1. 初めて出逢った非日常
「集団で、しかも虚勢張ってやっと出来ることがカツアゲとか?
そんなだからしょうもない流されかたしか出来なくなるんだ!
とりあえず、邪魔だから退きなよチワワども!!」
よもや自分の身に降りかかるなど考えたことのなかった災難。
情報として『聞く』だけはあった、僕の胸ぐらを掴んでいた腕がブレ、同時に、脅しともに凄んで見せていた表情が白目を向いて、見知らぬ不良が目の前で崩れ落ちた。
僕の通う高校は進学校だ。
開校数年、まだ両手に満たない歴史しか持たない母校は、しかしながら、私立であるが故にそれなりの教師陣が揃えられ、偏差値の高い学校として上位に食い込んでいる。
校風も、自主性を重んじることを全面に打ち出していて、プロパガンダに組み込まれた開校年度の卒業生たちのおかげで、
『文武両道、これからの時代を背負うヒトを創造する』
などという、如何にも今風なキャッチコピーに踊らされた親たちと、新興だからこそできた、『現在の若者が好むだろう』スタイリッシュな制服が男女ともにうけて、受験倍率もなかなかに高いらしい。
…まあ、入学してしまえば、自主性もさることながら『成績』を重視されるのは当然で、受験勉強から解放された思春期のお子さまたちが、ふわふわしたまま学生生活を謳歌できるのは、一学期の中間試験までである。
『自主性』を重んじる
とは言われているが、それが何の横槍もなく許されるのは、進学率を気にする学校と、子どもの将来に期待をかける親の両方を満足させた者だけで、殆どの生徒はある程度の制約を課せられることとなるのだ。
それでも、中間層、その殆どに入ることが出来たなら、周囲が漏らす不満を『自分と同じだ』と認識し、仕方のないこと、と自分を納得させて日々を過ごすのである。
僕が、そうだった。
全てが自分の思い通りにならないことを知っていたハズの僕は、やっぱりそうだったと、する必要のない落胆と少しの不満を飲み込んで、その他大勢と同じように、規則と期待と、ときには押しつけでしかないモノを躱し、特別になれない己を嘆きながらも、
それこそが『普通』である
と、勤勉な優等生を演じることを決めたのだから!
僕と同じように考える生徒たちは、
『大学受験はすでに始まっている』
と言う教師の言葉に、内心ため息を吐きながらも肯首して、親が勧める塾、もしくは予備校の門を潜っていく。
ソレが『自主性』とは程遠い、庇護者による『管理』の続きであると知りながら。
受験を通過し、希望どおりの学校へは入れたものの、入学当初から学力への不安を覚えていた僕は、同じくそう考えていた親の勧めのまま、大学受験対策ではない目的で塾へと通いだした。
中学を卒業し、高校生の肩書きを背負ってから初めてのテスト結果を待たずに、再びストレスを溜める勉学へと舵をきる輩は、いないとは言わないまでも少ない。
一番遊びたい盛りであるこの時期に、未来へのビジョンを明確に描いている生徒はもっと少なく、教室内で口に出そうものなら、『ガリ勉』の称号を頂くこと請け合いである。
自分の将来が漠然とぼやけて見えない不安を、ほんの少しでも和らげるためにとった処置が、『学力』の底上げ。
即ち、『成績』。
すぐに実感することになる、『通知表』という、目に見える形を持って晒される、僕たち学生を縛る評価の一つが、霧がかった場所で顔をあげて立つ理由になってくれるだろう。
………そんな、他よりも確りした考えを持つ自分に酔っていたのは確かだけれど、
その帰り道。
くたくたになった脳ミソを持て余し、自宅に用意されているであろう温かな夕飯を思い浮かべていたのは、それほど悪いことだったのか!?
進行方向に立ち塞がった三人組は、何も考えず、彼らを避けて進もうとした僕を路地の奥へと押しやって、テンプレの如く金銭を要求してきた。
その様子を見ていた人はそれなりにいたはずだが、皆、我関せずと視線を逸らし、足早に歩き去っている。
…通報も、期待するだけ無駄だろう。
僕だって同じことをする。
他人の不幸は蜜の味?
