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2話 「信長は屋号ですら呼んではくれない」

 熱田の大通りを一人歩く。

 俺が通り過ぎると、通りのそこかしこから視線が飛んでくる。

 中には景気良く声を掛けてくる者もいる。


「よう、ご機嫌いかがだい、熱田一の若旦那!」

「悪いわけねえだろう!」

「ちげえねえ!」


 とまあ、こんな感じだ。


 シンデレラガールじゃあるまいが、一日にしてのし上がった若手商人、浅田屋の二代目たる俺は、目下、熱田の耳目の的であった。


 好奇、羨望、嫉妬、それから、警戒と恐れ。


 向けられる感情は、必ずしも良いものではない。

 むしろ、悪感情の方が多いといえる。


 出る杭は打たれるというが、俺は飛び出過ぎたが故に、上から打つこと能わない。

 

 だからと、諦められるほど、商人という生き物は人が出来てない。

 上から打てねば、足を引っ張ればいい。

 

 それが、生き馬の目抜く世界に生きる、商人という人種の厭らしさだ。


 まあ、俺も、そんな商人たちの一人ではあるのだが。



 熱田に店を構える浅田屋二代目、大山源吉。

 それが、俺の肩書だ。


 なんで庶民風情が、苗字を名乗っているんだと思うかもしれない。

 けれど、実はこの時代、苗字を持つ庶民は多かった。


 公式の場では名乗れないし、公文書の類にも憚られて書きやしないが、普段苗字を使うのは当たり前のことであった。

 でなければ、ややこしくて仕方がない。


 名前の源吉。これも、庶民にありふれた名付けだ。


 庶民に人気の名前として、『源』『平』『藤』『中』といった、大貴族の氏を名前の一字に持ってくるのは、よくあることだ。

 俺の名前もそうだし、後に天下人となる木下『藤』吉郎もまた、御多分に漏れず、この手の名付けである。


 まあ、折角の苗字ではあるが、俺の場合は『浅田屋』と、屋号で呼ばれることがほとんどで、『大山』という苗字が使われることは稀であった。


 

 昼日中の大通りだけあって、熱気がすごい。

 その上、今日は快晴で、お天道さまも、燦々とした日差しで照らしてくる。

 もう六月に入っちまった。

 現代の暦でいったら、六月末か、七月の頭だ。本格的に暑くなり出す時分だ。


 ちっ、汗をかいてきやがった。


 今着ている着物は、裏地を付けない単衣の着物。

 本格的な夏に差し掛かる一歩手前の服装だ。

 しかし、こうも暑いとなると、早めに夏着物である薄物に、衣替えしておくべきだったか。


 俺は少し行儀が悪いが、着物の襟元を軽く引っ張ると、手を団扇にして着物の中に風を送り込む。

 そうして、少し億劫な気分に浸ったまま、通りを行く。

 


 そうこうしている内に、ようやく俺の店、浅田屋に着いた。


 やれやれ、これで少しはゆっくりと涼める……うん?


「二代目!」


 番頭の彦次郎が、店の入口から駆け寄ってくる。


 ……嫌な予想しかできねえな。

 どうやら、家でまったり涼むことは許されないらしい。


「どうした? 何かあったのか?」


 俺は機先を制して、先に番頭に問い掛ける。

 駆け寄ってきた番頭は一つ頷くと、口を開く。


「はい。二代目に御客人が」

「客?」


 来客の予定はなかった筈だ。

 しかし、この番頭が無断で店の中に上げ、そして俺が帰るや、駆け寄ってまで、客の来訪を告げる。

 こいつは、生半可な来客じゃねえな。


 俺はそう当たりを付けると、核心に触れる問い掛けをする。


「客ってのは誰だい?」

「清州城の、織田様の使いの方です」



 なるほど、こいつは生半可な来客じゃない。



****



 というわけで、俺は清州城に再びの登城。

 前に信長に会った時と同じ部屋に通された。


 この、クソ暑いのに、羽織袴姿である。


 まさか、国主に会うのに、平服というわけにはいかない。分かるとも。

 だからといって、これはあんまりだ。まるで拷問じゃねえか。


 ドタドタドタと、前にも聞いた、荒々しい足音が近づいてくる。

 俺は畳に頭を擦りつけ、平伏してみせる。


 バーンと、ふすまが勢い良く開く。

 ドタドタ、ダン! ……この人は、いつもこの登場の仕方なのだろうか?

 内心、呆れてしまう。


「おう、来たな、うらなり! 面を上げよ!」


 ……うらなり? 一瞬反応が遅れる。

 暫くして、それが俺のことを指した言葉だと理解する。


 そうだ。伝聞によれば、信長は、人にあだ名を付けるのが好きだったのだ。


 しかし、うらなりは酷くないか?

