第5話 使い魔召喚
「ド、ドラゴン……」
ニックは、この学園から遠くないところにいる異様な生物の名を呼んでいた。
エルステイン王国の中心部に佇む一匹の竜。黒々と輝く鱗。黒く長く伸びた尾をゆらゆらと宙に浮かせていた。筋肉質な身体は遠くから見てもよく分かる。
そんな竜の姿にニックは恐怖した。体が全く動かない。後ろにいるリナも同様に動けずにいた。聞こえるのは二人の呼吸と学園の外から聞こえる悲鳴だけ。
その悲鳴にニックは、恐怖した体を無理に動かして振り返りリナに声をかける。
「リナ」
「……」
「リナ!」
「……あ……えっ?」
数回呼び掛けようやく返事が返ってきた。
いつものリナの元気な表情は消え失せ、恐怖に怯えた顔でニックの顔を見つめる。手は小刻みに震えていた。その手をニックは優しく両手で握る。リナは少しビックリしたのか小さく声を漏らした。
「大丈夫! 僕がなんとかするから、リナは一刻も早く先生たちに知らせて! きっと、さっきの音とかで気が付いてるとは思うけど」
「で、でも……ニックは……」
「大丈夫……大丈夫だから。まかせて」
リナの手の震えが少し収まった所で手を離して振り返って思いっきり走り出す。走りながら後ろを肩越しに振り返る。
「じゃあ、リナ! 頼んだよ!」
「ちょっと……ニック!」
後ろでニックの名前を呼ぶリナを無視して学園の出口まで走り続ける。
学園から出たニックは周りを見渡してその光景に下唇を噛む。
突如として現れた竜により物凄い騒ぎになっていた。時折聞こえる、悲鳴。大声を上げて泣いている声まで聞こえて来る。
ニックは必死に足を動かす。竜がいる所へと。
「僕に何が出来るかなんて分からないけど、精々先生たちが駆けつけてくれるまでの時間は稼ぐ! 下位魔術もろくに使えないけど……やるしかない!」
ニックが進むにつれて竜との距離が近づいていく。油断すると足が止まってしまう。地面にしっかり両足を着けてしまう前に無理矢理足を動かす。
すると、急に竜が動き出した。顔を少しあげ息を大きく吸い込むと物凄い音がニックの鼓膜を刺激する。
「グオォォォォォォオオオオオ!!!」
咄嗟に両手で耳を塞ぐが、ほとんど効果は無い。直接頭に響くような轟音を受けながらニックは薄く目を開く。
口を大きく開け、白い牙を剥き出しにしながら咆哮する竜。少しすると、物凄い音は消えたが竜はまた息を大きく吸い込む。だが、さっきとは何か違うような……。
竜は、少し上を向いて咆哮したが今度は真正面を向いて大きく口を開ける。ニックとは九十度違う方向。そして……。
赤く神々しい炎が竜の口から放たれた。それは、真っ直ぐに進み途中で物凄い爆音と共に爆発する。九十度の所にいても爆風と皮膚を焼くような炎の熱が感じ取れた。
「くっ……!」
両腕で顔を覆い隙間から竜を凝視する。炎によって竜の眼はより一層その恐怖を掻き立てる眼になる。黄金に輝く眼が前方で燃え広がる炎を見据えている。
だが、ニックが瞬きをする為目を閉じまた開けた瞬間背筋が凍った。なぜなら、その黄金に輝く眼はニックを捉えていたからだ。
「あ……」
一気に体が硬直する。息をするのも忘れるほどの恐怖が一気に押し寄せてきた。
逃げなきゃ……。
そう思っていても体が動かない。
竜は、黄金の眼でニックを捉えたままグルルルと、うなり声をあげている。
だが、数秒後。そいつは、九十度角度を周りの建物を崩しながら変えニックの正面に立つ。そこそこ距離はあったはずなのにほぼ目の前に竜の顔がある。二つある黄金の眼でニックを見下ろす。竜の鼻息が間近でニックに吹く。体が飛びそうになるのを必死に両足で踏ん張る。
「くっ……!」
ニックは、無理矢理体を動かして竜に向かって手を翳す。それと同時に竜の前足がゆっくりと上がっていく。
ニックは、目を閉じた。
「この身を守りし 守の精よ 猛攻を防ぐ盾となれ!」
詠唱して防御魔術の下位魔術、防御壁を発動させる。その魔術が、ニックの唯一使える魔術。
これで、竜の攻撃を防いで時間を稼ぐ!
