プロローグ
燃え盛る焔と黒煙が渦を巻く。
けれど熱くはない。血を流しすぎたのだろう、感覚すらとうに無くなった。
焦げた匂いが鼻につき、ゆっくりと重い瞼を開く。瞳に映る煉獄に最期を悟る。
倒れた柱がぱちぱちと爆ぜる。
音が近い。間もなく自分もこの火炎に抱かれることだろう。
自分を支えてくれた気の良い友のような従者も、自分に期待を掛けていた両親も全てを私は裏切った。その報いだ。
(ああ、彼女は上手く逃げられただろうか)
それでも、死の淵にあるというのに思い出すのは彼女の顔ばかり。
彼女が生き延びてくれるのならそれでいい。どこか知らない土地で幸せになって欲しい。それだけの為に私は何もかも手放したのだから。
隣に自分がいられないのは悲しいけれど、それでも構わなかった。
幸いにも優しく微笑むあの柔らかな頬に手を添えた時の感覚はまだ残っていた。
「っ」
近くで自分の名を呼ぶ愛しい女性の声が聞こえた気がする。
幻聴まで聞こえるとは、いよいよだ。きっと天の迎えも間もなく現れるのではないか。
もう一度。今度はさらに近くなった。
気の所為ではない。はっきりと、確かに。あの凛とした意志のある声だ。
血塗れで指先すら動かない身体で、目玉だけを動かし揺らめく炎の中を見つめる。
人影が動いた。
飛び込んできたのは天の迎えなんかじゃない。彼女だった。
「いた!やっと見つけた」
信じられなかった。どうしてここに居るのだと怒鳴りたくなった。けれど既に息も絶え絶えで蚊の泣くような掠れた声しかでなかった。
「な、ぜ……」
倒れ込むように自分の上に覆いかぶさった彼女を無理やり腕を動かして抱き留めた。
ドレスの裾は破け、煤けて、綺麗な髪もボロボロだ。なにより彼女自信も傷だらけで、目も当てられないくらい酷い有様だった。
遠くへ逃げたはずではなかったのか。
「逃げ道なんて、とうに絶たれていたのよ。わたくしは誰かに殺されるくらいならあなたと最期を迎えたい」
気丈にそう言って涙を浮かべた彼女の目は、今際の際だと言うのに凛と強い光が灯っていた。
その一言でようやく分かった。祝福されぬ恋路に手を貸すものなどいなかったのだと。
ごう、といっそう火の手が回る。もう逃げ場などない。このまま二人、焼かれるのを待つばかり。
私は手を伸ばす、薔薇色だった彼女の頬は今は汚れて青白くなってしまっているけれど。
それでも触れずにいられなかった。
「貴女を……愛している。この先、何度生まれ変わっても私は必ず貴女を見つけ出します。いつかまた巡り会えたなら……どうか私を、思い出して」
そっと、互いに傷だらけの身体抱き寄せ合う。
願わくば、次に結ばれるなら共に同じ時を生きたいと。
そう祈ると全てが紅蓮にの炎に覆い尽くされなにもかも見えなくなった。
同時に、僕は勢いよく布団から飛び上がった。その拍子にベッドが大きく軋む。
心臓がどきどきして、浅い息を繰り返す。
よかった、ちゃんと自分の部屋だ。なんて馬鹿みたいに当たり前のことを確認して安堵する。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋だが、外は明るくなっていて枕元にある時計は午前六時少し前を示していた。
酷い悪夢をみた。
中世の貴族の戦乱、みたいな場面だったように思う。なんだかとても悲しくて、苦しくて、自分の事のように胸が痛んだ。
しかし誰かが死ぬ夢なんて、気味が悪い事この上ない。
遠くで聞こえる剣戟も、燃え盛る炎の音も気味悪いくらいにリアルだった。
たかが夢と言うにはあまりにも鮮明で、まるで自分が実際に炎に包まれた感覚すらした。
僕はこうして時々おかしな夢にうなされる。
昔はもっと少なかった気がするけれど、今はそこそこ頻繁に見る気がする。
おかげで妙に寝た気がしなくて、頭が薄ぼんやりとしてしまう。
二度寝には少し遅い。学校は待ってはくれないのだから。
仕方なしにのろのろとベッドから這い出ると、気の重いまま僕は自分の学生服へと手を伸ばした。