼女の言葉で勢いが削がれてしまう。


「なに、それ。どうして僕の幸せなんて」


それでも僕には納得いかない。僕の幸せなんて言って身勝手じゃないか。

第一赤の他人の雨崎さんがどうしてそこまで僕のことを気にかける必要がある。


「それって僕を死なせたくないって言うけど自分が死にたくないんじゃないの」


僕のことなんか気にせずに自分のことを考えたらいいのに。

まるで僕を理由にしているようでちょっと苛立たしい。


そう言ったら彼女はぐっと唇を引き結んだ。


「それも、あるかもしれないね。ううん。そうなのかも」


あの無の目も、僕を居ない者のように無視する態度も全部このためだというのか。

これじゃなんの答えにもなっていない。僕が知りたかったのはそうじゃない。


なのに彼女は全て飲み下したような顔でにこりと笑ったのだ。


「ガン無視はさすがに私の失敗。でもこれだけは話したかったの」


初めて僕に向けられた笑顔は笑っているのにどこか悲しそうで、触れたら壊れてしまうんじゃないかと思うほど儚かった。


「それじゃ何も分からない。仲良くなると死ぬなんて。だったらその死ぬかもしれない可能性って潰せないの」

「あははっそれじゃまるで神無くんが私と仲良くしたいって言ってるみたいだよ」


どくんと心臓が跳ねた。

どうしてそこまで僕は彼女に関わろうとしているんだ。


今まで通りでいいはず。彼女だってそう言っている。

核心部分は分からないままだけれど、僕を避ける理由は聞いた。

信じる信じないはまだ自分の中で処理できていないけれど、これ以上踏む込む必要はない。


「今まで通りでいて欲しい。私のことはただクラスにいる人、くらいに思って」


くらりと眩暈がする。


この教室の全てが歪んでいくような。

閉め切られた窓も、チョークの汚れが残る黒板も、電気のついていない蛍光灯も。

滅茶苦茶に混ざり合って僕に襲い掛かってくる。

そんな錯覚を感じた。


既視感を覚えるこの笑顔。どこかで見た覚えがある気がするけれど思い出せない。

笑いかけられたことなんてないのに。


彼女はただこれ以上関わるなといっているだけ。

僕も今まで通りにすればいい。それだけのことなのに。

なんだかそれじゃいけない気がしてぐちゃぐちゃの頭の中から語彙を引っ張り出して来ようとする。


「僕にできることはない?」

「え?」


やってしまった。思い付きで言ってしまった。

頭を抑えたくなる気持ちを堪えて、僕も負けじと雨崎さんの目を見つめ返した。


「よく分かんないけどさ、一人で抱えてもどうにもならないことってあるでしょ。僕だってあからさまなガン無視は傷つくし」

「聞いてた私が言ったこと?今までどおりでいてくれたらいいの。私にこれ以上関わらないでくれればいい」

「だってそんなのおかしい。きみがそうして欲しいなら僕はそうする。でもそれで今まで解決しなかったんでしょ」


雨崎さんは目を大きく見開いた。


「やっぱりあなたは、あなたなんだね」


ぽつりと独り言のように呟いた言葉。

その意味は推し量れなかったけれど、なんだか僕は知らない誰かを見ている気分になった。


彼女はふらふらと数歩後ろに下がると掲示物も何もない壁に背を預けた。

考える様な素振りで少しの間目を閉じていた。


「じゃあ、頼めそうなことがあったらお願いする。それまでは今まで通りでいて」


困ったように眉を下げていうものだから僕は了承の意味で頷いた。

まるでこれで満足したかのような顔をして壁から背を離すと、その足が向かうのは教室のドアだ。


「ちょっと、話はまだ―」

「ありがとう。聞いてくれて」


僕を遮って横開きのドアをガラリと引いた。廊下の明るさが少しだけ眩しい。

ああ、だからどうしてそんなに泣きそうな顔で笑うのだろう。


僕の制止も聞かず、彼女は背を向けて教室を後にした。

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