第44話 救い
重く鈍い音が校庭に広がる。音は不規則なリズムを刻みながら鳴り続ける。地面の弾ける音や男の唸るような声が混ざり酷く騒がしい。
その中心にいるのは中位の防御魔術である神の盾を発動するニックと神の盾に豪雨の如く拳をぶつけるダイスの姿があった。
両者とも譲らない。攻防は依然として続いていた。
「いつまで、そうしているつもりだ!!」
ニックの顔を刈り取るようにダイスの右脚がしなる。それを寸前で神の盾に防がれ、押し返される。
「生憎、僕は攻撃する方法なんて持ってないからねっ! お前から身を守ることしか僕には出来ない!」
ダイスの右脚がまたしなる。今度は左脚を軸に回転しニックの左側から踵が襲う。鎌のようにニックの首を狙いに来る。
しかし、それもまた神の盾によって弾かれる。舌打ちをし、ダイスは後ろに跳んだ。これは逃げた訳ではない。素早く着地すると蜘蛛のように体勢を低くし一気に駆けた。ダイスに対し真正面に向けられた神の盾に突っ込んでいく。
速度と重さの拳を一発放つ。それでも神の盾が壊れることはなかった。
苛立ちが募り、また豪雨のように拳をぶつけ始める。直接その拳を受けているわけでも無いのに、ニックの腕に掛かる重圧は拳の威力ではない。さながら、大砲だ。そもそも直接攻撃を受けたら一発で肉塊になってしまう。
「ってか、なんか同時に二、三発くらい殴ってない!?」
見えてるわけではないが、神の盾からくる衝撃が一発ずつではなく同時にいくつもの衝撃を感じる気がする。
こんな拳の嵐をよく耐えていると自分でも思う。
「クソがっ!」
ダイスは、大きく身体をひねる。右足を滑らせ右手を固く握った。一秒ほど呼吸を止め力任せに拳を放つ。神の盾の真正面を拳が捉えた。
たった一発。その一発が嵐のように繰り出される拳より遥かに上を行く威力だった。ニックの躯体では、その威力に耐えられない。
痺れる腕。神の盾から伝わる衝撃がニックの骨を震わせる。両足で踏ん張るが呆気なく後ろへ飛ばされる。ゴミのように地面を跳ねる。
一瞬肺の活動が停止した。口をパクパクと開きながら必死に酸素を取り込もうとする。
「……は、はぁ────かぁっ! 」
急に取り込んだ酸素に咳き込む。恐怖心が込み上げてきた。呼吸が止まるのがこんなにも恐ろしいのか、こんなにも辛いのか。喉から鳴る音が微かに震えている。
怖い。とてつもなく怖い。
それなのに、さらなる恐怖はニックのことなどお構いなしに襲ってくる。
神の盾を天に向かって伸ばす。その上に落雷のような踵が振り下ろされている。脚に響く重み。全身の骨が全部砕けるのではないかと思うほどの重圧が、さらにニックの恐怖心を煽ってくる。
小さな舌打ちと共に重圧が解かれた。
腕を力無く下ろす。だが、神の盾は、発動したままだ。
だんだんと呼吸が荒れてくる。頬を垂れる汗を制服で拭う。その時、少しだけ頬が緩む。
上手くいっている。
ニックは、密かにある事を実行していた。それは、リナとダイスの距離を離すこと。遠くに行くことで、ダイスの狙いを自分に向けさせ、尚且つ戦闘に巻き込まれないようにしたのだ。実際のところニックにそんな余裕はなく、たまたまこういう形になっただけなのだが。
それでも、多少は計画通りに動けたと思う。このままなら、もう少しダイスを止めてられそうだ。
「でも、さすがにキツい……魔力の使いすぎかな。この全身の脱力感、シルヴァが魔力を使ってるってことなのかな。ってことは、あっちでも戦闘になってるのか……」
相手は、黒髪の深紅の瞳の男。悪魔ギーツしかありえない。余程、苦戦しているのだろう。ギーツから感じられた威圧感と恐怖心は、黒い竜に匹敵する。もしかしたら、それ以上かもしれない。目の前にいるダイスも同じくらいだが、やはりギーツには負ける。
だが、どちらにしろニックにとっては変わらない。やることは、ダイスの攻撃を受け止めるだけ。