要は、自分に降りかかりさえしなければいいのだ。
助けが来ないことはわかりきっていたから、痛い思いをする前に、と、中身があまり入っていない財布を取りだそうとしたところで、ハスキーボイスが早口で暴言を叩きつけ、同時に不良の一人を仕留めたようだ。
一瞬何が起きたのか理解できなくて呆然としたが、男が倒れる前に、ドサッ、と重い音がした方へ顔を向けると、ぱんぱんに膨れたコンビニ袋が地面に落ちた直後だった。
衝撃で袋の中身が散乱し、一つ百円程度のアイスが幾つも飛び出してきたのを見て、
(…コレが当たったらかなり痛いよな)
と、後頭部に手をやった状態で倒れ伏し、呻くだけの男を他人ごとのように見ていた。
「ダッサ!だ〜っさ!!
何!?こんなのも避けらんないの?
明らかなヒョロもやしに三人がかりとか、信じらんな〜い!」
「何だと!?」
「言われたくないなら、その道の人に喧嘩売りなよ、カッコ悪い!
あっ!温室育ちの小型犬には無理な話か?」
「!っっ、この!!」
煽られ、激高した二人の男は、僕よりも更に小さな人影に飛び掛かり、瞬きほどの間に叩き伏せられた。
急所一撃。
斜めがけされていたショルダーバッグで一人を撃破!
もう一人は、蹴りあげた靴先が股間を直撃していた。
………アレは痛い。
自分より大きい男を、合計三人も沈めた人は、空いた手をプラプラ振ってから、武器として使用したあと放りだされたままになっていた荷物を拾い、硬直した僕の横をすり抜けて、スタスタと歩いていった。
「あっ、そいつらの始末お願い!
ママに任せとけばいいから」
背後から聞こえてきた声に振り返ろうとして、
「…何でもかんでも投げてくんじゃねえ!
終わったら連絡入れればいいんだな?」
「うんよろしく!あとは任せた!!」
また新たに認識した声の主は、未だ動けない男たちの側にいた。
いつの間に現れたのかはわからない。
胸もとを大きく開けた明るい色のシャツを着て、濃い色のスキニーを履いている。
そんな男が、細身で高い背を屈めながら、スニーカーで不良たちを脇に転がしていた。
後ろで無雑作に束ねられた髪が、男にしては細い首すじに落ちて、妙な色気を滲ませている。
街灯の少ない、薄暗い路地裏。
この状況もそうだけど、容貌と格好からして、誰がみても余計な邪推をしてしまう。
立ち尽くす僕をチラと見たあと、ポケットから取り出したスマホで何処かへ連絡を取り始めた。
しばらくすると、店の制服だろうか?
同じ装飾のついたモノを身に纏った人たちがぞろぞろ現れて、不良たちを回収していった。
自分には未知の領域だけど、多分、ホスト、とか、ホステス、とか、そんな業界の関係者だと思う。
カツアゲを喰らっていた痕跡が完全になくなって、ただの薄汚れた路地に戻った景色の中に、立ち尽くしている僕は滑稽だろう。
いつまで経っても動かない僕を訝しんだ男が近づいてきて、
「お前はさっさと帰れ、んで、忘れろ。
連中はきっちり躾とくが、念のため、暫くここらには近寄るな」
と尊大に言い放った。
ほんの少しだけ苛立ちを滲ませた表情で、僕の退去を促してくる。
必死に優等生を演じる僕ではあり得ない様相から、年上だと決めつけていたけれど、何処か拗ねたような感じを受けて、そんなに離れていないのかもしれないと思い直した。
本当なら、彼にも怯えてみせるところだろう。
だけど、僕に対する直接的な脅威を排除してしまった人の所業が強烈すぎて、その人の言葉に従順な目の前の彼を恐ろしいと思えない。
それでも動かない僕に苛立ちが増したのがわかった。
とにかく何でもいいから話さなければ、と思い立ち、硬直が解けていることに気づく。
「!ぁっ、…あの人にお礼を……」
「必要ねぇ、進路を塞がれてるのが邪魔だっただけだ。
あとは…、気まぐれだな」
早く行け、と言わんばかりに、しっしと手で追い払われて、男自身も帰るのか離れていく。
「あ、あの!」
「っっ!いい、ってんだろ?しつこいぞ!?」
「違います!一つだけあの人に伝言をお願いできませんか?」
「ああ゛?」
「チワワってああ見えて狩猟犬ですから、あんな連中の例えで使うには不適合です。せめて、乳離れも出来てない反抗期のガキか!とかの方が違和感がないですよ?って、」
「はっ!?」
そう言ったら、目をまんまるに見開いて凝視されてしまった。
離れていた距離を再び縮められて、ガシッと肩を掴まれる。
(あっ、僕とそこまで身長変わんないんだ?