青色の魔法陣が宙に発動され、そこに竜の腕が鞭のようにしなる。
「これで、防ぎきって───」
物凄い衝撃がニックを襲う。
「……えっ?」
自分でも何が起きたのか分からない。物凄い速さで体が後ろに後退する。それも宙に浮きながら。そして、背中に再度衝撃が走る。
そう。ニックは、竜の腕によって吹き飛ばされたのだ。学園を囲む壁を突き破り、そしてゆっくりと落ちて地面を数回転げ回る。
身体中が痛い。口の中に違和感を感じる。必死にそれを吐き出すとそれは、血だった。地面についた血から目を反らす。
「なんで……防御魔術を……張ったのに……」
必死に立ち上がろうとするが体が言うことを聞かない。顔だけを頑張ってあげると吹っ飛ばされた時に起きた砂煙の隙間から竜が未だにニックを捉えていた。
「ひっ……!!」
時間を稼ぐ? ふざけるな。そんなもの無理に決まってるだろう。下位魔術もろくに使えないやつが出来るわけ無い。始めから分かっていたことじゃないか。結局、僕に出来ることなんて…。
ふと、周りを見ると。
「ここ……ユートリアス学園か」
じゃあ、まだ諦める訳にはいかない。ここなら先生もすぐに来てくるだろうけどまだ来ないかも知れない。
痛む体を必死に起こして後ろを振り返り走り出す。その先には、小屋があった。飛んできた瓦礫によって半分崩壊しているがたぶん、大丈夫!
壊れた部分から中を覗くと白い魔法陣が地面に描かれ周りには散乱しているが道具もしっかりある。
「一か八か……」
やれるだけのことはやろう。どうせ、いつ死んでもおかしくない状況なら必死に足掻こう。
魔法陣のもとまでたどり着いたニックは、周りに散乱した道具をしっかりと並べて、魔法陣に手を置いた。目を閉じて集中する。そして、深呼吸をして詠唱する。
「我の呼び声に───」
言い始めた瞬間。物凄い突風がその小屋と道具を吹き飛ばす。ニックは、必死に堪え体を吹き飛ばされないようにする。
「なっ、なんだ!」
突風がした方向を歯を食い縛りながら顔を向ける。
「……なっ……」
目の前に竜がいた。さっきまで中心部にいたはずなのに。竜は学園の中に入ってきていた。鼻息が一定の感覚で聞こえてくる。二つの黄金の眼は殺気を帯びた眼だった。間近での威圧感は今まで感じたことの無いものだった。一瞬にして血の気が引いて行く。
あっ……。終わった。そう直感した。
竜はゆっくりと真上に腕を持ち上げる。
───あぁ、ここで死ぬのか……。まだ何も出来てないのに。
腕が最大限に上がる。
───魔術だって結局出来たのは防御魔術だけ。それさえも使い物にならなかった。
白い爪がニックの元まで風を切り裂いて振り下ろされる。
───本当に死ぬのか……。
───イヤだ……。僕は、まだやりたいことはたくさんあるんだ。中位魔術を使ったり上位魔術を無詠唱で使えるようになれるようだってなりたい。それなのに……。
「ふざけるな……お前なんかに……」
風を切る轟音と共にニックの叫びが学園中に響き渡る。
「殺されてたまるかぁぁぁぁぁぁああ!!」
竜の手はニックの頭上に振り下ろされた。爆音のような音と共に砂煙が立ち込める。竜の手はニックを踏み潰して────は、いなかった。
「えっ……」
ニックは、目の前にある光景に声が出なかった。
なぜなら、その光景はあまりにも異常だったからだ。いなかった筈の者が立っている。竜の手を片手で魔術を発動して受けて止めていた。
ニックの目の前には、
───銀髪の男が立っていた。