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8. 知ろうとすれば、知れたこともあったのに

コトの発端は、那和が高校一年生の夏休みに組んだコンピュータープログラムにあった。


初期の、というか、素人が遊びで行う造園設計では殆ど問題にならないのだが、設計、特に建築業や製造業、とりわけ図面を引いて何かを作り出すという仕事において、三角関数は最重要かつ取得必須の技能であることは、その計算をコンピューターが肩代わり出来るようになってからも、息を吸うくらいに常識とされていた。

演算をコンピューター任せにしたところで、その知識がなければ図面を読めないからだ。

今では様々な分野で使われているCGも、その処理には必要不可欠で、知識があるのとないのとでは理解に雲泥の差が生まれるのである。

他にも知識として必要な職種は多いが、専門的な職業が大半なので、それに該当しない一般人からの必要認知度は低い。

これを理解していない人が作ったCG建築物が、


『こんなもん真っ直ぐ建つわけないだろ!?

ペシャンコに潰れて大事故が起こるぞ!!』


と熟練した建築家などから突っ込まれる原因でもある。


さて、少し前まで中学生だった茨木雅和は、成績が良いと言っても、それは中学生相当として。

順当にいけば高校二年生になってから本格的に習い始める三角関数のことは、当然知りもしなかった。

しかし、造園そのものだけだなく、興味の赴くままに手を広げていた当初、造園内に建築したいモニュメントをはじめとした建造物の設計図が理解できなかったのである。

祖父はまだ早いと笑っていたが、母の仕打ちもあって、彼女自身、本人も気づいていない焦りがあった。

少しばかり聞き出した数式をマスターするには時間が掛かりそう。

どうせなら、自分のような素人でもわかるように置き換えればいいのでは!?

それこそ素人の浅知恵で思い立った試みがここから始まった。


思考は単純である。

例えば、公園に遊具を置きたい、と考えたとする。

ブランコ、すべり台、シーソー。

他にもたくさんあるが、どれも国の定めた安全基準をクリアする必要があり、詳細な設計図が必要だ。

形と各部品の大きさや寸法などのサイズ。

ズブの素人が見てすぐ理解できるのは、精々この程度である。


数式は理解出来ない。

実物は見ないことにはわからない。


ならばどうするか?


そうだ!知ってるものを当て嵌めればわかりやすい!


ここの太さは一本九十円で買える丸鉛筆。

この曲線はティースプーンの括れ部分。

質感は?材質は?強度はどれくらいいるのか??

呆れる祖父の知恵を借りながら、自分だけが理解出来るコラ図面が出来上がっていく。

本来なら線と記号と英数字だけが書き込まれるはずの無機質な図面に、カラー写真が、目を疑う単語が書き込まれているのだ。

設計図というものを書く上での、基本すら知らなかったから出来たことだ。

那和が最初だから、と手掛けたのが、複雑な建築物などではなく、シンプルで小さなモニュメントなのも悪かった。

シンプル故に、図面としてなら不適格な画像が、メモ書きが、返って作製者の意図を、具体的な想像を伴って相手へ伝えることに成功していた。


仕事現場でなら、クライアントの前に出すことすら出来ないくだらなさ。

子どものお遊びにしか見えない拙さは、しかし!


ある日たまたま遊びにきた父が見て、大ウケした。


設計図を正確に理解出来る祖父が用意した図面に、那和がわからない人用の置き換えを施す。

設計図などを頻繁に見ていなくても、プログラミングする中で必要な知識として図面を読み解く技能を持っていた父は、双方の言いたいことがわかった。

那和が興味を示した中には、父のプログラミングも含まれていたことから、さわりの知識と技術は既に伝授出来ていて、応用に入っても問題なかったのだ。

娘の発想は、理解出来る人間が使用すれば、技術者ではないクライアントへ、より納得して貰えるだけの説得力を持ったプレゼンが出来ると確信したのである。

それを実現させるプログラム。

出来上がった図面を取り込んで、その上から、“那和の発想”をトレーシングペーパーのように上乗せする簡易プログラムの製作を提案した。

一々画像などに加工を施して貼り付けるという作業の手間を考えていた那和は、父の提案に二つ返事で頷き、祖父も一緒になって、今度は全く新しいプログラムを組むことに時間を費やすことを決めた。

