3. 新たな出会いと少しの変化
いつものこと、とすっかり忘れてたけど、一夜明けて、夕から連絡がきた。
まだ少しぼやける頭を宥めていたときのこと。
バイブにしていたスマホが振動し、なかなか止まらないので、仕方なく手にとった。
何をするにも急ぐ時間ではないけれど、だからこそ早すぎて、少しばかり苛立ちが募る。
伝達事項は簡潔。
『昨日のカモネギ、毛色違いで少し気になる。俺の名前を教えた』
と言う。
珍しい……。
正直、そう思った。
彼、『香月夕』は、穏やかに見えて苛烈。
なかなかな他人に対して警戒を解かない。
普段は猫かぶりがすぎて、知る人がみれば多重人格を疑うほどだ。
彼の家族は、そんな夕のことを知った上で流しているが、簡単に出来ることではない。
程度は違えど、よく似た性質を持つからだろう。
むしろそれを表にだすことのある夕が、彼らからすれば未熟に見えているのかも知れなかった。
そんなことを考えてたら、
『……ちょっと早まったかも、って思ってる』
と心細い声。
思わず、はは、と音にして笑ってしまった。
随分らしくないことしたという自覚はあるようだ。
本当に珍しい。
あれだけ外面だけで生きているような男が、いやいやどうしてそんな心境になったのか!?
通行の邪魔で押しのけただけだったから、カモネギしてた奴のことなど気にも留めなかった。
チワワ集団のほうが印象に残ってるくらいだ。
私がいなくなってから、何やら面白いことになっていたとは!
気まぐれでも起こして残ればよかった。
残念だ……。
通話口からムッとしたような気配が漂ってきて、今度は心の中だけで笑みを浮かべる。
「報告はそれだけ?」
『………そいつから伝言をあずかってる』
「…礼なら受け取らないけど?」
『…違う』
「じゃあ何?つまんないことだったら怒るよ?」
『…………………チワワは狩猟犬だからああいうものの例えには向いてない、だとさ』
「?・・・はあ!?」
『別に怯えてもなかった。あいつ相当な変わり者だ』
「………」
思考が一瞬停止して、
『心構えだけしとけ。
あいつ、俺たちと同じ学園の生徒だぞ?』
今年度の新入生だ。
との言葉を遠くに聞きながら、込み上げてくる笑いを喉の奥で押し殺した。
***
光る校章。
広がるスカートの裾。
少し日差しがきつくなり、夏もすぐそこ。
暑さが理由ではなく、おしゃれとして、短くあげられたスカートを翻しながら女生徒たちが和気藹々と歩いていく。
ネクタイをとり、胸もとを少しばかり緩めた男子生徒も目についた。
またすぐにテスト期間がやってくるが、今は誰もそんなことを気にする様子はない。
一コマ90分という長い授業時間を三コマ終えて、ある者は食堂へ、ある者は別のクラスへと、昼食を食べるために散らばっていった。
ここは誠新学園高等学校。
小学校、中学校と三学期制の概念を強く持ったまま、中途半端な二学期制を導入する高等学校が多い中で、日本独自の概念を盛り込んだ手法の二学期制を確立した、唯一の新設校である。
その説得力ある教育方針が評価され、卒業生の進学率もさることながら、新設校にしては珍しく、設立数年にして偏差値ランキングの常連校になりつつあり、上位校として注目を集めている。
(あれ?あの声。……でも、全然違う人?)
昼休みに入って気の抜けた友人数人と食堂へ向かう途中、真田瑛二は聞き覚えのある声を拾って周囲を見渡した。
昨夜の高揚は、未だふわふわした夢心地を彼に伝えていたが、まだ付き合いの浅い友人には悟られずに過ごせている。
『縁』があれば、と香月夕は言っていた。
それは、積極的には関わりを持たないと言われたも同然で、あの人たちの様子を見ても、次に会えるのはいつになるかわからないと納得せざるを得ない。
その彼の声がする。
視界にあの容姿が映らないことを奇妙に思い首を巡らせたが、この学校であんな態度でいるはずがないと思い直した。
今度は視線だけで声の元を探り、あの夜とは似ても似つかない黒髪の彼を見つけた。
一瞬目を疑うも、声は確かにそこから聞こえてくる。
その“音”だけでなく抑揚まで同じとあっては、やはり彼が香月夕なんだろう。
あのとき聞いた、荒さがほんの少しだけ垣間見える声音で、穏やかな顔を浮かべる人。
凝視してしまっていたからか、不意に彼がこちらを向いて、僅かに目を見開く。
(あっ…、やっぱりあの人なんだ)
だけど何事もなかったように友人らしき人との話に戻ったのを見て、静かにその視線を地面に落とした。
年相応に騒がしくはしゃぐ集団の中で、控えめに頷きながら遠ざかる真田瑛二の背を見送りながら、香月夕は、タイミングの悪さにこっそり溜め息を吐いたのだった。
***
学園で真田瑛二と邂逅し、多分押しかけてくるだろう彼をどう躱そうかと考えていたのに、二度目の接触が持たれることはなかった。
昨夜の『アレ』が、俺だとは気づいているはずだ。
視線を感じて目があって、凝視されてるのを見て、内心舌打ちをした。
その場での追求その他はされなかったし、僅かに目礼して去っていったが、彼との、明らかに好意的だったやり取りを思い出して、このまま放っておいてはくれないだろうこともわかってしまった。
俺の二面性を知って遠慮したのかも知れなかったが、逆にそれを揶揄ってくることも考えられる。
そうなれば、かなり面倒なこと請け合いだ。
最終学年と新入生。
世間は狭いというかどういうか、それを知ったときから近いうちに顔をあわせるだろうことは覚悟してたが、翌日早々に見つかるとか、運が悪いどころの話じゃない!
