Q眩しすぎて未来が見えない時の対処法について。A過去を見ればいい。
人生に必要な物ってなんだと思う? 私は私に自問する。
それはもちろん、恋でしょっ! 私は私に自答する。
胸を熱くする高揚感。苦しくて切なくも甘みのあるこの感覚は、平仮名変換してたった二文字で表すのが勿体無いと思うぐらいに、心を満たして溢れて全身までも支配して、現実から現実味を奪って夢の世界に誘ってくれる。
この世界に産まれて十六年。私、咲川沙希恵は恋をした。
初恋は中学で済ませちゃったから、二度目の恋。通称再恋いや警告音ではなく。初めてだけが特別じゃないんだからねっ。
……そういうわけで、高校二年生、春。桜の花びらは寂しげに舞って、最後の演出に勤しんでいる。
そして進級したという実感がまだ薄い教室へ向かう階段を、スキップして歩いている私ですが、
「咲川、んな歩き方してると転ぶぞ」
上る私と入れ違いで降りてくる教師が、顔をしかめさせていた。
「だーいじょうぶですよ大西せんうっ」踏み込んだステップが空を踏む。
「っと」予想より遥かに低い位置に着地した足。しかしそのまま体制が崩れる。
「ぅうきゃあぁあ!」重心が後ろへ移動していく。一瞬だけ身体が宙に舞ったような気がした。
そして、
「ドゥフォシッ!」
背中に強い衝撃。
息が止まる。頭が痛い。こ、これが階段三段目から落ちた衝撃、だと……?
「……俺は転べなんて言っていないんだがな」
床に倒れて「……あー」ってなってる私の顔を覗き込んで、呆れたような表情を浮かべる大西先生。
「……先生? ここは普通、助けてくれる場面では?」
そんな可哀想なものを見る目で私を見ないでよ。
倒れたまんま目を細めて睨んだら、先生は左手に持っていたファイルとカバー付きの文庫本を白旗のようにはたはたと揺らす。
「生憎と俺は国語教師でな。生徒を助けるために日々鍛えている、というわけでも無いから、ああいう場面でお前のラブコメ要員になる事は無い。というか階段から落ちる生徒を見たのも初めてだ。本当に居るとはな」
「それが生徒を見捨てた理由になると……?」
「俺が無力だった。だから仕方無い」
淡々と私を見下して、それでも手を差し出してくれる辺り、本当に済まないとは思っているのかもしれないけど、
「それって、男としてどうなんですか」
大西先生の手を取りながら、軽蔑の視線。先生は露骨に顔を逸らし、
「自らの力量を把握しておくことは大事だぞ」
とか言い訳をしていた。大人の言い訳って見苦しい。言い訳っぽく聞こえないから余計にだ。
「だがな、転んだ無様な体制のまま硬直しているのも、女子としてどうかと思うぞ」
溜め息を吐きながらも私を引いて起こしてくれる大西先生。でも、肝心なことが解ってないなーこの人は。私は立ち上がり様に人差し指で上下逆さの振り子を作り、ちっちっち、と舌を鳴らす。
「これも個性です。私の人生がラブコメならパンツが見えて読者大喜び。少女漫画ならなんらかの出会いがあって、乙女発狂です」
どやー。
「発狂すんな」
立ち上がった所を、手に持っていたファイルで叩かれた。いやでも、普通するでしょ、発狂。しないの? するよね。漫画読んでる時とか「うきゃー!」てお猿さんよろしくの雄たけびを上げたりするよね? ……するよね?
「でも安心して下さい!」
発狂するとしても自宅だけだからね! 私ってば超常識人ですからっ!
それだけじゃない。私は私の目差す人生において、発狂しない事が自己決定されている。なぜなら、
「私、少女漫画によくあるドロドロは好きじゃないので、人生ラブコメを目指してます。ですのでこういう場面に先生と何かあっても物語が始まる事は決して無いです」
少女漫画じゃなきゃ発狂しないからね! えっへーん!
「そうだな。お前はまず自分の心配をしろ。特に記憶力と国語力の」
うわ、酷い事を言うなこの人は! 生徒が子供ながらも頑張って人生観を語っているというのに、発狂するお猿さんを見るようなその目はなんだ!
「先生! 人生に必要なものってなんだと思いますか!」
先生のその淡白さを私がなんとかしてやろう、と思いついたが吉日。私は先生を指差し、問いかける。あれ、そういえばこれって誰の受け売りだっけ?