 確かに、武将に比べればガタイも良くないし、元気に見えねえだろうが。


「……はっ」


 うらなり呼ばわりに、どうも釈然としないまま、頭を上げる。


「今日貴様を呼び出したは、他でもない。早速、ワシの役に立ってもらおうと思ってな。おい! あれを持ってまいれ!」

「はっ!」


 信長の命を受けて、小姓だろうか? まだ幼さを残した少年が、両腕で抱える様にそれを持ってくる。


「どうじゃ、うらなり? 当然、これが何かは知っておろうな?」

「……種子島、鉄砲ですか」


 信長が、にかっと笑う。

 まるで、自分の宝物を披露する童のようである。


「そうじゃ! ワシはこれに目を付けていての。既に百丁ほど、揃えておる」


 自慢げに膝を叩く様は、本当に童そのものである。

 

 しかし、無理もない。

 畿内ならいざしらず、この辺りで百丁も揃えている者は、他にいまい。


 さて、重要なのは、信長がただの新しいもの好きで、火縄銃を持て囃しているのか。あるいは、真にこれの価値に気付いているのかだが。


「して、うらなり? 貴様はこの鉄砲をどう見る?」


 僅かに雰囲気が変わった。本当に僅かだが。

 それを、商人として培った勘で、直感的に察知する。


「もっと数を揃える。それが為れば、戦場の在り様を一変させる。それだけの可能性を秘めた武器かと」


 ぎらりと、信長の目が光る。

 最早その表情に、笑いはどこにも見当たらない。


「貴様もそう思うか……」

「はっ」


 これまでの信長の大声に反して、囁くような声音。

 俺もつられて、小さな声で返す。


「うらなり、貴様なら、これを何丁用立てられる?」


 俺は、信長の言葉に、暫し虚空を見詰め思案する。


 信長が望むであろう数、それは戦術を一新するに足る数に違いない。

 

 信長の鉄砲戦術として有名なのは、長篠の戦……か。

 伝わるところによれば、あの戦で、信長は三千丁の火縄銃を用意したというが。


 まあ、いきなり、三千丁は無理にして。

 例えば、千丁を用立てられるか? ……答えは否である。


 まず単純に、千丁購入するだけの資金を、今の俺も、織田家も、ポンと支払うことなどできはしない。


 仮に、購入できるだけの銭を掻き集めたとしても、問題はまだある。

 

 火縄銃の主要生産地といえば、近江の国友、紀州の根来、和泉の堺と、見事に畿内に偏っている。

 いざ大量に購入しようとすれば、畿内に赴き、買い付けることになる。


 おそらく、百丁、二百丁なら、銭さえ足りれば売ってくれるだろう。

 しかし、千丁ともなると、喩え、購入能う銭があっても、売ってはくれまい。


 商品が悪い。

 これが茶器だの、名画だのなら、金儲けの為に簡単に売ってくれるだろう。


 しかし、火縄銃は兵器だ。それも最新式の兵器。

 それを大量に売るのは、彼らの警戒心が邪魔をするだろう。

 何せ、正当な対価が支払われているとはいえ、その行為は、敵に塩を送る以上の利敵行為とすら言える。


 畿内商人から、それだけの火縄銃を購入するには、彼らに強い影響力を持つ、彼らに政治的に働き掛けられる、そんな立場にならねばならぬ。


 その一番、手っ取り早い近道は、畿内を領することだ。

 畿内を領する大名になれば、正当な銭を支払えば、売ってくれるだろう。


 だが、今の織田家は畿内を領するどころか、尾張の片田舎の大名に過ぎない。

 まだ、美濃、後の岐阜すら領していないのだ。


 とてもではないが、大量の買い付けなど不可能だろう。


 そう結論付けると、俺はようやく口を開く。


「残念ながら、上総介様が望まれるような数は用立てられぬでしょう。まず、資金が足りませぬ。そして、畿内商人との繋がり、影響力がありません。手前自ら出向いても、精々百丁、二百丁の購入が関の山かと」

「やはりそうか。残念じゃ……」

「申し訳ありませぬ。上総介様の望みを叶えるには、暫し時が必要でしょう」


 俺はそう言って、軽く頭を下げる。


「であるか。致し方あるまい。……それでも百丁でも喉から手が出るほど欲しい。うらなり、畿内に買い付けに行ってくれぬか?」

「相分かりました……が」

「が?」

「手前自ら畿内まで出向くのです。子供の使いでもありません。唯、鉄砲を買い付ける。それだけで終わらせる積りは、毛頭ありませぬ」


 信長は一瞬訝しげな表情を作り、次いで面白げに笑む。


「何を企んでおる、うらなり?」


 俺は気持ち、信長に体を近づける。


「手前に提案が御座います」



 俺は自らの腹案を、信長に対し語って見せたのだった。


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