第38話 神の盾《イージス》
「終わりだ……ニック・ハーヴァンス」
ダイスを見上げるニック。ゆっくりと口角の上がった笑みがニックに向けられる。
どうすればいいか分からない。
リナは苦しそうにニックにこう言った。
──もう……アイツは、ニックを攻撃……できる……だから、にげて。
リナに言われ初めて気がついた。
ダイスがギーツと連絡を取り合った時に気が付くべきだった。そうすれば、リナがこんな目に遭うこともなかったかもしれない。
本当、自分に腹が立つ。なんで女の子一人守れないんだろうと。
ダイスは、ゆっくりと右足を上げる。
それと同時にニックに支えられているリナが動き出した。震える腕を右に伸ばし苦しそうに囁く。
「い……神の盾……」
小さな詠唱の後、少し湾曲した魔法陣が空に発動される。丁度ニックとリナ、二人が収まるくらいの大きさだ。だが、その魔法陣は先程ダイスの拳を受けた時と明らかに薄さが変わっていた。
その魔法陣にダイスの右脚がしなるようにリナの発動した魔法陣にぶつかる。
割れる音がした。
リナが作り出した神の盾は、容易く壊れた。ダイスの右足が迫ってくる。
ニックは、咄嗟にリナを抱くようにして庇う。リナの柔らかい体を力強く抱く。普通ならリナの体に触るだけでも緊張するだろう。だがニックは、無我夢中でリナを抱き締めた。リナに怪我をさせないよう。
背中にものすごい衝撃が走った。それが、蹴りだという事を一瞬忘れてしまうほどの威力。まるで鈍器で背中を殴られたか勘違いしてしまうほど。それもそのはずだ。だってその蹴りを放ったのは人間ではないのだから。むしろ生きているのが不思議なくらいだ。ダイスなら蹴りで人間の一人や二人真っ二つに出来るだろうに。
「──がっ!!」
呼吸が止まる。体がゴミのように飛んでいく。そして、リナを庇いながら地面を数回転げ回りある程度のところで止まった。地面を転がったニックは、リナの無事を確認する。
「っ……り、リナ……?」
抱き締めていた腕を弱めリナを確かめる。今度こそリナは完全に気を失っていた。
「ひとまずは……無事──」
安堵した瞬間、とてつもない痛みが体を襲う。体全体が悲鳴を上げている。立ち上がるどころか、息をすることさえ痛みを伴う。何処か骨が折れているのだろうか。とにかく全身が痛い。一番は蹴られた背中だが、ギリギリ立てそうということは背骨は折れてなさそうだ。
急に喉から何かが、昇ってくる。口に手を当て、それを吐き出す。ねっとり温かい感触が、手のひらに広がる。口から手を離し、手のひらを覗くと真っ赤な血が手のひらを染めていた。きっと、どこかの血管が切れたのだろう。
今、こうして意識があるのが不思議に思えてくる。
「加減し過ぎたな……だが、安心しろ。その娘を目の前で殺すまでお前は殺さない。恥辱の中でその娘を殺すと約束したのだからな。精々無様に生きろ。ニック・ハーヴァンス」
ダイスは風を切りながらこちらに歩いてくる。
怒りを覚える。今すぐあの悪魔をぶん殴りたい。けど、そんな力はニックにはない。その感情を芝生を力強く握り落ち着かせる。
今、感情的に動きダイスに強引に殴りにかかれば気を失っているリナをみすみす殺させることになる。それは、ダメだ。絶対に。
手についた血を芝生に拭う。
リナを安全な所に運ばなきゃ。
辺りを見回す。寮に近づいていたはずなのに何度も飛ばされたせいですっかり遠くなってしまった。一番近くにあるのは並木だけ。
あそこしかないか……。
ニックは、リナの腕を自分の肩に回し支えながら立ち上がる。体に電流が走ったように痛みが絶え間なく襲ってくる。骨が鉄のように重く感じた。歩く度に痛みが増してる気がする。
「どこに行こうというのだ。そんな体で」
ニックたちとダイスの距離はドンドン縮んでいく。ニックは重い脚を動かしながら、リナを支え一歩一歩進んでいった。
「全く……少しは大人しく出来ないのか……」
ダイスは歩みを止め腰を落とす。右足を後ろに下げしっかりと地面を踏む。