予想外にも程がある!!
若干の緊張を保持しつつも放課後までを過ごし、全ての誘いをーー、昼の顔、カモフラージュでもある買い食いすら断って、足早に家へと帰った。
「……はぁ、こんにちは」
(俺…、神仏に目をつけられるようなこと最近したか!?)
自宅兼診療所になっている住居近くまできて、診療所前で見知った制服の男を見つけた。
……真田瑛二だ。
鞄の他に薬が入っているだろう小さなビニール袋を持った真田瑛二に、常勤の看護師が頭を下げているのを見て、俺関連でないことは明らかだったが、こんなときに限って俺以外の人通りはない。
学校帰りの俺は当然制服姿だったので、視界にさえ入ってしまえば、顔をあわせてから数時間しか経ってないこともあって、気のせい、人違いにはさせてもらえなかった。
同学校の制服に気づいた真田瑛二が俺であることを認識して動揺し、慌てて診療所の看板を確認したところで、それを不審に思った看護師に知り合いかどうかを尋ねられれば誤魔化すこともできず、かといって往来で長々話す気にはなれない。
仕方なく、最近知り合った先輩後輩の間柄という、至極真っ当な理由だけを告げて、いつ、や何処で?といった次の疑問を投げかけられる前に、引きずるようにして家に招くこととなった。
学園に入ってから友人を家に招いたことのなかった俺が、成り行きとはいえ、同輩ではなく後輩を気にかける様子に驚いていたようだったが、驚愕の表情はすぐに微笑ましい笑みに取って代わられ、内心の焦りとは関係しない居たたまれなさを感じるハメになってしまった。
玄関扉を閉めて安堵の息を吐きだし、困惑から動けずにいる真田を強引に自室へと誘導する。
喧騒ではなかったが、いつにない玄関先での騒動を怪しんだ兄が顔を覗かせ、一瞬の硬直後にこやかに手を振ってきた。
「友だちか?珍しい。後で飲みものだけ持ってってやるよ」
「…いらない、こっちで勝手にする」
「そう言うなって。すぐ下がるからさ?
それよりも、ちゃんと客の相手してやれよ。なっ?」
そう言って、明らかにウキウキした様子で引っ込んでしまった。
唖然と固まった真田を押しやり、今度こそ深い溜め息を吐いた。
如何にも真面目な人柄に見えるよう整えられた部屋のデスクに、腹立ち紛れの八つ当たりとして学園指定バッグを乱暴に叩きつける。
バンッ
と、思ったより大きな音が出て、実用性能が高くて気に入っているデスクスタンドの首が振動で下に下がった。
ククッ、と含み笑いを堪えた兄が、麦茶のグラス二つと菓子を載せた盆を持って、ノックも無く部屋に入ってくる。
「客の前でみっともないぞ?
夕が悪いな、ええと……、」
「…真田、です。真田瑛二」
「ん、そうか。俺はこいつの兄で香月翔。
いつもはこんなことないんだが、瑛二くんには随分気安いんだな?
一年か……、先輩だからってこういうことでは気を遣わなくてもいいんだぞ?
まあ、すまんが暫く付き合ってやってくれ」
「………翔」
「…連れてきたのは夕じゃないのか?
だったら不貞腐れてないで相手しろよ。どうしていいかわからないだろ?
それとも俺が相手しようか??」
「翔!!」
「あっ、大丈夫です。
夕さんって結構こんな感じなんで?お気遣いありがとうございます」
「「はっ!?」」
俺を揶揄うためだけに投げかけられた言葉に反応したのは真田瑛二で、思ってもみなかった横槍に二人して間抜けな返答を返した。
当の本人はキョトンとしていて、その言葉が本心であることを如実に伝えている。
翔が、破顔した。
作った笑顔を放りだし、心底可笑しそうに笑いはじめる。
「あは…、は、ははは、あははははは、
ちょっ!夕。こんな面白いヤツ何処で見つけてきたの!?」
「………」
「黙るなって!
口調の乱れといい、自室に入れたことといい、気になるだろ〜?
真田瑛二くん、だったよな?
こいつ、誰にでもいい顔してるけど、外面の薄っぺらい関係しか持ってないんだ。
扱いにくい奴だけどさ?
なるべく長く友だちしてやってくれ、な?」
「勝手なことばっか言うな!しょ、、
「夕さんが望んでくだされば、ですね。
そもそも僕、乱暴な夕さんしか知りませんし?」
「お前も黙れ!!!」
「……………ぷっ、くっ、っは、あは、あはは、あははははははは、はは、
うんうん、いいや。そっちの方がいい!
貴重だぞ〜彼みたいな子。大切にしろよ?」
「〜〜!もういいから早く部屋帰れ!!」
「あはは、ごめんごめん俺がいちゃ邪魔だよな?消えるわ。
じゃあ、夕のことよろしく!ごゆっくり?瑛二くん」
茶目っ気を名いっぱいだしたウインクを残して、翔は軽やかな足取りで帰っていった。
閉められた扉の向こうから、あははは、と、まだ止まらないらしい笑い声が聞こえて、家族への気恥ずかしさと、ホントにわかってないらしい真田瑛二への苛立ちが合わさって、
「……夕さんの家族って、みんなして多重猫かぶり何ですか?」
という、とんでもなく誤解が多分に含まれてるだろう問いには、乾いた笑いしか出てこなかった。