Q人生に必要なものってなんだと思う?
私は今日、黒歴史を更新する。
それは、中学の時の昇天のバレンタインみたいなものをもう一度やる、と覚悟したって事だ。
昇天のバレンタイン。好きな人にチョコレートを渡そうとして、勢い余って突き倒して気絶させてしまったという事件だ。
でも、それだけでは終わらなかった。
見物人が居た。雪菜だけじゃない。その時好きだった金刺君の友達とか、野次馬とかがいっぱい。
それで私は、混乱し過ぎて血迷った。
そのチョコレートを入れていた箱から、さりげなく中身を捨てた。
そしてその空箱を掲げ、こう宣言したのだ。
『金刺浩二、討ち取ったり!』
もう本当死ねよ過去の私。私が討ち取られろよふざけんな。思い出しただけでもう爆発しそうだ。私、リア充じゃないのに。
その光景を見ていた野次馬達は、その事を学校中に広めたらしい。昇天のバレンタインはこうやって生まれた。
しかし、もう一度私の耳に入ってきた時には、とんでもない尾鰭が付いていた。
『男子が女子より強い時代は終わった。柔道部だった男子を一人で倒した女王がそう宣言した。これからは、女子の時代だ』
我が母校では今も、女子のほうが圧倒的優位な権力を持っているらしい。まさに私の王国。私が女王であり私が築き上げた歴史だ。一日で滅びろ。
こんな黒歴史もそうだけど、私は事ある毎にこんなことを繰り返していた。黒歴史ホルダーなのだ、私は。
つまり何が言いたいかと言うと、私はもう、黒歴史を恐れないという事だ。開き直ったともいえる。
黒歴史を刻もう、と思えば、迷う余地なんて無い。恥ずかしいなんて思わないさ。私は平気だ。
慣れはひとつの死だ。その行為について、何も感じなくなるから。
私の心は既にひとつ死んでいる。
だから平気だ。くそくらえだ。
というわけで、一人、三年の教室に向かっていた時だった。
『お前は本当に、東条雄大が好きなのか?』
そんな言葉が、目的地から聞こえてきた。
野次馬もたくさん居る。異常事態が発生中らしいけど、そんなことより、その内容と、声の主が気になった。
一戸君だ。
神野先輩に会いに来ただけっだたはずなのに、なんで一戸君がここに?
考えている余裕は無かった。というか、考えていたらいつの間にか、話は進んでいた。
神野先輩が、普通じゃない、という言葉を連発している。
一戸君に向かって、何度も、何度も。まるで、一戸君が普通じゃないみたいに。
確かに、一戸君は普通ではないのかもしれない。
感情が無いのだから、そうなのだろう。神野先輩は間違っていない。
でも、そんな楽しそうに言う事? 嘲るように言う事か?
感情が無い事が悪い事か? そんなの誰が決めた。少なくとも私は、感情が無いことが羨ましいし、それに救われている。
無関心は正義だ。ある種の救いだ。
それが否定されているようで、居ても立ってもいられなくなった。
「普通じゃないって言うなああ!」
私の精一杯の声と勇気の集大成は、教室の空気を打ち壊した。
あ、お久しぶりです通りすがりの天使さん。元気ですか? 私は元気です。でも、私を迎えに来たんならもう少し待ってて。やらなくちゃいけないことがあるから。
「なにか用かな、サッキー」
楽しそうに、神野先輩が笑う。心の底から、虫をいたぶる子供のように。
「神野先輩に用があって来ましたが、その前に訂正してください。一戸君は普通です。普通の、優しい男の子です」
多分、ここからは本当の意味でも、勝負になるだろう。
おそらく神野先輩が意図的に作り上げたのであろう静寂という舞台が、張り詰めた緊張を増幅させるているようだった。
「イッチーが普通? 君は彼に感情が無いってことを知ってるかい?」
「知っています」
「なら、おっかしいよねー。感情が無いって時点で普通じゃなしさー、優しくも無いでしょ?」
「そんなことはありません」
一戸君は優しい。感情が無いから、無関心だからって、それが優しくない事とイコールにはならない。
「もしその行動に感情が無くても、偽善は人を救います。関心を持っていなくても手を差し伸べてくれた事実は変わらない。だから、一戸君は優しい人です」
ふと、神野先輩の拳に力が入った。