「……金と仕事と適度な娯楽」
どこかめんどくさそうに答える大西先生。
駄目だこの人。二十半ばという若さにして既に青春を諦めている。早くなんとかしないとっ。
「ちっちっち」再び登場逆さ振り子「そんな考えは年金を貰い始めてから考えればいいのです」
「老いて尚仕事の事を考えろと?」
「いいですか先生っ」私は自ら作った振り子を自らの夢、目標に見立てて強く握る「体が動く内は、思うままに行動出来る内は、決して諦めてはいけないのですっ! 人生に必要なもの、それは恋! 恋なんです!」
「青春の過ちか……」
「暗いとか以前になんで顔を背けるんです? 先生は恋にトラウマでもあるんですか?」
ちなみに私にはあるよ、恋のトラウマ。
「いや、お前が可哀想に思えてな……。いや、いいんだ、気にするな。ただ、俺はお前が傷付く姿を、適度に離れたところでスナック菓子を食べながら生暖かく見ていよう」
「せめて温かく見守って下さいよ。なんで失敗する事前提で、それを娯楽感覚で見ようとしてるんですか」
しかも寛いじゃってるし。
「あー、先生昼ドラは苦手だから、ドロドロは勘弁してくれ」
「だからなんで娯楽感覚なんですか」
人の話を聞いてないし。
「昨日やってた昼ドラは酷かったなー、妻に刺されそうになった愛人を夫が庇ってだなあ」
「内容なんて聞いてませんというか普通に見てるじゃないですか」
しかも結構えぐいのを。というか楽しそうにニヤつかないで気持ち悪い。
ふと、私は今の時間と先生の向かう先が気になった。
「先生、もうすぐ朝のホームルーム始まりますよ? なんで降りていくんですか?」
大西先生は私のクラスの副担任だ。なのに先生は下に向かっていた。多分職員室に行こうとしていたのだろうけど、じゃあさっきまで何をしてたの? という話で。
「ああ、まあ、ちょっとな」先生はファイルと庫本を両手に持ち替えて、「問題児の面倒を見ていたんだ」と、苦笑した。
そのファイルや文庫本と問題児さんが何か関係あるのかしら?
というか、
「先生、生活指導なんてしてませんよね?」
あれって、少なくともこの学校では、結構地位の高いベテラン教師がやってるからね。こんな若い先生に出来るとは思えない。
「いや、生活指導とは少し違うな」
私に見せ付ける事で役目を終わらせたらしい文庫とファイルはまたひとつに纏められ、大西先生は空いたほうの手を腰に置く。
他の生徒の話を他の生徒にする、なんてマナー違反な気もするけど、口ぶりや無駄に動く仕草からして、誰でもいいから愚痴を聞いて欲しい、と言われているような気分になった。
「でも、問題児なんですよね」
そこでちゃんと話を聞いてあげる私の優しさときたらもう……。
「ああ、問題児は問題児だが、別にそいつが問題を起した、とかってわけじゃない。むしろ、世間一般的な問題児とはかけ離れている、と言っていいぐらい落ち着いている」
「じゃあ問題無いじゃないですか」
「まあ、なんだ」視線を落として表情をしかめさせる大西先生「いかんせん落ち着き過ぎている、というかだな……」
「いいじゃないですか、文学少女か何かですか?」
「だったらいいんだが……」ふと、大西先生は何か違和感に気付いたみたいにして、下げていた顔を上げた「なんでさりげなく女子に限定した?」
「男子だったら爽やかかスポーティ一択ですので」
だからそんなめちゃくちゃ渋ってます的なしわしわの表情をする大西先生は選択肢外だ! 爽やかさが微塵も無いよ! 可哀想なものを見る目で見ないでよ!
