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8話 「大橋家」

 畿内への旅、清州城でのあれこれ。

 それらを終わらせて、ようやく熱田の我が家へと帰ってくる。

 しかし、またすぐに出立の必要があろう。


 津島の大橋家だ。

 と、言っても、婚姻の話云々ではない。


 婚姻が決まったとはいえ、では、明日に祝言を、とはいかない。

 現代日本でも、結婚式を挙げるまで長い準備期間がいる。

 それと同じく、いや、それ以上に、この時代の輿入れの準備は時間がかかる。


 祝言の日まで、夫婦となる二人が顔を合わせないなんて、この時代当然なので。

 嫁となる大橋の娘の顔を見るのは、ずいぶんと先のことになるだろう。

 だから、すぐにでも大橋家を訪ねねばならぬ理由は他にある。


 そう、婚姻はまだ待ってくれる。だが、熱田、津島の攻略は待ったなしだ。


 悠長に祝言の日取りを待ってなどはいられない。

 だから、舅となる大橋家の当主とは、早々に顔を合わせて、今後の動きについて相談する必要があろう。


 よし! そうと決まれば、熱田でやっておくべきことを、さっさと片付けてしまおう。


 取り敢えずは、そうだな。

 長らく留守にした店に問題が起きてないかの確認。

 それから、番頭の彦次郎の独断では、決済できなかった仕事の片付け。


 それらを終らせて、津島へ向かうとしようか。

 そして、今後の方策を練る。


 幸いこの胸の内に、腹案がある。

 時の、歴史の流れを早める。その目的を叶えるために。そう、正しく時代を先取った腹案が。



****



 津島湊、古くから交通の要衝であり、貿易港としても栄えた土地。

 織田家が、信長の祖父信定、父信秀の時代より重要視してきた商業地だ。


 信秀に至っては、この地の有力家に、自らの娘を嫁がせてまで、関係強化に努めた程である。

 その家こそが、大橋家。津島随一の有力家であり、そして、俺が今回、嫁にもらう娘の生家でもある。


 つまり、舅となる大橋重長は信長の義兄に当たり、嫁にもらう娘は信長の姪に当たるわけだ。

 全く、俺のような成り上がり者には、とんでもない縁組である。



 津島は、熱田と同じ、織田領内の商業地だ。過去にも訪れたことがある。

 久しぶりに顔を出しても、熱気に溢れた街並みは変わらない。


 流石は、『信長の台所』とまで呼ばれた地だ。


 この津島と、熱田、尾張二大商業地が生み出す銭は、必ずや天下取りの足掛かりとなり得るだろう。


 そんな思いを胸に、俺は大橋家の門を叩く。


 この地の実力者に相応しい屋敷。

 俺は、家人に案内されながら、不躾でない程度に屋敷の様子を観察する。


 庭は綺麗に整えられているし、渡り廊下もまた、よく掃き清められていた。

 擦れ違う家人たちは、皆丁寧に俺に挨拶していく。


 屋敷の様子や、そこで働く家人たちを見れば、自ずと、その主の器量も見えてくるというもの。


 なるほど。大橋家の主は、その声望に違わぬ御仁であるらしい。


 やがて、日当たりの良い客間に通される。


「主人をお呼び致します。暫し、お待ちの程を」


 ここまで案内してくれた家人が、丁寧な礼と共に去っていく。

 俺は下座に正座したまま、大橋重長の到着を待った。



 瞑目すること、数分。

 どこぞの殿様とは違う、落ち着き払った足音が聞こえてくる。


 俺は、ふすまを開けて入ってきた男に、深く頭を下げた。


「待たせて悪かったな、大山殿」

「滅相もありません。大橋様」


 上座に座った重長は、すこしの間、俺のことをじっと見る。

 そして、再び口を開いた。


「そう、頭を下げていては、話もできぬ。大山殿、面を上げられよ」

「はい」


 俺は、ゆっくりと顔を上げると、正面に座る重長の顔を見る。

 落ち着き払った男だ。その佇まいに、閑けさを覚える。

 が、柔和という印象は受けない。厳格さ。静謐な厳格さを纏う男だ。


「お初にお目に掛かります。熱田商人、浅田屋大山源吉と申します」

「大橋家当主、大橋重長だ。……ふむ、織田様の仰る通り、見込みのありそうな若者だな」

「畏れ入ります。……しかし、買い被りが過ぎます。織田様も、大袈裟に語ったのでしょう」


 俺は、微苦笑しながら、そう言い返す。

 そして、声音を真剣なものに変えると、言葉を付け足す。


「此度の縁談、手前にとっては望外の良縁ですが。……大橋様は、さぞかし気に喰わぬことでしょう。されど手前、これからの働きで、必ずや大橋様に認めて頂ける男になります故、どうか、長い目で見て下さい」


 ふっと、重長は表情を少しだけ和らげる。


「謙遜なさるな、大山殿。桶狭間での一件は聞き及んでおる。それに、あの織田様の覚えもめでたい、新進気鋭の商人。何の不満があろう」

「勿体無いお言葉」

「いやいや、本気で言っているのだよ。むしろ、我が娘の方が、大山殿に釣り合わぬだろう」


 俺は、再び苦笑を浮かべる。


「それこそ、謙遜が過ぎるというもの。津島で声望高き大橋家の娘。それに、庶流とはいえ、織田の血筋まで流れる姫君です。さぞや、貴き姫君なのでしょう」


 俺はそのように返す。受けて、重長の顔が若干引き攣ったように見えたのは、気のせいだろうか?