途中どうしても数式への理解が必要になり、学校で習うよりもずっと早くに、その分野のみの勉強に励むことにもなったが、好きなことのためという高いモチベーションがあったからか、習得も驚くほど早かった。

プログラミング技術の向上も同時進行で行われたため、実際にそれが形になってきたのは、中学卒業間近であったが。


高校入学の前後は、突如復活した母親からの過干渉に辟易して、祖父母宅への訪問が滞りがちになっていた。

『特進』科がどうこう、『普通』科がどうこうではなく、ただ世間では有名でない名の高校など成績において大したことがないと決めつけ、その大したことのない中にいて、親を納得させられるだけの成績が取れないのは、本人の怠慢に他ならないと母親は考えた。

クラスや学年の平均点も、順位も関係ない。

レベルの低い学校の通知表など見るだけ無駄と開きもせず、添削されたテスト用紙だけを提出させた。

数字という、その数が大きいか小さいかだけで全てが評価されると信じて疑わない価値観も間違いではないが、例え第三者が低いと感じた点数であっても、それより高得点をとった者がいなければ、その者がトップなのだ。

母親が憤ったのは、彼女が、レベルの低い、と思い込んでいる集団の中で、中学ではそれなりの成績を取っていた筈の娘が、軽々と一位の地位に立てなかったのは、自分の忠告を、我が儘と親への反抗心によって意地を張ったはいいものの、引っ込みがつかなくなった故の過ちだと認識したからだ。

間違っても自分の認識そのものが、学校の評価を始めとした、世間一般の認識から遠く外れているとは思いもしなかった。

反省を促すため(と母親は思っている)とはいえ、自分が手助けを行わなかった期間が長かったために、娘がより怠け者の堕落者になってしまった。

……そう、見当違いの反省をしたのだ。


まだ巻き返しはできるはず!


高校には既に入学してしまっているが、その中でだけでも常に上位グループに入ることが出来ていれば、大学受験に必要な内申点は十分に確保できる。むしろ周囲にやる気のない生徒が集まっているのなら、高い評価を貰うことも容易なはず。

そう考えれば、今の学校もそう悪くない選択だったかも知れないわ!


勝手に都合良く解釈して自分を納得させた母親は、ならば今度こそ娘を正しい道に進ませるための教育を行おうと、那和にとっては邪魔以外の何ものでもない干渉を、再び始めたのだ。



母親の考えとは裏腹に、那和は母との関係を変えようとは思ってなかった。

思春期の子どもにしてみればかなり長い期間を、冷遇されて過ごしたからだ。


最低限の世話はしていた!

虐待ではない!


そんな言い訳など通用しない。

母親と妹は敵。味方は父親と祖父母。

まだ誕生日を迎えていない十五歳の少女にとって、一年以上にわたって行われたあからさまな贔屓と見下しの数々は、表立って怒鳴りあいといった親子げんかをしなかったからといって、確実に彼女の心を傷つけていた。

誰それと比べれば、などという慰めには意味が無い。

何故なら、ヒトは自分が経験したことを、一番信用できる事実として受け入れるからである。

母親に影響を受けてしまっただけの妹、雅を、母の同類、私の怨敵。と、しっかり線引きしてしまうくらいには。


何故こんなにも心配してあげているのに、那和は私の言うことを聞かないの!?

もう意地張るのなんか辞めればいいのに!


今更ぐだぐだ煩いな。私は私なりに頑張ってる。やりたいことに必要な科目は問題なく出来てるし、他も出来てる部類に入る筈。押し付けいらない。そのまま放っておいてくれれば良かったのに!良い子雅がいるじゃない!