「リナやみんなの為にも倒れるわけにはいかない!」
神の盾を構え直す。
眉間に皺を寄せながらダイスは両手の拳を強く握る。
「これ以上は、時間を掛けるわけにはいかん。いつまでも遊んでいてはギーツ様に殺されてしまう。早々に終わらせてもらうぞ!」
ダイスは、自分の胸の前で拳を勢いよく合わせる。
「全てを溶かし、腐らせる悪しき呪いよ。腐敗させる呪腕」
ダイスの周囲を魔力が渦巻く。そして、強大な魔力は大木の様な腕に集まっていき腕を黒い霧のようなものが覆う。ゆっくりと染み込むように霧は、腕を黒く染めていった。
「それ、は……」
「詠唱の通りの代物だ。これに触れれば誰であろうと一瞬でその身を溶解されるであろう」
「溶かす、魔術……」
聞いたことがない。そんな魔術。ということは、おそらく黒魔術の類だろうか。
それならマズイ。これまでニックがダイスに殺されないで済んでいたのは、何故かダイスが魔術を使ってこなかったからだ。理由は分からない。詠唱をしているところを見ると魔術はあまり得意でないのかもしれない。
乾いた喉を唾を飲み込んで必死に潤そうとする。
ダイスを神の盾越しに睨む。
「その盾で私の呪腕に耐えられるかな……?」
ダイスの姿が消える。
神の盾を右側に瞬時に動かす。同時に鈍い音が響く。湾曲した魔法陣に黒い拳が止められていた。
ジュゥ、と盾から鳴り止まない音が鳴る。
「なっ! 神の盾も溶かすのか!?」
神の盾にまで干渉するとは思っていなかったニックは、慌てて後ろへ下がる。辛うじて発動できている魔術だ。溶かす魔術で神の盾を消されたのではたまったものではない。
だが、そんな行動を敵は許してはくれない。追い込むように拳が下から飛んでくる。
瞬時に防ぐ。
しかし、ダイスの攻撃は止まらない。下を向いている間に上から鋭利な角度で拳が振り下ろされる。
防いでいた拳を弾き、上から来る拳を体を回転させて横に払う。上手く弾けたはずだった。
死角から飛んでくる拳がニックの脇腹に直撃する。地面と平行に跳んでいき、並木に盛大にぶつかった。蹴られた背中が更なる悲鳴を上げる。
急いで立ち上がろうと体を動かした瞬間。
激しい痛みが左の脇腹を襲う。その部分を火で炙られているような気分だ。制服は破けそこから見える皮膚はすでに中身を露にしていた。
痛みで脇腹を押さえようとした左手が寸前で止める。
「触ったら……ダメだ。手まで、溶ける……」
なぜこんなになっているのか。言うまでもない、ダイスの溶解させる魔術。『腐敗させる呪腕』に他ならない。
痛みを抑えるはずの左手は、反対の腕を力一杯に握る。次第に右腕に爪が食い込み血が流れていく。そんな痛み、脇腹に比べたら大したことはない。
奥歯を噛み締め、必死に痛みを別の場所に逃がそうとする。
「あれを食らってまだ体が繋がっているとはな。貴様の体は相当に頑丈らしい。私の攻撃にこれほど耐えた男は、貴様で二人目だ。それは、賞賛に値する」
ゆっくりと近付いてくるダイス。痛みに耐えながら手を付いて立ち上がる。
「しかし……もう死ね。貴様との戦いそれなりに面白かったぞ。貴様の死体を見た娘の顔が楽しみだ」
「──っ!! お前っ!」
絶対に倒れるわけにはいかない。脇腹のジリジリと焼けていくような音を遮断して目の前の相手に全意識を集中させた。
ダイスは右手の拳を握って構える。そして、消えた。目の前には、既に拳を放つダイスの姿。相変わらずの早さだ。
伸ばす腕に力を入れ衝撃に対処する。
黒い拳が神の盾に。
突然。脚を浮かすほどの震動と胃を押し潰すような爆音が鳴り響く。
音が鳴った場所を振り返る。その場所は、校門の方角。そして、言葉を失った。
なぜなら、土の噴水が上がっていた。校舎を優に超える。それが何なのかは分からないが、茶色の土がゆっくりと地に戻っていく。
それで、我に返った。
「しまっ────」
一瞬の気の緩み。
まずい、殺される!