「咲川。それだと二択だ。あと酷い偏見でもあるから、全国の草食系男子と文学少年と国語教師に謝れ」
先生がなんか言ってたけど、さりげなく自分への謝罪も求めてきたのがイラッと来たから無視した。
「男子なんですか? その問題児」
「ちなみに俺の中ではお前も問題児だぞ」
「こんな常識人捕まえておいて何を……」
呆れた。先生は見る目が無いなあ。
「欲望の赴くままに行動しているお前のどこに常識がある? 職員室に呼び出された回数を言ってみろ」
言われてふと考える。
えーと職員室に呼び出される回数といえばだいたい週一か週二くらいのペースだから、それを登校日数で掛けるでしょ? で、登校日数は二百日くらいだから一年間で四百回くらい呼び出されてる計算になるんだよね。
ちょっと待ってなんで登校日数を上回るの? 一年間休日も休まず呼び出されたとしても足りないよ? これは絶対におかかしい。
「……記憶にございません」
「どこの政治家だ、お前は」
まあ今のは計算ミスがあったとしても、確実に二桁は超えてるし、それ以降数えてないから記憶に無いっていうのも嘘じゃないよねっ。
「それで、男子なんですか? その問題児」
空気が悪くなったら話を曖昧にぼかす。こうやって煙に巻いてしまえば嘘は嘘にならないから、私も政治家も嘘つきじゃないのだ! まあ私ってば賢者!
「お前が言うとなんか癪に障るな、その単語。まあいい。そうだ、男子だ」
「へえ。ぶっちゃけどうでもいいですねっ」
私は今の恋一筋ですから!
「笑顔でその言葉を言う辺りがもう問題児の感性だぞ……」
なんかげっそりしてる先生。飲み込んだ唾に苦虫でも入ってたのだろうか。
「本当、お前の落ち着きの無さをあいつに分けてやりたいくらいだ。そうすればきっと世界中で捨てられる可愛そうな動物の数が減るのに……」
「私の個性をなんだと思ってるんですか先生」
なんかすごく超常的な何かになってません?
立ち話もここまで、という雰囲気になり、そろそろ教室に行かなきゃ、という時だった。
「大西先生」
階段の上から、朝の靄がかかったみたいな空気を吹き飛ばす爽やかな挨拶が聞こえた。
見上げたそこには、柔らかい栗色の短髪を風に靡かせて、白い歯を輝かせなっがら微笑む私の憧れの人、東条雄大がそこに居た。
「っっっつ!」
目が覚めていく。眩しい。眩しくて先が見えない。このまま未来も見失いそうだ。……これがイケメン力かっ、なんて破壊力だ!
「咲川さんも、おはよう」
優しく微笑む東条君。やめて、そんな目で私を見ないで。世界中で捨てられている可愛そうな動物達が救われないのは私のせいなのだからそんなに見ないで!
「あ、ああう、あの……おは、お、お」
「?」
首を傾げる東条君。言わなきゃ、とにかく返事をしなきゃ……なにか、何か!
「私を見ないでええええええええ!」
気付いたら、私はそこから走り去っていた。
「あっはっは! なにそれ! バッカじゃん!」
教室、一現目の授業が終わった後、朝の出来事を友達の雪菜に話した。クラスの人気者とは異なるカーストに居る私には貴重な友人だけど、今この時は流石に考えを改めようかと思った。
「声が大きいよ雪菜っ。聞かれたらどするの!」
浜崎雪菜。私の中学からの友達。長い黒髪にはポリシーがあるらしく、染めたりもせずよく手入れされている。肌も、校則違反にならない程度の化粧をして、とっても綺麗だ。女子力高し。
ちなみに、この学校では私の残念な伝説を知る唯一の人間でもある。そんな彼女を口封じするため、持っていたペットボトルのキャップが付いてる細い部分を無理矢理噛ませた。
雪菜は口の中でもごもご言ってたけど、何を言ってるのか解らない。多分日本語じゃなかったんだと思う。仕方ないから許してあげた。
「ごめんごめん」
悪戯っぽく笑って、でもさー、と間延びした声でもって彼女は続ける。
「まっさか沙希恵ってば、中学のあの伝説を更新するつもりじゃないわよね」
傷口に塩を塗る私の友人。あまりの痛さに言葉を失う。
雪菜は嘲うみたいな笑みを保ったまま数秒だけ私と見つめ合い、少しずつ唇の端の釣りあがり具合を強めていく。そして我慢の限界を迎えましたと言わんばかりに「ふはっ」と噴き出し、机を叩いた。
「好きな人に『私を見ないでえええ』なんて、普通は言えないってっ。どこの少女漫画だよって!」
「ううう……」
穴があったら入りたい。墓穴であれば尚良し。願わくば誰か埋めて下さい。
あんなのは私じゃない。普段の私は、大西先生が言った通り落ち着きが無い。良く言えば活発な少女で、それは自覚もしている。
髪型だって美容師さんに勧められた通り短くしているし、化粧みたいに大人びた事もしていない。というか、化粧は前に挑戦した事はあるけど、なにあれ難し過ぎ。ハリウッドのゾンビの作り方を独学で身に付けちゃったくらいすごい事になった。だからもうやらない。
……ちなみに、中学の時の私の伝説、というのは、本当に伝説と呼べるくらいに、母校では有名だった。昇天のバレンタイン、という異名で、今でも語り継がれているという。いっそ私が昇天したい。昇天させたのは私だったけど。
「しかあしっ、過去にめえげないのが私だ!」
椅子に座ったまま、拳を掲げて天を突く。
「そして過去から学ばないのも、あ、ん、た」
その体勢のまま天に召されるかと思った。太陽に近付きすぎた某イカロスさんの気持ちが解りました。今なら彼と友達になれそうです。
「でもさあ、沙希恵。解ってるとは思うけど、門は狭いわよ?」
言いながら、雪菜は教室の前方を見た。その先には東条君。クラスメートと爽やかな談笑中。きっと今頃、スポーツの話で盛り上がっているに違いない。ビバ、爽やかっ!