言葉による意思疎通という手段を放棄したことで、すれ違いは加速するばかり。平行線は縮まらない。


それでも良かった。

母親は最初から、姉はそれを肌で感じて。

相手が持つ想いなど、どうでも良かったのだ。



そんな中で溜めざるを得なかった余計な鬱憤を晴らす手段としても、祖父母宅で行なっていたプログラミングはいい気晴らしになった。

母の豹変で頻繁に通えなくなり、それでも時間を見つけては訪問を繰り返して吟味を重ねた。

休日は別行動が当たり前になっていたのを逆手に取り、予定はもう決まってる。ずっと続けている習慣がある。と、決して母親の誘いは受けなかった。

どうしてだか、那和の言動に大きな戸惑いを見せた母親も、次第に何か言いたそうに睨め付けてくるだけになっていった。

父親とは楽しそうに語らう姉を妹は不思議そうに見ていたが、母親からの干渉が度を過ぎているのが普通だったために、深く考えるまでには至らなかったのだ。


そして、一年。


雅が『誠新学園高等学校』に入学した。


那和は特進科で、雅は普通科で、特に問題なく過ごしていた。

学年も違えば、科も違う。

家庭内不和の影響で、姉妹には事務的な会話と、雅による一方的な蔑み以外は殆ど交流がないに等しいが、長く固定化されてしまった認識から不満があがることもなく、那和の“諦め”という譲歩によって、平穏は保たれていたのだ。


父親がその歪な関係に、はっきりと不快感を示すまでは。



那和のときは奮発したレストランでの外食が入学祝い代わりだったが、雅のときは雅がブランドの腕時計を母親に強請ったことから、那和にも、と、最新のノートパソコンが贈られた。

母親がまた文句を言っていたが、雅の腕時計がノートパソコンより高価だったので、キツくは言えなかったようだ。

パソコン購入当初は、自宅でプログラミングの続きをしていたのだが、何かを確認しようとしたのだろうか?母親が那和の部屋へ勝手に入り、データを記録していたUSBメモリーを破損させたことに危機感を覚え、母親が雅だけに購入したオシャレ用品の代わりに追加で買ってもらったプリンター複合機などと一緒に、ノートパソコンを祖父母宅に避難させた。USBメモリーは失われたが、パソコン内にデータがまだ残っていたのは運が良かったとしか言いようがない。

母も雅も、那和のしているプログラミングどころか、パソコンを始めとしたコンピューター機器にはあまり興味を持っていなかったので、念のため、と型遅れになった古いノートパソコンとプリンターを祖父母宅から持ち込んでいたのだが、全くもって気づかれなかった。

二人は偶に共用パソコンからネットを見るくらいで、ショッピングも実物を手に取って選ぶ方が性に合っていたようだ。


そんな訳で、自宅にあるパソコンのスペックでは処理し切れない分を、祖父母宅に置かせて貰っている専用パソコンで続きを行うという非効率な方法を取っていたのだが、母が半ば意地になって贔屓している妹に、思い通りにならない姉の日常行動が重ならないことを、


妹は親の言い付けを守って勤勉ないい子。

姉は親に反発しかせず遊んでばかりいる悪い子。


と吹き込み続けた。

母親が姉の部屋で見つけた、特進クラス用テストの点数を、妹のそれと見比べながら。


那和が特進科に在籍していることに気づかない母と雅は、さらっと目を通しただけの解答用紙から、誰が見てもわかりやすい点数だけを記憶して、那和を蔑んだ。

複数のテスト問題があっても、同じ解答用紙を使用することで、後の事務処理を行いやすくする。ということはよくある話だ。

クラスが記載されていれば科の違いなど一目瞭然であるし、わかりにくいと言うのなら、解答用紙の色を変えてしまうという手もある。

一年違いであれば習う範囲はそう変わらないのだから、証明問題や記述問題を良く見ていれば、普通科の生徒が挑戦するテストとしては難しすぎる出題だと首を傾げたかも知れない。

でも…、そうはならなかった。


自らの目で確認した姉の点数と母の後押しが、那和を自分より出来の悪い人間だと錯覚させたのである。

雅を褒めて那和を貶す母に同調し、姉を揶揄することが増えていった。

悪く言われたことに対してではなく、人としての姿勢を諌めた忠告は、姉を下にみているために届かず、那和もそれ以上は言い募ることもなかった。


いがみ合っていようとも、父からすれば、母は愛する妻であり、姉妹は愛する娘たちである。

那和へ向けられる、妻と雅の視線が決して良いものでないのをわかっていても、注意で済ませていたのはそのためだ。

足りない分は父親である自分が補えばいい。そう思って、那和の心のケアを優先していたつもりだった。

根気よく話していれば、いつかはわかってくれるはず。そう、思っていたのだ。

しかし、那和への態度は酷くなるばかりで、妻だけでなく、妻に感化されたのであろう雅までが、那和に酷い言葉を投げ掛けたのを見たとき、


その考えは間違っている!