その目は、獲物を見つけた野獣のように輝いている。
「でもさーでもさーだよ? かの有名なマザー・テレサ様曰く、愛の対義語は無関心、なんだぜ? それに優しさは愛情だ。関心無き愛情なんて成立しないし、感情無き関心も成立しない。だから、イッチーが優しいなんて事は無いと思うんだけどなー」
周りの誰かが、え、なに、これ、なんの言い合い? みたいなことを呟くと、そこからがやがやした声が広まり始めた。
沈黙が動く背景に変わる。その存在感が増すと同時に、異端者である私を言外に追い詰めた。
居心地が悪い。流石はアウェーと言うべきか。神野先輩と不愉快な仲間達、恐るべし。
でも、私は負けない。
神野先輩の言葉は、おそらく正しい。正論だ。
正論はキングであり、トランプでは最も強いカードだ。
でも、私は今、ジョーカーを持っている。
「無関心の反対語は関心です。愛じゃない」
大人になったら、このカードはなかなか使えない。
感情という魔力を最大限にまでこねた魔法。屁理屈。
それが、ジョーカーの正体。
「気にしない、気にならない。それが無関心です。なら、気にしないで欲しい人にとって、無関心は優しさです。そして、優しさは愛情なんですよね。なら、無関心と愛がイコールで繋がる可能性もあるはずです。だから、一戸君は優しい」
屁理屈はある種の理想論だ。
理想論にはたいてい、ひねくれた感情が込められている。
そしてだからこそ、間違えていても押し通せる可能性をも秘めている。
間違えていてはいけないのが正論なら、間違えている事が前提にされても問題が無いのが屁理屈だ。
だから屁理屈は、最も力を持っている正論にだって、場合によっては勝てる。
「くっ……くはははは!」
耐え切れない、といった様子で、神野先輩が大口を開けて笑った。
「なんだそれ! そんな返しは初めて聞いた! 全国の名言信者を敵に回してるぜ気付いてるかい!?」
勿論、解ってる。
だって私が言ってるのは、いわば邪論なんだから。
納得しない人も居るだろう。当たり前だ。
でも、これは私にとっては正論で、私が深く信じてしまった事なのだから、仕方ない。それで全世界の名言ファンと戦う事になったら、私はそういう人間だったという事で、諦めよう。
「でも、そこまで言うんなら、君はもう折れないだろうしね。仕方ないから訂正しよう。イッチーは普通の優しい男子だ。そうだね、ただの無関心さんと思えば、感情が無かろうと普通、ってことにはなるかもしれないしね」
思ってたよりも聞き分けが良いのは、神野先輩がもう十分楽しんだからだろう。
なら、ここからは一戸君の話じゃなく、私の話だ。
私は一戸君の方を見た。
彼は相変わらずの無表情で、無茶をするのだな、お前は、と、呟いている。その落ち着いた様子が、やっぱり私を安心させてくれる。
それは多分、私が先走りやすい人間だからだ。
私が感情に任せて行動しても、一戸君は落ち着いていてくれている。遠足の時に皆が好き勝手しないように平静を保ってくれている先生みたいな存在なのだ。
だから私は、彼を頼ることが出来た。
ここに一戸君が居たのは、きっと何かの運命なのだろう。
そう信じれば。怖いものなど何も無い。
「では、神野先輩。本題です」
私は言って、全身の力を込めて、神野先輩を指差す。
「神野唯姫。私は、貴女に決闘を申し込む!」
ここからが、私の黒歴史だ。
「決闘だって。喧嘩?」「マジ? やばくない?」「先生呼んだほうがいい?」「やめろって、面白そうじゃん」
そんなやり取りが聞こえてくる。野次馬ほど楽なスタンスって無いだろうな。そうやって盛り上げてくれると、黒歴史ホルダーとしては感激だ。
「決闘、ねえ。やっぱり君は、少し古い思考を持ってるのかなん? クッキーといいさ。もう少し流行を知ったほうが身のためだぜ?」
今更そんな解りきった事を言われても、どうしようも無い。私はそういう人間だから、仕方ない。
「決闘と言っても、殴り合いなんてしませんよ」
「じゃあ、なにをするんだい?」
言われ、少し考える。
これからする事が、後々私になにをもたらすのか。
そんなものは解かってる。黒歴史は破滅しかもたらさない。
でも、それが解かってて諦めがつくなら、諦めきれないよりもずっとマシだ。