「う、うむ。……ああ、そのだな、大山殿。年長者としての助言だが、夫婦とは長い人生を共に歩むもの」


 うん? 何だ、何やら語り始めたぞ?


「始めは上手くいかぬことも、多々あろう。うむ。ワシもそうじゃった。あー、故に、もしも娘に不満があっても、夫婦生活の始まりに挫けそうになっても。まあなんだ、こちらこそ、長い目で見てもらえれば、有難い。」

「……………………」


 何だ、その歯切れの悪い助言は。……嫌な予感しかしない。


 信長の言い付けで、いきなり娘を呉れてやらねばいけなくなったのだ。

 恨み言の一つくらい、聞かされるものと覚悟していたのだが。これは……。


 ……謀に長けた者は、一つの謀で、複数の利益を引き出すという。


 今回の縁談、それは、熱田の大山、津島の大橋、この両家を結びつけること。

 そして、その両家を通して、熱田、津島への、織田家の影響力を拡大すること。


 そう、それが主目的には違いない。

 しかし、同時に別の目的が無いと、何故言い切れる?


 もう一つの目的、それはもしや、不良債権の押し付けではなかろうか?


 あれで意外に、身内に甘い所もある信長だ。


 この大橋の娘が、信長の姪が、何らかの問題を抱えていたと仮定しよう。

 信長が姪のことを慮って、何とか結婚できる相手を、押し付ける相手を見つけようと……。


 いや、考え過ぎか。押し付け女房――押し掛けの誤字に非ず――だけに、無駄に警戒してしまっているな。


 きっと、重長も、初めて会う娘婿に、どのような対応をすればよいのか、勝手が分からないに違いない。……そうだよな?


「ははは。可愛い娘を連れていく、そんな手前が憎いのかもしれませぬが、そう脅さないで下さい。全く、大橋様は悪い冗談を言われる」


 半分笑い交じりに、されど、目だけは決して笑わずに、重長の目を真っ直ぐ見詰める。

 重長は、ふいっと、視線を逸らした。……っておい!


 嘘だろ!? えっ? 何? そんなに大橋の娘ってヤバい娘なの?


 頭の中に、疑問符と不安が、嵐のように吹き回る。


「ゴホン。そ、それより、大山殿。縁談も大事であるが、目下最大の課題は別であろう」

「……はい」


 重長が、話を本題に逃がす。俺も敢えてそれを見逃した。

 これ以上精神ダメージを被れば、本題を話せなくなると危ぶんだからだ。


「織田様は、津島に影響力ある当家、熱田で台頭してきた大山家。この両家を通して、更に津島、熱田への影響力を拡大せんと欲しておられる。それに、相違ないかね?」

「その通りです。そして、最終目的は、矢銭徴課を課すこと。来る、美濃への大攻勢に備えて」

「……なるほど」


 重長は腕を組むと、難しい顔付になる。


「手前味噌ではあるが、ワシが一声掛ければ、津島商人たちは大概の事なら頷く。が、矢銭徴課となると……。難しい。無論、額にもよるであろうが」


 その言葉に、俺は頷く。


「でしょうね。大橋様ですら、それです。手前など、もっと絶望的ですよ。……ただ、銭を出せと言っただけでは、出すわけもなく。なれば、銭を出した者に、代わりとなる利益を示さなければ」

「ふむ。銭を出してもよい、そう思わせるだけの利益を提示できれば話が早い。だが、そんなものがあるかね?」


 重長が顎鬚を撫でながら、俺に問い掛けてくる。


「はい。手前に腹案があります」

「……その腹案とは?」


 俺は居住まいを正すと、厳かな声音で語り出す。


「それは、既存の枠組みを破壊し、刷新する、新たなる枠組み。それが成れば、織田に協力した商人たちは飛躍の機会を得るでしょう。それの導入を条件に、商人たちに銭を出させる」

「新たなる枠組み……」

「ええ。……そうですね、その枠組みに名前を付けるならば――楽市楽座と」


 俺は、不敵な笑みを浮かべてみせた。


 この俺が、岐阜に先立ち、この尾張で、楽市楽座をなす。


 そう、時計の針を、何年も早める腹積もりであった。


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