と怒りのままに突きつけてしまう。

怒気の含まれた言葉は、雅をその場に縫いとめた。

そんなことを言われるなんて思っても見なかった、という顔をしていた。

間違って植え付けられた認識を元に戻せるのは今しかない。

雅の持つ認識とのズレを説明しようと口を開きかけたとき、黙ってやり取りを聞いていた妻が吼えた。


雅を庇い、那和を罵る。

夫の所業を嘆き、それさえも那和を蔑む理由とした。


那和はその様子を一言も発さず見ていたが、その視線は酷く冷たかった。

これまでに何度もあったことなのだろう。

母親の憤りに持ち直した雅は、二人で那和を睨みつける。

母親のアレは癇癪だ。

コレが正しい。こうあるべきだと思っているのに、思い通りにならない現実に苛立っている。

素直に言うことを聞く娘を優遇して、そうでない娘を過剰に攻撃するのはそのためだ。

ソレが、家族いう小さな世界の中で行われた、只の八つ当たりであることに気づいていない。

父親が日中家にいないなか、那和は一人でアレを受け続けていたのだ。

味方のいない状態で、二人の相手をするのは大変だったことだろう。

那和が沈黙を選んだのも頷ける。

父親とも少し話したことのある目的のためには、それを支持してはくれなくても、静かに容認してくれさえすれば良かったのに。

それを、


努力が足りない。

努力の仕方が悪い。

言うとおりにしないから努力が実らないのだ。

必要のないことをするな。

必要がないと言ったことをするな。

どうしてくだらないことに時間を割くのだ。


私が指示したことさえしていれば、全ては上手くいくはずなのに。



どうしてお前は、間違っていることや無駄なことばかりするのだ!


と、否定の言葉ばかりをぶつけられ続けて、家族としての対話さえも諦めてしまった。


私には理解者がいるからいい。

貴女たちに理解してもらわなくてもいい。

貴女たちは貴女たちのしたいようにすればいい。私も私のしたいようにする。

私の言葉を聞いてくれないなら、私も貴女の言葉は聞かない。

私に期待しないで?私も貴女には何も期待しない。


もう放っておいてくれていいから、邪魔しに来ないで欲しいんだけど。


想いは常に平行線。

母親は姉を慮る気はなく、自分の理想を押し付けるだけ。

姉は自らの主張を曲げる気はなく、けれど理解してもらおうとは思っていない。

妹は自分を肯定してくれる母につき、父親は何故そうなったのかを正確に理解して姉を庇護した。


それでも、越えてはいけない境界線があったのだ。


母親の選択は、辛うじて繋がっていた『家族』の糸を断ち切ることと同義だと、理解すべきだったのだ。



双方譲らないまま二日。

中学のときとは全く違う、まだ未成年である娘の一人を、“躾”と称して世話を放棄した。

母親が、そうとは思わずに洗脳教育を施していた妹が同調したこともあり、姉への行いは、彼女を人として真っ当な道に戻すために必要な工程であると、正当化されてしまったのだ。

そのことに否やを唱える父親こそが、娘を甘やかし、悪い道へ向かわせた元凶だと信じて疑わず、自らの主張が独り善がりであるとは考えない。

自分の対応には、少しの間違いもあるはずがないと、責任の全てを相手に転化した。

日中働きに出ている父親と面する時間は限られていて、本来なら逃げ場のない娘に憤りを押し付けたのだ。

那和が我慢してたから、諦めていたから、外に知られなかったそれらは、同時に母と雅を、他者という第三者からはどう見られるのか?という視点での思考に働きかけることを放棄させ、そのせいで生まれた言いようのないモヤモヤは、意図して黙殺されてしまう。

事態に何の関係も持たない誰かの言葉が、彼女たちを正気に戻したかも知れない。

しかし!

