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37話 「藤吉郎出る」

 暗い。光もない闇の中じゃ。どうしようもない気怠さを覚える。


『――? これはどうしたことじゃ? ああ、そうか……』


 最初は事態が掴めぬも、次第に己が半覚醒の状態であることを悟る。朝、完全に目が覚める前の、泥の中にあるような独特な微睡の中にある。

 そんな半覚醒の頭の中で、かつて幾度となく聞いた声が響く。


「見よ、あの貧相ななりを」「顔の造りも卑しいもの」「言動や振る舞いに気品が感じられぬ」「いやにへりくだった態度。情けないものよ」「下賤の出か」「下賤の出じゃ」「またあの男が――」「ほんに目障りよ」「これだから……」「これだから……」「これだから下賤の出は」


 ばちりと目が覚める。むくりと半身を起こした。既に周囲は明るくなり始めている。洲股で迎える四度目の朝日であった。




 嫌な気分をまぎらわすため、一人朝の散歩をする。すれ違う者たちが気軽に声を掛けていきよる。


「おはようございます、木下様」

「おうよ」

「おっ、鼠の旦那! 今お目覚めですかい!?」

「そうじゃ。それから、鼠は止めい!」


 大声で言い返すと、周囲でその遣り取りを聞いていた者たちが声を上げて笑い出す。ったく、こいつらは!

 わざとらしく、肩を怒らせる仕草をしながら歩いてみる。そこかしこで忍び笑いが起きた。


「兄上」


 その声に振り向くと、弟の小一郎がそそと早歩きで近づいてきた。そして耳打ちする。


「金華山に出していた物見が駆け戻ってきました。昨日の夕刻前より、稲葉山城の周囲が明らかに慌ただしいと」

「……そうか。ついに気付きおったか」

「恐らくは」


 オレは小一郎と頷き合う。


「工事を急がせい」

「はっ」



 その会話から時が流れる。昼を過ぎてしばらく経つと、オレの予想を裏付ける事態が起こる。

 ひい、ふう、みい。よく目を凝らせば、指先ほどに見える騎影の姿。おうおう、明らかにこちらを窺っておるのう。


「敵の物見でしょうか?」

「じゃろうな」

「如何します? 追いましょうか?」

「いらん。無駄足じゃ。それに見たいなら、存分に見せたらええ」

「それはどういう……?」

「……小一郎、それにお前らも座れ」


 オレはそう言って、率先して地べたに胡坐をかいて座る。他の者たちにも同じように座るよう指示する。

 やがて兵らが車座になって、オレを囲むように胡坐をかいて座った。


「恐らく明日じゃ。明日、稲葉山城から兵が攻め寄せてくる」


 オレの言に、皆が真剣な表情を浮かべる。


「庭先でいつのまにか城を作られとるんじゃ。慌てふためいて来よる。金華山から真っ直ぐこの洲股までの。オレらはこれを蹴散らすんじゃ」

「なっ!? お待ちください、兄上! まさか討って出るお積りですか?」

「そうじゃ」

「どうしてです? 城は未完成とはいえ、ある程度の防衛能力は期待できます。ここで守勢に回った方が……!」


 手振りで周囲を示す小一郎。オレはその手の動きを追って周囲を見回した。


 確かに、真っ先に洲股の基礎の外周に柵を張り巡らせた。内側には櫓も立てとる。それから、職人たちが工事を進めている最中、手持無沙汰なオレたちは空堀なんかも掘った。


 職人の手伝いしても素人じゃ却って足引っ張るからの。だからといって、ぼうと突っ立てるのももったいない。

 じゃから、兵らには柵の付近に空堀を掘らせた。堀を張り巡らせるという程の規模でもないが、気休めにはなるかのう。


 なればこそ当然の疑問じゃな。どうして、ここに籠って迎撃せんのか、と。


「理由はいくつかあるが……。最たるもんは、職人らじゃ。あいつらはオレらと違って戦慣れしておらん。敵襲に遭えば動揺して、作業に集中できんくなる。改修工事は遅れてしまいかねん。それは、拙い」


 オレは尤もらしい理由を口にする。


「……なるほど、確かに理解できます。できますが」

「心配するな! 無策で敵に突っ込むわけないじゃろ!」

「ならば策が?」


 オレは頷いて見せる。そうして自信ありげに周囲の顔を見渡した。


「敵の物見に存分にこちらを見せるのも、策の一つじゃ。連中にここにいる兵の規模を知らしめたる」

「何のために?」


 オレはにやりと笑う。


「夜の闇にまぎれて兵の多くを洲股から出撃させる。残った少数は、敵の見える場所にずらりと並べて、その後ろに旗を掲げるのよ。全兵残っているよう見せかけるためにの」

「………………」


 周囲の兵らが黙ってオレの言葉を聞く。


「ええか? 夜間に出撃した兵を二隊に分ける。そんで、金華山から洲股までの直線進路を挟むよう、左右に伏せるんじゃ。……後は分かるな? 猪のように真っ直ぐ進む敵の無防備な両脇に横槍入れる。それで終いじゃ!」


 そうじゃ。それで終いじゃ。まだ槍働きで大功は上げておらんが、それでも少なくない戦場を越えてきた。その経験で知っとる。横槍衝かれた部隊の脆弱さを。

 ましてや奇襲効果も合わされば、その効果は覿面じゃ。


「どうじゃ? 文句はあるか?」


 オレの問い掛けに、兵らは互いに目配せし合う。


「……どうしたことじゃ? 鼠の旦那が一端の武将みたいなことを言っとるぞ」

「ほんとにそうじゃ。狐でも憑りついたかの?」

「どういう意味じゃ!? オレかて一端の武将じゃ! 忘れたんか、殿が諸将を招集した時、オレも呼ばれとったろうが!」

「ああ。そういえば、そうじゃった!」


 ったく、本当にこいつらときたら!


「それで? 文句はない。それでええか?」


 兵らは頷いていく。そして一人が口を開く。


「文句はない。それよりも鼠の旦那……」

「何じゃ?」

「いつも通り銭は弾んでくれるんだろうな?」


 そう言って、いやらしく笑いよる。オレも笑い返した。


「おうよ! 一番槍に二番槍、多く首獲った奴。それに大将首と。他所で出るより大量の銭出したる! 励め!」

「「おおおおう!!!!」」



 オレの檄に、阿呆共の蛮声が響き渡ったのじゃった。


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