51話 「舞台裏に棲息するモノ」
俺は少しふらつくような足取りで、宴会が行われている広間に戻る。
それにいち早く気付いた光秀が、俺に声を掛けてくる。
「おお! 戻ったか、大山殿。どれ、隣に座りなさい」
言葉通りに光秀の横まで進む。すると、抑えた声で光秀が俺に囁きかけてきた。
「どうだったかな、ウチの娘は? 実はあれが大山殿と話したいというのでな。先程は、わざと二人が会えるようお膳立てしたのだ。親馬鹿かもしれんが、中々利発な娘だと……どうした、大山殿? 顔が真っ青だぞ? いかんな、酒を勧め過ぎたか?」
「いえ、大丈夫です」
「本当か? 無理はいかんぞ」
心配げな声を出す光秀。その顔からは、俺を心底案じているようにしか読み取れない。
……光秀はあの娘の本性を知らないのか? もしもこれが演技なら、光秀は大層な役者であるが。
そう、俺が顔を青くしているのは、飲み過ぎた酒のせいではない。先程の娘との邂逅故にであった。
俺は光秀の言葉に適当に相槌を打ちつつ、その裏であの娘との邂逅を振り返るのだった。
夜空の下対峙する。俺と同じ異物と。そう、本来存在するはずのない、しかしどうしてだか存在する、転生者という異物とだ。
――危険だ。転生者、歴史を知る者が、よりにもよって明智光秀の下にいる。その事実に心胆が寒くなる。何せ、彼女が、しず姫がその気になれば……。
ああ、問い質さねばなるまい。一体、どういう積りなのか、と。明智の下で、この戦国の世にどう関わっていくのか、どのような影響を与える積りなのか、と。
「お前の目的は? お前は何をする積りだ?」
半ば無意識に低い声音になった。まるで、いや正に詰問をするかのような問い掛け。しかし、しず姫は平然とした表情を崩さない。
「目的? それはむしろ、こちらこそが聞きたいですね。……自ら矢面に立って、積極的に歴史に介入する目的は何ですか? 貴方は何を望んでいるのです?」
俺の望み……? ああ、そんなものは決まっている。
聞かれて困るものでもない。というよりも、俺の行動を見ていれば憶測も容易いことだ。だから、しず姫の答えを聞く前に、まず自分から答えることにする。
「天下……」
「はい?」
「天下を取る。信長と二人で。この戦国の世で」
偽らざる想いを吐露する。熱量を孕んだ言の葉を夜風がさらっていった。それでも暫く互いに無言で見合った。
俺はしず姫の反応を見逃すまいと、彼女の表情に注視する。――彼女は、予想だにしない答えを聞いたとばかりに、目をぱちくりと瞬かせている。
「天下取り……。なるほど、で? 天下を取った果てに何を望むのです? 莫大な富? 褪せることなき名声? それとも、絶大な権威でしょうか?」
「いや……そうじゃない。天下を取った後のことは正直どうでもいいんだ。……何だ、その、天下を取る、それこそが大事なことなんだ」
俺は自分でも変なことを言っていると自覚しながらも、歯切れ悪く言葉を返した。
案の定、しず姫は益々訝し気な表情を深める。
「んん? 天下を取ったことで得られる成果ではなく、天下を取ったという結果こそを望むということですか? どうしてまた……。ああ、ひょっとして信長ファン? それで彼に天下を取らせたいと?」
「いや、別に信長ファンってわけでもないんだが……」
「むー? 解せぬ」
しず姫は眉根を寄せつつ、小首を傾げてみせる。……先程から全く話が噛み合っていない。いや、何故こうなるのか、俺はその理由を解してはいるが。
後ろ髪を多少手荒くかく。俺の願い、その源泉を赤裸々に語るのは、どうも気恥ずかしいものがあった。
「俺はね、前世では必死に勉強して良い大学に入って、一流の企業に入社して、社会人としての最高のスタートを切った。さあ、これからだ! やってやるぞって、未来への希望を胸に宿していたんだ」
突然の自分語りだが、しず姫は黙って話を聞いている。
「社会人になって半年くらいだったかな? どうも体調が思わしくなくてね。病院に行った。……がんを宣告されたよ。末期がんだった。前世の俺は、何一つ為せず、何物にも成れず、無為な生涯を終えた。でも、何かの奇跡か、転生という超常現象に恵まれた。だから……」
俺は一拍を置いて、ずっと抱き続けた想いを口にする。
「だから、今世で俺は必ず成し遂げる。大きな事を。自分がここに生きたのだという証を、史に刻み付ける。その為の天下取りだ」
緊張に空気が張り詰めてなければ、俺は頭を抱えて見悶えたかもしれない。
言っていることはつまり、ヤンキーが、俺はビッグになるぜ! と、言っているのと何ら変わらないのだから。
さて、俺の答えにしず姫は何と返してくる?