例え気づいた誰かがいたとしても、赤の他人の家庭に口を出すような人は少なく、彼女たちに客観的な意見は届かなかった可能性の方が高かったのだが。


那和を放って母娘が外出するのは初めてではない。

それでも前までは、一応の声掛けと、帰宅時間の確認などの会話を最低限はしていた。

言うことを聞かない悪い娘へ反省を促すためと言いながら、『反省』をさせられなければならない根拠は乏しく、存在を無いものとして扱って、それが嫌なら縋ってこいと、身勝手に突き放した。

親であるという一応の自覚は、自分の子どもから拒絶されるはずなどないとタカを括っていただけで、何をしても許される訳ではない。

自分抜きで為されていく“家族”の予定。父親も入ってはいないのだが、今いるのは父を抜いた三人だ。

確かに那和と、母や雅の好みは合わない。趣味が重なることもなく、ショッピングを強制されたい訳じゃない。

それでも、赤の他人以下という、悪い意味での特別扱いを受け入れなければならない道理など、ある筈がないのだ。

存在の否定。子どもは親を慕う筈、親だから見限られることはないと、無意識に確信しているからこそできたことで、見返りどころか更なる苦境を期待された相手が、その『赤の他人』にはとても施せないだろう身内の非道に応えて当然などと、どうして思えたのか。

目が合えば素知らぬふりで視線を逸らされ、交わす言葉はない。用事の有無に関わらず用意されない食事。同じ場所にいるだけで、扱いは不要物。人ですらないことを無自覚のまま意識的に行なっている。

親子、家族でなければ即座に距離をとるだろう。

それだけの所業なのだ。


那和は決断した。

もう此処にはいたくない。

『いられない』でも、『いるべきではない』でもなく、『いたくない』。

薄情と言うなかれ、長い時間をかけて変えられてしまった認識。


『血が繋がっていたところで、他人は所詮他人である』


血の繋がり=家族の方程式に、ようやっと拒絶の意志が突き付けられた。


生活の糧を稼いできているのは父親。

母親はその管理者ではあったが、子どもたちと同様、養われている側だ。

姉と妹の待遇に差がついたのは、母親の嗜好の問題だった。

過去の記憶はある。

何の憂いもなく過ごした思い出も。

だからこそ、本人が納得出来ない理由での待遇差は、差別と同じだった。


父親が帰ってくるまでは味方のいない家の中で数年。

まだまだ幼かった自身の心を護るために那和がしたのは、母親がすることの一つ一つを切り離し、それぞれに明確な理由付けをすることだった。


家。自宅。住む場所は、『家族』という名の下宿先。

食事の世話をし、必要な品物があれば用意してくれる『母親』は、住み込みの家政婦、どちらかと言えば大家だろうか。だから、不必要な反発はしない。

生活費の管理を任されている『母親』の給料もそこに入っているから、ときには好きなことに使う。

『母親』も『妹』も、『家族』という下宿先に同居しているだけの他人だから、性格の不一致で態度が違って当然。待遇差は、より親しい間柄かどうかの問題で、他人が口を出すことじゃない。『姉』は顔見知り程度の関係なのだと。仕事がキチンと為されているなら、ソレ以上を求めることこそ間違いなのだ。