だから、覚悟は足りている。
問題は、この誘いに神野先輩が乗ってくれるかどうかだった。
故にもう問題無い。
彼女は絶対に、この挑戦を受け入れる。
「――私は、貴女の彼氏が好きだああああ!」
辺りがさらにざわつく。
「告白かよ!」「こんな告白って有り?」「ねえよ! つうか非常識じゃね?」「うっわ、昼ドラ展開……」
冷めた感情を乗せた冷たい視線が、全方位から私を襲う。
でも、その通りだ。
こんな行為は、非常識。そのとおりだ。
まさに昼ドラ展開。そのとおりだ。
つまり、神野先輩が大好きな展開だ。
「くっくっく……」
神野先輩は、お腹を抱えた。
「あーはっはっは! なんだそれ! 本当になんだそれ! 面白すぎる! 面白すぎるぜサッキー! そんなご褒美をあたしに突きつけて、いったいなにを企んでるのかなん? 今ならどんな挑戦だって受けて立つぜっ!」
予想通りの返答。
彼女は、人の感情に飢えている。
そりゃもう、そのためだけにボランティアなんてしちゃうくらいに。
「私だって少しくらい常識は知っています。だから、今更東条君を賭けて勝負だ、なんて言わないし、言えません」
私は東条君じゃないから。東条君の感情を勝手に賭けるなんて出来ない。
だから、私は一戸君を見た。
感情の無い、でも、感情に興味が沸いたと言った人間。
「神野先輩は、人の感情に興味があるんですよね。だから、感情が無いという特殊すぎる彼に目を付けたし、その世話も買って出た。神野先輩に意地があるなら、もし、神野先輩ではなく私が、彼に感情を教える事が出来たなら、貴女は悔しいと思うはずです。そしてその結果は、哲学まで学んだ神野先輩が、人の心を掌握するにあたって私には勝てなかったという結論に繋がる……。勝負はこうです。より多く、一戸君に感情を見せる事が出来たほうの勝ち!」
勝算はあった。だって私は愚者だから。
私はたくさんの失敗を知ってる。たくさんの傷を知っている。たくさんの涙を知っている。たくさんの痛みを知っている。全て私自身の経験だ。今まで愚者であったからこそ、ずっと心の中にあったものだ。
人より感情が多い私だからこそ、簡単には負けない。
「で、その勝負のメリットとデメリットは?」
神野先輩が問う。
私は意を決して、彼女を睨んだ。
「どっちが人の心を理解してあげられるのか。それが明らかになります」
乗るはずだ。彼女は人の心に興味があって、そのために費やしてきた時間もたくさんあるはずだから。
それに、こんな楽しい事は、他にないだろう。
下克上。
弱虫な黒歴史ホルダーが、完璧超人に挑む。
こんな娯楽は、そうそう転がってない。
楽しむ事が彼女のモットーなら、彼女の返答はひとつだ。
「いいぜ。乗った」
交わされる視線。片方は見上げるように。片方は見下すように。
いつだか私を捕えた心の鬼さん、聞いてる?
貴方は私に、本当に前に進んでいるのか、と聞いたよね。
私は、雪菜に背中を押されて、一戸君に支えられて、本当は東条君にクッキーを渡すはずだった。なのにこんなことになってしまっているのだから、私が目指した方向には進めなかっただろう。
だけど確かに、これは前進だ。
黒歴史は破滅しかもたらさない。
こんがらがってわけが解からなくなった感情にだって、それは同じ。
破滅の後にはがらんどうになった心だけが残る。
でも、それがなぜか、心地良かった。
だから私は、胸を張って、神野先輩に背を向けた。振り向かないように気をつけながら、一緒に帰ろう、と、一戸君の袖を引く。
善は急げ、悪事も急げ、なんでも急げ。急がば近道が私のモットー。そして転ぶのは目に見えてる。
でも、私は流されやすい人間だ。
流されるまま知らない所に運ばれるくらいなら、自分の足で、知らない所に踏み込もう。
「昼休みはまだ時間があるが?」
ふと、私に手を引かれながら彼が言った。私があんまり急ぐもんだから、その理由が気になったのかもしれない。
それにしても、あんなやりとりを目撃した後の第一声がそれですか? 感情が無いって空気が読めない事とも直結するのかしら?
階段を降りて、そのまま職員室に向かった。三年の教室からだと近くていいね!