「多数決で学級委員に指名されて、成績も優秀で、バスケ部の期待の星。おまけにイケメンでストイック。彼女作る気あるのかーってくらい部活と友達に夢中なのに狙っている女子はサル山のメス並と聞く」
例えが爽やかじゃないよ雪菜。それだと数じゃなくて質のほうに問題があるように聞こえる。その質のほうに私って含まれてるのかな。……は、そうか私がお猿さんなのか。……えー……。
「それなのにあんたはイップス紛いな症状起してアピール出来ず。はっきり言って、遠いよ?」
「やめてあげて、私のライフはもうゼロよっ!」
「そうよあんたに留めを刺してるの」
ぐっさりだった。誰か本当に埋めて下さい。このままではゾンビになってしまう。猿のゾンビとか絶対にレア度高いけど、あの日鏡越しに見たおぞましい姿にはもうなりたくない!
「行動しなきゃ何も得られないわよ? 今はもう男子が引っ張るのが常識、なんて二次元のものであって、草食系男子と肉食系女子って言葉の通り、恋愛でも女子が引っ張る時代なの。それが出来なきゃ、例えあんたみたいに素材だけ良くても、乗り遅れるわよ」
現実は厳しいよお母さん。なんで草食系なんて言葉が生まれたの? 滅びてしまえ。私が炒めて食ってやるから洗って待ってろ。なんならロールキャベツにしてやろうかー!
「ところで雪菜。この間ネットで『ロールキャベツ系男子』って言葉を見つけたんだけど、なんでいつの間にか食べる側から食べえられる側に変わってるの?」
「現実から目を逸らさない。前を見なさい。横や後ろを見れるのは草食動物の目だけよ。前しか見れない肉食獣の目は、しかしそれでも、だからこそ、より立体的に前を見れるの」
私の顔をガシッと掴み、東条君の方を見させる雪菜。
そうだ、私は肉食獣。ガラスのハートはとうの昔に砕け散ったわ!
「雪菜! 人生に必要な物ってなんだと思う!?」
ガバッと雪菜のほうに振り返り、勢い良く聞いたら三歩くらい距離を取られた。
「え、知らない」
「恋よ!」
すごい即答だったことは今は不問にして声高に叫ぶ。そうしないと雪菜との間に生じた三歩という距離に挫折しそうだから!
「私のラブコメは、私が描くのよ!」
再び拳を掲げて立ち上がる。なんかクラスの視線が集まってたけど、気にしない。
「……うわあ、相変わらず炊きつけやすうい」
雪菜が何か呟いてたけど、これもやっぱり気にしない。
「そうと決まればやることはひとつ! 何か解るかな、雪菜!」
「知りたくない」
「花嫁修業だよワトソン君!」
「話しが飛びすぎどころか、跳び箱を飛ばずに横を走り抜けてるわよそれ」
青春の光はすぐそこにあるのよ!
私はいつの間にか五歩くらいにまで引き伸ばされていた距離を一気に詰めて、雪菜の手を取った。そしてそのまま青春の光が差す方へ、そう、教室の外へと走り出す。
ドアノブに手をかけると同時に、休み時間終了のチャイムが鳴った。
「あえ?」
光が消失していく。きんこんかんこんのリズムに乗って。
「あ、あれー……?」
音の残響の消える頃には、光なんてもうどこにも無かった。