大家である『母親』から、不規則な生活を注意されたなら従うが、それ以上の干渉はお断り。自分のやるべきことは自分で決める。


そうやってあからさまだった期間の冷遇を、仕方のないこと、と自身に無理矢理納得させて、精神の安定を図っていた。

そんな状態が数年も続いていたのだ。

表面上はそう変わらなくても、良く観察していれば気づいただろう『家族』への余所余所しさは、母親をより姉から遠ざけ、妹を溺愛する方向へ仕向けた。

身内ならその待遇差に反発して親子ゲンカを繰り返したことだろう。

けれど、他人になってしまっていた人には、理由なく何かを期待することはない。


母親が娘たちへ向ける感情は歪んでいたが、それでもそれは愛だった。

妹はその愛に応えたが、歪んではいても無条件に向けられた愛に対して、『母親』は他人であるという認識を、無意識にでも確定させていた姉は困惑し怪しんだ。

途中再び干渉を始めた母親を、すげなく躱していたのはそのためだ。

一度根付いてしまった認識を覆すのは、難しい。

折り目のついた折り紙と同じだ。

完全に元どおりにはならない。


自覚すらなかった母親には酷だとしても、彼女たち、特に茨木那和にとって、互いは既に『家族』でなかった。



おはようと言うには遅く、こんにちはには少し早い時間に母親と妹は出かけ、完全無視の状態で置いていかれた姉は、昨日二人だけでされていた会話から彼女たちの帰宅時間がかなり遅くなると予想していたが、念のため、昼食といつもより数時間早い夕食を取った後、荷物をまとめて祖父母宅へ引っ越した。


……お邪魔でも避難でもなく、引っ越しである。


茨木那和にとって、そこはもう自宅ではない、他人の家になった。

古いコンピューター機器はそのままに、最低限残されていた学用品と制服が引っ越し荷物の全てで、如何に『自宅』への愛着のなさが窺えるだろう。

ひと目見て『彼女』の部屋でなくなったように見えない処置は、彼女を蔑ろにしてきた『家族』へ見せる、最後の執着だったのかも知れない。

殆ど期待はしていなくても、もしかしたら?という想いはあった。

彼女たちが帰宅してから、姿の見えない自分を心配して捜してはくれないか、と。


……結局、那和の不在は気付かれず、翌日姉の教室で雅が起こした騒動を最後に、那和は父親以外の家族と、精神的な決別をするに至ってしまった。


胸は痛んだ筈だった。でも、


長期間痛めつけられ過ぎた心は、その痛みを正常に認識できずにいたのだ。


那和の態度にショックを受け、自分が一人になることを自覚した雅を残して。



住居を移してきた那和に、祖父母は何も言わず今までと同じように接した。

父はソレを知りつつも『茨木』の家へ帰宅して、いなくなっている那和に気付かない家族に落胆していった。


那和の心には隙間風が吹いていたけど、通い慣れた祖父母の家でも、住むのとは違う。

新しい環境に慣れること。それに、同居人を気にしながらでしか出来なかったプログラミングを存分に出来るようになって、知らず空虚な穴は埋まっていった。

学校の友人たちが、姉妹喧嘩、家族のイザコザに、


関係ない私たちを巻き込むな!


と姉妹が接触しないように手を回したことも大きな原因の一つだ。

那和は教室での騒動以降、一度も話しかけてこなくなった妹と、全く連絡を取ってこない母親に、やはり自分は必要なかったのだ、と割り切って過ごしていたし、

妹は周囲の人間と母親の言動から身動きがとれなくなっていた。自分より上と認識した人物に反抗したことがなく、助けを求めつつも自ら動くという発想がなかったからだ。

母親はそもそも、そんなことが起きていたことすら知らない。知ろうともしない。例え知ったとしても、謝るべきは相手、と意地を張っている間は、問題が拗れはしても解決には向かわないだろう。


そうでなくても、那和にはプログラミングを急ぐ理由があった。

現在構築しているプログラムは、実は二つ目である。

中学時代に大凡の基礎を作ったプログラムは、高一の夏期休暇前に完成していた。


高校生が、しかもプログラムに対してはそんなに詳しくない子どもの組んだ、拙いプログラム。

本当に、自分のためだけに組んだのだ。

それを父に貸して欲しいと言われて、何も気にせず頷いた。

仕事、ではなく、仲間内だけで使ってみたい、と説明されたので、


『ああ…、会社の同僚とでも、息抜きに遊んでチャチさをネタにして笑うのかな?』


くらいの軽い気持ちでいたのだ。

それがとんでもない思い違いだったことに気付いたのは、何週間かして、父親が分厚い書類を手に持って那和を手招いてから。


「…悪い、那和。お前が組んだソフトの使用許可が欲しい。

同僚が面白がって、長年親しい付き合いをしてる顧客にアレで作成したコラ図面見せたら、真面目に作られたものより、大雑把でも掴みとしては素人にわかりやすく想像しやすいってことで、本来注文がきてた仕事に上乗せして欲しいと言われたらしい。

