17話 「孤高なる龍」
尾張・三河の連携、問屋制・工場制の混合形態、綿織物によるブランド商品の創設。
これら閃いた案の是非を求めるべく、早速清州城の信長に文を出した。
光の速さで呼び出しを受けた。
故に、またもや、清州城に登城と相成りました。
……信長は、相手にも都合があるのを理解できないのか?
理解していて、敢えて無視しているのか。……多分後者だな。そんなことだから本能寺を(ry
そんなこんなで、またもやいつもの部屋で待たされる。
ほどなくして響くのは、例の落ち着きない足音だ。
ドタドタドタ、バーン! 勢いよく障子が開かれた。俺は平伏する。
「おう! 来たか、うらなり!」
ドタドタ、ドスンと、上座に座る音。
「面を上げよ。あの文、読んだぞ、うらなり!」
「はっ……」
俺は顔を上げながら問い掛ける。
「して、如何でしたでしょうや?」
「面白い! ……が、尾張国内に留まる話でもない。故に、ワシ一人では決められん。松平の賛同もいるぞ」
「はっ。承知の上です。……畏れながら、松平様には、上総介様からご説得いただきたく」
「ふむ……」
信長は虚空を見上げながら、顎鬚を撫でる、
「……水面下で同盟の話を進めているのは話したな」
「はい」
「本腰を入れた交渉はまだ先じゃが……。その時、うらなりの案も話せばよい」
「はっ。ありがたく……」
俺の言葉尻を、信長の眼光が遮る。
「が、同盟の交渉役を任せておる者では、うらなりの案を上手く説明能わぬじゃろう。……うらなり」
「……はい」
「交渉が佳境に至れば、貴様もその場に参加せよ。見事、自らの口で、竹千代を口説き落としてみよ。よいな?」
「ッ! ……承知致しました!」
俺が、家康を説得する! ……なんて大任だ! 体が震えそうになる。
これは怖れか? ああ、当然、怖ろしい。決まっているだろう。
だが! 同時に湧き起るこの感情は……!
ああ、そうだ。桶狭間の後、信長に初めて会った時と同じ感情。――興奮だ。
なれば、この震えは、武者震い。
いいぞ。やってやろうじゃないか! 俺が、他の誰でもない、この俺が!
またも、歴史に爪痕を残すのだ。取るに足らぬ商人の身で。歴史上の偉人でもない俺こそが!
ハッ、なんとも痛快じゃないか!
これに勝る遣り甲斐のある仕事など、他にあるというのか!?
俺は震えながらも、真っ直ぐに信長の目を見詰める。
「良い目じゃ。野心溢るる男の目じゃ」
信長はニヤリと笑む。
「失敗は許さんぞ、うらなり。……励め」
「はっ!」
俺は力強く返事してみせる。受けて、信長は満足げに頷いた。
「よし! この話は終いじゃ! 次は……ワシの愚痴に付き合え、うらなり」
「はっ……?」
は? 愚痴? ……んんん?
臨界点まで高まった熱が、急速に冷やされていくのを感じる。
いや、そんなもの俺に聞かせなくていい。俺だって暇じゃないんだ。
されど、そんな心の声が信長に届くわけもない。
……仮に届いても、聞く耳など持ちやしないだろうが。
「此度、美濃攻めの為に、尾張北部に城を築くこととなった。……美濃攻めのための一大拠点じゃ」
「一大拠点……それはどちらに?」
「小牧山じゃ」
小牧山……。信長の死後、家康と秀吉が争った戦、小牧・長久手の戦いの際、家康が陣取るのは知ってはいるが……。
城が築かれるのは、この頃だったのか?
あるいは、資金面が史実より潤沢になったことにより、史実とは違うタイミングで城が築かれようとしている?
