第31話 悪魔の笑み
火焔弾で目眩ましをしその隙をついて、ニックはリナの手を引いて走った。だが、リナを握っていた手が突然振り払われる。驚きと同時にニックの後ろで甲高い爆音が鼓膜を襲った。振り返るとそこには、魔術を使ってダイスの攻撃を防いでいるリナの姿があった。
ダイスがゆっくりと地に足を着け、少し俯いていた顔を上げてこちらを睨む。
「私の魔力を防ぐとは、やるではないか……。娘ェ!」
冷静さを失っているのかダイスは、声を荒げた。それに、リナも大きな声を上げる。
「いつまでもニックに守られてばっかりだと思ったら大間違いなんだから!」
呆然と立ち尽くすニック。
まさか空から攻撃を仕掛けてくるとは思っていなかった。ダイスが放った魔術がどんなものか分からなかったが、おそらくリナを確実に殺せるものだったはずだ。それをいとも簡単に跳ね除けた事が何よりも驚いた。
青い魔法陣は弧を描くように少し湾曲している。これはニックと同じ年代ならみんな使える魔術だ。もちろん、ニックには使えない。
中位の防御魔術『神の盾』。下位魔術の防御壁より防御性能は格段に上がっており盾のような形状をしている。
リナの魔術の腕が凄いのかダイスが手を抜いたのか、それとも運が良かっただけなのか。ただ分かることは、今リナが神の盾を使って無かったらリナは確実に殺されていたということだろう。
「調子に乗るなよ……人間!!!」
身に付けていた紺色のマントを投げ捨てたダイスは、一直線にこちらへ向かってくる。拳を握り締め腕を最大限まで引いている。
「あれは、さすがに防げない!」
ニックは、駆け出しリナの前で両手を広げ立ち塞がる。自暴自棄になったわけではない。これがニックにできる最大限の行動なのだ。
「邪魔だ! ニック・ハーヴァンス!!」
そう叫んでダイスは、離れた所で片足を地面に勢いよく踏み込む。一瞬地面が揺れた気がする。そして、引いていた腕を勢いよく空に向かって放った。
突然、ニックとリナを突風が襲う。目を開くことさえままならないほどの風だ。思わず前腕で顔を隠す。油断すれば体を簡単に持っていかれる。全力で前に体重をかけて足に力を入れた。ニックの後ろにいるリナでさえ必死に堪えている。
これが、ダイスの放った拳から起きた風だというのは風に堪えながらでも分かった。前腕の隙間から片目だけを覗かせるといるはずの人物が目の前から消えていた。
「しまった!」
勢い良く後ろを振り返る。すると、リナの後ろにはすでにダイスが立っていた。白い歯を見せながら、拳を硬く握りしめている。
「終わりだぁ!!」
既に放たれている拳。
失敗した。女の子一人守ることができなかった。時間よ、とまってくれ。そう思ったが、都合よくそんな事は起きない。
リナが殺される……目の前で。
「だからぁ!!」
リナが目の前で叫ぶ。叫んでいる最中も拳の勢いは止まらない。ダイスの拳はリナに届く。
しかし、
「守られてばっかだと思うなーー!!」
突然起こる爆発。
ニックは何が起こったのか分からず、爆発で閉じた目をゆっくりと開ける。ニックの目の前には、リナがこちらを向いて立っていてた。その後ろにいたはずのダイスは、数メートル先で膝をついてる。
「──え?」
思わず間抜けな声が漏れる。
そんなニックに構わずリナは、ダイスの方に振り向く。炎のような赤い髪がふわりと靡いた
ダイスは、右手でお腹を押さえ苦痛に喘いでいた。よく見ると押さえてるところから黒い煙が立ち昇っていた。
「き、貴様ぁぁああ!!」
遠くから見てもダイスの顔は怒りに染まっていた。最初に会った時とは全く違う。冷静沈着な印象だったが、今は怒りに燃えている。歯を食いしばるダイスは顔を上げ、瞳孔の開いた目でリナを睨む。自分が睨まれたわけでは無いのに恐怖を覚えた。
「何をした……!」
ダイスは声を荒げながらリナに問いかける。実際、ニックも気になっていた。あれは完全に詰んでいた。拳はリナに届き死を与えようとしていたはずだ。それなのに、リナは無傷でダイスの方が傷を負っているようにみえる。
腰に手を当てて、リナは大きく胸を張る。
「私は、ただ魔術を使っただけ!」
「なん……だと」