お遊びで作ったもんだから商品としては、って言ったらしいんだが、操作が簡単で、提案だけならむしろ話題としての取っ掛かりにも使えると絶賛されたんだと。

とりあえずその場は上の許可を取ってから、ってことで躱したんだが、渋々話した上司たちも相手がそこまで言うならば、って乗り気なんだ。

娘の作品だったことには驚いてたが、こっちも相手が言ってたみたいに話題としてチラ見せしただけだったからお咎めはなかったが、代わりにアプリケーションソフトウェアとして、正式な使用契約書を交わしたいと言われた。

だから、各ソフトの接続を簡略化するプログラム特許の申請も同時にしようと思う。もちろん那和の名前でだ。

今すぐどうこうは無いと思うが、私から見ても那和が組んだプログラムは、那和のような専門の知識が無い人ほど欲しがるだろう。

もしかしたら、多額の金銭が絡んでくる可能性もある。

那和は未成年だし、大金を稼ぐ事態になった場合、扶養がとれてしまうかも知れない。そうなれば、他にも面倒がたくさん出てくるんだ。

そうなったときに慌てないために、今ちゃんとした取り決めをしておいた方がいいと判断した。

わからないところがあれば、何度でも理解するまで説明するから、お父さんの会社とフリーランス契約を交わして欲しい」


と言うのだ。

驚いた。本当に驚いた。

一緒に話を聞いてくれていた祖父は納得顔で頷いていたが、それでも言われる程にすごいことだという実感はわいてこなかった。

父に限っておかしなことをするとは思ってなかったが、知識どころか、世間の情勢や社会の仕組みなど、高校生になったばかりの子どもには難しすぎることが多過ぎて、父がする説明への完璧な理解は諦め、祖父を頼った。

途中から話に参加した祖母も一緒になって、社会に出るまでの数年間が、那和の不利にならないよう契約内容を詰めてくれたのだ。

結果として、お小遣いなどよりはずっと多い金額が、この為だけに開設した銀行の預金通帳に毎月振り込まれることとなった。

技術の買い取りではないから会社に月々の負担が伸し掛かるのだが、コトを公にしたくない此方の意向によって、使用料は騙されてると言われるくらいには低額らしく、会社として損はないらしい。

低額の理由として、『お試し』のプログラミングソフトであることを明記してあるそうだ。


その代わり、と言ってはなんだが、『お試し』ではない、『本』プログラミングをするように請われ、学生であることも考慮して、期限はとりあえず一年とされた。

学園には報告してないが、仲の良い友人にはプログラミングをしていること自体はバレたので、一連のコトを簡単に説明し、もっとちゃんとしたモノを社内コンテストと称した形で、父親が務める会社の審査に入れてもらえることになったと話した。会社も了承済みだと。


………嘘は言ってない。


金銭云々に関しては暈したので、クラスメイトの認識は、

『茨木ってちょっとした賞を取れるくらいには、コンピュータープログラミングの腕がいいらしいぞ?』

だったのである。

まあ『特進』だし、そんなヤツもいるだろう。なんて、普通の反応だったから、那和もヘタに隠すのは辞めて過ごしていたのだ。

だからこそ、突然教室に怒鳴り込んできた雅の言動に驚愕し、その辺の家族であれば有り得ない内情に嫌悪の目が向けられた。

雅が教室を去ってからは、現状がどうなっているのかだけを説明して、関係ない皆んなを巻き込んだことに対して真摯に頭を下げたことが、那和への当たりを弱めたのは否めない。

言い訳もせず詫びる姉と、その日の放課後に図々しくもまた現れた妹。

那和へ同情が集まっていたこともあって、即日恥知らずにも再度来た雅への視線は厳しく、用件を告げる時間も与えずに追い返した。

一学年、二百を超える生徒がひしめく中で、自分たちは『特進』クラスに在籍しているという自負や、仲間意識もあったかも知れない。

わざわざ誰も話題には出さないが、クラスメイトを味方につける形になった那和の学生生活は、雅との溝を埋める機会に恵まれないまま、一見順風満帆に過ぎていった。


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