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信長【旧版】  作者: 入月英一@書籍化
一章

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16話 「武……ブランドへの道」

 台風のような上司ぼうくんは去った。


 が、それで俺の悩みは消えたわけじゃない。

 むしろ、あの上司ぼうくんは、大変な宿題を残していった。


 織田武……織田・松平ブランドの創設、か。


 ブランドとしての名声は、織田・松平の名を借りれば、事足りよう。

 我々尾張、そして三河の御用商人が、その独占販売権を得る。

 両家の名を借りること、独占販売権の許可、それらの見返りに、売上の一部を、織田・松平に還元する。

 概ねの方針は、これで問題ないだろう。


 上手くいけば、俺たち御用商人は、笑いが止まらぬ程、儲けられる。

 織田・松平も銭が入り、それを軍資金の足しにするといい。


 問題は……ブランドとは、名声だけのものではない、ということ。

 ブランドを形作るのは、名声、そして信頼に足る品質である。


 ブランドが出来ればいい、そう口走ったが……。

 それは、一番の理想として、言ったこと。


 真実、それの達成を目指すなら、中々骨が折れる。

 

 問屋制手工業、それぞれの農家で、個別に生産物を作らせるわけだが……。

 これには、ブランド化の上で、無視しえない問題を孕んでいる。


 そう、どうしたって、品質にばらつきが出ちまう。

 これを解決するには……。



「二代目。……二代目? 二代目! ……駄目だ、こりゃ。……今は、別に難しい案件はないな。よし! 取り敢えずは、番頭である俺が取り仕切る! いいな!」

「「へい!」」



 どうする? どうする? 一定した品質……工場制手工業?

 だが、まだまだ、民草は土地への拘りが強い。

 将来的に、土地に縛られない、米を基軸とする経済からの脱却を図る気だ。


 だが、現状では、時期尚早に過ぎる。


 くそ! 何か妙案はねえのか!?



「旦那様? 旦那様! ……仕方ありませんね。居間まで引っ張っていきますか。袖を失敬。ほら、夕食の時間ですよ」



 ……問屋制手工業と、工場制手工業、この混合形態はどうだ!?


 各農家に下請として、ある程度まで、製品の元を作らせる。

 それら、下請で製作したモノを一括して、尾張国内に設けた工場に送る。

 そして、その工場で仕上げを行うのだ!


 これなら、工場に大規模動員する必要もなく、更に一定の品質が……


「えい!」

「いたっ! ……痛いな、何だ、何だ?」


 すぐ目の前には、身を乗り出した於藤の姿。

 ……まさか、彼女が狼藉の下手人か?


「あっ。やっと、戻ってきましたね。旦那様、夕食の時間ですよ」

「何を言って……ううん!?」


 あれ!? 俺はいつの間に居間に?

 しかも、目の前には、夕食と思しき食膳が据えられている、だと!?


 あ、ありのまま今起こった事を(ry


「そんなに、何を考え込んでおられたのですか?」


 於藤が、コテンと小首を傾げる。あっ、可愛い。


 うーん、そうだな。煮詰まった時は、他人の意見を聞くのもいい。

 新鮮な意見が、ブレイクスルーになることも少なくない。


 取り敢えず、問屋制手工業と、工場制手工業の混合形態、ここまでは考えが纏まった。

 ならば、後は……何を作るかだ。


「……於藤」

「はい」

「これはまだ内密の話だが、今度三河の松平様と、織田様を協力させて、新たな産業を興そうと思っている。……が、何を作るかをまだ決めてない」

「つまり、何を作るかを悩んでおられたのですか?」

「ああ。沢山作って、沢山売れる。そんなモノが理想なんだが……」


 俺の言葉に、於藤は顎に手を当てる。んー、と可愛らしい声を上げながら、暫し虚空を見詰めて……。


「綿織物は如何でしょう?」

「綿織物?」

「はい。三河は、綿花の生産地として有名であったかと。それを利用しない手はないのでは? やはり織物は、女性に人気がありますし」

「なるほどなあ。そう言えば、於藤も最近は、以前より着物に凝っているそうだしなあ」


 俺は、於藤の実家からついて来た、於藤の付き人から聞いた話を口にする。


「なっ! そ、それは、少しでも旦那様に…………」


 ごにょごにょと、言葉尻が何を言っているか分からなくなる。

 しかし、大体は想像できる。

 朱に染まった頬が、雄弁に物語っている。ああ、可愛い。


 しかし、綿織物か……。


 確かに、三河は綿花の生産地だ。そして……。

 江戸時代以降の話だが、尾張は藍の専売と、それを利用した有松絞りで有名になる。


 有松絞りは、確か木綿布を藍で染めたモノが代表的だったはず。


 これを作れるか? まあ、有松絞りそのものは出来なくても。

 それに近しいモノをだ。


 三河で、効率性の向上により生まれた米農家の余剰人員を、綿花栽培に振り分ける。そうして、綿花の生産量を増やす。

 尾張で、農家から捻出した余剰労働力に、木綿布を作らせる。


 そうして、出来上がった大量の木綿布を一括して工場へ。

 ここで、有松絞りもどきを製造する。


 有松絞りという伝統工芸は、複数の工程を持つ、複雑な製品だ。

 一朝一夕で、その技法は身に着かない。


 しかし、そこは工場生産の利点でカバーできる。

 工場生産の利点とは、製造工程の分業に他ならない。


 仮に、有松絞りに、十の工程があったとしよう。

 そして、作業員の数も十人だ。


 十人全員に、一から十まで、全ての工程を一人でこなさせる。

 これでは、覚えることが多過ぎて、中々覚えきれない。

 また、覚えることはできても、熟練工になるには時間を要する。


 しかしこの問題は、分業によって解消される。


 十の工程に、一人ずつ人員を振り分け、担当となった工程にのみ従事させる。

 これで覚えることは十分の一に。

 また、同じ工程ばかりを繰り返すため、習熟の早さも段違いだ。



 ……いけるな。まだ、机上の空論だが、光明は見えてきた。


 有松絞りもどきの着物を、市姫様に着てもらい、広告塔になってもらおうか。


 あの美姫が愛用されてる着物! まあ、私も着てみたいわ!


 なんて具合に、購買意欲を煽ることができるかもしれない。うん、いけるな。

 素敵な着物をせっせと貢げば、市姫様の覚えもめでたくなるだろうし。

 そして、妹に甘い信長も、悪い気はせんだろう。


 ……於藤にも、何か一着贈ってもいいかもしれない。


 後は、織物の専門知識はさっぱりだから、織物職人を何人か雇って、工場での教導要員として詰めてもらおうか。


 よし、よし、悪くないぞ。


 後は、まずは信長の許可を取り、次いで、信長を通じて家康を説得させる。


 これが為れば、武……ブランドへの道は……。


「えい!」

「いてっ!」

「旦那様、夕食を頂きましょう」

「……ああ、そうだな」



 俺は取り敢えず、目の前の食事を片付けることにしたのだった。


 今回のテーマは『分業』。

 スミスさん家のアダムせんせは言いました。分業超大事!、と。(by国富論

 狭義の分業とは、工場での工程内分業。

 広義では、国家間の分業。即ち貿易の推奨を意味します。

 源吉君には今回、この『分業』の考えを導入してもらいました。

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