魔術を使っただけ。いや、それではおかしい。だってそれでは辻褄が合わない。
今の魔術は完全に火炎弾だったはずだ。しかし、リナは必要な行程を踏んでいない。先程まで彼女が使っていたはずの言葉は発されてはいなかった。
「まさか、無詠唱……?」
無意識にニックの口から答えが溢れる。リナが肩越しに振り向きながら嬉しそうに笑ってみせる。
「大正解! なんか出来ちゃった!!」
リナは、あの土壇場で無詠唱を成功させたのだ。ダイスが襲ってくるタイミングで、振り返らず手のひらだけを後ろに向けガラ空きのお腹に向かって火炎弾を命中させた。火炎弾が直撃したダイスは、後ろに吹き飛び食らったお腹に傷を負った。
「ふざけるな……」
ダイスの小さな声が聞こえ、ニックとリナはダイスの方に顔を向ける。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!! この私がこんな……こんなガキに魔術で! あってはならない! あってはならない!!」
ダイスは声を荒げ地面を何度も強く殴りつける。その声には、怒りだけでは無い何かが感じられた。それが何なのかニックには知るよしもない。
「こんな事では……私は……」
ダイスは、小さく呟きながら自分の顔を両手で覆う。
そんな様子を見て隣にいたリナは、ニックに顔を近づけ話しかける。
「なんかアイツ様子が変じゃない?」
「よっぽど悔しかったんじゃないかな。リナに魔術を食らわされたのが」
悪魔は、プライドが高いと噂で聞いたことがある。人間、しかも学生に魔術を食らわされたのだ。きっとダイスのプライドが傷つけられたんじゃないか、とニックは考えた。
「どうする? 今のうち寮まで行く?」
「そうしたいけど……」
ニックはダイスを横目で見る。
ダイスは、依然として何か呟きながら俯き顔を両手で覆っていた。
「今なら行ける……かな?」
「たぶん、行けると思う。分かんないけど」
「じゃあ……一か八かで」
「了解!」
二人で寮まで走り出そうとした瞬間。
ダイスが勢い良く顔を上げる。覆っていた手も下ろす。
ニックとリナは、急に動いたダイスに驚きすぐに体をダイスに向け直す。
「……」
ダイスは目を見開きながら二人を凝視している。ニックたちもダイスから目を離せないでいた。
妙な沈黙が流れる。
「ど、どうしたのかな?」
「わ、分かんないけど、リナはとりあえず僕の後ろに隠れてて」
「私、ニック守られてばっかりじゃやだよ。私だって戦うんだから!」
「分かってる。だから、僕の後ろから隙があったらダイスを攻撃して!」
反撃をし過ぎればこっちにも隙が生まれるから頻繁には出来ない。だが相手の行動を少し制限出来る。リナの魔術の腕ならきっと可能だろう。先ほどの魔術がその証明だ。
「でも、今は戦うんじゃなくてひとまずは寮に向かおう。あそこなら、きっと誰かしら先生がいると思うから」
ニックの言葉にリナは、しぶしぶ頷いた。
「けどあいつは、僕たちを逃がすつもりはないだろうね……」
ダイスの動きを見逃さないようにダイスを常に視界に入れる。
すると、ダイスは独りでに喋り始める。
「はい、何か?」
誰かと会話してる?
「申し訳ありません、今のところまだ誰も殺せておりません……」
ダイスの反応から相手はギーツだとニックは直感した。そして、恐らく魔術での会話だろう。
「……よろしいので? ……はい、承知しました」
先程までの感情の昂りが嘘のように淡々とダイスは喋り続ける。
「……では、そのように。こちらは、おまかせ下さい。必ずやギーツ様の命令遂行致しましょう。それでは、ご武運を……」
話し終わったのかダイスは、静かに立ち上がった。
静かな時が流れる。触れる風が少し冷たい。だが、それ以上に体の芯が凍る。悪寒がニックとリナを襲う。息が出来ない。瞬き出すら出来なくなる。一度瞼を閉じればその間に自分の命が消されてしまうのではないかと錯覚してしまう。
二人の体は、まるで石像のように動かなくなる。動けば……死ぬ。そんな気がした。
なぜなら、彼は───
瞳孔の開いた目を二人に向けて、笑っていたから。
まるで悪魔のように……。