……?なんか、違和感?もしかしてシークレットブーツ履いてる??)
足下を見ても、暗いせいで視認はできない。
気がそぞろになってしまって、相手のしたいようにさせていたら溜め息を吐かれた。
「…はぁ。お前、変わってるって言われねえか?」
「………初めて言われました」
「いやいや、あんなのと一緒にされて怯えられんのもムカつくけど、だいたいの奴はそんなだぞ!?
アレ見て、感想がチワワの説明とかおかしいから!
そうだよ!何でそんな冷静なんだ!!」
「やっ、だって、ホントの実害食らう前に助けられちゃったんで?
逆にすごいと思いました。幼児のつかみ合いとか、もっとぐちゃぐちゃですよ?
泣いて鼻水垂らしながら、引っかき合い?髪の毛わし掴んで金切り声の悲鳴とか?
あの人、一人一撃で、すごくスマートでしたよね?
チワワへの偏見が気になってるうちに片付いちゃってたので」
「……………そうか、
まあ、うん、もういいや、俺も帰るわ。
伝言も、一応伝えといてやる。
……見た目からして何処にでもいるいい子ちゃんだと思いきや、こんな奴だとか…。
ホント、世の中わかんねえわ。
そうだな…、お前のことは気に入った!
これから先、関わることがあるかは知らねえが、俺は香月夕!
もし、また同じような目に合いそうになったら名前出せ?厄介ごとにはならないはずだ。
あいつは……、縁があればそのときに、な?」
調子を取り戻した男、香月夕は、僕の肩を軽く叩いて踵を返す。
「……あっ、助けていただいてありがとうございました。
僕じゃ逃げられなかったのは本当です。あの人にもそうお伝えください、
夕さん!」
礼の言葉を言えたのは、夕さんが建物の角を曲がる直前。
生まれて初めての出来事に興奮しすぎて忘れるところだった。
夕さんは、立ち止まることも振り向くこともなかったけれど、右手が振られたことで、声が届いていたことに安堵した。
今は夏。
陽が落ちたところで汗ばむ季節には変わりないのに、一人になったら何だか肌寒い気がして、跳ねたままの鼓動に急かされ家に帰った。
いつもより随分遅い帰宅に理由を問われ、講義で理解出来なかった問題を聞きにいっていたと嘘をつく。
何故だか罪悪感は湧かなくて、むしろ、満足そうに頷いた母親に苛立ちを覚えた。
レンジで温められた夕飯を食べ、風呂に入り、照明を落とした自室のベッドに転がって、あの出来事を思いだす。
息が詰まる生活の中で、最初から諦めていたことが覆された。
側からみれば僕以外の登場人物は、きっと全員が、社会不適合者のレッテルをつけられると断言できる。
何故ならその判断をするのが、本人には無関係で無責任な大衆だから。
もしかすれば、その場にいただけの僕にさえ、余計な疑惑の目を向ける人もいるだろう。
服装、行動、友人関係に近所づきあい、兄弟の有無と性格、両親のことに至るまで、僕を判断しようとする誰かが知る情報に加え、曖昧な噂や、わざと零される悪意まで。
好き勝手に決めつけられる『僕』に怯え、気にばかりして生きてきた、これまでは。
今もまだまだ怖いけど……、確実に変わったモノがある。
それだけ鮮烈だったのだ、あの人が!
清掃さえ碌にされず、いつから放置されているのかわからないゴミを巻き込んで生える雑草を踏みつけて、自分の思ったことをそのまま吐き捨てたあの人。
声からして女性だろうと、今になって思うけど、あのときはそれどころじゃなかった。
あれだけ大胆なことを僕が出来るとは思わないけど、あんな風になれたなら、と思ってしまった。
……少しだけ。
そう考えると世界が広がり、僕を取り巻く何かが変わったわけでもないのに、呼吸が楽になった。
カツアゲなんていう、至極くだらない。誰からみても何の益にもならない事件は、その誰かが知る前に隠蔽されてしまった。
親に嘘をついてまで口を噤んで手に入れたのは、僕を直接助けてくれた、あの人ではない名前が一つ。
それだけだ。
殆どの者が眉を顰める邂逅、忌避すべき事柄。
それでも、『抑圧』の中で『自由』を見たんだ!
………今日が終わってしまうことが、惜しくて堪らない。
僕は、明日からもこの気持ちを持ち続けていられるだろうか?