ほんの数メートルが異様に長く感じる。それでも、ニックはリナを一本の木の元まで運んできた。木陰で少しだけ涼しい。痛みで熱を持った体が少しだけ癒された気がした。だが、それはきっと勘違いだろう。
力の感じられないリナの体は、素直に木に寄りかかった。かすり傷はあるもののリナの体に大きな傷は見つからなかった。
リナをひとまず安全な所に運んだからか意識が少し薄れるが、ニックの意識はすぐに叩き起こされる。
なぜなら、背後にいる者の殺気。
どうすればいいか分からない。しかし、いつまでも背を向けていては敵の格好の的だ。無理矢理、体を動かし立ち上がって振り返った。
遅かった。
言えるとすればこのくらいだ。ダイスは、すでにニックの目の前に居た。
太い腕は、引かれている。今日は何度この光景を見ただろう。しかしそれもこれが最後だ。
「終わりだと言ったはずだぞ。ニック・ハーヴァンス!!」
ダイスの声には、喜びが感じられた。命令とはいえ攻撃出来なかった人間を殺れる。それがどれ程嬉しく楽しいのかニックには想像もつかない。そんなもの考えたくもない。
あぁ……まずい……。
ニックは死を覚悟した。どうしようも出来ない。シルヴァのように魔術は使えない。リナのようにも魔術は使えない。使える魔術は、防御壁だけ。下位の防御魔術で誰でも子供の頃に覚えるような魔術だ。そんなものを今発動しても威力を弱めることさえ出来ない。
折角、あの竜から生き延びたのにもう終わってしまう。シルヴァに助けてもらって、魔術をこれから教えてくれる筈だったのに。結局なんにもない人生だった。
いっそこのまま死んでしまおうか。リナを守って死んだとなればニックの死も意味があったのではないか、と考える。
「────」
そんな訳ないだろう。何を考えているんだ。
今死んだらどうなる。
そもそもダイスは、すぐにニックを殺さない。殺せるとしても殺さない。痛めつけられた後、苦しんだ末に見るのはリナの無残な姿だろう。どう足掻いたところでこれは決定事項だ。
そんなの絶対に嫌だ。リナが殺されるのだけは、絶対に!
なら、どうすればいい?
自分に出来ること。何かないか?
いや、そんなもの何処にもない。今二人が助かる方法なんて存在しない。
けど、本当にそうか?
出来ないなら出来るようにすればいい。必死に足掻いて足掻きまくってやる。
その為に必要なのは────魔術のみ!!
ニックの腕は自然と上がる。ダイスの放った拳に向かって手を翳す。
シルヴァが言っていた。
──魔力を引き出すのに時間がかかりすぎだ。
──魔術を使うときに必要な魔力が足りていない。
──イメージが全く出来てない。
ニックのダメな三つの事。これが、出来るようになれば恐らく魔術は使える。
たった一日程度しか教えてもらってない。特訓のクリスタルもまともに出来なかった。だが、今はやるしかない。
まずは、体の魔力を起こす。それも一瞬で。意識しろ、体の魔力を。痛む体に一気に負担がかかり、魔力が体の中を巡っていく。血が沸騰したような熱が起こった。血管、筋肉、骨、皮膚、全てに焼くような熱が体を支配した。
次は、イメージしろ。今から使う魔術を。防御壁をしっかりと──いや、ダメだ。防御壁じゃ防ぎきれない。耐久力が足りな過ぎる。
なら、リナが使った魔術をイメージする!
リナが使った魔術を頭の中で出来るだけ正確に、出来るだけ精密に。
最後は、必要な魔力が足りていないという問題。
そんなもん、ありったけの魔力をぶちこめばなんとかなる!!
リナの使った魔術の詠唱は確か……。
違う。そんな詠唱なんてしている暇なんてない。中位魔術の詠唱となれば防御壁より長くなってしまう。なら、リナのように最短で。
ただ、全力で最短の詠唱を叫べ。今、守れるのは、自分だけだ。
なら、全力でその魔術の名を。
「────神の盾!!!!」
その魔術は中位の防御魔術。盾を模した魔術。物理を弾き、魔術を弾く。その強度は、使用者の魔力量により変動する。