すぐに、神の盾をダイスに向ける。
だが、目の前に立つダイスはまるで石像のように動かない。土の噴水を上がった所をダイスは信じられないようなものを見たかのように目を見開いていた。そして、
「…………ギーツ、様……」
そう小さく呟いた。途端、ダイスは踵を返し一気に駆ける。
一瞬何が起こったのか分からず硬直する。
「────は?」
ダイスの走る方向。
ダメだ。そっちは。
「お、おい!!」
だって、そっちにはリナが。
「貴様は後回しだ! 娘を先に殺す! 一人でも多く殺さねばギーツ様に顔向け出来ん! 貴様は、後で殺してやるから待っていろ!」
「は!? リナを殺さないって言ったじゃないか!」
ダイスの後を追う。しかし、ニックがダイスに追いつけるわけがない。もたつく脚。走っているのにダイスとの距離はどんどん離れていく。
「バカか貴様! 私は、後回しと言ったのだ! 殺さないなどとは、一言も言っとらんわ!」
バカだ。なぜ、ダイスの言葉を信じたのか。なぜ、自分の都合の良いように解釈したのか。何が、計画だ。リナとの距離を離してもダイスならすぐにリナの元まで行ける。むしろ、ニックの方が自分の策に溺れている。リナとの距離が遠いせいで全く追い付けない。
ダイスの背中は、徐々に離れニックは空に手を伸ばす。
「──待って、待ってくれ……。頼む。殺さないでくれ……」
瞳が次第に潤んでいく。手は震え喉は熱を帯びる。届くはずのない手を必死に伸ばす。
ダメだ。頼む。彼女だけは、リナだけは。
「やめろぉぉぉぉぉぉおお!!」
瞬間。ニックの横を後ろから何かが通り過ぎていった。それも物凄い勢いで。
それは、閃光の如く。いや、それは、紛れもない閃光だった。
ダイスとリナとの距離は約五メートル。これなら、もう一度地を蹴れば一瞬で辿り着ける。知らず知らずのうちにリナトの距離を離されていたらしい。
「くそ、あの少年、姑息な真似を。だが、裏目に出たな」
地に力強く足を踏み、駆ける。
「……まさか、ギーツ様が。ギーツ様の為にも一人でも多く……!」
そのためには、先に眠っているリナから殺す。殺しやすい者から殺す。これは、道理である。
すでに、木に寄りかかり眠っているリナをダイスは視界に捉えている。少し勢いを殺す為に地面に足を付けようとしたその時。
背後に膨大な魔力を感じ、肩越しに振り返る。ダイスの元に飛んでくるのは蒼い雷。
「なんだと!?」
空中で体を捻り両手で受け止める。腕を伝う電流。全身の筋肉が躍るように痙攣する。そのまま体ごと持っていかれリナを通り過ぎる。
この雷。あの少年のか!? いや、あいつは、攻撃手段を持っていないと言っていた。それが、本当ならこれは一体……。
余計な考えを振り払う。
今は、殺すことだけを考えろ。
受け止めている雷を強引に左に流した。雷は、地面に落ち爆発する。空手になったらダイスは、足を着き地面を滑る。
急いでリナを殺しに……。
「────!」
リナの近くに一人の少年が立っていた。さっきまでダイスの後ろを走っていた筈なのに、息を切らしながら手を広げこちらを睨んでいる。
視界にはその二人しか存在していない。つまり、先程の攻撃は少年による攻撃ということになる。どうやらダイスは騙されていたようだ。
一気に怒りがこみ上げ、ダイスは地面に拳をぶつけた。ひ弱なはずの人間になぜこんなにも邪魔されるのか。自分の弱さ、人間のしぶとさに声を荒げる。
「ニック・ハーヴァンス……!!」
なんとか、リナの目の前まで辿り着けた。喉の奥で鉄が香る。今は、体の痛みは感じない。
後ろを振り返るとそこには、静かに木に寄りかかっているリナの姿。鼓動が次第に落ち着いていく。リナが殺されなかっただけでこんなにも安心するものなのか。
ダイスを狙った雷が誰の物かは分からない。シルヴァだとしたら、この場に現れるはずだ。周りを見回してもダイス以外、誰もいない。となると本当に誰か分からない。けれど、おかげで助かった。あれがなければ今頃リナは死んでいた。
ニックは深く息を吸い、ダイスを睨む。