判断つかない。流石に、小牧山にいつ城が築かれたなんか、俺には分からん。
「……それで、何が上総介様をお悩ましに? 資金繰りに問題が?」
信長が憮然とした表情で、忌々しそうに鼻を鳴らす。
「資金は問題無い。問題は別よ。この際思い切って、清州から小牧山に本拠を移そうと思うのじゃが。……ふん、どいつもこいつも、難色を示しよる」
本拠の移転! なるほど、一大事だ。
織田家中の者たちが、慎重になるも頷けるが……。
「本拠をお移しになりたいという、その御心中は? 前線拠点としての使用に留めるのではいけぬのでしょうか?」
信長は蠅でも追い払うように手を振る。その表情は鬱陶しげだ。
「うらなり、貴様まで、我が家中の石頭共と同じことを言うでない」
「はあ。申し訳ありませぬ」
幾分、気の抜けた返しをした俺に、信長が移転の理由を口にする。
「本拠を移すは、ワシの決定を速やかに前線に反映させるためよ。それに、前線の一大拠点を任せる将に、清州のワシ、そんな風に頭が二つになるは混乱の元よ」
なるほど。トップの意思決定、その意思伝達の速さを重視する、か。それに、指揮系統の一本化による混乱の防止。
事を始める前に、そのことに気付ける。なんとも、非凡なる男だ。
「上総介様の御意思は理解しました。……同じことを家中の方々にもお話しなさればよいのでは?」
信長の眉間に、これでもかと皺が寄る。
「連中はそれでも文句を垂れるのだ。……別に反対意見を口にするは構わぬ。理屈ある反論ならな! うらなり、連中は急な変化に及び腰なだけよ。それだけで、理由なく反対しよる!」
信長の語気は、次第に強くなっていく。
相当、日頃の鬱憤が溜まっているようだ。
無理もない、そう思う。
信長の先見性、思考回路、それらは戦国の世の者が有するものとは思えない。
信長が、俺と同じ現代からの転生者だというのなら、大いに納得しただろう。
それぐらい、信長はかけ離れている。一人、先を歩み過ぎている。
大きすぎる才気は、必ずしも本人のためになるとは限らぬ。
信長を見ていたら、それを実感せざるを得ない。
信長にとっては、当たり前に過ぎる事象。それにすら、気付くことができぬ己の家臣たちを見るのは、さぞや歯痒いことだろう。
俺は初めて、この男のことを哀れに思った。
天与の才、いや、時代を超越した異才。
それは、信長を否応なしに孤高の存在へと引き上げる。引き上げてしまう。
「何じゃ、その目は? うらなり?」
「いえ……」
「口籠るな。申せ!」
「………………」
「ふん。いつもの減らず口は何処へ行った? もう一度問うぞ? 此度のことに限らぬ。何故、家中の者たちは、事あるごとにワシの意見に拒絶反応を示す。さしたる理由もないままに。一体、何故じゃ?」
俺は目を伏せる。そして、喉で止まりそうになる言葉を吐き出した。
「それは……上総介様御一人だけが違うからです」
「違う? ワシは何が違うというのだ?」
「喩えるなら、上総介様は、滝を登り切った稀有なる鯉です。これより、天をも翔けようとなさっておられる。……どうして、凡庸なる鯉どもが、天翔ける龍についていけましょうや?」
「……であるか」
信長は俺から視線を離すと、開かれた障子の先の庭を眺める。
「龍の思いが鯉に伝わる道理もなし、か。……なるほどのう。得心いったわ」
信長の見せるその横顔に、俺は胸が締め付けられそうになる。
信長は庭を眺めたまま、言葉を繋ぐ。
「しかし、なればどうすればよい? 理解求めるが無為ならば、無理やり動かせと?」
信長の問い掛けに、俺は首を左右に振る。
「家中の方々は、先が見通せぬ闇だからこそ、恐れ、足踏みなさっているのです。無理やりその背を押し、闇の中へと放り込めば、増々恐怖するでしょう」
「……ふむ。ならば?」
「無理やり動かすのではなく、自ずと動くように仕向ければよろしいかと」
「どういう意味じゃ?」
信長の視線が、俺の顔に戻される。
「さて、此度の場合ですと……。ふむ、商人ならこうするという知恵をお貸ししましょう。……上総介様、小牧山への本拠移動よりも、無茶なことをご提案なさいませ」
「んん?」
信長が疑問の声を上げる。俺は説明を続けた。
「例えば、小牧山より最前線に近い地に、より北方の地に、新たな本拠を構えると言うのです。……当然、家中の皆さまは猛反対なさるでしょう」
「当然じゃな」
「はい。そして、その後に本命である小牧山案を持ち出す。本当なら、最初の無茶な案が本命だが、抵抗に遭い、渋々譲歩案を示したのだと、そういう体で」
「ふむ……。それで、納得するか?」
「恐らくは。少なくとも抵抗は減じましょう。止めに、最初の無茶な案か、小牧山案か好きな方を選べ。そう仰ってください」
無茶な要求を通す際に、より無茶な要求を先にする。
そうすることにより、無茶な要求を無茶と思わぬように誤認させる。
人間心理を利用した、よくある手だ。
そして、二択という形で、相手に決定権を放り投げる行為。
一見、相手に選択の自由権を与えているようだが、なんてことはない。
二択の時点で、自由もくそもないのだから。
「……なるほど。それが商人の知恵、か。参考にしよう」
「はい。是非とも」
俺は軽く頷く。暫し流れる沈黙。それを信長が破る。
「時にうらなりよ」
「はっ。何でしょうか?」
「貴様は、我が家中の鯉共より話が通じるようじゃが。これはどういうことか?」
信長の問いに、俺はわざとらしく笑みを浮かべて見せる。
「ああ、それは簡単なことです。……我ら商人は、常にずる賢く、餌を求めて飛び回る烏なれば。同じ空を飛ぶ生き物同士、まだ鯉より話が通じるも道理でしょう」
「ふん。たわけたことを。……かねてよりの疑問に答えて見せたこと。礼を言うぞ、うらなり」
「滅相もありませぬ」
俺は深々と平伏する。
信長はすっと立ち上がると、静かに歩み去って行った。