第6話 謎の男
全く知らない男が立っていた。
全身を黒い鎧で包み込み、攻撃を受け止めた衝撃波で靡く銀色の髪。その髪から見えるとんがった耳。背中から伝わってくる威圧感。
男は、片手で竜の腕を受け止めていた。竜は依然として力を入れているのか男の立つ足元はベキベキと音を立てている。
「……」
言葉が出てこない。何が起きてるのかさっぱり分からない。分かることと言えば目の前の男に助けられたということだけ。
すると、男が肩越しに振り返る。そこから、僅かに見える青い瞳。快晴の空のような汚れのない青い瞳。瞳がニックを捉える。だが、すぐに竜を見上げる。
男は小さく笑い、腕に力を込める。受け止めていた竜の腕が勢い良く弾き飛ばされる。驚いた竜はグルルと眼を見開きながら数歩後退する。その度に、物凄い震動が体に伝わってきた。
ゆっくりと、手を下ろす男。そして、ニックの方へ体を向けると血溜まりで見上げるニックの頭を屈んで手を翳す。
「あいつを殺す。お前はここにいろ」
しばらく手を翳した後、再び立ち上がり竜へと歩き出す。
「ちょ、ちょっと……!」
思わず男へ手を伸ばしてニックは気が付いた。体の痛みが一切ないことに。驚いて体をよく見ると抉れた脇腹は元に戻っていて折れていた足も痛みなど最初から無かったかのようだ。周りに出来ていたはずの血溜まりも綺麗さっぱり消えている。最初から怪我などしていなかったかのようだ。
「さっき手を翳してたのは、体を治してくれた……?」
ニックは男の背を見ながらそんな事を考える。治癒魔術を使ってくれたのか……? いや、でも待て。今詠唱してたか?
ニックの体はほぼ死に体だった。それをこんな何もなかったかのように治すことなど上位魔術でしか不可能のはずだ。如何に治癒魔術が得意と言ってもそれを無詠唱でなんて出来るはずがない。それについて聞こうと声をかけようとするが喉元で言葉が止まった。
殺気。溢れ出る魔力に殺気が混じっている。鋭利なナイフを首に押し当てられているそんな感覚。竜もそれを感じているのか男のことを睨みながら一歩後ろへ下がった。
男は小さく笑い、身を屈める。そして、勢い良く跳躍した。木造の床は砕け男の姿は視界から消えた。
男は、竜の顔の前まで来ると顎に向かって足を蹴り上げる。竜の顔が強制的に天を向く。顔が下に向く前に素早く地面に降り、二歩足を回転しながら歩くと竜の胸に回し蹴りを食らわせる。竜の腹が波紋のように歪む。うめき声を上げ、地面を抉りながら竜は学園から町の方へと吹き飛ばされた。
男は、一つ息をついて右手を広げる。
「ふぅ……」
すると、魔法陣が発動しそこから棒らしきものが出てきた。黒い棒。普通の棒にしては、些か奇妙な形。男は棒を掴むと魔法陣がゆっくりと動き棒らしき物の正体が明らかになる。
それは、男の身長より長く刀身がただただ黒い両刃の大剣。黒い大剣から発せられる禍々しいほどの魔力。
その魔力にニックの体が強ばる。全身の筋肉が引きつった感覚。
大剣を軽々持ち上げて肩に担ぐ男。
瞬間、ニックの前から男が消えた。さっきまで目の前にあった背中は、どこにも見当たらない。
「えっ……ど、どこに行った……!?」
一瞬にして消えた男を周りを見渡して探すニック。
すると、後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ニックーーー!!」
声のした方を振り返るとリナが走ってこっちに向かってきていた。ニックの元までたどり着いたリナは必死に荒れる息を落ち着かせる。そんなリナに、
「リナ! 大丈夫だった!?」
「わ、わたしは大丈夫。それよりニックの方こそ大丈夫なの? いきなり走り出してすごい心配したんだから。服もすごい汚れてるし」
「えっと、まぁ、ちょっと死にかけたと言いますか……」
「えぇ!! だ、大丈夫!? 何処か怪我してるの!?」
リナはニックの体を心配そうに見回すが、眉を八の字にする。
「全然大丈夫そうだけど……」
「う、うん。実は銀髪の男の人に助けられて……。ってそんな話は良くて! 先生たちは?」
「そ、それが……。学園内に入れないの」
「え? どういうこと?」
「わ、私にも何が起きてるのか分からないんだけど……学園の扉という扉が、全部固定されたように動かなくて」
汗を手の甲で拭いながら、ゆっくりと息を整えるリナ。
「中からは?」
リナは、首を横に振った。
「ダメみたい。たぶん、何かしらの魔術で固定されてるって言ってた」
「言ってたって……誰が?」
「ロゼリア先生だよ。今、中でその魔術を解除しようとしてる」