そして「たのもー!」と勢いよく扉を開けたら、蕎麦を啜っている大西先生と、その正面に立つ雪菜と目が合った。
「あれ、雪菜、なにしてるの? まさか呼び出し?」
「そんなわけないでしょ」
そうだよね、私じゃないんだから。
「ってあんたこそどうしたのって感じよ。あんたに元気が無さ過ぎるって心配した大西先生に事情聴取されてた私を傍らに、なんで楽しそうなの? ていうかその男子誰よ。なに手つないでんのよ」
冷たい視線が痛いです。浮気現場を目撃した奥さんみたいだ。
「お、まさかの修羅場か? はっはーん、今は昼だからな。丁度良い。もっとやれ」
麺をすすりながら大西先生。その麺ぶちまけるぞこの野郎。
「違いますよ。私は騎士で、彼はお姫様です」
説明が面倒だったから比喩を使った。
そしたら先生が麺を噴き出した。
「お、おう……その、なんだ。生徒にこういう事聞くのはなんだが……それは何プレイというんだ?」
なににそんな驚いてるのか、よく解からなかった。
「神野先輩に決闘を申し込んできたんです。一戸君に感情を教えることが出来たほうの勝ち、っていう決闘を」
説明が足りなかったから何か勘違いされたんだろう、と気づいて、早口で説明した。
そしたら雪菜と大西先生は少しの間固まって、
「そ、そうか……。そいつでいいのか、宗司」「ねえ、なんの話?」
結局、混乱を招いただけだったらしい。
だから私は、もう説明を放棄した。
「そういうわけで大西先生。私、一戸君が入ってる部活に入ります。入部届け下さい」
善は急げ、悪事も急げ。なんだっていい。転んだって今なら平気だ。私はとにかく、急がないといけない。
「おう、まあ、よく解からんが、解かった」
勢いに押されて、入部届けの用紙を探す大西先生。
その間に雪菜と目が合ったから、とりあえずウインクしておいた。私は平気だ、大丈夫だ、って言外に告げる。
そしたらそれが伝わったのか、雪菜は呆れるように笑っただけで、何も言ってこなかった。
大西先生に差し出された入部届け。でも、いざ書こうとして、そういえばこの部活って名前無かったんだ、と気づいた。
「先生。名前無いなら、私が決めてもいいですか?」
「んあ? まあ、神野も一戸もなんでもいいと言ってたからな。へんちくりんな名前じゃなければ、構わんぞ」
やった了承ゲット!
「……ねえ、一戸君」
「なんだ?」
入部届けを書きながら聞くと、相変わらず平坦な口調が、私を落ち着かせる。
おかげで少し冷静になれた。
これからすべきこととか、どうしたら神野先輩に勝てるかとか、具体的な策はまだ思いつかない。
だけど、今、私がやるべきことは解かった。
「人生に必要なものって、なんだと思う?」
私は彼に問いかける。
沈黙。周りの先生達の雑談だけが聞こえる。
「……解からん」
誰の受け売りだったかは忘れた。とにかく私達は、高校生の間に、それを探さないといけないらしい。絶対では無いけど、見つけられたほうが良いぞ、との事だった気がする。
「そうだね」
高校生の間に。この問題にもまた、時間制限がある。
だからこそ、
「私にも、解かんないや」
今はまだ、知らなくても良いって事。
多分、恋は間違えだったんだ。いや、間違いとは断言出来ないけど、それでも私は、失恋した今でも、こうやって行動出来ているから。
だから、少なくとも私にとっては、恋じゃない。
じゃあ、何が必要なんだろう。
その答えは、謎のままだ。
でも、いつか解る時が来ると信じて。
今はただ、この酔いが醒めない事を祈るだけだ。
「なんだ、意外とまともな名前じゃねえか」
渡した入部届けは、意外にも好評だった。
「でしょ?」
自慢げに、得意げに胸を張る。
さて、これから私は、どんな空気に酔うのかしら。
酔っ払うには、最高のお酒。市販されてないから、勝ち取らないといけない。
――青春研究部。
そこが私の、戦場だ。
ここまで閲覧いただきましてまことにありがとうございます、根谷司です。
さて、ココロノートはいかがでしたか。ラブコメに擬態したよう解らん作品を目指しました。テーマは勿論「人生に必要なもの」であり、生き方のスタイルです。
この物語は、結局のところ当初の目的は達成できていません。東条に告白する事も、ましてやクッキーを渡す事も出来ていません。それでも最後、主人公はどこか満たされたような気分になっています。おかしな事のようで、実は結構あるあるなのではないでしょうか。目的とは違う。考えてた事と違う。けれど、そこはかとなく楽しかった。嬉しい。美味しい。そういうこと。当時は辛かっただけの部活の練習が、今となれば楽しかったなぁ、とか、そういう時間を経て味が変わる感情というのもあると思うのです。
主人公である咲川の心境の変化なども、お楽しみいただいたうえで、何かを感じ取っていただけたならと思います。
さて、至らぬ筆はここで置かせて頂きましょう。自重、自重。
最後に、ここまで読んでくださったから、誠にありがとうございます。願わくば他作品でもお会いしましょう!
ではっ!