しず姫の顔を注視していると、ふっと控え目な笑みを零した。
「世の中、存外に男性の方がロマンチストで、女性の方がリアリストなのかもしれませんね。……そっか。そういう動機で動くのかあ」
しず姫は思案するように虚空を見上げる。
「うーん、これはどうなのかなあ? 明確な敵にはなり得ない? でも、自分の意思を曲げない分、融通も利かなそー」
「……何か、小馬鹿にされてる気がするんだが」
「気のせいですよ、きっと」
俺の憮然とした声音に、しず姫は飄々とした態度を崩さない。
「でも、敵でなくても迷惑はしてるんですよ。だって、ホント積極的に歴史に介入するのだもの。私たちの持つアドバンテージが、その度に揺らいでしまいます」
「それは……」
「あなたは、自分に都合の良いように改変してるからまだマシでしょうが。私にとっては傍迷惑な行為だと認識して欲しいですね」
「……俺にどうしろって言うんだ?」
「報連相。これからは、何か大きな事を仕掛けるなら、事前に相談して欲しいものです。ほら、同じ境遇同士仲良くしません? 明智の娘の価値は低くはないでしょ? だって、たんまりと貢物を送るくらいですもの」
確かに明智の娘が味方に付くなら、嬉しいことだ。転生者でなかったなら、尚良かったろう。
「……協力関係を飲む前に、しず姫、まだ君の目的を聞いてない。歴史知識を持つ君が、どうして明智の傍に近づいたんだ?」
「女性はリアリスト。こんな命が軽い戦国時代で、安全に生きるためには強力な庇護者が必要でしょう? だから、です」
「別に光秀である必要性はない」
「勿論、その通り。ただ、難易度の問題ですね。既に、それなりの立場にいる人に近づくのは難しい。当然、擦り寄って来る人間に警戒しますからね」
……確かにそうだが。
「でも……一年前の養父光秀は、一応朝倉に仕えていたとはいえ、実態は国元を追われた素浪人のようなものです。普通そんな人間に擦り寄る者もいないでしょう。未来を知る者でなければ。だから、当然養父も警戒などしなかった」
「……それだけが理由か?」
「ええ。他に何があると?」
しず姫の、彼女の言は、一応無理のない筋道が通されていた。が、疑わしい。本当にそれだけが理由なのか? 他に隠した本心はないか?
ただ、それを今見抜く手段はない。なら、一度納得した振りを見せて、あちらからの協力の申し出を飲むのがいいか?
無論、油断はしない。常に最大限の警戒を以てこの娘に当たる必要はあるが。
「……分かった。信じるよ。しかし、歴史知識を使って庇護者を求めていたなら、確かに俺の歴史介入は迷惑だったろうな。危うく、光秀の栄進を阻害する所だった。あの京都の一件さえなければどうなっていたか……」
「ええ。本当に、ね。お陰様で、大変苦労をさせられましたよ」
しず姫は唇を尖らせて、ねめつけるように俺を見やる。
「ははっ、それはすまな……うん?」
今のしず姫の発言はどこかおかしくなかったか?
例えば、ハラハラさせられた、なら分かる。だが、苦労をさせられた?
俺はまさかという面持ちでしず姫の顔を窺う。俺の表情の意味するところに気付いたのだろう。しず姫は意味深に哂う。
「あなたが、陰に陽に活動している中で、私は明智に近づく以前に何もしてなかったとでも? まっ、私の場合、陰に陰に、ではありますが」
「まさか……?」
「武力でもない。あなたのような経済力でもない。私が積み上げたのは情報力。情報収集に操作、それらを為すための諜報網の構築……ふふっ、結構苦労してきたんですよ。生まれも中々のどん底でしたし、ね」
「君が、お前が、将軍暗殺が早まるよう、流言を流させた、のか?」
正解と言わんばかりに、しず姫の妖しげな笑みが深くなる。
「陰惨極まる舞台裏こそ我が踊り場。舞台袖から伸びる手にはご注意を。ぼやぼやしてると、奈落の底に突き落とされますよっと。……でも、あなたを突き落とす、そんな事態にならなければいいなって、本気で思ってますよ? 多分ね。ではでは、お休みなさい」
そんな風に嘯いたかと思うと、こちらの反応を待たずに身を翻したしず姫。
去っていく彼女の背を、俺は黙って見送ることしかできなかった。
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