ロゼリア先生なら魔術を解除することなど造作もないだろう。だが、すぐに解除できないところを見ると余程の魔術に思える。突然現れた竜と関係ないということは無いだろう。計画された何かなのだろうか。
「ところで、どうやって会話したの? 扉は開かないって話だったけど」
「なんかめっちゃ大声で叫んだら聞こえたから、そのまま会話したの。そのせいで、ちょっと喉が痛い……」
苦笑いして自分の喉に手を当てるリナは、表情を曇らせ不安な目をニックに向ける。
「ニック……あの竜は……?」
「そういえば!?」
それを聞いてニックは、あの男と竜が戦っていることを思い出した。黒い巨体を探すために周りを見渡そうとすると、いきなり学園を壁に沿って包み込むように何が張られていく。
水色の膜のようなものがドーム型に学園を囲う。シャボン玉のように触れれば割れそうなほどの薄そうな膜は透けて遠くも見える。
ニックは、これがなんなのか知っていた。
「こ、これは……『絶対防御の結界』!!」
リナは、首をかしげてニックに問いかける。
「絶対防御の結界?」
「うん、これは上位の防御魔術だよ。魔術を完全に防ぐ絶対的な魔術。それ故に、魔力の消費が激しすぎておいそれと使えない。けど……これは……」
下位魔術の防御壁なんて比ではない。物理、魔術的な攻撃を受け止める防御壁に対して、全ての攻撃を防ぐ絶対防御の結界。下位と上位の魔術の違いは、それほどまでに遠い。根底そのものが違うのだ。
ニックは、こんな大きさで絶対防御の結界を発動させることにある種の感動を感じていた。洗礼された魔術の腕。しかもこの大きさだ。こんなことが出来る人物そうそういない。そう思いながら一瞬さっきの男の背中が浮かんだ。
ニックが考え込んでいると、リナがニックの制服の裾を引っ張る。
「ん?」
「あ……あれ…………」
リナが、震えた白い指をゆっくりと怯えた表情でその方向に向ける。その方向にニックは、顔を向けるとそこには竜とあの男が町の中心部にいた。
「な……」
竜は、こちらに口を大きく開けていた。赤く巨大な口。そして、穴から炎が放たれる。
灼熱であろう炎が学園を襲う。
普通ならば、打たれた時点でニックたちの運命は閉じる。学園もろとも丸焦げだ。だが、その炎を完全に防いだのは誰かが張った巨大な絶対防御の結界。炎は徐々に勢いを失い竜は口を閉じた。
安堵の息を漏らすニック。
そして、意を決したように竜の方に歩き出す。その腕をリナは両手で強く掴む。力強く制服は、絞られたようにくしゃりと歪む。
「ニック! どこに行くの!」
掴まれたニックは、振り返る。少し俯いたリナは、小さく呟くように問う。
「どこに……行くの……」
「……あの竜の所にだよ」
「──っ!」
その言葉に俯いていた顔を勢い良くあげるリナの赤い瞳は少し潤んでいる。そして、叫び声のような声がニックの耳に届く。
「なんで……わざわざ危険な場所に行こうとするの! ここに入れば安全なんだよね!? それなら──」
ニックは、ゆっくりと首を振った。
「行かなきゃいけないんだ。自分でも何言ってるか分かんないよ……でも、行かなきゃって思うんだよ」
「意味、分かんないよ……」
「だよね……けど、僕は行く……誰になんと言われようと行かなきゃ」
「……」
なぜまた危険な目に遭いに行くのか自分でも理解していなかった。助けられなければ今ごろニックは死んでいた。無謀に飛び出ていった結果そうなったのに、ニックはまた同じ事をしようとしている。けど、自分でも理解できない確信があった。あの銀髪の男が何とかしてくれるのではないか。それを見届けないといけない気がしているのだ。
黙ったまま数秒間。未だ掴まれたままだが時が立つにつれて握られる強さが増していく。
リナの呼吸が震えている。怯えているのだ。一人になるのが怖いのだろう。ニックもそれは同じだった。だが、なぜか心が動かされる。行かなければならないと思ってしまった。
「なら──」
か細い声が聞こえる。
「なら! 私も行く!」
「っ! リナはここにいて!」
「もう……行くって決めたから……」
掴まれている腕は震えている。しかし、リナの赤い瞳は何かを決したような目をしていた。それに負けたニックは諦めたように了承した。リナはゆっくりと制服から手を離す。
リナの顔は真剣そのものだった。そういう顔をしたリナは意地でも自分の信念を貫く。約一年付き合いを持ってよく理解している。
「良いんだね? 絶対防御の結界の外に出たらこの魔術を解かない限り中には戻れない。外には、竜がいる。だから……最悪の場合……」
死ぬ。
けど、何故だろう……。ニックにはそんな事にならない気がしてならない。
リナと共に竜を見つめる。
「じゃあ……行こう」
二人は走り出す。謎の男と竜の待つ地獄へと。