「クソガキがぁぁぁあ!!」
ダイスは、鬼の形相でこちらへ向かってくる。怒りで我を忘れているのか今までの速度はなく、目で捉えられる速度だった。それでも早いことには変わりない。すぐに神の盾を前に出せば、
「────え?」
手をダイスに向けた時、湾曲した青い魔法陣がニックの視界を覆うはずなのだ。今までがそうだった。だが、視界にそんなものは存在しない。ただただニックの弱々しい手が見えるだけ。
一気に冷や汗が出る。
「まさか全力疾走した時、無意識に解除しちゃった!?」
やばい。本気で殺される。けど、まだ諦めるわけにはいかない。もう一度、発動させればなんとかなるはず。
早口で最短の詠唱をする。
「神の盾!!」
何も起きない。
「神の盾! 神の盾! 神の盾……!!」
何度も詠唱してもさっきまで発動していた魔術は起動しない。
目の前を影が覆う。
それは、どうしようもない死。
ニックの手は、力なく下ろされる。視線が上へと向かう。見下ろす悪魔。魔術によって黒くなった腕がこちらを狙っていた。
「運が無かったな……! まとめて死ねぇぇ!!」
死んだ。これは、無理だ。
引かれた腕がニックの胸を狙う。腕がニックの胸を貫き後ろにいるリナも殺すだろう。そして、ダイスは寮へ向かい次は本校にいる生徒を殺す。終わりだ、ニックにはもう何も出来ない。
いや、まだだ。試していないことがある。
下ろした手を固く握る。そして、素早くそれを振り上げた。拳はダイスの顔目掛けて飛んでいく。
だが率直に言おう。遅すぎた。
ダイスは悪魔で人間の身体能力など敵うはずもない。付与魔術で身体能力を上げてやっと辿り着けるくらいだ。だが、悪魔が付与魔術を使えば力の差はさらに伸びる。
よって、ニックの抵抗など全くの無駄。完全に悪あがきだった。その死は避けられない。
しかし、それは誰かが助けてくれなければ。という話。
目の前で爆発が起こる。それは、ニックの起こしたものではない。至近距離の爆音で鼓膜が破れかけ、肌は軽く火傷する。眼球の潤いは、一瞬にして渇き瞬きをしないと眼球がその潤いを保つことは出来ない。
だが、そんなの出来るわけない。目を離すことなど誰に出来ようか。
なぜなら、いきなりダイスが爆発に巻き込まれ体が右側に飛んでいったのだ。ダイスは、少し前のニックのように地面を跳ね転がる。
「────ぐっ!! っ!? ……誰だぁぁ!!!」
地面に膝を着き立ち上がり怒りの籠った声を上げる。その声は、地面を揺らすような怒号であった。
足音がする。ダイスは眉間に皺を寄せながらその主を睨む。ニックもゆっくりと音のする方向を見た。
風向きの影響で黒煙が、足音の方向に流れる。
しかし、次第に黒煙は流れその人は現れた。
「随分とわしの生徒が世話になったようじゃな……」
風で、二つ結びにしたおさげの金髪が靡く。頭には魔女が被るような鍔のデカイ帽子を被り、黒いワンピースの上に白衣を羽織っている。右手には深緑の綺麗な宝玉が嵌め込まれた杖。ニックの半分くらいしかない身長の女の子。
明らかにこの場には不釣り合いな存在。
けど今のニックにとっては、とてつもなく頼りになる存在。一気に全身の力が抜け地面にへたり込む。
「ロ、ロゼリア……先生……!」
ゆっくりと歩むロゼリア・アクセス。
はためく白衣がその存在を巨大にする。
「待たせたな……ニック。よくここまで耐えた」
目の前で止まったロゼリアは、優しく微笑みかける。その笑顔がニックの緊張の糸を一瞬にしてほどいた。目が熱くなる。情けなく涙が溢れた。
「お前は、ここで待っとれ。後は、わしに任せよ……」
ロゼリアは、ダイスに顔を向ける。ダイスは、既に立ち上がり拳を構えていた。
「何者だ……貴様!」
「ロゼリア・アクセス。この学園の教師じゃ。さて……では覚悟は出来ておるんじゃろうな?」
「あ? なんだと?」
杖を力強く地面に突き刺す。深緑の宝玉が淡く光る。
「わしの生徒に手を出したこと────その命尽きるまで後悔するがよい!」




